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八篇目の魔女の塔 -2-

地の文上手くない奴が描いたらこうなるっていう参考以外の何物でもない。


 イーハイは坂を降りきり、既に何度も通った森の小道を抜けて、湖の前に立っていた。

 これで、あの城をここから見るのはきっかりと、八回目である。

 もしかすれば、この不可思議極まりない体験にも数の限りがあるかもしれないと思い、彼は自分がどんな目に何回遭ったかを思い出し、数えざるを得なかった。

 それが例えどんな凄惨な最期であって、どんな痛みを伴ったのか、最期の自分の姿の哀れさがどうだったかを思い出す行為であったとしても、今生きている……と思うことで乗り切るしかなく、連続で見せられた悪夢を思い出すような心地で、数える必要があった。

 もしも次、自分が目覚めなかったら。

 その想定は考えられる一番の最悪であったとしてしておかなければならない。覚えていたとして、目覚めなくなれば認知もできないと承知ではあり、九割九分、無意味な行為ではあるのだが、もしかしたらどこかでそれを示唆されるかもしれない、という考えを捨てきれずにもいた。

 しかし、現状イーハイに味方をしたものは彼自身がこれまでの人生で培ってきた戦士や冒険者としての勘と経験だけである。

 この世界は、環境は、状況は、一切イーハイの味方になった試しがない。

 いや、これも都合よく前向きに考えるとすれば、この八度目の状態は彼に味方していると言い切ることはできるだろうか。

 それも、イーハイにとって相手が気まぐれか見えない規定を振りかざせばすぐに閉ざされるような脆いものでしかなく、それを考えれば「あと何回までこの状況が続く」等という分かり易さしかないような答えを提示されるとは改めて取り立てても思えない……で、話が終わってしまう。

 己の精神以外を疑ってかかるしかなく、また、己の精神の在り処も疑わなければならず。

 どうしてここにいるのか、なぜ自分は同じ世界を八度も経験しているのか、そもそも、自分がやっていることは自分の思う出口や脱出という言葉に繋がっているのだろうか、八度も経験していて何も掴めていない。

 ただ、その八度で、あの小屋の老人の言葉が何度か変わったのだ。

 そこから得られる断片的な情報は、とにかく、塔の魔女を倒すこと以外に別の答えや考えにイーハイの頭では辿り着けなかった。

 それすら、罠である可能性まである。

 考えていることが鏡の中のように逆かもしれない。

 倒すべきは、害するべきはあの老人で、『魔女』を倒す、害する………そのことが間違いかもしれない。

 どちらか一方、なんてことすらないかもしれない。

 どちらもを疑って、どちらもをここからいなくならせれば、全てが終わるかもしれない。

 そも、なぜあの老人は『魔女』について語るのだろうか。

 その事さえ分からないのだ。

 一体全体、そんな状態のイーハイに、『老人』や『魔女』、この『状況』は一体何を望むのだろう。

 変化なのか、それとも不変であるのか。

 それすら分からないと切り捨てられる。

 イーハイは湖の水面を眺めながら、思う。

 灰色に映り込む自分の姿。

 自分自身の身体は色を失ってはいない。

 でも、映り込むそれは色までもを映さない。

 光がこの世界に明確に無いからだろうか、それとも、本当は、映されるものが真実を映しているのだろうか。

 どうでも良くなりかけていた頭に、遠い仲間の声と、その時の自分の声が浮かんだ。


『なぁ、君って吸血鬼なんだろ? 吸血鬼って、鏡に映らないって聞いたんだけど……』

『うむ! 本来はな! だが、イーハイ。それは誤った人間の知識であるぞ!』

『え、そうなの?』

『正確には、……というか、他の世界の吸血鬼がどうかは知らんが、少なくともこの世界では、『映るやつは映る』のだよ』

『………基準、みたいなのがあるってこと?』

『そういうことだ。現に私は映るだろう』

『君は何で、映るんだ?』

『それは、私が真実だから映るのだよ』

『真実? なんか……抽象的だね』

『忘れがちかもしれないが、我ら吸血鬼というものは、死体なのだよ、人間のね。私のような!? 王ならば!? 世界に満ちるマナのおかげで吸う量は多少で済むが、他はそうはいかない。命を満ちらせる血を吸わねば生を謳歌できない。奪わねば、生きることすらままならない。なぜなら、それは私達が本来血の通わない躯の持ち主であるからだ』

『………それが、「真実」って分かってるから、映る?』

『そう。言わば、鏡というものは姿形をそのまま映す。生きているものであれば。そして、心は映らない。本来であれば。………ならば、死体に、心はあるのか? ………だとすれば、鏡に映るのは、死体という真実だけが映る。それが答えだ』

『…………………』

『そんな顔をするな、イーハイ。むしろ、喜ぶといい。私は鏡に映ることで、私でいられるのだ。……何故か? それはな、「私という死体が今ここにいる」という、本来映さない心を、鏡という小さな世界が、私として映してくれているのだ。私の心という、真実をな。形を以て、それを映して、そうして「私」は映るのだよ』

『………心……、か。』

『まぁ、どちらにせよ、だ。私は貴様から血をもらって生きている、そのようなものだ。………つまり、貴様が私を「真実」にしている。………だから、イーハイ。私が血を貴様から頂く限り、私が「貴様を真実である」と証明しようではないか!』

『な、なんか話が壮大すぎない?』

『何を言う! 私は王だぞ! それくらい尊大でも、問題はあるまい!』

『………無茶苦茶だけど、それくらいのが、君らしいや……ジャミル』


 ────ぽちゃん、と音を立てて、一粒の赤が滴り落ちた。

 イーハイは、無意識に野営の時に使う食事用の小さなナイフで、自らの手の甲を切りつけていた。

 ぽた、ぽた、二滴、三滴目がイーハイの手を伝って、鮮やかで黒い赤が流れ落ちていく。

 イーハイは、それをじっと、静観していた。

 ぱっくりと開いた傷がじわじわと熱を持ち、焼けるような痛みを主張しながら、とくとくと小さな鼓動を立てているような錯覚を伝わらせつつ、そこから赤い色彩を少しずつ噴き出させている。

 そろそろと、ナイフを離すと、傷になっている部分に水の波紋のようなものが浮かび上がり、それを包み込む。

 傷の輪郭がぼやけた、と思う頃には、波紋が収まりつつあり、その向こうにはもう、傷はなかった。

 傷から流れ出た赤と、ナイフについた赤。地面に落ちて黒い染みになりつつある赤。

 それだけが、イーハイが今しがた怪我をしたという事実を残している。

 今しがた、過ぎ去った時間として。

 イーハイは、ナイフを適当に振って、付いたものを乱雑に払うと、そのまま自分の腰に付けていた道具袋の中に突っ込んだ。

 どうせこの世界では使うこともなく、巻き戻ればこの汚れさえ綺麗に無くなる。この時間ごと。

 彼は『塔』へ向かう為の橋の方を目指して、歩き始めた。

 






 ◇◇◇◇◇






 イーハイは飛び起きた。

 自分に何が起こったのか、理解するのに時間がかかる。

 どくん、どくん、と体を揺らす程の鼓動が彼の精神をも揺らしてくるようで、彼は思わず自分の胸元を片手で掴み上げ、服を突っ張らせた。

 上手く息が出来ずに荒い呼吸を数度した後に、鼓動と呼吸がバラバラに動いている気がして、その気持ち悪さが喉を詰まらせたような感覚に陥って咳き込む。

 咳の激しさと、呼吸の苦しさに視界が滲む。

 口元を押さえる手に吐き出された生暖かい息が何度もかかり、頬を伝った生理的な涙が指までもを濡らす。

 咳が治まる頃に、イーハイは息を整えるように何度も深く呼吸をしながら、己の両手をぼやける視界の向こうに見た。

 ………最後に、視線を上げる。

 そこは、見慣れない場所。

 イーハイが気がついたら居た、あの老人が居る小屋だった。

 知らない灰色の天井、ロッキングチェアで揺れる老人、手のつけられたのがいつかわからない本棚、洗う前らしい食器のある台所────そんな馬鹿な。

 イーハイは思い出す。自分に何があったかを。

 そう、イーハイはこの小屋の外の森を探索し、その後に崖下に『城』? ……『塔』? ……を見つけ、最終的には近くの下り坂を行き、そこから湖を目指して。

 湖の、建物に向かう橋を渡り、城門をくぐって、………『塔』と思われる城の中に入って、それから中を見て────────。

 その先の、記憶が、無い。

 ………いや、無い、わけではない。

 覚えている。

 自分の体を貫いた、何かしらの、罠。

 恐らく、攻撃では、ない。

 魔法の感知も、生命の感知もなかったのだから、自分は何かの罠を大して警戒しないまま、作動させてしまったのだろう。

 ………結果。

 胸を、左腕を、右腕を、右脚を、左脚を。

 確実に、刺し貫かれて、イーハイは意識を手放した。

 それが、『目覚める前の記憶』だ。


 イーハイの思考はそこで止まった。

 ………何が、起こった?

 どう考えても、心臓と四肢を貫かれ、即死だったはず。自分の自然治癒魔法能力があったとして、再生する部分に障害物があったらどうしようもない。

 イーハイは確実に、死を迎える、または迎えたはずだった。

 だが、イーハイの心臓も、四肢も、まるで何もなかったかのように現在は無事で、まるで全てが質の悪い夢だったかのように状況が巻き戻っていた。

 記憶だけが混濁している気さえして、イーハイはようやくそこで自分の置かれている場所について、停止していた思考を巡らせ始めた。

 夢と断定するにはあまりに現実味がありすぎた。

 イーハイにとって、夢とは支離滅裂で脈絡がなく、理不尽なものという認識であったからだ。

 それも、彼が体験してきた不可思議な現象たちのせいではっきりと夢がそういうものであると言い切ることが全くできないのが致命的な問題ではあるし、いくらでも不明瞭で確実性のないものと切り捨てることが可能である時点で説得力などないに等しく、たかだかの人間一人の認識なんぞ、風前の灯に等しいほど脆いのだが。

 それから、今自分を取り巻いている状況自体がそもそも異常なのが問題だ。

 ここは元々自分のいた場所ではない、だが、見覚えのある場所に『戻ってきている』という状況ではあるわけだ。

 言わば、起点のような場所と言い換えることは可能であろう。

 ………起点。

 イーハイは自分の中に出てきた言葉に待ったをかけた。

 考えうる可能性、そう、自分は昔、同じような状況に陥ったことがある。

 ………時間のループ、それに準ずる事象?

 イーハイは片手で頭を掻く。

 最も、前に同じような事になったその時は、それを認識している何者か、同じ境遇のような場所に立たされたもの、協力者のような立場のものがいたからこそ、イーハイはある程度の確信を持って動くことができたのだが。

 ちらり、とイーハイは老人を見やる。

 果たして、彼はイーハイの協力者が否か。

 少なくとも、一度目に話しかけた時には、イーハイには彼がどうしようもない諦観からくる強烈な無関心を感じたもので、今この寝台の上からもう一度老人を見たところでその印象は変わらなかった。

 イーハイが飛び起きて取り乱しかけていても動かない老人。

 少なくともこのほぼ無音にも等しい空間に、自分の出した荒い呼吸は相当に煩かったのではないかとイーハイは考える。

 それに対して、イーハイが視線を周りに向けるまで、老人の姿は視界に入ることも、その体躯を動かして、揺れる椅子が立てる定期的な音を乱すこともせずにそこに居て、それからもそこに居る以外のことはなかったのだから、そういうことなのだろう。

 イーハイは寝台から降りる。

 ぎぃ、と自分が足をつけた木の板の地面が鳴った。

 ………足の裏から伝わる感触のせいで、飛び起きた時の衝撃を想起しなければ、本当に悪夢を見ただけであって、知らない世界に今まさに飛ばされてきたような錯覚に陥る。

 前に体感した時間のループでは、時間が繰り返される毎に街の何処かに一人で突っ立っているような状態だったので、自分の認識がデジャヴのようなものに深く囚われていたのだと考えてもおかしくないようなものだったが、今度はなまじ、寝台の上で目覚めるというのが精神的に良くない。

 彼は頭を振って今の考えを振り払う。

「………なぁ、あんた」

 イーハイは、あえて乱暴な口調で老人に声を掛ける。

「ここは、何……なんだ?」

 殆ど返しを期待しない問いかけは部屋の中に響くだけ響いて、最初から何も音など発生していないかのような静寂だけがイーハイに対して返答を返した。

 時計の針の決まった間隔の音のように、老人の座るロッキングチェアがキィ、キィ……と音を立てている。

 老人はどこを見ているのか、相変わらず分からないまま。

 イーハイは短く息を吐くと、小屋の出口に無言で向かった。

「────『魔女』は、世界を許さない。故に、『魔女』である」

 彼は聞こえた嗄れの音に、小屋の扉のノブに伸ばしかけていた腕を咄嗟に戻して、後ろを振り向いた。

「………あんたの言う、魔女って、何なんだ?」

 イーハイは応えがないと知りながら、それでもこの世界で唯一の、己以外に認識できる、生命のようなものに語りかける。

 たとえ、その老人の姿がこの世界同様に色褪せた存在だとしても、彼は空気を震わせ、相手の耳に感知をさせる人間という生物の元来のコミュニケーション手段をその喉から出すことが可能であると考えたからだ。

 老人が何も感じず、思考も持っていないような存在だとして、イーハイには手掛かりであり、足掛かりにするしかないのだ。

 己以外の何者かとして。

 …………当然というべきか、それ以上空気は震えなかった。

 イーハイの耳には、相変わらず規則的な木の軋みの音しか届かない。

 彼はそのまま、踵を返して扉のノブを回して外に出た。

 これもやはりと言うべきか、扉の向こうは前回この小屋から出たときと同じ色の乏しい森林が広がっているだけだった。

 覚えている限り、取り巻く木々の位置も記憶の通りだった。

 ………強いて言うならば、自分がこの辺りを探索するために付けた目印の一切がなかったことになっているくらいしか、見た目の変化は無い。

 見る限り、再生したわけでは無いのだろう、とイーハイは結論付けた。

 自分が傷をつけたはずの木の一本を静かに見つめた後、イーハイは記憶を頼りに森の中を進み始める。

 真面目に覚えたわけでもない道の向こうには、記憶の通りに崖があった。

 その崖下にさらに広がる森林と、その中央の湖、湖に聳える城。森を囲む山々。

 色の乏しい空がそれを包む光景が、これも変わらずイーハイを出迎えた。

 それならばと、イーハイが記憶を辿って崖沿いに進んでいけば、その通りに崖下へ続く下り坂が彼の前に現れる。

 坂を下りて、森を進めば、再び彼は難なく、湖の畔へと辿り着く。

 彼はそこから、薄く僅かな霧に包まれている城を眺めた。

 あれが夢ではないのなら、イーハイは前回、あの城の中で間違いなく死んだのだ。

 その自分の死に場所をまたこうして眺めているというのには、如何ともし難い奇妙さを感じざるを得なかったし、普通ならばもっと、取り乱したり疑問に思ったり、多少でも不気味に思っても良さそうに思ったのだが、イーハイはその感情のどれもに傾くことも、引っ張られることもあまり無かった。

 何とも思わない人間は思わないかもしれない。

 なんなら、好奇心の旺盛な誰かであれば、このような異常な状態だとして平然と楽しんだりしているのかもしれない。

 イーハイはどれでも無かった。

 彼は、初めて時間のループを体験した時の事を思い出す。

 確かに、ある程度の混乱や、時間が繰り返されて進まないということに対する特有の気持ち悪さは感じたものだったが、それが回数を重ねる事に、あるいはその時間からの脱出方法を協力者がいた故に知っていたからか、何でも思いつくものはやってしまうようになる、どうせ自分の愚行や奇行などは失敗すれば消えるのだからと、自分のことにすら興味が薄れていくという体感があった。

 その時のある一つのループの時、なぜそうしようと思ったかは全く分からなかったのだが、本当にその時は何かに苛立って、人の見えない所でよく分からない悪戯をやりつくした、なんていう時間があった。

 電灯に下らない落書きを残してみたり、石を思いっきり投げて落ちかけたどこかの店の看板を地面に落としてみたり、裏路地で禄に手入れのされていない草が生えた植木鉢を蹴り飛ばしてみたり。

 今思うと何を考えていたのか思い出せないような、少し恥ずかしい記憶である。

 恥ずかしい記憶でありながら、それが招いた時間の結果は、何よりも最悪な結末だった。

 思い出すのも憚れるほど、凄惨な。

 イーハイが何も働きかけなかった事による、当然の帰結として現れたその結果は、イーハイが滞在していた街の消失、民間人の全滅、同じく滞在していたイーハイの仲間たちがそれに巻き込まれて死亡、という内容を引き起こしただけだったのだ。

 自分だって、いくら突破口が見つからないから、考えつかないからといって意味のない落書きや子供じみた行いが解決の糸口になる何かに繋がるとは勿論殆ど思ってなかったし、実際に、協力者からは「気持ちは分かるが…」というような咎められ方をした。

 イーハイ自身、自分が全ての運命を変えたり、人を率いて何かの在り方を変えたり、そんな大層な人間になったつもりも、これからなるつもりも一切無い。

 心の何処かで、その悪戯をした時、自分なんぞが介入しなくとも、物事は上手く進むことはある、自分が時間を変えたから何だというのだろう、何かに介入したからなんだというのだろう、自分以外の誰かが気がついて、きっと何とかなる事だってたくさんあるだろう、そんな想いを抱えていて、苛ついていたのだとイーハイは自己を分析する。

 それが招いた結果が、特にあの時は、そうだったというだけだ。

 じゃあ、本当に介入しなければ、何度でもあの街は消失の末路を辿って、街の人間も仲間たちも死に追いやられるのだろうか。

 その疑問を解消する時間を作る気には、なれなかった。

 実験者染みたその発想を試す、その事自体が自分を壊すかもしれない。

 とっくに、自分は何もかもを放棄して、惰弱な悪戯の為に時間を無駄にできるほどどうでもよくなっているのだから、それを実行すれば、自分の中から物事の意味が消えていくだろう。

 そう考えるほうがずっと容易く、そうなってしまうだろうことがわかってしまう。

 そんな事があった自分に、イーハイはまともな恐怖を持てるような期待を持っていなかった。

 否、持っていないというより、あの時で慣れてしまったのだ。

 己の環境への適応力の高さを思い知るきっかけになったのは確かで、確実に彼の自認に大きな影響を与えたのもまた、確か。

 つまりは……と、イーハイは思考を現実へ戻す。

 自分は、今、感じたことが、それに対する感情が、時間をそれほど使わずに凪いで行っているだけなのだろうと思った。

 嬉しくても、悲しくても、怒りを覚えても、笑っていても、どこか、その後ろを考えていつも、凪いでいる。

 生きる世にあるものが全て偶然であると知った時、それがどれほどの小さな確率で紡がれたかを知った時、人は初めて、風の持ってくる木々や水の匂い、自らの歩く大地、抜ける青空に愛しさを覚え、誰かの声が響き渡る日常に、自分が辿り着けない、考えつかない、新しく齎される未知の体験に、それが突き動かす心の不安定さに、抗い難い生を謳歌できるのだ。

 だからこそ、ヒトは己に、自らの在り方を問うている。

 イーハイは、自分が自分だから好きなのではない。

 何であれ、この世界を感じて、考えられる、その偶然を愛しているだけなのだ。

 今は、どうだろうか。

 この状況は、イーハイにまた、変化するようで変化をしない、針を糸に通す作業を延々とするような、あの日々を、いや、日々ですらなかったあの時間と同じものを体感させようとしているだけなのではないか。

 イーハイはそこで初めて、背筋が凍る思いを思い出す。

 ………いや。それで何もしなければ、何があるのだろう。

 何もならない。

 イーハイはそこで、思考を止める。

 彼はそこから、湖の畔を辿って城に向かえる橋を目指した。

 一度来たことがある、という経験は不思議なことに、時間の短縮が行われたかのような錯覚を覚えさせつつ、イーハイは程なくして橋に辿り着いて、さっさと向こう側へ渡ることにした。

 やがて、一度目に訪れた時と同じ、開いた城門がイーハイの姿を再び見下ろした。

 一度目は放置かとも思ったその城門も、今のイーハイには歓迎の意味を込めた、食物を飲み込まんとする何かしらの口のように疑い始める代物になっている。

 そんな彼の視線の先には、木造りの大扉が待ち構えているのだから、実質、あの城は胃と同じと考えるのが自然であり、イーハイは戦慄きを覚える喉で唾を飲み込んだ。

 足を進めて大扉の前に立ったイーハイは、扉に手を掛けて慎重に押す。

 ぎぎぎ、と古い蝶番の音を立てながら開く大扉の向こう側から、イーハイは伺うように身を覗かせた。

 今度はむやみに足を踏み入れることはせず、彼は慎重にあたりを見回した。

 その後、彼は最後に床を見やる。

 睨むような目で、イーハイは床の継ぎ目、タイルの形状に至るまでを、一つ一つ丁寧に辿る。

 特に、覚えている限り、一度目の時に自分が立っていただろう場所を細かく思い出しながら、その辺りの場所は重点的に観察した。

(……………あった)

 その頭の痛くなりそうな努力の末に彼が見つけたものは、とても小さく、ほんの些細な『違和感』であった。

 本当に、目視で確認できるか程度の、極小さな突起があったのだ。

 ………それも、かなりの数の。

 一目見れば模様と大差なく、実際にそうだと思い込んでいた。どうやら違うようで、いくつかその突起が見られない場所がある程度。

 辛うじて、それなりの恰幅を持つ人間一人が一人立てる程度の場所がいくつかあることには安堵したが、イーハイは思わず息を吐く。

 ……あるにはあるが、跳躍しなければ難しい程度には遠い場所にあり、飛行手段でも使うか、と考えたが、止めた。ここまでのことをしておいて、空中に罠が無いとは思いたくない、のいうのが本音だった。

 イーハイは一度体を扉向こうに戻して、手頃な石を二つほど探した。

 彼の男性然とした大きな手が掴んで余る程度の大きさの石をその辺から持ってきた彼は、もう一度扉から上半身のみを覗かせて、まず一つを近くの床に向かって投げた。

 石はこつん、と突起の床に着地した瞬間────どこからともなく出現した、槍のような鋭さを持つ岩に貫かれて粉々に砕け散った。

 予測通り、あの突起全てが何かしらの魔法罠の発動に関わっていることを確認できた彼は、今度は空中に向かってもう一つの石を思い切りぶん投げた。

 緩やかな放物線を描き、宙に舞った石は────三メートル上に辿り着いたあたりで、天井にぶつかったわけでもないのに、パァン! ……という破裂音を立てて跡形もなく不自然に砕け散った。

 階段を登った先の通路と同じ高さほどのところで何かしらの防御膜のようなものが張られているのだろう、ちょうど高さにしてそれほどのところで砕けたようだとイーハイは推測した。

 彼は自分が思いつきで空を飛んでやり過ごそうとしたのを止めたことを英断だったと思わざるを得ない心境になったが、ここまでの過程を経て課題がはっきりはしただけであり、ここからが本番であることにすぐに心を向ける。

 自分の身体能力に自信は、あるようで無い。

 跳躍一つにとっても、自分の想定と違う位置への着地、目測の誤りは幾らでもある。

 そういう意味で、ない。勘とはそういうものであることは誰にでも分かることだろう。

 いっそここは進む順序として間違いなのかもしれない、なんてふうにもイーハイは思考を巡らせた。

 これ見よがしに試練を与えて、これが正解だと見せかけてそうじゃない、階段に辿り着いたところでそれすら罠である可能性もあるわけで。

 そういったことも経験した覚えのあるイーハイとしては、そうであるならそうであってほしい、という気持ちに満たされかけていた。

 戻って別の道を探してみようか。

 イーハイは体を引っ込めて、改めて城門から今自分が立っている場所までの開けた場所を見やった。

 庭のようになっている所を隈無く探索すれば、例えば最上階からの脱出経路になっている隠れ扉とか、もしくは厨房とかそういったものに繋がる裏口とかがあるかもしれないと、イーハイは探索を始めることにする。

 彼は、まずは城のような塔を取り囲む城壁に沿ってひたすらに歩いた。

 その途中で井戸などを見つけたが、小石を投げて耳を澄ませてみれば僅かにぽちゃん、と深く沈む直前の音が聞こえたので、井戸はただの井戸と判断した。

 また、草が捌けて生えているところもあったので、手持ちの道具で掘り返すなどもしてみたが、特に何も見つかることはなかった。

 どうせなら宝の一つか硬貨の一つくらい悪戯で誰かが埋めていないものか、それがあればちょっとはこの塔がいつ頃に建てられたのかなどが考察できるのに、なんぞと考えていたが、残念ながら現実は彼に味方はしないようである。

 他に、中に繋がりそうな扉がないか、彼は調べた。

 時に道具や魔導器を駆使しながら、隠し扉が無いかまでを調べたが、それも見つからなかった。

 なんとも単調な城だ、とイーハイは心の中で独りごちる。

 同時に、言いようのない奇妙さを覚えた。

 この城、いや、老人が言うには塔なのだろうが、それにしてはなんというか、空想をするタイプの人間が考えそうな城だ、という印象を抱いた。

 例えば、城の地下にはカタコンベ、所謂地下墓地を作るタイプもあったりするわけで、城の中からそこへ至る道を作るものもあれば、完全に城と個別化して、庭の離れた位置に作るということもある。

 あるいは地下ではなく中庭や外庭に当たるところがそれになる場合もあるので、中庭にあるならばそれはそれで納得はできる。

 墓地に関してもそうだ。

 建物の中で完結しているのなら、ここになくても理解はできる。

 しかし、裏口もなければ、どうやらゴミ類を出す焼却炉も見当たらない。

 辛うじて庭を彩る植物がまばらに生えているような状態に近く、それ以上ではない、というのが実際に彼の目の前に広がる光景である。

 もしも、この世界が空想であるならば、恐らくは、もしかしたら、とイーハイの思考が回り出す。

 それと同時に、彼は無意識に歩き出していた。

 そうして向かった先は、あの木の大扉の前。

(考えられるのは、もしも、この塔を作ったのが魔女で確定なら、この塔は魔女のイメージが元になっているはず、魔女がどういう人物かは今はわからないから、何も言いようがないけど。………考えられることは、確定できそうなことは、この塔は見た目通りの外観なんじゃなくて、そもそも一本道しかない、何かなんじゃないか?)

 イーハイはその思考の中に小さな光を見る。

(……そうか、この城は、中が塔の構造になっている? だから、塔、なのか?)

 それならば、納得がいく。

 この城は見た目が城で、性質は塔なのだとすれば。

 あの老人は、そのような魔法を見抜いていたから『塔』だと言っていたのかもしれない。

 だとすれば、この建物は『登る』ことに特化しているものと考えられる。

 だから、あの場所にしか登るところや進入する場所がない、と考えるのが妥当なんじゃないか。

 イーハイはそう一度頭の中に仮定を置く。

 また、木の大扉の前に到着した。

 イーハイは大きく息を吐く。

 どのみち、どれだけ探そうが、頭の中で別の道を探る選択肢を出そうが、今自分に見える道が今のところは此処しかないのだ。

 イーハイは神妙な面持ちで、大扉を開ける。

 先程の、小さな突起だらけの床が彼を待ち受けていた。

 ふと、イーハイは扉の向こうから上半身だけを乗り出して、辺りをもう一度見回した。

(…………動くだろうなぁ、アレ)

 イーハイは、上に向かう階段の横の飾り鎧に注目する。

 どう考えても、この罠だらけの床を用意するような構造だ、ただの飾りであるわけがないだろう、という警戒心が当然湧いていた。

 それ自体は、一回目の時も考えていたことではあるのだが、改めて、近づけばあれが自分を害そうと動き出すのではないかと想定する。

 しかも、こちらはもし相対することがあれば、とてつもなく狭い足場で迎撃することになるのだ。

 如何に自分が場数を踏んでいるとして、まともに戦えるとは微塵も思わない、というのが彼の本音だった。

 なんなら、この罠を踏んでしまわないような対策もあの鎧が動くならば当然、してあるだろう。

 つまり、向こうは足場を全く気にせず、こちらに襲撃が可能なわけで、どう考えても圧倒的に不利な状況で状況に臨まなければならないと今のところ考えざるを得ない。

 イーハイは床の安全地帯を確認する。

 彼の想定よりは、少し多い程度に感じるほどには数があった。

 それでも、階段に辿り着くには、見える限りではあったが四つ程の安全地帯を経由する必要があるようで、そこを全て覚えながら、もしあの飾り鎧が攻撃をしてきたら対処……という形をとるしか無さそうだ、と彼は考える。

 イーハイは上半身だけを覗かせていた体を塔の中に滑り込ませ、突起が始まる床の前に立って、呼吸を整える。

 年の為に、と剣を抜き放ち、少しだけその場から後退すると……彼は全身の筋肉を躍らせるように踏み込み、最初の安全地帯に向かって跳躍した。

 ………難なく、彼の足裏は何もない場所を踏みしめる。

 その時、金属の擦れる音が辺りに響く。

 案の定、と言うべきか。

 階段横の飾り鎧が動き出して、金属音を小さく低く響かせながら、その頭部となる部分がイーハイの方に向けられた。

 『リビングアーマー』と呼ばれる魔術で練られた魔法生物の一種だ。

 彼の推察通り、このリビングアーマーはどうやら床から僅か数センチ程浮いた状態で、その場に立っているようだ。

 見た目に見えるおおよその重量を弾き返せる気は全くしないので、その足がこちらに向けられる瞬間には次の場所へ移ったほうがいいだろう、と彼は脚に力を込めて次の安全地帯に跳躍を試みる。

 次の安全地帯へ足が届こうとした時、イーハイは喉にとてつもない違和感を感じた。

「────────────」

 声を出そうとすると、こぽ、という音がなって、口周りが濡れた。

 思わず自分の口に手をやろうとしてみれば、その片手が何か棒のようなものに突き当たる。

 目線だけを視線に落とせば、よくわからないところから────少なくとも自分の体の方から、一本の棒が生えていた。

 喉────? と、イーハイが認識するまもなく。

 イーハイの意識は闇に落ちていく。

 視界が閉ざされる寸前、階段上のリビングアーマーの腕が上がり、ボウガンのような形の何かが見えたのを最後に、イーハイは目を閉じた。


 これが、彼の二度目の記憶である。


(続く)

何がしたいんだろうこの話。

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