八篇目の魔女の塔 -3-
いよいよ意味不明な話として加速します。
この橋も、もう八度目か。
イーハイはそんな事を考えながら、一歩を踏み出す。
すでに当たり前のように渡り慣れてきたこの橋が、なぜか今回は歩く距離をとても長く感じていた。
灰色の空、色のない空間に囲われるような状態で歩くことには、慣れて来たような、そうでないような、不思議な感覚を覚えてしまう。
そんなような状態なので、彼は歩きながら、この世界のことについて考えていた。
時間が巻き戻り、同じ結果が続く世界。
いや、同じ結果が続いているのは、半分自分のせいもあるのだろうが、まぁそれはいいだろう。
もしも、自分が考えている事が真であるならば、この世界はもしかしたら『覆る事がない』世界かもしれないからだ。
だとして自分に何が課せられているのか、なぜこの世界に来ることになったのか、ということは未だはっきりせず、事故だとしたらなかなかの理不尽を強いられている気持ちにはなる。
イーハイは、この世界が恐らく『灰色の世界』の一つに該当する世界であるのではないかと考え始めていた。
そう、それならばこの事象にも納得できる。
イーハイ自身もそのような世界の事象の全てを知っているわけではなく、あくまでも人伝て────いや、あれはヒトとは言い難いものなのだが、他に言いようを思いつかなかったので、そういう言い方をするが、要は他の人間から聞かされたものの一つであり、イーハイ自身の知識としてははっきりと言い切れない曖昧なものであった。
それでも彼は、何処と無くその話をした時の記憶を、橋の上を静かに渡りながら思い出し始めた。
確か、その話をしてくれたのは、イーハイの仲間の一人である、『ロウ』という人物であった。
「灰色の世界?」
とある日に、ロウに唐突にそんな世界のことを知っているかと聞かれて、イーハイは首を傾げた覚えがある。
「いや、まぁ、魔法使い……オレの場合は精霊術師だけど……。魔法を少しでもやってれば、注意喚起される……『灰魔法』に関係する世界……とか?」
「そう。正確には、『灰魔法』がなぜ存在するようになったのか、というのがあなたに話したいことの本質かな。」
「………え? 何で、オレに?」
「あなたには伝えておかないと、と思ったんだ」
ロウは人ならざるものたる理解しがたい笑みをその顔に浮かべながら、イーハイをまっすぐに見た。
慈悲とも、それとも憐れむものを見る目とも言えない不思議な眼差しが自分自身を捉えていたのを、イーハイはよく覚えている。
よく、ロウがする顔だから、ということもあるのだが。
「まず、この世界……『ステイゴールド』における『灰魔法』の定義について、改めてあなたに説明しておかないといけないね」
「前に他の人から聞いた時もあんまりピンとは来なかったんだけど……」
「それはそうだよ。この世界の人は『灰魔法』について、それが齎した危険性だけを伝えているのだから、この世界で口伝的に伝わっている話は、あくまでも表面上の話でしかない」
「確かに……ざっくりと、『消滅』を司る魔法……だとか。『灰魔法』の使われた場所は文字通り、その場所だけがくっきりと無かったことになる。地面に当たった場合は、草木の育たない不毛な大地になるから、学会では名目上『地表を形成しているマナを消滅させている』が、実際のところは分からずじまい……、だったっけ。」
「そう。そして、まずその魔法自体がなぜ生まれたのか、という根本的な話を君に……しなくてはならない」
「……どうして?」
「後にあなたに必要になる。あなた自身に」
そう答えるロウは張り詰めたような表情を浮かべていた。
イーハイも突然振られた話だったので、多少話半分に聞いていたのだが、その表情を見て無意識に背筋を伸ばした。
正直に言えば、イーハイはロウの言葉を完全に鵜呑みにしているわけではない。
自分に必要になると言われた所で、それが同自分に関わってくるのか自体、因果関係の何一つに心当たりがないのだから、考えようがない。
しかし、ロウが言うのならそうなのだろう。
その一点だけで、イーハイは彼の言葉を待った。
「そもそも、この世界で『灰魔法』が確立されたのは、ただの偶然……ヒトの好奇心の先にあったものでしかなかった。ある時、とある魔法使いが、光と闇、その二つの間には何があるのかに興味を持った。色が交わるように……白と黒が交わればそこに新たな色ができるように、同じ事が起こるのじゃないかと、それこそ、誰でも考えそうな、単純明快な考えを持った」
ロウの語りは、抑揚がなく淡々としていた。
ただただ、本の内容を読み上げるような淡白さで、声は続いた。
「しかし、本来の魔法の性質を考えれば、相克し合う関係のある属性同士は互いを助長するものもあれば対消滅するものもあり、これは既にこの世界では自明のことで、光と闇の魔法はぶつかり合えばそのまま消えてしまう性質を持っているとしていた。────そこで、魔法使いはその瞬間を観測しようと、誰も到達することのなかった魔法に手を出すことにした。それが『時間魔法』と呼ばれるものだった」
イーハイは自らが仲間から受けたことのある魔法の講義について思い出す。
『ステイゴールド』では、これまたざっくりと説明をすれば、魔法には概念的な序列が存在しているらしかった。
その細部までを彼はさすがに覚えていないのだが、その序列の一番上が『時間』があった事は覚えている。
『時間』が無ければ、全ての事象は先ず観測されない、というのが考えられているらしかった。
そしてそれは、上に行くほど『ヒトには扱えない領域』に該当する。
『時間』は何者にも扱えない……神の領域の者ですら、その概念を覆すことは自らの身を滅ぼすのと同義である為に逆らえない、という扱いをされている、というのがこの世界の昔の学者たちが下した結論であるそうだ。
そんなイーハイの想起を知ってか……否、彼はその『すべての時間を見通す瞳』で見抜いているのだろう、ヒトと同じ器官である唇と喉を模倣するように動かして、彼に音として届けようと続ける。
「実際に、この世界では『物体』の動きを速く、もしくは遅くする魔法、というものが存在していた。実態は『重力魔法』の一部という説も立ちながらも、『速度魔法』と名付けられたそれらの魔法を応用することで、彼は『時間』へ干渉できないかと考えるようになった。………ここは、科学が発達した世界の人間なら少し、分かるところかもしれない。……そこの詳しい話は省こう。本題ではないからね。……結論から言えば、彼はその思いつきによって、一つの糸口を見いだせた。」
イーハイは以前、地球に行った時に読んだ本のことを思い出した。
………何だったか? 『相対性理論』? 『重力磁場』? 『シュヴァルツシルト・ブラックホール』か何かの一文? すぐに思い出せなかったが、そのあたりの記述に『重力が光を曲げたり、時間がおかしくなることがある』というようなものがあったような、とぼんやり思い出す。
宇宙の研究者でもないイーハイには、ついぞ日常で使う知識でも語彙ではないので、取り立ててしっかり覚えられることでもないのだが。
しかしながら、例え知っていたとしてそれはあくまでも『科学』の話であり、物理的な話である。
概念そのものを体現する『魔法』は何を引き起こすのか、それがどんな事象となって現れるのかは、どれだけ観測しうる限りのものを順序立てて話そうと全てにおいてはっきりはしないものだ。
ロウは、顎に手を当てて考える姿勢をとっていたイーハイが再び自分の方を向いたのを見計らって、続きを話す。
「件の魔法使いは、その思いつきに従って、『速度魔法』に使われる術式、構造の一部を光や闇の魔法の術式の中へ組み込むことを試みた。勿論、直ぐに上手くいくわけもなく、また、それによる弊害も多少……起こしながらも、魔法使いは漸く、その理想の形の芽を見出した」
この手の話で珍しく言い淀むロウを見て、イーハイは一瞬だけ眉を顰めた。
ただ、そこで詳しい話をしないということは、彼が話したいことの本題には大きく影響はしないのだろうと、イーハイは追及することはしなかった。
「光と闇の交錯点、白と黒の狭間。其処を観ようとした魔法使いの手の中に出来たその『芽』は、意味として『消滅』、『消失』、………或いは『停滞』といった代物だった。物質でも、精神でも、そして時間ですらない、すべてが死に絶えた何かでありながら、生き続けるもの。生きながらに死んでいて、死にながらに生きているものが、誰にも逆らえるはずのない時間の中に観測されてしまった。」
ロウの声から、抑揚を抑えるような試みも消えて、底冷えするような音となってイーハイの耳に届いた。
言葉の意味をすべて理解したわけではない。
難解で、それがどう問題なのかと言われたら、たかがヒトの分際でしかないだろうイーハイには到底説明のできない領域のことを話されているのだということしか分からないのだから、何も答えることはできない。
そんなイーハイにもわかることは、少なくとも言葉をそのまま噛み砕くとすれば、『その魔法がもしも行使されようものなら、何か、致命的なものが文字通りに【停止】するのだ』ということだった。
「全ての世界は生きている。世界である限りは生きている。しかし生きるものには大きく分けて、三つの死が存在する。『肉体の死』、『精神の死』、そして『歴史の死』。肉体が何かしらで動かなくなれば死と判断される。心が忘れられれば死と判断される。誰からも忘れられれば、そのものがいた歴史……存在ごと消えてしまう。そういった物を、その魔法使いは、『魔法』として確立させてしまった。」
ロウはどこか遠くを見るような仕草をした。
イーハイはそれを、どう捉えて良いのかを迷う。
彼が『見ている』のは、自分たちを今、取り巻く世界ではなく、文字通りの『遥か彼方』であるということが、なんとなく見て取れたからだ。
このような彼の顔を見る毎に、イーハイは彼がどのような存在なのかを認識できなくなりそうになる。
だとして、彼にとっては、どのようなものであろうと、仲間の一人である以上の存在理由は取るに足らないものであるのだが。
「………いいや、確立してしまったという言葉が適切なのはこの世界の上で、という言い方に変えなければならないね。………そう、もっと適切に、的確に表現するなら、魔法使いが考えた光と闇の境界は、『初めから存在していた』。彼はその境界の概念を引き出してしまった、という方が正しいかな。」
ロウは殆ど独り言のように続ける。
「むしろ、うん。そう、それは元から存在していたものだった。ただ、さっきも言ったように、その世界はどちらでもないものとして考えられるもので、例えば光が形あるものを映すなら、何も映さない闇は精神的なものを映すんだ。ううん、例えが良くない。ヒトに分かりやすく言うなら、そうだな。例えば、夜に明かりを消して、暗闇でよく見えなくなった部屋を想像してみてほしい。たまに子供だと、そこにいつもある椅子やクッションでも、暗闇でよく見えずにぼやけて見えて、何か別のものに見えることがあるだろう?」
「………動いてないのに、独りでに動いているように見えたり、うねうね動いてるように見えて泣く子どもはいるな。椅子のところにお化けが出たって言うんだ。或いは椅子にお化けがついてる? みたいな」
「そう。そんな子どもの空想。………でも、それは一部、………そうだね、あなた達の認識では空想でも、『俺たち』にとっては空想足り得ないものとして扱われる」
「………と、言うと?」
「精神というものは本来、『闇の中』のような、形作れない、観測できない、曖昧な世界でしかその姿を現せない、ということ。白い紙に黒いインクを落とすのと、黒い紙に黒いインクを落とすのだったら、白い紙は見れば一目瞭然だけれども、黒い紙は『インクを落とした人間がインクを落としたと覚えていなければ、インクを落としたシミでも残っていない限りはインクを落としたことにならない』ようなものだと考えてもらえばわかりやすいんじゃないかな。」
「………暗闇の中に存在するものも、形をはっきり覚えていないと、……記憶をしていないと曖昧になるし、それを覚えていられるのにも限界があるから、暗闇を見続けると、「そこにあったものが間違いなく椅子だった」という『精神』だけを信じることになる………みたいな? 結局、物の輪郭を物理的に見ているわけじゃないから………?」
「それをヒトは『目に視えないもの』と認識する。ヒトは黒い色の中に確定した形のモノを認識する力がそもそもないんだ。だから、『精神の在り様は、そもそも闇である黒の中にある』とも考えられる、そのように定義される」
「でももし、それが黒い紙に白いインクで何かを描いた場合はどういう解釈になるんだ?」
「それはそこだけが浮き上がる、実質浮き上がった部分だけが認識されているという解釈になる。」
「………そうか、だから『灰色』なのか。白と黒の中間、白というには輪郭を映しすぎて、黒にも浮かび上がるものとして、どちらでもない」
「その解釈で構わない。それが例えば大量の白に混ぜれば白になるかもしれないけど、逆も然りで、大量の黒に白が一滴混じった程度では結局は黒になる。その中間で止めるということは、逆に言えば……本当に中間のものになるには、どちら側に寄ってもいけない。白が多ければ白に、黒が多ければ黒になる。魔法使いは、長い時間をかけてどちらにも寄らないように魔法自体の制御を行えるようになるための修行をした、ということだ。結果、彼の努力は元々あった世界に繋がり、その一端を時間の中に証明した」
イーハイはその説明に途方もない時間を感じた。
噛み砕けば……そう、これまでの彼の言葉を統合するならば、『灰の世界はロウたちのような存在からすると最初から存在している世界、ただし、生きているモノたちには一切の観測がされていない、もしくはすることすら本来はできない、誰も知らない世界である』という意味で、そんな世界につながるかもしれない、その世界の力の体現をした魔法がこの『ステイゴールド』に現れた、と言っている……のだろうと、イーハイは解釈する。
「その方法自体は、さっき言ったとおりに単純明快だった。光と闇の交わる場所を『時間として遅くする』。通常であれば、危険な試みと判断する。下手をすれば、安くて自分の腕を、高くて自らの全身と家を、もしくは周辺を巻き込んで、消滅の一途を辿っていたような、そんな試みだ。『生きながらに死に、死にながら生きている』、それを体現するためにはその事象の言い方として『全速力で停止している』、………見た目には動いていないが、概念的には動いているものを作り出す、そういった同時に存在できない矛盾した現象を作り出すこと、と説明できる。」
ロウの視線がイーハイに戻る。
「ごめんね。少し本題から逸れたかもしれない」
「いや、構わない。軽く聞いても分からないことなら、分からなくても深く話されたほうがいい。もし本当に頭に入り切らなかったら都度聞くよ」
「ありがとう、イーハイ=トーヴ。あなたの在り方に感謝を」
大げさな物言いにイーハイは面食らうが、いつものロウの感謝の仕方がこれなので、曖昧に笑って返すしかなかった。
「………そろそろ本題に入ろう。では、『灰魔法』の元になっている『灰色の世界』とは何なのか……についてだね。最初に、『時間魔法』について話をしたのを覚えているかな。………この世界に実際に扱えるものは────居ないから、魔法使いは『速度魔法』を使うことによって事象を観測しようとした、ここまでが先ほどの話の本質。問題としては、『灰魔法』がなぜ『速度』の影響を受けてしまったのかが重要で、先ほどの話はこれが関わってくるんだ」
「………さっきの話を考えるなら、『灰魔法』にはそもそも『停止』が施されている、という解釈ができるけど……」
「その通り。……『灰色の世界』は全てが停止した世界……。正確には一つの起源点を軸に、『停止するまでを繰り返す』世界なんだ」
「停止するまでを……繰り返す?」
「これは、概念的なものだよ。『停止』というものが観測されるには、そもそもそれが『動いていた』という事実がなければいけない。動いていないものは止まらない。だから『停止するまで動いては止まる』を繰り返すんだ」
「元から止まっているものは?」
「それは『静止』というまた別のもの。『不動』と言っても良い。動かないもの。ううん。例えば、白色も、灰色も、黒色も、あれは『無彩色』と呼ばれる色なんだ。白と黒の混合で得られる色、白と黒自体を含んだもの、全て。色の違いはその『明度』のみなんだ」
「白に寄るか、黒に寄るか………みたいな?」
「うん。だけど本当の中間は、どちらでもない。どちらにも寄らない。どちらでもないけど、どちらでもある。有と無の合間、形写す光と形なき闇。『存在しているが、存在しなくなった』もの。それが『灰色の世界』」
「……………目に見えないけど、触ったらある? みたいな?」
「触れるかどうかで言ったら、あなた達には触ることはできないけれどね」
「その灰色の世界が何だって?」
「『灰色の世界』が今、この瞬間にも小さく増えていっている。破棄された時間、ヒトが選ばなかった時間が、積み重なっている。選ばれなかった時間は未来が無く、停止する。せざるを得ない。でもなかった事にはならない。だから重なる。………ううん、あなた達にわかるように話せない。謝罪する。」
「大丈夫。君の言葉でいいから。………もしもそれが重なったら、どうなるんだ?」
「時間が壊れる。なかったことになった未来が、時間を壊す。選ばなかった未来、成されなかった未来、因果が積み重なった未来。そのどれもが世界そのものに牙を剥く」
「………でも、君は宇宙の終わりを知っているよね。それは、最後は全部『灰色の世界』に全て飲み込まれて終わる結末なの?」
「確かに俺は、この宇宙全ての終わりを把握している、観測している。そもそも俺は、始まりと終わりにいる。観測をするしないに関わらず、俺は終わりと共にいる。だけどそれは、全ての過程が絶対では無い。終わりが来るということが決まっているだけ。」
「『灰色の世界』が飲み込む可能性もあると」
「現状は………。本来ならば、『灰色の世界』は決まった数しか現れない。多少のズレはあっても。………でも、今は違う。…………あまりにも多くなりすぎると、俺が始まりに戻った時、………世界は………。………………」
「君も時間の影響があるから、戻せない?」
「…………………謝罪する。」
「そっか」
「……………正確には、俺には『起源点』が『前』にある。この開闢よりも、前に。………世界が元に戻るだけ。俺が今こうなる前の、元の宇宙の在り方に。その時に宇宙がどうなるのかを、俺は知らない。ただ、一つ分かるのは、『星壊』によって、他の全ての生き物は息絶えて、『星壊』だけの世界になる。そしてそれは、誰かが困る話ではない。ただそうなって、終わるだけ。」
「…………………それは、君のいた、元の世界に戻るということ?」
「俺にとっての『今』がそうなるなら、君たちの言葉にとってはそうなる。………どの道、『灰色の世界』が増え過ぎればいずれ『時間の崩壊』がおこる。崩壊が起こるということは、それだけ『破壊意思』が生まれるのと同義。『破壊意思』が溢れかえれば、『星壊』が一斉に生まれることになる。すべてのバランスが崩れ、戦いが再び全ての宇宙に巻き起こる。それが遅いか早いか、くらいの違いであれど……世界がすべて『灰色の世界』になるという結末を辿り、二度と時間は動かない。宇宙の星々は生まれることも死ぬことも叶わなくなる。永遠に。誰も困りはしないけれど。」
「……………………どうにもできないのか? 『灰色の世界』は………」
「出来ないわけでは無い。でも、干渉できるものがあまりにも少ない。例えば一人が無限に、急速に増え続ける世界を制御するのは無理だ。近い内に保ちきれずに終わるだろう。でも、もしも。干渉できることがあったなら、………もしその世界に迷い込んでしまったのなら、その世界を作り出したものの『悲願』を叶えること。そうすれば、彼らは可能性を思い出し、光か闇を得て動き出す」
「…………悲願?」
「『灰色の世界』は『潰えた可能性』。叶わなかった願い、あり得た世界、破棄され消えかけたもの。それの溜まり場だ。そしてその世界には核たる存在がいる。生きながらに死ぬことを繰り返し、死にながら生きている、止まった存在が。止まらざるを得なかった存在が」
「…………でもそれって、過ぎた時間なんじゃないのか? 聞いてる限り……」
「その通り。もう、過ぎ去った時間で、二度とは戻らない時間。なかったこととして処理された時間。彼らの願いだけがそこで立ち尽くしている。だからこそ『可能性』の成就により動き出す、新たなる時間として。失われた感情は再び芽吹く、時間が巡り終わることによって」
「…………全部がわかったわけじゃないから、本当に要点だけになっちゃうんだけど……『灰色の世界』があまりにも多くなりすぎると時間の崩壊が起こる、その崩壊……時間の破壊ともいえることが起こると、その破壊に引き寄せられて『星壊』が溢れかえる……って可能性がある、って話、………かな」
「それで構わない。結論だけを言うなら、だけれど。きっとその結論だけがあれば、あなたは進めるだろうから。理屈や考えは、後からでいい。………でも、もしも進むなら、忘れないで欲しい。あなたにも、誰にも、『可能性』はある。願いが潰えても、望みがなくとも……あなた達は、途方もない偶然の上に生まれた奇跡なのだから、誰かが紡いだ希望に、肖る形でもいい。俺はそれを忘れないでほしい。それは俺にも誘引することも強制することもできない。祈る事だけはしたい。俺はそのために、このような存在であるのだから」
「……………分かった。出来うる限り、覚えておくよ。君が愛する『星』の一人として、だけど」
「僅かな光、小さな光。それでも、その光が今俺の前にあることが奇跡。それを伝えられることがどれだけ幸福か、考えようがない。あなたがそう届けてくれるから、俺はこの場をより愛せる。………贔屓のようには、なってしまうけれど……」
「君にとってそれは駄目なことかもしれないけど、咎められることでもないと思うよ。誰だって、目の前に映ったものを信じる。だから君たちみたいな誰かは盲目でいないといけないのかもしれないけど、君は、視ることをやめなかったんだろ」
「…………ああ、そう、だね。うん、そうだ。………ありがとう、イーハイ=トーヴ。」
そこで初めて、ロウはヒト然とした微笑みを浮かべた。
釣られてイーハイが笑えば、彼はどことなく嬉しそうにしていたのを、イーハイは覚えている。
そこで、彼の思考は戻った。
彼の目の前には、これまで七度程彼を出迎えた城門がある。
上がったままの門は相変わらずで、もはやある種の放置なのだろうとイーハイは思う。
門をくぐりながら、彼は思考を続ける。
『灰色の世界』は全てが止まったままだ。
時間も、思考も、思いも、すべてを拒むようでありながら、すべてを拒んでいない世界。
永遠に叶わない何かを抱えながら、あるいは叶っていながらにして閉ざされた世界なのか、どちらなのか。
全くのこの世界の部外者であるイーハイには分からない。
分からないからこそ、この世界からの脱却のために七度も挑んだのだと思わざるを得ない。
正しく、七転び八起きとはこのことだろう、なんてイーハイは心の中で思った。
果たして自分はこの世界にとって異物であるのか、それとも受け入れられているのか、自分のことを異物だと思うことによって自我を保っている異常者なのか、それともこの自分の行動すら、『灰色の世界』の枠組みに決められた運命の輪の部位でしかないのだろうか、そんなことは、そんな疑問は、もう、とうにイーハイの頭にはなかった。
目覚めてしまったからには、目覚めるしかないのだろうと、結論づけている。
ロウの言うことをそのまま信じるのならば、この世界には何かの形の『願い』が埋もれている。
叶わないままに、あるいは叶っているが、消えてしまった何か。望まれたが望まれなかった世界。望まれていないが望んでしまった世界。
この世界はずっと、どちらにも寄れないままに止まっている。永遠の矛盾と共に、交わりながら拒み続けている。どこまでも。
まさに、白と黒、どちらにも成れないモノ。
イーハイは『塔』を見上げる。
この世界で望みを抱えているのは、そして叶わないのは、一体誰なのだろうか。
答えのないまま、彼は『塔』へと足を進めた。
もしかしたら、永遠に望みが叶わないのは、自分自身かもしれないという疑いを持ちながら、彼はただただ、脚を動かして地を踏みしめ、緩く蹴った。
(続く)
カクヨムとは違う別の某所で感想いただいたんですが
その方がこれ良いとか言い出して大丈夫かなって思いました(ド失礼)
その方完結済みの小説持ってて僕よりはるかに人気も評価も得ている方なんですけど読んでて脳が破壊されたんですかね……
だとしたらあの……土下座するしかねえ




