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不香の国と春告げの君 -6-

描いてた時コレいつ終わるんだろうって思ってた回


 イーハイは、彼女の問いかけに答えなかった。

 望月春那という人物は既に死んでいる──────というのは、あくまでも、聞き及んだことの『状況証拠』でしかないからだ。

 ………今の所は、ではあるが。

 だが、そう考えるのは簡単だった。

 『桜の巫女』の性質は『春の巫女』が行うことの部分的な模倣であり、『春告桜』が植物として行う当然の生命活動に則って行う吸水や養分の摂取のところに取り付けられた、『春を告げるため』の機能に必要なパーツの一つ。

 そのパーツを手に入れるために何が行われたか。

 答えは『人そのものを取り込む』という行為だ。

 だから、彼女の生命は文字通り、あの桜に『吸い上げられた』──────そう考えられる。

 結果的に、彼女の身体か、魂か。

 イーハイには分からないが、少なくともどちらかが桜と結びついてしまったのだろう。

 しかし何の因果か、彼女は中途半端なままで、ここにいる。

 何かしらに堰き止められる形で存在はできている。それこそ、奇跡的に。

 …………それは、考えようによっては『彼女は既に助からない場所にいて、既に死んでいる』と言おうと思えばできてしまう。

 彼女は『桜の巫女』になった時には、もう、命を吸い取られて。

 桜そのものになっていたのだと。

 …………そう考えるのが今のイーハイにとっての思考の自然な流れだった。

 それが真実か否かははっきり言うと、分からないとしか彼には言えない。あくまで彼の考えでしかなく、それ以上でもないことで、それ以下になることがあるような確証もないもの。

 『否定が出来ない』ことを逆手に取り、それを真実と言い切るのは、事実がどうであれ、その時には虚偽でしかない。

 ──────故の、選択的沈黙であった。

「……………なんて、……本当は、私にも……分からないんです、けど」

 春那は笑顔のまま、目元や口元を震わせていた。

 布団を握る女性らしく小さく細い手も、小刻みに、…………まるで身体を蝕む寒さに打ち震えるように。

「そうじゃないと、説明が、付かないなって。………私が、気がついたら、……………………あの桜の前にいることに………」

「春那さん」

 イーハイはそこで、名を呼ぶことで言葉を切らせた。

 春那はゆっくりとイーハイを見る。

 イーハイは、彼女の目が自分を入れたのを見て、話し出す。

「………春那さんは、どうしたいですか?」

「……え……?」

「………確かに、オレたちはあなたについての依頼は承諾はしました。………でも、オレたちは万能なものではないし、都合のいいものでも無いんです。自分が誰かの言葉を受けて思う、最善の方法を遂行するだけの自己満足をやっているのが……冒険者、ですから。」

「……………………。」

「何が言いたいかというと、必ずしも、誰もが望む結果には出来ない、物事のいいとこ取りなんて出来ないんです。だから、最善を考えて探して、自分で選んで、自分が満足したら……それで良かったね、と思うしか無いような連中なんです。…………最悪でしょう?」

「……………………。」

 春那はイーハイの言葉に目を瞬かせた。

 何を言われているのかは理解はできたが、急にそんなことを話されて、驚いたのだ。

 この男は己が請け負った仕事を『遂行できないかもしれない』『自分の判断で捻じ曲げて、他の何かに結びつけて終わらせてしまうかもしれない』と言い切っているのだから。

 何故か、春那に向かって、無意味な馬鹿正直さで。

「………だから、聞いておきたいんです。春那さんがどう思ってるのか、………どうしたいのか。………それを聞いておかないと、きっと、誰も彼もを後悔させてしまうかなって………」

 春那は、イーハイの言葉を心の中で反芻した。

 誰も彼もを後悔させてしまうかもしれない、という言葉を。

 何もかもを納得させられるわけでも、掬い上げることもできないかもしれないと、彼は口にしていたが、それでもなお、彼は自分の言葉を求めて、今ここにいるのだと春那は考えざるを得なかった。

 春那とて、先ほどニックスという男から様々なことを聞かされたばかりだ。

 知らないからこそ見て見ぬふりができた事実、見て見ぬふりの裏で壊れかけていた何か。

 それが齎していた、齎してきた『現実』。

 それを受け止めるには、あまりにも春那は小さく、何も知らない、ただの少女であったのに。

 気がつくと。

 彼女は雫を一つ、零していた。

 それは止めどなくなって、何度も落ちては、彼女を包む布団の上に落ちて、黒く染みついて消えていく。

(………………怖い。)

 怖い。怖い。怖い。

 ………………本当は、怖い。

 彼女は胸の内が、震えだした気さえしてきた。

 明日、春がこの国にやってきても、暖かな太陽の下に自分は居ないかもしれないのだ。

 草花の匂いも、穏やかな風も、これから梅雨が来て、夏に向けて暑くなる事がわかる丁度よく気持ちのよい温度の季節。

 畑や田んぼに勢を出す大人たち、寒さを越えて、駆け回る子どもたち………あの季節を、いくらでも思い出して想像ができるのに、その中に。

 …………自分だけが、いない。

 自分だけが、暗闇の中でその夢を見るかもしれない。

 誰とも触れ合えず、温かさもなく。

 それでも、世界は彼女を置いて、進む。

 とてつもなく、当たり前に。当然に。

 少女は、それでもいいと考えていた。

 少女を置き去りにしても、少女の生きた世界は進むのだから。

 少女の死を嘆き悲しむ人がいたとして、誰がどう困る?

 自分でさえ、誰かが居なくなったことに嘆きこそすれど、困った事もないくせに。

 何故、自分が消えることに恐怖する必要がある? その時が、ただ早く来ただけなのに。

 いや、それ以前に。


 何故、春が来るという、………どうでもいいことの為に自分が死ななくてはならない………?


 春那は、最後にたどり着くその考えが、一番嫌だった。

 だから、考えないようにしていた。

 このまま冬が続けば、ろくに作物は育たない、冬を越すためのものですら、国はそれを確保するのに奔走しなければならない。

 一年の殆どが雪に覆われるような気候の国であればいざ知らず、この国ではそうはいかない。

 それを超える基盤がないのだから。

 だから困っている、それだけだ。

 そしてそれは、結果的に自分自身でさえ困るような話で、この立場でなければ、「いつこの状態が終わるのだろう」……と、呑気に構えていただろう、ということは想像に難くなく。

 

 …………そんな言葉で、自分の頭の中を湧いて出て掻き乱されるのを、少女は叩き潰して、しまい込んで、「きっと、誰かが困るから。」そんな言葉で、塗り固めて見ないふりをしていなくてはどうにかなりそうだった。


 だから、何も言わなかったのに。

 胸も頭にも心張りを置いて、口から漏れ出てしまわぬように、思考の戸を閉め切って、いつも通りに。

 いざというとき、誰の心にも、残らぬように。

 そのうち死人は、過去になるのだから。

 

 大丈夫、と、少女は口にしようとした。

 ………出来なかった。

 唇が戦慄いて、頬が水でベタついても、少女は大丈夫だと言おうとした。

 出来なかった。

 彼女がそうしようとして上げた目線の先には、………貫くような黄金の視線がそこにあったから。


 何故。

 彼は、無力を訴えたのに。

 何故。

 彼は力強く見えるのだろう。

 真摯さのかけらもない言葉を掛けておきながら、彼の態度は、真摯の言葉のまま過ぎる。

 一歩解釈すれば奇行に取られかねない彼のあまりにも馬鹿正直で無責任でどうしようもなく聞こえる無力の暴露が、春那の中にある自認的で自虐的な浅はかさと醜さに、どうしてか寄り添っている気がしたのだ。

 万人が、彼の言葉や態度に救われることはないだろう。

 しかし、………少なくとも、春那には。

 この場にいる、少女には。

 形は違えど、その無力への共感が、寄り添いが、理解が、同じ場所へと引き戻す、目線が。

 …………胸の震えが、いつのまにか取り払われて、温かいものに包まれているかのような何かに変えられているのに気がついた。

 

 人は己の無力を許せない。

 人は己の罪悪を消化したがる。

 ……人は、自分が嫌なことから逃げたくなったとき、力があるとそれを実行してしまう。

 逆に力がなかったとき、……人はどうしようもなくなる。

 それをこの人は、全てひっくるめて。

 それでもいいから、自分もそうだから。

 たったそれだけの理由で、少女という存在に問うている。

「─────イーハイさんって………酷い、人ですね……」

 春那は、思わず笑みを溢した。

 自分でも、失礼で酷い返しだ、なんて思った。

 でも、イーハイもただ、微笑むだけだった。

 ああ、この人は、このような人なんだ。

「………自分でも、そう思います。オレ、碌でもないですよね」

 彼女と彼は、まるで長年の友人かのように笑い合った。

 殆ど初対面。宿屋の客と、宿のサービスの提供者の関係。依頼人に託された被害者と、依頼を受けただけの冒険者。

 とてつもなく薄い縁の糸だけが、二人を繋いでいる。

 春那にとっては、不思議で脆く、今この場で互いが、放っておいてくれと別れを告げればそのままであろうようなこの距離感が、どういうわけかこの上ない安心を作るものになっていた。

 自分はどうしたいのか。

 その問いかけを、漸く自分自身に突きつけられるほどには。

「碌でもないなら、きっと、私も碌でもないんです。……私も、独りよがりなことしか、考えてないし……それ以上を考えられるほど、考えて生きてもいなかったので」

「普通はそうですよ。……オレだって、二十七年間も生きていても、結局は明日どうしようか、明日考えれば良いか、ってくらいのその日暮らしですから」

「………そうですね。……私も、そうです。………そうだった、かな。………でも、たくさんの明日を見たとき、………未来を見たとき、人ってこんなに臆病なんだって知りました」

 春那は、笑う。

「イーハイさん。………私、本当は、………本当は死にたく、ないです。……生きていたいです、死ぬかもなんて、思いたくありません……っ」

 消えたくない。この世から消えてしまいたくはない。

 静かにその言葉が、春那から本当の死への恐怖としてまろび出た。

 理由、理屈、理性をかなぐり捨てなければ出ない、心からの言葉を、彼女は多大なためらいと共に小さく零したのだ。

「でも、私、我儘なんです。この国の為にもなりたい。私だって、私の為に何かを考え、行動してくれる人に報いたい、これは私ができる……私ができた恩返しなんです。それも手放せなくて………何でも、手に入るわけじゃないのに、どうして何でも上手くいってほしいんだろうって、ずっと……」

 なんとも簡単な話で、天は単純に、彼女に都合よくは二物を与えなかっただけなのだ。

 過ぎた力であったのか、過ぎた力を持つものに目をつけられてしまったのか、彼女に与えられた力は彼女そのものを奪うことで成立したのだから、結果はそういうことでしかない。

「…………そんなこと………イーハイさんに、言っても。………困らせるだけですよね、本当は。………それでも、どうして、私の言葉を聞いてくれるんですか………?」

「それは、………あなたがオレには、とても立派な人に見えるからですよ」

「立派……? こんな、何でも求めるだけ求めて、うまく行かないことに駄々をこねているだけなのに……?」

「確かに、何でもは叶わないし、うまくいかないことだってたくさんあります。……でもあなたは、その自分の感じる無力の中で、『それでも生きよう』としているから。」

「それでも、…………生きる……?」

「オレなら、きっとどっちか諦めてしまうかもしれないから。どっちかに納得がいっちゃったら、そのまま死んじゃうかなと思うんです」

「イーハイさんが……?」

「オレ自身、誰かに何かをできるほど、賢くも強くもないので。どっちかができちゃったら、満足しちゃうかも、って思っちゃうんですよ。これ以上のことは出来ない、とも自分に甘えを許しちゃうと思うし、情けない自分は消えたほうが楽かもなって」 

 春那はぱちぱち、と目を瞬かせる。

「…………『それでも』、イーハイさんが生きたいと思う理由って、………何ですか……?」

「さあ? 分からないですね。意外と、人間も動物だから、感情が湧くだけであって本能的に死を恐れているのかもしれない。………自分として生きる意地があるとしたら、オレは誰かに引っ張ってもらって、ようやく『生きられてる』。それが心地よいから、かもしれない……くらいで、ここにいるんです」

「……………そう思うと、皆……そうなのかも。………これから生きることを望む人も、死ぬかもしれない人も。大きなことを背負っても、背負わなくても。………自分が思う、守りたいものの為に、………ただ生きて………今を大切にしている……そう思えますね」

「老い先短いなら何でもやっておけ、なんて不老のじいさんが知り合いの余命幾ばくもない方に言ってましたよ」

「…………何でも、………かぁ」

 春那は上を向く。

 なんの変哲もない木造りの天井が彼女の目に入るが、その先には空想があった。

 これまでのこと、未来のこと、そこにいる自分の姿。

 ありとあらゆる人が見る、二度と戻らぬ過ぎ去った時と、夢想する先の幻を。

「そう、……そうですよね。私、まだ何も失っていないんですよね。………まだここにいて、まだ誰かとお話ができて、こうして誰かに私の言葉を聞いてもらえるんですから」

 春那は、イーハイをまっすぐ見る。

「イーハイさん。………私は……死ぬのは、怖いです。………でも、何も出来ない自分は、もっと嫌です。私が……私が『春告桜』に祈りを捧げたのは、何もできない自分が、………祈る事しかできなかった自分が嫌だったから。………それを、私は、忘れてたんです。」

 噛み締めるように、彼女は言葉を続ける。

「消えたくない。………消えたくないです。………でもそれ以上に、私は……春が来なくて、……色んなものを失った人を見て……。………何もできないなって諦めて……見て見ぬふりをしている自分が嫌だった。…………だから……」

 ぐっ、と彼女の手に、力が籠もる。

 確かな熱を伴って。

「どうせ死ぬなら、私にできることすべてをやって、皆にありがとうを伝えて、この国にもう一度、春の温かさを届けたいです!」

 イーハイは、彼女の瞳を見た。

 そこに、不安も、後悔も、恐怖もなく。

 揺るぎない決意だけが、彼女に従うように眩く瞳の中に鎮座していた。

「…………それが、春那さんのしたいこと?」

「はい! ………ずっと、私が忘れていただけなんです、何も知らなくて、不安だったから。………知った今なら、覚悟が出来ます。」

「…………そっか。………それなら、オレもようやくちゃんと仕事ができます」

「…………えっと………?」

「オレにも、覚悟ができたってことです」

 春那は、一瞬どういう意味かを理解しあぐねたが、すぐに合点がいった。

 彼が春那の言葉を聞いていたのは、『誰も後悔させない為だ』と。

 春那自身、彼がどのような事が出来て、何を成して、何を失敗してきたかは知らない。

 しかしながら、彼の言葉は間違いなく自分の心に届いて、安心を運んできてくれたのだ。

 それ以上、何か彼の力について証明が必要だろうか?  ──────少なくとも、春那には必要なかった。十分だったからだ。

 そんなことを思いながら春那は、なぜか懐かしい思い出を頭に浮かべていた。

 幼い頃の、些細で小さな記憶。

 遠い昔に出会った、不思議なあの子。

 彼女は小さく、ふふっ、と笑う。

「イーハイさんって……あの不思議な子にちょっと似てるかも」

「………不思議な子、って?」

「………小さい時の話で、正直、夢だったのかなぁ……と、思ってたんですけど。……『春告桜』の前で、鬼の子に会ったんです」

「………………鬼の子………?」

「はい。………赤い鬼の子、でした。『春告桜』のところで、友達と一緒に遊んでいた時に、その子が茂みから見ているのを見つけて、声をかけたんです。『見てるなら、一緒に遊ぼう』って。……いざ一緒に遊んだら、控えめなんだか、猪突猛進なんだか、よくわからない子で……でも、とても優しくて、笑顔が素敵な子だったんです」

「………それ、オレも猪突猛進ってこと……??」

「あっ………えっと……それはどうなんでしょう……?? でもニックス先生も何か言っていたような………?」

「ちょっ、何言われたんですか!?」

「ああああ、悪口は言われてないですよ!?」

「ぎ、逆に気になる……」

「ほ、ホントに変なことは仰ってなかったので安心してください!?」

「えーと……なら、いいかな……?」

「あ、あはは……。………えっと、それで……その鬼の子なんですけど、結局その一度しか一緒に遊んでいなくて。………私は、また遊びたかったんですけど……」

「ずっと会えていないんですか?」

「はい。それっきりです。………実際、鬼族は殆どヒトと接触しないように生きているらしいので、その子もそれっきりにしたのかなぁと……」

 ふと、イーハイの頭の中に、春那の言葉に対してあることが浮かんできた。

 『春告桜』の前で出会った、『赤い鬼』。

 全く同じシチュエーションで、彼は同じものに出会っている。

(……………まさかね)

 イーハイは苦笑する。

「………その赤い鬼の子のこと、ずっと覚えてるんですね」

「はい! ………桜の花びらの中で、無邪気に……凄く元気に笑うあの子のことが忘れられなくて。………あんなふうに、みんなもまた笑ってほしいなって……それで、あの子と出会った、『春告桜』に祈っていたんです。………結果は、こうなっちゃいましたけど」

「…………後悔してます?」

「いいえ! ………さっきまでは、どっちなのか自分でも分からなかったんですけど……。もう、大丈夫です!」

「そっか。……………」

 イーハイは口から次いで出そうだった言葉を飲み込んだ。

 それを言うのは適切ではない、自分の望むことでもない、彼女が判断して言うことだと思ったから。

 結果はまだ、出ていない。

 彼女はまだここにいて、出来ることも決められることもあるのだから、自分の言葉で終わらせてはいけない。彼女自身の人生なのだから。

 その結果も、彼女のものだ。

「……さて、そろそろオレもお暇しないとですね。………具合が悪いところ、こんなに長く申し訳ない」

「いえ。お話できて良かったです。……ううん、あなたのことが知れて、かな。………見て見ぬふりをしていたことに気づけたので。」

「春那さん………」

「無理したって、いつか私が後悔するだけなんだと、私も思いましたから。あの時、こうすればよかった、ああすればよかった、………そう思いながら生きてるのだって辛いのに、どうして何も動けなくなっちゃうのか、わからなくなるくらいには、………私も、勇気を持たなくっちゃ。」

「…………春那さんって、凄いですね。……オレなら、もう少し悩んじゃうかも」

「え? ………イーハイさんが?」

「『理屈で動いてんだか、感情で動いてんだか分からない!』って、仲間からよく言われるので。言われてみればオレもその時にならないと、よく分かってなかったりするので」

「…………ふふ、なんだか分かる気がします。きっとここに来てくださってるのも、イーハイさんがきっとそういう人だからですよね。」

「…………ただの考え無しかもしれませんよ?」

「それでも、私には、大切な意味に思います。………私にとっても!」

「! …………。……ありがとうございます」

「こちらこそ!」

 春那は、出会った時と変わらない、屈託のない笑顔を浮かべてみせた。

 彼女は宿の店員としても、一人の少女としても、その笑顔は変わらないのだとイーハイは思う。

 イーハイは立ち上がると、入り口の襖に向かって歩く。

「…………それじゃあ、春那さん。お大事に………また、明日」

「………はい! また明日、宿でおもてなしさせていただきますね!」

「楽しみにしてます」

 イーハイの言葉に、春那は頭を下げる。

 イーハイもそれに答えて、頭を下げた。

 そして、寒々とした廊下を歩き始めた。

「あ」

 ………その途中、玄関に続く廊下で里子が立っていた。

 彼女はイーハイの姿を見て、顔を上げる。

「……ああ、トーヴさん」

「里子さん……。すみません、遅くまで居座ってしまって」

「構いません。……トーヴさん、ありがとうございます」

「え、いや、オレは何も」

「ごめんなさい。聞いていたんです、襖の向こうで」

「………………」

「ようやっと、あの子の本音が聞けた。………あの子が何を考えているかが知れた。………親が子を信じなくて、何か……と思われるかもしれませんが………。聞かずには、いられなくて」

「…………子供はいつか、親の知らない決意をして立っているものですからね」

「………ええ。本当に。それが、誰かにとっての立派でも、親から見たらどうかと思うようなことを、子は考えていることもありますし」

「里子さんにとって、春那さんは『どうか』と思うのですか?」

「…………私も人ですから。でも、どうせ『どうか』と思うなら、『どうか』、あの子に幸せがありますように、と使います。」

「…………………きっと、届いていますよ。それが、彼女にとっての幸せの一つとして」

「………………そうだと、思いたいのは親の傲慢なのか、私のわがままなのか………不安では、ありますけど。………でも、あの子の幸せは、あの子のもの。私が判断することでは、無いですしね」

「……………いっぱい、彼女と話してあげてはどうでしょうか。………例え、永遠を生きても、躊躇うときは躊躇って、機を逃すものですよ。………仲間の受け売りですけど。」

「トーヴさん…………。………私も、悔いのないように進みたいと思います。あの子のために、出来ることを。」

 イーハイはそのように言う里子に向かって笑ってみせた。

 里子も安心したように柔らかく微笑むと、体を翻して近くの襖を開き、「あなた、トーヴさんがお帰りになられるわよ。」と、その部屋の中にいるらしい時史に声をかけた。

 程なくして、襖の明かりが広がった所に、時史が現れ、「お送りします」と静かに言う。

 彼らはそれほど長くない廊下を歩いた後、玄関にたどり着くと。

 戸を開けて出ていこうとするイーハイに、夫婦はとてもゆっくりと、深く。頭を下げた。

 イーハイもそれに倣って、頭を下げて。

「長い時間、お邪魔致しました。では……」

 と、言って戸口から出ていった。 






 ◇◇◇◇◇






 流石に日が落ちてからは、外はひどく冷え込んでいた。

 念の為持ってきていた上着に身を預けながら、イーハイは人通りのほとんどない道を歩く。

 この冷え込みだから、町の人間もこの時間は外を出歩かないのだろう。

 そんなことを思いながら、まっすぐと進む。

 …………その後ろに、何者かの足音を従えて。

 イーハイは、周りに誰の気配もないことを目線と感覚だけで確認してから、足を止めた。

 …………もう一つの音も止まる。

 すぅっと、何気なく、イーハイは振り返った。

 見た目としては、誰もいないように見える。

 だが、イーハイは迷いなくその口を開いた。

「─────君、どうせならちゃんと話をしない?」

 イーハイは一点を見つめて、はっきりと言い切った。

 風だけが彼の声に応えて通り過ぎていく。

 ………他に誰の返答もない。

 それでも、彼は一点を見たまま、微動だにせず、そのまま待った。

 動かない。………彼は動かない。

 じっと、待つ。

 三十秒、六十秒、九十秒。

 彼はいくらでも、待った。

 そうしてどれくらいの時間が経ったのか、イーハイが考えるのをやめたその時、僅かに空気が変わった。

 そして。

「……………………お前、ちょっとイカれてんじゃねェのか?」

 ………物陰から、赤い鬼が現れた。

「君、確か名前は……赤都……だっけ。………イカれてるってのは、よく言われるよ。仲間からね」

「だろーな。こんな出てこなかったら、とっとと帰るか喧嘩売ってんだろ、フツー。………ったく、ホントに顔のとおりにスカした野郎だぜ」

「スカしてるかどうかは知らないけど……。……それより、オレに用かい? あの後、望月さんの家に来るまで付いてきてたよね」

「あーー!! そうだよ!! お前らフツーに空飛んでいきやがって!! すげぇ苦労したんだぞこちと……」

「わ! わ! わ! ちょっと!! 今、夜なんだから静かに!」

「あぶぶぶぶ」

 イーハイが慌てて止めると、赤都も慌てて自分の口を両手で塞いだ。

 イーハイはそれを見て、目を瞬かせる。

「…………素直だな、君。」

「ぶッ!? お、お前が夜だから静かにしろって……っとと、静かにしねーと……………お前が静かにしろって言ったんだろーが……!」

「いや、あの、素直に聞いてくれると思ってなくて……」

「人様に迷惑かけんなって親から習うだろそれくらい!?」

「どうしよう鬼に正論説かれた……」

「………………。………あー……何なんだよお前……調子狂う……」

「っていうか、人様に迷惑かけるな、って親から習ってるのに、さっきはいきなり斬り掛かってきたよね……?」

「あ……。…………。……その……ありゃあ、………『ふかこーりょく』……ってやつだ!!」

「……失礼だけど、意味は……?」

「知らん!」

「一応言っておくとオレは天変地異じゃないからその言葉は使えないからね」

「え? そうなの?」

「うん」

「じゃあ何ていうんだ?」

「んー……いや、オレ、君の立場じゃないから適切な言葉が浮かばないかなー……」

「なんだぁそりゃ」

「そー言われても………。………で、本題。君、オレに何か用なの?」

「………………あー。………お前、………何ていうか……何なんだ?」

「すっごいフワッとした質問すぎない……?」

「しょうがねぇだろ! これ以外聞きようがねーんだよ!!」

「んー……。まぁ、えっと……オレはただの冒険者だよ。……王都リューンの宿屋『こもれび』のイーハイ。……イーハイ=トーヴだよ」

「何ぃ!? 王都リューンの冒険者だぁ!?」

「うん」

「………………って、何だ?」

 イーハイはまた何もないし動いてもいないのにその場に倒れそうになった。

「えっとぉ………冒険者は、分かる……?」

「昔、冒険者になるっつって里を出てったやつなら居たな。旅をしながら依頼……? だがなんだかってやつを受けて路銀を稼ぐ、だったか?」

「まぁ、半分正解。オレは旅をするのは気が向いたときと依頼を受けたりした時だけだけど」

「…………よく分かんねぇけどまぁ、お前の職業については分かったよ、スカし野郎」

「イーハイだよ……」

「あぁ!? お前なんかスカし野郎で十分だろ!?」

「理屈がわからん……」

「それで? その冒険者ってやつが、なんで………は、春那……と、関わってんだよ」

「………君こそ、春那さんと直接の関係がないんじゃないのか?」

「そりゃあ………そうだけどよ……」

「………………………。」

 先ほどの勢いはどこへやら、消沈したように下を向く赤都という赤い鬼。

 イーハイは、先ほどの春那の言葉を思い出す。

 彼女が小さい頃に出会ったという、幼い赤い鬼。

 …………何となく、偶然と切り捨てるには出来過ぎている気がしなくもなく、イーハイはじっと赤都を見つめた。

「…………何だよ、じっと見てきて気色ワリィ」

「ごめんごめん。………赤都、ちょっと歩きながら話そうか。……春那さんのこと。………本当はダメだけど、オレが町の人から請けた依頼のことも話すよ。……他言無用を約束してくれるなら、だけど」

「…………………春那、に……お前は、何があったか知ってんのかよ」

「聞いただけだけどね。」

 言いながら、イーハイは踵を返して歩き出した。

 赤都は有無を言わさず歩き出したイーハイに驚くと、すぐに彼を追いかけて隣まで来て、歩幅を合わせた。

 イーハイは彼が歩くスピードを合わせてきたのを見てから、ゆっくりと語りだした。

 自分がこの国に来た経緯。

 『福楽亭』に宿を借りていること。

 そこで初めて春那に出会ったこと。

 宿の中で起こった、春那の体調不良のこと。

 それを見た時に町の人に囲まれ、依頼をされたこと。

 依頼を受けて、調べて分かったこと。

 ………春那とその両親の考えも。

 これまでの中で自身の知っていること、聞いたことを、イーハイはほとんど包み隠さず、赤都に話した。

 それはイーハイ自身の解釈と説明も多少混じるものであったが、赤都は黙って聞いていた。

 時に顔を歪め、時に複雑な表情を浮かべながら、歩みを止めないままに、彼は余す所なくイーハイの言葉を受け止めていた。

「─────………そういうわけで、明日から『冬の巫女』を探そうとしてる。」

「………………………。」

 イーハイの言葉の区切りに、赤都は黙ったままだった。

 イーハイも長くはならないように経緯と、簡単な原理だけでも話したが、彼がどこまで理解したかという事への不安と、自分の説明能力については自信がなかったのもあって、赤都の反応を待った。

「………………………。………正直に言うとよ。………お前の言ってること、俺は半分も理解できてねぇ。理屈とか、何だとか、俺には無縁だからな」

 イーハイは、赤都の横顔を見た。

 彼の顔に浮かんでいるのは、戸惑いや、理解のできないものに対する怒りではなかった。

 ただ、前を見つめて、何でもないことのように。

 彼は続ける。

「けどよ。…………お前が誰かのために、春那の為に、なんかしようってのは分かった。………俺ァ、もしもお前が春那を……殺すとか。………何かするつもりなら、容赦しねぇつもりだった」

「……………しないよ、そんなこと。頼まれたって、理由がないことなんて出来ないよ」

「そーかい。………知らねぇけど。…………」

 赤都は、立ち止まってイーハイを見た。

 イーハイも、数歩歩いてから、立ち止まって赤都を見た。

「………………なぁ、…………春那は、もうどうにもならねぇのか?」

「それを確かめるためにも、情報が必要なんだ。………どうにもならないと決めつけるのは今じゃないと、オレは思うよ」

「………………………………。」

「………………あのさ、赤都。…………良ければさ。…………オレ達と、『冬の巫女』を探さないか?」

 イーハイの言葉に、赤都は目を見開いた。



(続く)

描き終わった時これまだ終わんねえなって思った回

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