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第4章 光なき者たち

リクは時々、

自分は生まれつき間違っているのではないかと思うことがあった。

その考えは、学校の廊下を歩くたびに頭をよぎった。

特殊技能クラブの少年たちが能力の訓練をしている中を、

彼は無意識のうちに避けながら歩いていた。

校庭の裏では、ある者が火を放ち、

別の者は鉛筆を触れずに浮かせていた。

その隣では、一人の少女が腰にロープを巻き、

「万が一」に備えて浮遊の練習をしていた。

そして彼は――

壊れかけたバックパックと、手の震えで揺れる冷たいお茶の入った水筒しか持っていなかった。

「そんなに見つめてると、塩になっちゃうぞ。」

イツキが肩を軽く叩きながら冗談を言った。

「塩?」

リクは意味が分からず聞き返した。

「どうでもいいのよ、響きが賢そうでしょ。」

ミナが背中にリュックをマントのように掛けながら口を挟んだ。

「でも、“神聖な連中”を神様みたいに見上げるよりマシでしょ。」

三人は、誰も練習していない廃れたコートの端に腰を下ろした。

いつも集まる場所だ。

彼らは互いを「ノーマル部」と呼び合っていた。

彼らは四人。

•リク。静かで、口数は少なく、しかし鋭い目を持つ。

•ミナ。おしゃべりで、想像力豊か、そして豪快な笑いの主。

•イツキ。皮肉屋で、いつも途中で終わる奇妙なアイデアの持ち主。

•そしてソラ。いつも食べ物を持ってきて、どこで手に入れたのか決して言わない少年。

誰一人として能力を持っていなかった。

誰も「認可ヒーロー」ではなく、特別試験に呼ばれたこともない。

この世界では、人口の八割が何らかの「ギフト」を持っていた。

彼らは残りの二割――灰色の領域に属する者たち。

外側から世界を見つめる者たちだった。

「親父が言ってたんだ。力がない方が強くなれるって。」

公園で冷えたご飯を分け合っていたとき、リクがつぶやいた。

「強く?どんな意味で?」

ソラが首の後ろを掻きながら尋ねた。

「我慢強さ、とか?」

ミナが笑った。リクも笑ったが、すぐに視線を落とした。

「……親父は働きづめだ。

刃物とか、ハンマーとか、寺のための道具を作ってる。

力なんて要らなかったって言うんだ。全部、この手でやったって。

でも俺は……金属を叩いて一生終わるのは嫌なんだ。」

他の三人は黙っていた。

痛いほど、わかっていた。

「私は飛びたいな。」

ミナが珍しく真面目な声で言った。

「空を飛ぶって意味じゃなくて……ただ、ここに縛られてる感じから抜け出したいの。」

「変われる方法、あると思う?」

イツキが尋ねた。

「方法なら、あるさ。」

ソラがコートの中から詰めパンを取り出しながら言った。

「問題は、その代償を払う覚悟があるかどうか、だ。」

誰も口に出さなかったが、

その夜、全員が同じ問いを胸に眠りについた。

――もし方法があるとしたら?

――必要なのは、試す勇気だけなんじゃないか?

数日後、最初にその話を持ち出したのはミナだった。

「知り合いの知り合いが、住所を知ってるって。

覚醒アウェイクニング”って言って、隠された力を目覚めさせる場所があるんだって。」

「そんなの詐欺だろ。」

リクは言ったが、その声には確信がなかった。

「かもね。」

ミナは認めた。

「でも……もしかしたら、これが最後のチャンスかもしれない。」

他の三人は黙っていた。

誰も笑わなかった。

「……行ってみようか。」

ミナが言った。

三人は彼を奇妙な目で見た。

だが本音では、リク以外の全員が行きたがっていた。

リクだけが、この状況に少し苛立ちを感じていた。

「リク、お前、このまま“誰でもない”ままでいいのか?」

イツキが挑発するように言った。

「神様にならなくてもいい。」

イツキは空を見上げながら続けた。

「ただ、“見える存在”になればいいんだ。」

リクは結局、承諾した。

ミナは住所を携帯に保存した。

その夜、皆が眠りについたあと――

リクは静かに起き上がった。

ゆっくりと服を着替え、

部屋を最後に見回した。

机の上に手紙を置いた。

リクは自分が書いたその紙片を握りしめた。

置いていくべきかどうか、分からなかった。

父が理解してくれるかも、

自分が後で許せるかも、分からなかった。

だが一つだけ分かっていた。

――このまま、立ち止まることはできない。

そう思って、静かにドアを閉めた。

旅立ちは英雄的なものではなかった。

秘密の地図も、神秘の灯に照らされた地下道もない。

ただ、ナプキンに書かれた住所と、

湿った階段を降りる足音、

そして、二度と戻れないかもしれない沈黙だけがあった。

リクはミナの後ろを歩いた。

心臓が壊れた太鼓のように鳴っていた。

イツキは懐中電灯を持って冗談を言っていたが、

その声は震えていた。

ソラは一言も発さなかった。

まるで、何が待っているのか知っているかのように。

次に現れたのは、儀式でも祭壇でもなかった。

ただの鉄の扉――

軋む音を立てながら開いた。

中にはフードをかぶった者たちがいた。

滑らかな仮面、そして就職面接のように柔らかな女の声。

「――ようこそ。」

彼女は言った。

「あなたたちは“見られた”のです。選ばれたのです。」

そして彼らは――

“見えない存在”であることをやめたくて、

その声に導かれるまま、足を踏み入れた。

その場所は悪夢のような手術室だった。

白い壁は染みつき、冷たい光が頭上から降り注いでいた。

手術器具の隣には、蝋燭と意味不明な記号で覆われた祭壇が並んでいる。

“科学と信仰を融合させた”という教団の言葉は、嘘ではなかった。

彼らは一人ずつ呼び出された。

ソラ ― 最初の志願者

最初に名乗り出たのはソラだった。

まるで、最初からそのつもりでいたかのように、

迷いもなく前へ進んだ。

彼は担架に縛りつけられた。

体内へと注射されたのは、内側から光るように輝く緑の液体。

最初は叫び声だった。

次に痙攣。

血管が黒く染まり、

皮膚が裂け、何かが内側から這い出そうとしていた。

リクは観察室のガラス越しにそれを見ていた。

それが“誕生”なのか、“処刑”なのか分からなかった。

ソラは死ななかった。

だが、目を開いたとき――

その瞳の色は、もう以前のものではなかった。

何も言わなかった。

ただ、歪んだ笑みを浮かべた。

失ったものをまだ理解できていない者の、奇妙な笑みだった。

「……成功だ。」

誰かが呟いた。

「初の被験体だ。」

チェイン・フォール ― ミナ

次はミナだった。

あの大きな笑い声は、最初の痙攣とともに消えた。

彼女の体は薬剤を拒絶した。

それでも彼らは再び注射した。

二度目――より深く、より危険な投与。

爪が異様に伸び、

目は数秒間、完全に真紅に染まった。

彼女の叫び声は部屋中の人々の鼓膜を裂き、

全員が耳を塞いだ。

そして――倒れた。

死んではいなかった。

だが、生きてもいなかった。

「――不安定な変異体。拘束し、隔離しろ。」

冷たい声が命じた。

リクが駆け寄ろうとした瞬間、

背後から殴りつけられた。

屈強な警備員が彼の首を壁に押し付けた。

「邪魔をするな。お前ももう、“道”に足を踏み入れたのだから。」

イツキ ― 皮肉屋の覚醒

縛りつけられても、イツキは冗談を忘れなかった。

「もしトカゲになったらさ、せめて空を飛べるようにしてくれよ。」

注射は一瞬だった。

彼の体が硬直し、

骨の内側から軋む音が響いた。

その時――それは起きた。

黒い影のようなものが背中から浮かび上がり、

煙のようでありながら、実体を持つように揺らめいていた。

誰かが別の言語で囁くような声が空間を満たした。

「……部分的共鳴を確認。

安定はしていないが、利用可能だ。」

科学者の一人がメモを取った。

イツキは喋れなかった。

鼻から、目から血を流しながら、まだ意識を保っていた。

体は震え続け、

その影は、彼の意思か、あるいは彼を喰らうように動き続けていた。

リク ― そして最後の者

彼は自ら志願しなかった。

ただ立ち尽くし、泣いていた。

立っていることすらできなかった。

そこに勇気などなかった。

あったのは恐怖だけ。

“神々の中で唯一の無力な者”になりたくないという、

その一心だった。

彼が縛りつけられたとき、抵抗はなかった。

針が刺さり、

世界が燃え上がった。

血が沸騰し、

皮膚が内側から破れ、

肺が縮み、心臓が別のリズム――別の言語で鼓動を打った。

そして、叫びの中で――彼は“見た”。

幻ではない。記憶だった。

父、ゴロウがハンマーの握り方を教えてくれたあの日。

「痛みで鍛えられたものは、壊れない。」

彼が目を覚ました時、部屋は破壊されていた。

二人の科学者が倒れ、

ストレッチャーの一つが半メートル浮かび、回転していた。

リクは融けた金属の中に座り、

目を見開いていた。

まるで――今、生まれたばかりのように。

「……拘束しろ。」

影の中から声が響いた。

「“覚醒”は……本物だ。」

目を開けた時、

リクはもう“彼らの世界”にいなかった。

そこは無音の空間――

白と灰の境界が曖昧に溶け合う、終わりのない場所だった。

足元も、天井も、どこにも“現実”が存在しない。

彼は息を吸おうとした。

だが空気は重く、肺が拒絶する。

痛みは消えていなかった。

むしろ、それが“存在の証”のように彼を縛りつけていた。

「リク。」

どこからともなく、声が聞こえた。

――父の声だった。

「……お前は何を求めた?」

振り返っても、誰もいない。

ただ、音だけが空間を彷徨っていた。

「強さ……を。」

そう答えた瞬間、世界が震えた。

そして、遠くで何かが割れたような音がした。

リクの周囲に“亀裂”が走る。

そこから黒い光が漏れ出し、

無数の手のような影が彼の腕を掴んだ。

「違う。」

声が再び響いた。

「それは“強さ”じゃない。

お前が欲しかったのは――“見られること”だ。」

黒い手が彼を地面へ引きずり込む。

恐怖と怒りが同時に溢れ、

その瞬間、リクは本能的に叫んだ。

「俺は……ここにいる!」

亀裂が爆発し、光が迸った。

空間が崩れ落ち、

世界が再び“現実”を取り戻していった。

リクは施設の床に横たわっていた。

体中が痛み、息をするたびに鉄の匂いがした。

ミナは拘束台に繋がれたまま、

意識を失っていた。

イツキは壁にもたれ、影のようなものがまだ彼の背後で蠢いていた。

ソラは――いなかった。

「彼を……どこへやった……?」

リクは血に濡れた唇で問うた。

「適合率、七十三パーセント。

第二区画へ移送済みだ。」

冷たい声が答えた。

「何を……するつもりなんだ……?」

返答はなかった。

ただ、ひとりの女が近づいてきた。

あの仮面の女――最初に「選ばれた」と告げた声の主だった。

「あなたは成功例です、リク・ナガミネ。」

女は穏やかに言った。

「そして、あなたはまだ“未完成”でもある。」

「……完成?何の話だ……」

「この世の“究極の人間”を創ること。

あなたの血は、そのための最初の鍵となる。」

リクは怒鳴ろうとしたが、体が動かない。

麻酔のような感覚が首筋から全身に広がっていく。

「やめろ……俺は……」

「恐れなくていい。」

女は微笑んだ。

「あなたはもう、“見える存在”になった。」

リクの視界が滲み、

光が波紋のように揺れた。

最後に見えたのは――

女の仮面の奥で、確かに笑う“人間の目”だった。

闇の中、

遠くで誰かの声がした。

「……リク、聞こえる?」

ミナだった。

かすかな声。だが確かに、まだ生きている。

「……逃げなきゃ。」

その言葉に、

リクの中の何かが再び動き始めた。

施設の警報が鳴り響いた。

赤い光が回転し、扉が自動的に閉まる音が連続する。

リクは拘束を引き裂き、

崩れ落ちる壁の間を駆け抜けた。

背後では、黒い煙のようなものが形を変えていた。

それは――イツキの影。

「行け!リク!」

イツキが叫んだ。

「俺が止める!」

「でも――!」

「早く行け!!」

その瞬間、リクの中で何かが弾けた。

彼は無意識のうちに手を伸ばした。

掌から光が迸り、

崩れた天井の破片が空中で静止した。

自分の力を――初めて感じた。

ミナの腕を掴み、走る。

警報が響き、床が揺れる。

背後でイツキの影が壁を覆い尽くし、

叫びと共に爆発が起きた。

そして、扉を抜けた瞬間――

外の夜風が頬を打った。

東京の街の灯りが、遠くに見えた。

まるで何事もなかったかのように、

世界は、静かに光っていた。

リクは息を整え、空を見上げた。

「……俺たちは、まだ“誰でもない”のか?」

ミナは答えなかった。

ただ、その手を強く握り返した。

そして二人は、

夜の中へと消えていった。

【最終章:鋼壁の夜】

朝、五郎はいつものように目を覚まし、鍛冶場へ向かう前に陸を起こしに行った。

だが、何かが違った。

陸の布団は敷かれたまま、きちんと畳まれていた。

まるで、衝動的に出ていったのではなく、静かに「さようなら」と言葉なく伝えようとしたかのように。

五郎はすぐにそれを悟った。

不在は、乱れの中ではなく「整然さ」の中にあった。

家のすべての隅に、完璧な沈黙が置かれていた。

戸棚が半開き。

リュックは消え。

机の上にあったスケッチ帳――陸が言葉にしない物語を描いていたあのノート――も、もうなかった。

そして、低い食卓の上には、五郎が目を閉じていても分かるほど特徴的な、少し不器用で力強い筆跡の手紙が残されていた。

「父さん、俺たちはもっと強くなって帰ってくる。」

その一文が、胸に棘のように刺さった。

――「俺たち」。

複数形。つまり、一人では行っていない。

仲間たち。ミナ、イツキ、ソラ。

力なき四人。見えない者たち。

静かに、無視され、今は……いなくなった。

警察が来たのはその日の午後だった。

彼らは手紙を持ち去り、部屋を調べ、

目を合わせることなく質問した。

「最近、言い争いはありましたか?」

「お子さんは自尊心に問題がありましたか?」

「“力”という話題に執着している様子は?」

五郎は怒鳴らなかった。

短く、単語で答えただけだった。

背筋を伸ばし、顎を固く結んで。

警官たちは手帳に何かを書き、チラシを置いて帰った。

まるで、それで十分だと言わんばかりに。

五郎は雨ににじむ外を見つめ、

静かに扉を閉めた。

――日々が過ぎた。

彼はポスターを貼り、病院を訪ね、

パトカーが入らなくなった地区を歩き、

他の三人の少年たちについても聞いて回った。

だが、誰も見ていなかった。

陸は、まるで影ごと消えたようだった。

それでも、影は家の至るところに残っていた。

洗っていない湯呑み。

コート掛けに残された手袋。

食卓の「沈黙」。

五郎は一晩に二時間以上眠ることはなかった。

まともに食事も取らず、

ただ金槌を握り続けた。

金属を打つ音だけが、思考を止める唯一の手段だった。

そしてある夜――最初の噂を耳にした。

市の外れの掘っ立て小屋で、歯の欠けた老人が煙草をくわえながら語っていた。

「力のない者に“力”を与える集団があるそうだ……“覚醒アウェイクニング”とか呼ばれてるらしい。

死んだ奴らを生き返らせるって話だ。」

五郎は無言で近づき、老人の襟をつかみ、片手で持ち上げた。

「どこだ。」

「し、知らねえ! 本当だ! 古いトンネルとか、廃工場を転々としてるって……俺は聞いただけだ!」

五郎は手を離した。

礼も、謝罪もなかった。

ただ、歩き去った。

胸の奥で、炉のような鼓動が赤く燃えていた。

彼の捜索は都市の縁へと及んだ。

コンクリートは崩れ、電線は腐った根のように垂れ下がる。

汚れた壁に描かれた印。

二重に施錠された扉。

錆と血の臭いが染みついたトンネル。

誰も見回りをしない場所。

誰も入ろうとしない闇。

そして、その中の一つ――

湿気と埃に飲み込まれた忘れられた工場で、彼はそれを見つけた。

青い布のブレスレット。切れていた。

五郎は動かなかった。

すぐには触れず、ただ見つめた。

それは、彼自身が陸の十歳の誕生日に作ったものだった。

曲がったひらがなで名前を刺繍した小さなお守り。

愛と、守りの印。

――「たとえ世界に消されようとしても、お前が誰かを忘れるな。」

五郎はそれを拾い上げ、拳を握った。

掌の下で金属が震えた。

陸がここにいた。

もしかしたら、まだ生きている。

その夜、五郎は鍛冶場に戻り、炉に火を入れた。

仕事のためではない。

――戦うために。

誰も息子を探してはくれない。

身分証を持つ“ヒーロー”たちは、下水道など降りない。

“覚醒教団”に、痛みだけが全てではないと教えなければならない。

もし自分の身体が鋼なら――

この地獄と、まだ引きずり込まれていないすべての息子たちの間に立つ「壁」になる。

二日後の夜。

五郎・タカミネは三日で十二の地区を歩いた。

拳には傷。背中は麻痺し、心臓は赤熱した鉄のように打ち続けていた。

だが止まらなかった。止まれなかった。

ろくに眠らず、最低限の食事だけで、

闇市から避難所、空き路地、情報屋の根城を渡り歩いた。

背中には金槌。

手には陸の青いブレスレット。

月のない晩、違法カジノに改装された古い洗濯場で、誰かが言った。

「聞いたぜ……“変異者”の一人が逃げ出したらしい。

下水に住んでるってさ。

ネズミを狩って笑ってる、まるで狂った伝道師みたいにな。」

五郎は顔を上げた。

「どこだ。」

男はためらった。

五郎は金槌を机に置いた。

殴らず、ただ“重さ”で木をきしませた。

「旧工業地区の下水だ。誰ももう巡回してねえ。数週間だ。」

「顔は見たか。」

「いや……でもな、“制服”を着てたって話だ。」

五郎は金槌を背に戻し、何も言わず立ち去った。

工業区下水道

壁にはカビが生え、管が軋んでいた。

そして――笑い声。

それが蒸気のように漂っていた。

鋼壁バルワーク――タカミネ・ゴロウは、光を点けずに進んだ。

恐怖の匂いと狂気の音を、もう嗅ぎ分けられたからだ。

角を曲がったとき、彼は見た。

うずくまる人影。

チョークと乾いた血で描かれた教団の印に囲まれたその中心に、

動物の死骸と、引き裂かれたゴミ。

彼は近づき、それがソラの姿であると気づいた。

「……ソラ?」

声は鋼の反響を伴って響いた。

その人影はゆっくりと顔を上げた。

「誰が……聞いてるんだ?」

その声は愉快そうで――底なしに狂っていた。

ソラ。

痩せ細り、顔色は蒼白。

目は虚ろに光り、口元には歪んだ笑み。

影は光の法則に逆らって動き、

制服は血と灰にまみれ、まだ身体にぶら下がっていた。

五郎を見ると、ソラは笑った。

「ああ! 鍛冶屋のおっさんじゃねぇか。陸の父親。迎えに来たのか? 遅ぇよ。

アイツはもう“壊れた俺たち”とは違う。昇格したんだ。“真なる覚醒者”に。」

五郎は答えなかった。

鋼の足が瓦礫を踏みしめる音だけが響いた。

「どこだ。」

「教えるわけねぇだろ!」

ソラは喉を鳴らして笑った。

「助けたいのか? ムリだ! アイツは選んだんだよ! 自分で!

知らなかったのか? お前の息子は――自分の意志で俺たちを捨てたんだ!」

五郎は無言で突進した。

戦闘

ソラの影が爆ぜた。

闇が彼を包み、腕は蛇のように変形し、目は赤く光った。

狂気の笑いとともに、闇の弾を放つ。

「見ろよ! 俺の中の“覚醒”を! 俺だって力があるんだ!」

鋼壁は動じなかった。

鋼の腕で受け止め、一歩ずつ――距離を詰めた。

そして一撃。

正確で、重く、抑えた雷鳴のような拳。

ソラは倒れ、影は怯えた煙のように消えた。

断片の真実

「……ゴロウ……」

血を吐きながら、ソラは意識を保ったまま呟いた。

「見たんだ……陸を……連れていかれた。

アイツは……耐えたんだ。誰も耐えられなかったのに。

叫びもしなかった……」

五郎は膝をつき、鋼が顔から剥がれ、

赤く腫れた目を露わにした。

「どこに。」

「わからねぇ……上の方だ……ガラスの檻……“ゾーン7”とか……」

「生きているのか?」

ソラは震えながら涙を流した。

「わからねぇ……もう何も覚えてねぇ……

ただ……叫ばなかったんだ……俺たちは誰も耐えられなかったのに……アイツだけは……」

その言葉を最後に、ソラは気を失った。

脱出

遠くでサイレンが鳴った。

警官たちがトンネルに入ってくる。

懐中電灯の光と、怒鳴り声。

五郎は立ち上がり、再び鋼が全身を覆った。

「止まれ! 撃つぞ!」

だが、五郎の姿はもう煙とコンクリートの中に消えていた。

警官たちはソラを発見し、応援と救急を呼んだ。

闇が、かすかな光に変わっていく。

――五郎はゆっくりと目を開けた。

体は重く、筋肉はまだ緊張に満ちていた。

顔に何かが落ちていた。

古びた雑誌。

笑顔の“ライセンスヒーロー”たちが表紙で輝く、

くだらない偶像のような本だった。

「……チッ。」

唸り声と共に、それを払いのけた。

「よく寝たか、鋼のスティールウォール?」

聞き覚えのある声。

ダイキが壁にもたれ、片手にコーヒーを持ちながら、

半分笑って言った。

「仕事が山ほどあるぞ。」

五郎はゆっくりと起き上がった。

金属と汗と油の匂いが、馴染んだ香りのように漂っていた。

ここは基地――あの古い紡績工場だった。

屋根の雨漏りも、音も、同じ。

だが、空気だけが変わっていた。

遠くの開けたスペースで、

シフティ(葵)とリコシェット(晴人)が訓練していた。

葵は影の中をすり抜け、光の閃きと共に消え、

晴人はブーメランを外科的な精度で投げていた。

二人は笑い合い、失敗してもまた立ち上がった。

完璧な力ではない。

だが、全力だった。

五郎はしばらく無言で見つめ、

やがて低く呟いた。

「……陸。まだどこかで生きているなら――

お前も戦っていてくれ。」

その声は低く、だが確かだった。

打たれる寸前の金槌のように。

そして、五郎は立ち上がった。

――仕事は、まだ始まったばかりだった。



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