【Side: 高嶺澪】再襲のヴェリナ
ヴェリナの両手から、紫色の魔力が放たれた。
——速い。
反応すらできない。
体が動くより先に、衝撃が来た。
ドォンッ——!
聖堂の床が爆発した。
石畳が弾け、破片が飛び散る。
私は吹き飛ばされ、背中を柱に打ちつけた。
「がっ——!」
息が、詰まった。
視界が歪む。耳鳴りがする。
煙が立ち込め、何も見えない。
「澪!」
由依の声が聞こえた。
どこからか、私のところに駆け寄ってくる。
「大丈夫!? 立てる!?」
「う……ん……」
由依に支えられて、なんとか体を起こす。
背中が痛い。でも——骨は折れていない、と思う。
煙が晴れていく。
聖堂の床に、大きな穴が開いていた。
祭壇の周囲が、瓦礫になっている。
◆
「ふむ」
ヴェリナが、つまらなそうに呟いた。
「避けもしなかったか。——つまらないな」
その言葉に、神崎くんが歯を食いしばった。
「……くそっ!」
立ち上がる。
『銀月の剣』を構える。
膝が震えているのが、わかった。
「神崎! 無茶するな!」
風間くんが叫んだ。
彼も『鉄砕の斧』を構えているが——動けていない。
あの訓練ダンジョンの時と、同じだ。
体が、覚えている。
この魔族の前では、何をしても無駄だと。
心が、恐怖で縛られている。
「——全員、下がりなさい!」
シスター・エルナの声が響いた。
彼女が、私たちの前に立った。
白いローブが、埃で汚れている。
でも——その背中は、真っ直ぐだった。
「あなたたちを守るのが、私の務めです」
シスター・エルナが、両手を広げた。
淡い光が、彼女を包む。
結界——護りの術式。
「ほう」
ヴェリナが、目を細めた。
「シスターか。——可愛らしい術だ」
その手が、軽く振られた。
——結界が、砕けた。
「——っ!?」
シスター・エルナが、よろめいた。
吐血する。膝が折れる。
「エルナ!」
護衛の騎士が駆け寄ろうとした——その瞬間。
ヴェリナの魔力が、騎士たちを薙ぎ払った。
三人の騎士が、壁に叩きつけられる。
動かなくなった。
◆
「さて」
ヴェリナが、ゆっくりと歩いてきた。
黒い翼が、ステンドグラスの光を遮る。
深紅の瞳が、私たちを見下ろしている。
その顔には——退屈そうな笑みが浮かんでいた。
「弱すぎるな、お前たちは」
一歩、また一歩。
近づいてくる。
「武器を手に入れて、少しは楽しませてくれるかと思ったが——」
ヴェリナが、首を傾げた。
私の胸が、締め付けられた。
怒りと——悔しさと——それから、何か別の感情で。
「うるさい!」
神崎くんが、叫んだ。
その声には、怒りが滲んでいた。
押し殺していた何かが、溢れ出すような——
『銀月の剣』が、青白く輝いた。
神崎くんが、地面を蹴った。
「神崎!」
坂下くんが叫んだ。
『賢者の瞳』を通して何か見えたのか、顔が青ざめている。
でも——神崎くんは止まらなかった。
剣が、ヴェリナに向かって振り下ろされる。
渾身の一撃。
訓練で磨いた技と、『銀月の剣』の力を込めた——
——紫の障壁が現れた。
また、同じだった。
訓練ダンジョンの時と、同じ——
——違う。
障壁に、ヒビが入った。
亀裂が走り、砕ける。
「——ほう」
ヴェリナの目が、微かに見開かれた。
驚きの色。
ほんの一瞬だけ——でも、確かにあった。
神崎くんの剣が、障壁を破壊した。
『銀月の剣』の刃が、ヴェリナに向かって——
——届かなかった。
ヴェリナが、神崎くんの胸を蹴った。
軽い動作だった。
でも——神崎くんの体が、十メートル以上吹き飛んだ。
壁に激突し、そのまま床に崩れ落ちる。
「神崎くん!」
私は叫んだ。
◆
「武器だけは一流だな」
ヴェリナが、自分の手を見ながら呟いた。
その声には——わずかに、感心の響きがあった。
「戦乙女の遺産か。流石に、少しは効くらしい」
「——今だっ!」
風間くんが、飛び出した。
『鉄砕の斧』を振りかぶる。
巨大な斧が、金色の光を纏っている。
《剛力》で強化された、渾身の一撃——
同時に、由依が動いた。
『疾風の腕輪』が緑色に輝く。
風を纏って、一瞬で背後に回り込む。
剣を構え、死角から斬りかかる——
「連携か」
ヴェリナが、口角を上げた。
風間くんの斧が迫る。
由依の剣が迫る。
前後から、同時に——
ヴェリナの体が、ぶれた。
斧が空を切る。
剣が空を切る。
二人の攻撃が、交差した——その中心に、ヴェリナはいなかった。
「悪くはない」
声が、上から降ってきた。
見上げると——ヴェリナが、宙に浮いていた。
黒い翼を広げ、私たちを見下ろしている。
「前より、ずっとマシだ。その武器のおかげだろうがな」
ヴェリナが、指を振った。
紫の魔力が、風間くんと由依を弾き飛ばす。
二人が、床に叩きつけられた。
「風間くん! 由依!」
私は駆け寄ろうとした。
『癒しの環』が、緑色に輝く。
《治癒》の力が、二人に向かって流れ出す——
「治癒術師か」
ヴェリナの声が、冷たく響いた。
「厄介だな。先に潰すか」
深紅の瞳が、私を捉えた。
足が、竦んだ。
呼吸が、止まりそうになる。
◆
その時——光が走った。
坂下くんの『賢者の瞳』が、青白く輝いている。
「——左だ! 左脚の動きが遅い!」
坂下くんが叫んだ。
相沢さんの『千里の護符』も、同時に光っていた。
「本当だ……左足を庇ってる……!」
二人の声が、重なった。
ヴェリナの動きが——一瞬、止まった。
「……なるほど」
その声には、感心とも苛立ちとも取れる響きがあった。
「前回の傷を、覚えていたか」
訓練ダンジョンでの戦い。
シュナイダー団長たちが、左側に集中攻撃をした。
あの時のダメージが——まだ、残っている。
「それがわかったところで——」
ヴェリナが、私に向かって手を伸ばした。
紫の魔力が、その手に集まっていく。
「——何ができる」
その時。
神崎くんが、立ち上がった。
血を吐いている。
肋骨が折れているのかもしれない。
それでも——剣を、手放していなかった。
「……まだだ……」
神崎くんが、壁に手をついて体を支える。
膝が震えている。血が、口元から垂れている。
「まだ……俺たちは……終わってない……!」
『銀月の剣』が、再び青白く輝いた。
◆
ヴェリナが——少しだけ、表情を変えた。
退屈そうな笑みが、消えていた。
代わりに——何か別の感情が、深紅の瞳に浮かんでいる。
興味。
そして——わずかな、警戒。
ヴェリナが、私たちを見渡した。
倒れている風間くん。
由依。
立ち上がろうとしている神崎くん。
弱点を見抜いた坂下くんと相沢さん。
そして——《治癒》で仲間を支えようとしている、私。
「思っていたより——厄介だな、お前たちは」
ヴェリナの声が、低くなった。
「武器だけではない。連携も、判断も——素人にしては、よくできている」
神崎くんの顔が、屈辱で歪んだ。
「素人だと……!?」
「事実だろう」
ヴェリナが、冷たく言った。
「お前たちは、まだ弱い。私には勝てない」
その言葉が、聖堂に響いた。
「だが——」
ヴェリナの目が、細まった。
「このまま育てば、厄介なことになる。それは——認めよう」
◆
ヴェリナが、ゆっくりと降りてきた。
床に足をつけ、私たちに向き直る。
その表情から、退屈の色が——消えていた。
「当初の予定通りだ」
ヴェリナが、両手を掲げた。
「ここで、まとめて始末する」
紫の魔力が、その手に集まっていく。
さっきよりも——ずっと、濃い。
「あいつの言う事も、一理あったな……」
ヴェリナが、小さく呟いた。
——あいつ?
誰のことだろう。
その言葉が、頭の片隅に引っかかった。
でも——考えている余裕はなかった。
「育つ前に摘む。それが、正しい選択だ」
ヴェリナの魔力が、膨れ上がっていく。
空気が、紫色に染まっていく。
これが——本気。
私たちを、殺すための——本気。
◆
——死ぬ。
直感で、わかった。
あの魔法が放たれたら、私たちは全員死ぬ。
避けられない。防げない。
でも——体が、動かない。
恐怖で、足が凍りついている。
声も出ない。
ただ、ヴェリナの手に集まる魔力を見ているしかない。
——その時だった。
「——離れろッ!」
怒号が、響いた。
聖堂の入り口から、剣光が走った。
ヴェリナの横を、かすめていく。
ヴェリナが——初めて、魔法の詠唱を止めた。
その瞳に、興味の色が浮かぶ。
まさか——
入り口に、男が立っていた。
鎧に身を包んだ、大柄な男。
傷だらけで、血を流しているけれど——その目は、鋭かった。
「——シュナイダー団長!」
護衛の騎士が、叫んだ。
エーヴァルト・シュナイダー。
騎士団長。
訓練ダンジョンで、私たちを守ってくれた人。
彼の後ろから、騎士たちが次々と聖堂に入ってきた。
十人——いや、もっといる。
外で戦っていた騎士団が、ようやく追いついたのだ。
◆
「異世界人に手を出すな、魔族」
シュナイダー団長が、剣を構えた。
その声は、低く、重い。
怒りを押し殺したような——冷たい声だった。
「彼らは、俺の預かりだ」
「騎士団長か。今回は来ていないと思っていたが、まさか後を追ってきたのか?」
ヴェリナが、魔法の詠唱を止めた。
でも——魔力は、まだ手に集まっている。
「嫌な予感はやはり当たるな。極秘で後を付いてきたのさ」
シュナイダー団長が、一歩踏み出した。
その瞬間——空気が、変わった。
シュナイダー団長の体から、金色の光が立ち昇る。
鎧が輝く。剣が輝く。
訓練の時には見せなかった——本気の、闘気。
「——ほう」
ヴェリナの目が、細まった。
「面白い。少しは、楽しませてくれそうだな」
二人の視線が、交錯する。
空気が、張り詰める。
息をするのも、苦しいくらいに——
◆
「騎士団、展開! 異世界人を守れ!」
シュナイダー団長の命令で、騎士たちが動いた。
私たちを囲むように、陣形を組む。
剣を構え、盾を掲げる。
プロの動き。訓練された動き。
「神崎を下げろ! 治療班、ここへ!」
騎士の一人が神崎くんを抱え上げ、後方に運んでいく。
私のところにも、騎士が来た。
「高嶺様、こちらへ」
「……っ」
促されるまま、私は後方に下がった。
由依も、風間くんも、坂下くんも——みんな、騎士たちに守られている。
シュナイダー団長だけが、前に残っていた。
ヴェリナと——一対一で、向き合っている。
「行け」
団長が、私たちを振り返らずに言った。
「ここは俺が抑える。お前たちは、逃げろ」
「で、でも——!」
私は叫んだ。
逃げる?
団長を置いて?
訓練ダンジョンの時も、助けてもらった。
また——同じことを繰り返すの?
「いいから行け!」
団長の声が、鋭く響いた。
「お前たちが死んだら、誰が戦う! 生き延びることが、今のお前たちの仕事だ!」
その言葉に——私は、何も言い返せなかった。
◆
ヴェリナが、私たちを見た。
「逃がすと思うか?」
その手が、再び掲げられた。
紫の魔力が——私たちに向けて、放たれようとする。
「——させるかァッ!」
シュナイダー団長が、突進した。
剣が振るわれる。
金色の斬撃が、ヴェリナに向かって飛ぶ。
ヴェリナが、身を翻した。
攻撃を避けながら——片手で、魔力を放つ。
シュナイダー団長が、それを剣で弾いた。
火花が散る。衝撃波が広がる。
聖堂の柱が、ひび割れた。
「やるな、人間」
ヴェリナの声に、初めて——感心の響きがあった。
「光栄だな」
シュナイダー団長が、剣を構え直した。
「——だが、俺の役目は倒すことじゃない」
彼の目が、一瞬だけ私たちを見た。
「時間を稼ぐことだ」
——その意味が、わかった。
団長は、勝つつもりじゃない。
私たちを逃がすために、戦っている。
命を懸けて——時間を、作ってくれている。
「……っ」
涙が、滲んだ。
悔しい。
情けない。
何もできない自分が、嫌で嫌で仕方ない。
「澪、行くよ!」
由依が、私の手を引いた。
「今は——逃げるしかないの!」
わかってる。
頭では、わかってる。
でも——
私は、走りながら振り返った。
シュナイダー団長とヴェリナが、剣と魔法を交わしている。
聖堂が壊れていく。
柱が倒れ、壁が崩れ、ステンドグラスが砕ける。
百年の歴史を持つ聖堂が——破壊されていく。
◆
聖堂の出口に、たどり着いた。
振り返る。
中では、まだ戦闘が続いている。
シュナイダー団長の剣戟と、ヴェリナの魔法が、交錯している。
——団長が、押されていた。
動きが、鈍くなっている。
傷が増えている。
さっきまでの鋭さが、少しずつ失われていく。
「くそっ……」
風間くんが、拳を握りしめた。
「俺たちは……また何もできないのかよ……」
誰も、答えなかった。
答えられなかった。
その時——
聖堂の中で、ヴェリナの声が響いた。
「——もういい」
その声には、退屈が滲んでいた。
「使いたくはなかったが、チョロチョロと面倒だ。これで——終わりにしよう」
ヴェリナが、両手を広げた。
紫の魔力が——空気を震わせるほど、集まっていく。
さっきの比じゃない。
聖堂全体を、包み込むような——巨大な魔力。
「大規模魔法——!」
坂下くんが、叫んだ。
「あれが放たれたら、聖堂ごと——!」
——消し飛ぶ。
私たちも。
シュナイダー団長も。
この場にいる、全員が。
ヴェリナの口が、動いた。
詠唱が、始まった。
空気が、紫色に染まっていく。
地面が、震えている。
これが——魔族の、本気。
「——逃げろッ! 全員、離れろッ!」
シュナイダー団長の声が、響いた。
でも——どこに逃げればいい?
あの魔法の範囲から、逃げ切れるの?
私の体が——動かなかった。
恐怖で。
絶望で。
ペンダントを、握りしめた。
黒瀬くんから借りた、お守り。
——助けて。
声にならない祈りが、胸の中で響いた。
——黒瀬くん。
◆
ヴェリナの詠唱が、続いている。
紫の光が、膨らんでいく。
まるで、太陽みたいに——眩しくて、恐ろしい。
私たちは——逃げることもできず、そこに立っていた。
死が、近づいてくる。
足音のように。
呼吸のように。
確実に——
その時。
聖堂の外で——別の足音が、聞こえた。
誰かが、走ってくる。
こちらに——向かって。




