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【Side: 高嶺澪】英雄聖堂の静謐

聖堂の中に、足を踏み入れた。


 ——息が、止まった。


 広い。とても広い。

 天井は遥か頭上にあり、巨大な石柱が等間隔で並んでいる。

 壁には、ステンドグラス。

 朝日を受けて、色とりどりの光が床に落ちている。

 赤。青。金。緑。

 まるで、宝石を敷き詰めたみたいだった。


「すご……」


 誰かが、呟いた。


 私も——言葉が出なかった。


 空気が違う。

 王城よりも、教会よりも、もっと——古くて、重い。

 歴史の重さ。祈りの残り香。

 百年の時間が、この空間に積み重なっている。


 石畳を踏む足音が、高い天井に反響する。

 こつ、こつ、こつ——

 自分の足音なのに、誰か別の人の足音みたいに聞こえる。


 壁際には、彫像が並んでいた。

 騎士たち。鎧を纏い、剣を掲げた英雄たち。

 その表情は、どれも厳しい。

 でも——どこか、穏やかでもあった。


 戦いの中で、何かを守った人たち。

 命を賭けて、この国を守った人たち。

 その眼差しが、私たちを見下ろしている。







「皆様、こちらへ」


 シスター・エルナの声が、静かに響いた。


 彼女は祭壇の前に立っていた。

 白いローブが、ステンドグラスの光を受けて淡く輝いている。


 私たちは、ゆっくりと歩を進めた。


 祭壇が、近づいてくる。

 石造りの台座。その上に——武器が並んでいる。

 剣。槍。弓。盾。杖。短剣。斧。

 どれも、淡い光を放っている。


 古いはずなのに、錆びていない。

 埃も、傷もない。

 まるで、昨日作られたばかりのように——美しい。


「これが……」


 神崎くんが、呟いた。


「戦乙女の遺産……」


 その声には、畏敬が滲んでいた。


 シスター・エルナが、私たちを見渡した。


「皆様。これより、武具授与の儀式を執り行います」


 その声は、穏やかだった。

 でも、どこか——硬さがある。

 召喚の時にも感じた、あの硬さ。


「その前に——戦乙女について、お話しさせてください」







 シスター・エルナが、祭壇の後ろを指し示した。


 そこには——壁画があった。


 巨大な壁画。

 天井近くまで続く、戦いの絵。


 中央に、一人の女性騎士。

 銀色の鎧。長い髪。

 剣を振るい、闘志に満ちた表情で——魔物の大群に立ち向かっている。


「百年前——この国は、滅亡の危機にありました」


 シスター・エルナの声が、静かに語り始める。


「魔族の侵攻。人類の領域は次々と蹂躙され、多くの命が失われました。このままでは——人間は、この大陸から消え去る運命でした」


 壁画を見上げる。


 魔物の群れ。

 黒い影の塊。

 人間の騎士たちが、次々と倒れていく様子が描かれている。


「その時——立ち上がったのが、彼女でした」


 シスター・エルナが、壁画の中央を指さした。


 銀色の騎士。

 戦乙女。


「ブリュンヒルデ・フォン・ヴァルツ。『戦乙女』の末裔にして、最後の英雄です」


 ブリュンヒルデ——


 その名前が、頭に刻まれた。


「『戦乙女』とは——かつてこの世界に存在した、戦いの神に仕える種族のことです」


 シスター・エルナの声が、少しだけ厳かになった。


「人間とは異なる力を持ち、戦場においては無双の強さを誇りました。しかし、長い歴史の中で数を減らし、今ではほとんど残っていません。ブリュンヒルデは——その希少なる血を引く、最後の戦乙女でした」


 希少種族——


 人間とは、違う存在。

 この世界に、そんな種族がいたなんて。


「彼女は人々と共に戦い、幾度となく魔族を退けました。そして最後には——」


 シスター・エルナの声が、少しだけ低くなった。


「魔族が開こうとしていた『門』を閉ざしました。異世界へ通じる門。それを閉じることで、魔族の侵略を食い止めたのです」


 門——


 異世界への、門。


 私たちは、その門を通って召喚されたのだろうか。

 魔族が開こうとしていた門と、私たちを召喚した術式——何か、関係があるのだろうか。


「その戦いの後、戦乙女は姿を消しました。命を落としたとも、どこかで眠りについたとも言われています。真実は——誰も知りません」


 シスター・エルナが、祭壇を示した。


「これらの武具は、戦乙女と共に戦った英雄たちのものです。彼らの魂が宿り、相応しき者を待ち続けています」







 私は、壁画を見上げていた。


 戦乙女——ブリュンヒルデ。


 希少種族の末裔。

 この国を守った英雄。

 そして——姿を消した伝説の騎士。


 百年前に、こんな戦いがあったなんて。

 魔族の侵攻。異世界への門。

 今の私たちには想像もつかない——壮絶な歴史。


 私たちも——戦うことを求められている。

 レオノーラ王女は「意思を尊重する」と言ってくれたけど——

 

 この国を守らなければ、帰る方法も見つからない。

 結局、戦うしかないのだ。


 ペンダントに、手が伸びた。

 黒瀬くんから借りた、お守り。


 ——彼は、今どうしているだろう。


 病室で、一人で。

 私たちがここにいる間、何を考えているだろう。







「さあ、皆様」


 シスター・エルナの声が、私を現実に引き戻した。


「儀式を始めましょう。一人ずつ、祭壇の前にお進みください」


 クラスメイトたちが、顔を見合わせた。

 緊張の空気が、流れている。


「最初は——神崎玲央様」


 シスター・エルナが、神崎くんを呼んだ。


 神崎くんが、一歩前に出た。

 背筋を伸ばして、祭壇に向かう。

 その横顔は——緊張しているけど、決意に満ちていた。


 祭壇の前で、神崎くんが立ち止まった。


「手を、かざしてください」


 シスター・エルナの指示に従い、神崎くんが両手を前に差し出す。


 ——光が、走った。


 祭壇の武器たちが、一斉に輝き始める。

 その中で——一本の剣が、特に強く光った。


 銀色の剣。

 刃が細く、美しい曲線を描いている。

 柄には、青い宝石が埋め込まれている。


「……これは」


 シスター・エルナの目が、微かに見開かれた。


「『銀月の剣』——戦乙女の副官が使っていた名剣です」


 剣が、祭壇から浮き上がった。

 ゆっくりと、神崎くんの手元へ——


 神崎くんが、柄を握った。


 瞬間——青い光が、神崎くんを包み込んだ。

 眩しくて、思わず目を細める。


 光が収まると——神崎くんが、剣を手にしていた。

 その表情は、驚きと喜びに満ちている。


「軽い……でも、力がある」


 神崎くんが、剣を振った。

 空気を切る音が、鋭く響く。


「すげえ……」


 風間くんが、感嘆の声を上げた。







 儀式は、続いた。


 風間くんには、巨大な戦斧。

 「鉄砕の斧」——戦乙女の親衛隊長が使っていたという。

 風間くんの《剛力》に相応しい、重厚な武器だった。


 坂下くんには、銀縁の眼鏡——ではなく、小さな水晶球。

 「賢者の瞳」——敵の動きを予測する魔具らしい。

 《分析》との相性が良いとのことだった。


 由依には、緑の腕輪。

 「疾風の腕輪」——風の加護を強める装具。

 由依の《疾風》が、さらに速くなるという。


 相沢さんには、銀のロケット。

 「千里の護符」——遠くの様子を見通す魔具。

 《観察眼》の範囲が広がるらしい。


 そして——私の番が来た。







「高嶺澪様、お進みください」


 シスター・エルナの声に、足が動いた。


 緊張で、心臓がうるさい。

 手のひらが、汗ばんでいる。


 祭壇の前に立つ。

 武器たちが、目の前に並んでいる。

 残っているのは——杖が数本、短剣が二本、そして——


「手を、かざしてください」


 言われた通りに、両手を前に出す。


 ——光が、走った。


 でも——神崎くんたちの時とは、違った。

 武器たちは光っているけど、どれも——同じくらい。

 一つだけが強く輝く、ということがない。


「……」


 シスター・エルナが、眉を顰めた。


「少し、お待ちください」


 彼女が、祭壇の奥に歩いていく。

 布で覆われた箱を持ってきて、それを開けた。


 中には——指輪があった。

 銀色の、シンプルな指輪。

 小さな緑の宝石が、埋め込まれている。


「こちらを、お試しください」


 シスター・エルナが、指輪を差し出した。


 私は——おそるおそる、それを受け取った。


 指に、はめてみる。


 ——温かい。


 金属なのに、温かい。

 まるで、誰かの手のひらに触れているみたいな——


「『癒しの環』」


 シスター・エルナが、静かに言った。


「治癒の力を持つ者にのみ、応える魔具です。戦乙女の時代、傷ついた兵士たちを癒し続けた聖女が使っていたと伝えられています」


 指輪が、淡い緑の光を放った。

 その光が——私の体を、包み込む。


 温かい。優しい。

 まるで、春の日差しみたいな——


「……すごい」


 思わず、呟いた。


 《治癒》の力が、増幅されているのがわかる。

 今までより、もっと深く、もっと広く——癒すことができる気がする。


「おめでとうございます、高嶺様」


 シスター・エルナが、微かに笑った。


「その指輪が、あなたを選びました」







 全員の儀式が終わった。


 それぞれが、武具を手にしている。

 剣。斧。杖。腕輪。指輪。

 百年前の英雄たちの遺産。


 空気が——変わった気がする。

 さっきよりも、みんなの表情が明るい。

 希望が、戻ってきたような——


「皆様」


 シスター・エルナが、私たちを見渡した。


「これらの武具は、あなた方の力となるでしょう。しかし——忘れないでください」


 その声が、少しだけ厳しくなった。


「武具は、道具に過ぎません。本当の力は、あなた方自身の中にあります。心を強く持ち、互いを信じ、前に進んでください」


 クラスメイトたちが、頷く。


「では、これにて儀式は——」


 ——その時だった。







 轟音が、響いた。


 地面が、揺れる。

 天井から、埃が落ちてきた。


「な、何——!?」


 誰かが叫んだ。


 外から——爆発音。

 続けて、もう一度。

 もう一度。


 ステンドグラスが、びりびりと震えている。


「——魔力波動!」


 護衛の騎士が、叫んだ。


「聖堂の外で、魔力反応を感知! 強大です!」


 私の背筋に、冷たいものが走った。


 これは——


 この感覚は——


 訓練ダンジョンで感じた、あの——


「まさか……」


 神崎くんが、剣を握りしめた。


 その顔から、血の気が引いている。


 扉の向こうで、また爆発が起きた。

 悲鳴が聞こえる。

 剣戟の音が聞こえる。


 そして——


 聖堂の扉が、吹き飛んだ。


 光が差し込む。

 砂埃が舞う。

 その中に——


 影が、立っていた。


 黒い翼。深紅の瞳。

 美しく、恐ろしい——女の姿。


「——やあ」


 聞き覚えのある声が、響いた。


「また会えたな、人間ども」


 ヴェリナ。


 あの魔族が——ここにいた。







 空気が、凍りついた。


 クラスメイトたちが、硬直している。

 騎士たちも、動けない。

 あの時の恐怖が——体を縛り付けている。


 ヴェリナが、ゆっくりと聖堂の中に入ってきた。

 その足取りは、優雅だった。

 まるで、舞踏会に来たみたいに——


「まとめて始末できる好機だと思ってな」


 ヴェリナが、私たちを見渡した。


「護衛の騎士どもは、外で遊んでいる。ここにいるのは——獲物だけだ」


 深紅の瞳が、愉悦に細められる。


「——ああ、残念だな」


 ヴェリナが、首を傾げた。


「あの小僧がいないのは、残念だ。一番危険だったのに」


 ——え?


 その言葉が、頭の中で反響した。


 小僧——黒瀬くんのこと?

 一番危険——?


「おい、魔族!」


 神崎くんが、剣を構えた。

 声が、震えている。

 でも——それでも、前に出た。


「俺たちを舐めるな! 今度は——負けない!」


 神崎くんが、『銀月の剣』を振りかざした。

 青い光が、刃から溢れる。


「ほう」


 ヴェリナが、口角を上げた。


「新しいおもちゃを手に入れたか。——試してみろ」


 神崎くんが、突進した。


 剣が、ヴェリナに向かって振り下ろされる。


 ——弾かれた。


 また、紫色の障壁。

 神崎くんの剣が、火花を散らして跳ね返される。


「変わらんな」


 ヴェリナが、冷たく言った。


「武器が変わっても——お前の弱さは、変わらない」


 神崎くんが、よろめいた。

 その顔に、絶望が浮かぶ。


「なぜだ……なぜ、届かない……」


 ヴェリナが、神崎くんに近づいた。


 その手が——神崎くんの首に伸びる。


「——やめて!」


 私は、叫んでいた。


 体が、勝手に動いた。

 指輪が、緑色に輝く。

 《治癒》の力が——神崎くんに向かって流れ出る。


 ヴェリナの動きが、一瞬止まった。


「……ほう」


 深紅の瞳が、私を見た。


「治癒術師か。——面白い」


 その視線が、私を射抜く。

 足が、竦んだ。

 呼吸が、止まりそうになる。


 ヴェリナが、神崎くんから手を離した。

 ゆっくりと、私の方へ向き直る。


「まあいい。順番に始末してやろう」


 ヴェリナが、両手を広げた。

 紫色の魔力が、その手に集まっていく。


「——まずは、ウォーミングアップだ」


 私たちを見下ろす、深紅の瞳。

 そこには、純粋な殺意が——宿っていた。


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