弱点の発見と代償
震える足で、一歩を踏み出した。
何ができるかわからない。
でも、伝えなければ。
この情報を——誰かに。
隣で、相沢さんが蹲っていた。
恐怖で動けなくなっている——と思った。
でも、違った。
相沢さんの目が、開いている。
眼鏡の奥で、瞳が——光っている。
《観察眼》を、発動している。
「相沢さん」
小声で呼んだ。
相沢さんが、顔を上げた。
顔は青ざめている。でも、目は——まだ、諦めていない。
「黒瀬くん……」
「見えてる? ヴェリナの動き」
「……見えてる。でも、坂下くんみたいに情報が多すぎて……私の《観察眼》じゃ、全部は処理できない」
「全部じゃなくていい」
僕は、相沢さんの肩を掴んだ。
「一つだけ、確認してほしいことがある」
◆
「左側」
僕は、早口で言った。
「ヴェリナの左側。左から攻撃が来たとき、避け方が違う。右からの攻撃より、大きく動いてる」
相沢さんの目が、見開かれた。
「それって……」
「わからない。でも、もし僕がヴェリナと同じ動きをしようとイメージすると——左側が、見えてない感じがする」
《記録》の特性。
動きを記録して、それを再現しようとする。
そのとき、違和感があった。
左側からの情報が——欠けているような。
「確認してほしい。《観察眼》で——ヴェリナの視界に、何か問題がないか」
相沢さんが、頷いた。
眼鏡の奥の瞳が、さらに光を増す。
《観察眼》が、ヴェリナに向けられた。
◆
数秒が、永遠に感じられた。
ヴェリナは、まだ大技の準備をしている。
紫色の光球が、さらに増えていく。
あと少しで、放たれる。
「……見えた」
相沢さんが、息を呑んだ。
「黒瀬くん、当たりだよ」
「本当か」
「うん。ヴェリナ、自分の視界の左側を——すごく気にしてる。左目……左目が、見えてないのかもしれない」
心臓が、跳ねた。
——やっぱりだ。
ヴェリナには、弱点がある。
左目が見えていない。
だから、左側からの攻撃に対して、反応が大きくなる。
見えない分を、動きで補っている。
「シュナイダーさんに伝える」
僕は、立ち上がった。
「待って、黒瀬くん——!」
相沢さんの声を背に、走り出した。
◆
シュナイダーは、地面に膝をついていた。
限界だった。
体力も、気力も、使い果たしている。
それでも、剣を手放していない。
「シュナイダーさん!」
僕は、シュナイダーの傍に駆け寄った。
「何だ、黒瀬……お前は逃げろ……」
「弱点がわかりました」
シュナイダーの目が、見開かれた。
「左です。ヴェリナの左目——見えてないんです。左側からの攻撃に、反応が遅れる」
シュナイダーは、一瞬だけ黙った。
それから——笑った。
「……そうか。お前、よく見てたな」
「左側に集中攻撃できれば、隙が作れるかもしれません」
「ああ。わかった」
シュナイダーが、立ち上がった。
体は震えている。
でも、目に——光が戻っている。
「全員に伝える。お前は——」
「僕も手伝います」
「馬鹿を言うな。お前は——」
「今、動けるのは僕と相沢さんだけです。神崎たちは無理だ。騎士さんたちも倒れてる」
シュナイダーが、僕を見た。
何かを言おうとして——やめた。
「……わかった。だが、前には出るな。伝令だけだ」
「はい」
◆
シュナイダーが、声を張り上げた。
「聞こえるか! まだ動ける者は——左だ! 左側から攻撃しろ!」
倒れていた騎士たちが、顔を上げた。
何人かが、よろめきながら立ち上がる。
まだ——戦える者がいた。
「左側?」
篠原さんが、剣を構え直した。
「左目が見えてないの! 左から攻撃して!」
僕が叫んだ。
篠原さんの目が、光った。
恐怖が——怒りに変わる。
「——わかった!」
《疾風》が発動する。
篠原さんの体が、風のように加速した。
ヴェリナの左側へ——回り込む。
◆
「何のつもりだ」
ヴェリナが、僕たちを見下ろした。
「まだ、抵抗するのか。無駄だと——」
その言葉が、途切れた。
篠原さんが、左側から斬りかかった。
同時に、シュナイダーと騎士たちが、左側に集中する。
ヴェリナの動きが——一瞬、乱れた。
「っ——!」
障壁が、遅れて展開される。
篠原さんの剣が——かすった。
ヴェリナの頬に、赤い線が走る。
「……血」
ヴェリナが、自分の頬に触れた。
指先が、赤く染まっている。
「私の血を、見たな」
ヴェリナの目が、細まった。
余裕の笑みが——消えている。
「いつ気づいた。誰が気づいた」
その視線が——僕を、捉えた。
「お前か」
◆
背筋が、凍った。
ヴェリナの視線。
深紅の瞳が、僕だけを見ている。
殺意が——直接、突き刺さってくる。
「ゴミのような能力だと思っていたが……《記録》か。見ているだけで、弱点を暴く」
こいつ何故僕の能力を?神崎の聖剣の能力も知っていたし一体どういうーー
ヴェリナが、僕に向かって歩み出した。
「お前は、生かしておけないな」
「黒瀬! 逃げろ!」
シュナイダーが叫んだ。
でも、足が——動かない。
ヴェリナの視線に、縛られている。
大技の準備は、中断されていた。
僕たちの攻撃で、集中が途切れたのだ。
でも——代わりに、僕が標的になった。
「今すぐ撤退しろ! 全員、走れ!」
シュナイダーの声が、響いた。
クラスメイトたちが、動き始めた。
風間を担いで、坂下を引きずって、高嶺さんの拘束が——解けている。
大技の準備を中断したことで、魔力が弱まったのだ。
みんなが、出口に向かって走っている。
僕も——走らなければ。
足が、動いた。
体が、反応した。
出口に向かって——駆け出す。
背後で、風を切る音がした。
◆
痛み。
右肩に——激痛が走った。
何が起きたのか、一瞬わからなかった。
振り返ると、ヴェリナが——爪を振り下ろしていた。
僕の肩を、かすめて。
血が、噴き出す。
温かい液体が、腕を伝って流れ落ちる。
「っ——!」
声にならない悲鳴が、喉から漏れた。
痛い。
痛い。
こんな痛み、初めてだ。
「逃がさないと言った」
ヴェリナが、もう一撃を振りかぶる。
——終わりだ。
そう思った瞬間、シュナイダーが割り込んだ。
「黒瀬を連れて逃げろ!」
シュナイダーの剣が、ヴェリナの爪を受け止める。
火花が散る。金属が軋む音。
「お前も、しつこいな」
「騎士団長を、舐めるな……!」
シュナイダーが、渾身の力で押し返す。
ヴェリナが、わずかに後退した。
その隙に、誰かが——僕の腕を掴んだ。
「黒瀬くん! 走って!」
篠原さんだった。
僕の腕を引いて、出口に向かって走る。
◆
走った。
右肩が、燃えるように痛い。
血が、止まらない。
視界が、ぼやける。
でも、足は——動いていた。
篠原さんに引っ張られながら、走り続けた。
背後で、戦闘の音が聞こえる。
シュナイダーが、まだ戦っている。
僕たちを逃がすために。
出口が——見えた。
光。
外の光。
もう少し。
もう少しで——
◆
ダンジョンの外に、転がり出た。
空が、見えた。
青い空。白い雲。
眩しい。
地面に、倒れ込んだ。
体が——もう、動かない。
右肩の痛みが、全身に広がっている。
血が、土に染み込んでいく。
意識が——遠くなる。
「黒瀬くん! 黒瀬くん!」
誰かが、叫んでいる。
高嶺さんの声だ。
「《治癒》……《治癒》!」
温かい光が、肩に触れた。
痛みが、少しだけ——和らいだ。
「止血だけ……応急処置だけ……! ちゃんとした治療は、病院で……!」
高嶺さんの声が、震えている。
泣いているのだろうか。
僕は——目を閉じた。
みんな、生きてる。
逃げられた。
それだけで——十分だ。
「シュナイダーさんは……?」
声が、かすれていた。
「来ました! シュナイダーさんも、出てきました!」
相沢さんの声だった。
——よかった。
全員、生きてる。
死者は——いない。
意識が、遠くなっていく。
でも、胸の奥に——温かいものがあった。
僕の情報が、みんなを救った。
《記録》が——役に立った。
それだけで——
◆
気がついたとき、僕は担架に乗せられていた。
騎士たちが、僕を運んでいる。
王都に向かっているのだろう。
空が、流れていく。
青い空。白い雲。
右肩が、まだ痛い。
でも、高嶺さんの《治癒》のおかげで、出血は止まっている。
「黒瀬」
シュナイダーの声がした。
顔を向けると、シュナイダーが——隣を歩いていた。
体中に傷を負っている。
でも、自分の足で歩いている。
「よくやった」
シュナイダーの声は、低かった。
でも、その言葉には——重みがあった。
「お前の冷静さと観察力がなければ、全滅していた」
「……たまたまです」
「たまたまでも、結果は変わらない。お前が——皆を救った」
シュナイダーが、僕の手を握った。
硬い、ごつごつした手。
騎士の手だ。
「休め。病院で、ちゃんと治療を受けろ」
「……はい」
目を閉じた。
意識が、沈んでいく。
痛みと、疲労と、安堵が——混ざり合っている。
みんな、生きてる。
僕も、生きてる。
今は——それだけでいい。
◆
王国の病院。
白い天井。消毒の匂い。硬いベッド。
目を覚ましたとき、僕はそこにいた。
右肩には、包帯が巻かれている。
痛みは、まだある。でも、動けないほどではない。
窓の外は、もう夕暮れだった。
オレンジ色の空が、病室を照らしている。
「……生きてる」
呟いた。
自分の声が、やけに小さく聞こえた。
あの戦い。
ヴェリナという、化け物。
あれが——本物の敵。
僕たちは、まだ——弱い。
あんな敵が、他にもいるのなら——
でも、今は——考えるのをやめよう。
生きてる。
それだけで、十分だ。
目を閉じて、僕は——再び、眠りに落ちた。




