【Side: 高嶺澪】英雄聖堂への道
朝日が、王城の窓を染めていた。
私——高嶺澪は、鏡の前で身支度を整えていた。
今日は、英雄聖堂への遠征。
戦乙女の遺産を授かる儀式。
クラスメイトたちと一緒に、聖堂へ向かう日。
——なのに。
胸の奥が、ざわついている。
手が、無意識にペンダントに触れていた。
黒瀬くんから借りた、お守り。
冷たい金属の感触が、指先に伝わる。
「……黒瀬くん」
小さく、呟いた。
彼は、まだ病院だ。
傷は深くないと聞いている。数日で退院できるとも。
でも——今日の遠征には、間に合わない。
それが、なんだか心細い。
◆
広間に降りると、もうほとんどのクラスメイトが集まっていた。
騎士団の護衛が、整列している。
シュナイダーさんの姿は——ない。
きっと、別の任務があるのだろう。
「澪!」
由依の声。
振り返ると、親友がこちらに駆け寄ってきた。
「おはよ。準備できた?」
「うん。なんとか」
「緊張してる?」
「……ちょっとだけ」
由依が、私の顔を覗き込んだ。
何かを察したように、目を細める。
「黒瀬くんのこと?」
「——っ」
「図星だ」
由依が、にやりと笑った。
「もう、わかりやすいんだから」
「別に、そういうんじゃ……」
「はいはい。そういうことにしとく」
由依は、肩をすくめた。
「でも、大丈夫だって。黒瀬くん、軽傷なんでしょ? すぐ退院できるって」
「わかってる。わかってるけど……」
言葉が、続かなかった。
わかっている。
大丈夫だって、わかっている。
でも——あの戦闘を思い出すと、胸が締め付けられる。
ヴェリナに斬られた瞬間。
血が流れていた光景。
倒れた黒瀬くんの姿。
あれが、もっとひどい傷だったら。
もし、あの一撃が致命傷だったら——
「澪」
由依の声が、私を現実に引き戻した。
「考えすぎ。黒瀬くんは生きてる。それが一番大事でしょ」
「……うん」
由依の言葉に、頷いた。
そうだ。生きている。
それが、一番大事なこと。
ペンダントを、ぎゅっと握りしめた。
早く元気になって。早く戻ってきて。
そう、心の中で祈った。
◆
「皆さん、おはようございます」
広間に、柔らかな声が響いた。
レオノーラ王女。
金髪を結い上げ、白いドレスに身を包んでいる。
その姿は、絵画の中の女神みたいに美しかった。
「本日は英雄聖堂への遠征ですね。皆さんにとって、大きな一歩になると思います」
王女の声は、穏やかだった。
召喚された時から変わらない、私たちを気遣う口調。
「戦乙女の遺産は、持ち主を選ぶと言われています。皆さん一人一人に相応しい武具が、きっと見つかるはずです」
クラスメイトたちが、身を引き締める。
「シスター・エルナが聖堂で儀式を執り行います。道中は騎士団が護衛につきますので、安心してください」
レオノーラ王女が、私たちを見渡した。
その視線が——一瞬、私のところで止まった気がした。
「……黒瀬さんは、今日は参加できないのですね」
王女が、小さく呟いた。
「お怪我の具合はいかがですか?」
「あ、えっと……軽傷だと聞いています。数日で退院できるって」
「そうですか。よかった」
王女が、微かに笑った。
「訓練ダンジョンでの彼の活躍は、報告を受けています。《記録》というスキルは、思っていたより奥が深いのかもしれませんね」
その言葉に、胸が温かくなった。
黒瀬くんのこと、ちゃんと見ていてくれている。
「ハズレスキル」なんて言われていたけど——王女は、彼の力を認めてくれている。
「皆さん、気をつけて行ってきてください。良い報告を、お待ちしています」
レオノーラ王女が、優しく手を振った。
その姿を背に、私たちは城を出発した。
◆
王城の門を出ると、朝の空気が頬を撫でた。
王都の街並み。
石畳の道。煉瓦造りの建物。行き交う人々。
この光景にも、少しずつ慣れてきた。
でも——まだ、帰りたいと思う。
日本に。
元の世界に。
お母さんやお父さんに、会いたい。
ペンダントが、胸元で揺れている。
黒瀬くんが「お守りだ」と言って貸してくれたもの。
——早く、返さないと。
そう思いながらも、手放すのが惜しい自分がいる。
これを持っていると、黒瀬くんが近くにいるような気がして。
……なんで、こんなこと考えてるんだろう。
首を振って、雑念を払った。
◆
「高嶺」
声をかけられて、振り返った。
神崎くんだった。
列の前方から、こちらに歩いてくる。
「一人で歩いてたけど、大丈夫か?」
「え? うん、大丈夫だよ」
「そうか」
神崎くんが、隣に並んだ。
少し、気まずい。
神崎くんが私を気にかけてくれているのは、知っている。
でも——私には、そういう気持ちがない。
どう接していいのか、いつも迷ってしまう。
「今日の儀式——楽しみだな」
「……そうだね」
「戦乙女の遺産。俺にも、いい武器が見つかるといいんだが」
神崎くんの声には、意気込みがあった。
「俺は——もっと強くならないといけない」
神崎くんが、前を見据えて言った。
「あの魔族には、勝てなかった。《聖剣》を持っていても、全然ダメだった。だから——今日の儀式で、もっと力を手に入れる」
「神崎くん」
私は、彼の言葉を遮った。
「あの時、誰も勝てなかったよ。神崎くんだけじゃない」
「……」
「シュナイダーさんたちだって、時間を稼ぐのが精一杯だった。あれは——相手が悪かっただけ」
神崎くんは、黙っていた。
「だから、自分を責めないで。次は……次こそ、きっと」
「——ああ」
神崎くんが、小さく頷いた。
「そうだな。次こそ、だ」
その表情が、少しだけ和らいだ。
「……高嶺?」
「あ、ごめん。なんでもない」
次なんてなければいいのにーー
◆
街の中を進む。
市場を抜けると、道幅が広くなった。
石畳が整備されて、建物も立派になっていく。
教会区画。
白い壁と、高い尖塔。
ステンドグラスの輝きが、朝日を受けて虹色に煌めいている。
「綺麗……」
思わず、呟いた。
異世界。
こんな状況でなければ、観光みたいに楽しめたかもしれない。
でも——今は、そんな余裕がない。
「ねえ、高嶺さん」
相沢さんが、隣に並んできた。
眼鏡の奥の目が、街並みを見ている。
「黒瀬くん、来れなかったね」
その言葉に、胸が痛んだ。
「……うん」
「残念だよね。こういうの、黒瀬くんも見たかったと思う」
相沢さんは、静かに言った。
「黒瀬くんって、こういうの好きそう。歴史とか、遺跡とか」
「……そうかも」
「私、黒瀬くんと『外れスキル同盟』組んでるから。なんとなく、わかるの」
相沢さんが、小さく笑った。
「早く元気になって、戻ってきてほしいな」
「……うん。私も、そう思う」
ペンダントを、また握りしめた。
黒瀬くんがいればなあ——。
そう思ったのは、何度目だろう。
◆
「前方に、英雄聖堂が見えます」
護衛の騎士が、声を上げた。
視線を上げる。
道の先に——それはあった。
巨大な石造りの建物。
古い。とても古い。
百年以上の時を経て、なお威厳を保っている。
正面には、大きな扉。
その上に——戦乙女の彫像。
剣を掲げ、空を仰ぐ女騎士の姿。
「あれが、英雄聖堂……」
風間くんが、感嘆の声を上げた。
「でけえな……」
「百年前の英雄の、遺産が眠る場所……」
坂下くんが、眼鏡を押し上げながら呟いた。
私も——言葉が出なかった。
空気が違う。
王城とも、教会とも違う。
もっと古くて、もっと重くて——もっと、神聖な何か。
壁には、戦いの場面を描いた浮き彫り。
魔族と戦う騎士たち。その中心に、剣を振るう女性——戦乙女。
「……すごい」
相沢さんが、隣で呟いた。
「これ、全部、百年前のこと?」
「みたいだね」
「なんか……実感湧かないよね。百年前に、こんな戦いがあったなんて」
相沢さんの目が、浮き彫りを追っている。
戦乙女。
魔族の侵略を食い止めた英雄。
異世界への門を閉ざした伝説の騎士。
その遺産が——今から、私たちに授けられる。
◆
聖堂の前に到着した。
扉の前に、白いローブの女性が立っていた。
シスター・エルナ。
召喚の時に、祝福の儀を執り行った人だ。
「皆様、よくいらっしゃいました」
穏やかな声。
でも、その穏やかさの奥に——何か硬いものがある気がする。
前に会った時も、そう感じた。
「これより、英雄聖堂にて武具授与の儀式を執り行います。心静かに、敬意を持って臨んでください」
クラスメイトたちが、頷く。
「戦乙女の遺産は、ただの武器ではありません。英雄の意志が宿った、聖なる力です。相応しき者にのみ、その力は応えます」
シスター・エルナが、扉に手を当てた。
何かの祈りを、唱えている。
低く、静かに、言葉が紡がれていく。
——重い音がした。
扉が、ゆっくりと開き始める。
隙間から、光が漏れてくる。
ステンドグラスの光。
色とりどりの輝きが、私たちを照らす。
息を、呑んだ。
扉の向こうに——広大な空間が広がっている。
高い天井。巨大な柱。壁一面のステンドグラス。
そして、中央に——祭壇。
祭壇の上には、武器が並んでいた。
剣。槍。弓。盾。杖。
それぞれが、淡い光を放っている。
百年前の英雄の遺産。
それが——目の前にある。
「さあ、皆様」
シスター・エルナが、振り返った。
「中へ、お入りください」
聖堂の扉が——開く。




