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黒蝶の女

 混濁とした乳白色の霧によって、周囲が覆われ始めている。

 

 つい先程、最後の一体となったマネキンを光圀の槍が刺し貫いた時からだ。


「ふぃー、やっと終わったぜ」


 伸びをするように、浩太が戦斧を両手にしたまま腕を頭上に上げる。


 五人の中で最も多くマネキンを倒したくせに体力の陰りが全く見えない浩太に、衛人は関心するような呆れるような顔をする。


「おいおい衛人、もう蝶々女のゲームは終わったんだぜ。少しぐらいリラックスしたって良いだろ?」


 そう言って、浩太は戦斧を片方の手に持ち帰ると空いた方の手で衛人の背中をばんばんと叩いた。


 肺に直接響く程の結構な力に、衛人は眼を白黒させる。


「油断は禁物、だ」


 前後左右をそつなく見回しながら、諭すように光圀が言うと、


「俺も緒方の意見に同感。気を抜くなよ深町」


 勇馬も弓手ゆんでには弓を、馬手めてには氷室の手製である握り拳を二つ繋いだぐらいの大きさの石ナイフを手にしていた。矢筒には一本だけ矢が残っていたが、最後の最後で使うつもりなのだろう。


「そうそう。何が起きるかぜーんぜん分からないんだから、気を抜いたら駄目駄目じゃん。全く、バカは筋肉だけにして欲しいよ」


 一が首の後ろに回した魔法杖にリーチのある両腕を引っ掛けて、きつい言葉を放つ。


「ちょ、ちょっと待てお前ら。つーか、一! お前だってリラックスしまくってんだろうが!」


 浩太が声を荒げるが、一は何処吹く風でこくりと首を傾げている。そして、ふふっと笑顔を見せると、


「ボクはいーの。キミ達が守ってくれないと魔法を完成させられないんだから」


 そう言った。


 それを見た途端、浩太はうげっという顔になる。


 姫川一は高身長で甘い顔立ちをしており、それだけで過半数の女性から確かな好意を得られるのであろうが、ここには男が姫川一を含めて五人しかいない。


 姫川一がアドバンテージを築くには、状況が状況だった。


 いや、例外として女性が一人いた。


 そう、衛人達五人を、いやエリュシオン砦で待っている者達を合わせたら計十二人の男子高校生を連れ去った女が。


「御苦労様でした。なかなかの見応えでしたわ」


 鈴の鳴るような女の声音が衛人の頭上から聞こえてくると同時に、白い霧の一点が晴れて黒いハイヒールを履いた足が現れる。


 そこから白い素足が現れたかと思うとふんだんにフリルをあしらった、しかしそのどれもが黒で統一されたスカートがおりて来て、それが花弁を逆さまにしたように窄まって行く。そして最も細い箇所を越えると再び広がり始め、女性らしい胸の膨らみと白い鎖骨と肩口が現れ、遂に浩太の言った通り、蝶々女に相応しい翅を広げた黒蝶をあしらったマスクで目元を隠している女が降りてくる。


 しかし、完全には下に降り切らず、五メートル程の高さで停止する。衛人達五人に取り囲まれる危険を冒さないためか、それとも両者の立場の違いを明確化させるためにか。


 俄かに衛人達に緊張感が漲る。一でさえ、先程までのマイペースめいた微笑が引っ込ませている。


 瞬間、勇馬の右手がムチのようなしなりを見せて背中の矢筒から最後の矢を引き抜くと、蝶の女に狙いを定めた。


 だが、蝶の女は勇馬の行動を先読みしていたかのように、落ち着いた仕草で右手に持っていた孔雀の扇子を横に振るう。


 途端に孔雀の扇子から光の粒子が溢れ出して、それが帯状の形を取ると衛人達五人を瞬く間に取り巻いた。


「何だこれはっ!」


 浩太が怒りの声を上げて身体に纏わり付く光の鱗粉を振り払おうとする。光圀と勇馬は浩太程ではないが、群がる羽虫のような無数の光を手で振り払っている。一はきょとんとした表情で渦巻く光の中にあって棒立ちであり、衛人は突然の事に身体が動かず、ただ光の鱗粉から眼を守るために手で顔を覆うしか出来なかった。


 光の粒子の乱舞は突然現れた時と同じように唐突に終わり、遡る五本の小川となって蝶の女の扇子へと戻って行く。


 光が止んだ事を知り、衛人が顔から手を下ろすのと一が叫ぶのはほぼ同じだった。


「ああっ! ボクの杖が無くなってる!」


 頭から出ているような一の声に、衛人は思わず自分の手を見る。


 今まで確かな感触と共にそこにあった筈の騎士剣が、忽然と消えていたのだ。


 浩太、光圀、勇馬も同じらしく、特に勇馬は蝶の女に向けて矢を(つが)えていた事もあり、悔しそうに口を一文字にしている。


 と、蝶の女が、衛人ら五人の注目を集める事が明白な含み笑いをした。


 まるで磁力に引き寄せられる金属片のように、衛人達の敵対的な感情の矢が向けられる。もっとも、一だけはその矢に鋭利さは足りていないようだったが。


 だが、蝶の女は気にする様子もなく、扇子を一振りすると再度光の粒子を溢れさせた。


 光の粒子は、今度は十本の帯となって衛人達の面前に降りて来る。


 五人はまた纏わり付かれるのかと警戒したが、光の粒子は中空に均等に位置された前後五箇所ずつの計十箇所に集約されていく。


 そして、一際光が強くなったかと思うと、そこには十枚のトランプのカードが現れていた。


 普通のトランプより倍以上に大きく、蝶の女と衛人達との調度中間にあってもそのカードは良く見えた。


 この光景を見るのは、衛人は三度目だった。だから、奥側のトランプカードの五枚が蝶の女の手札だと分かる。


 衛人が蝶の女の手札を確認するよりも早く、


「私の(ハンド)は、ハートの八とスペードの八、クラブのジャックとダイヤのジャック、それにダイヤの三を含めたツーペア」


 と、言った。


 確かに、蝶の女の言う通り、ツーペアの手札だ。


 蝶の女は言葉を続けた。衛人達が、自分達の手札を知っており、尚且つこの場で実際に見えているのにだ。


「対する貴方達は、クラブの十」


 浩太が苛立たしそうに舌を鳴らす。これは浩太のカードだ。


「スペードのジャック」


 光圀の顔も少しだけ変わる。浩太とは違って感情的ではないが、自分が物のように扱われている事に不快に思っている事は間違いない。


「ダイヤのクィーン」


「あ。ボクだ」


 脳天気な声を一が上げる。確かに、あのカードは一だった。


「ハートのキング」


 衛人のカードが口にされた。思わず右手を握る。あのカードが、白銀の騎士剣に転じていたとは、今となってはとても信じられない。


「スペードのエース」


 勇馬のカードだ。当の本人は、蝶の女を無言のまま眺め遣りながら石のナイフを手の内で弄っている。一見すると退屈そうにしているように見えるが、眼は鋭かった。次なる攻撃の機会を窺っているのだろう。


 何しろ、今こそが蝶の女と相対する唯一の時間なのだから。


 あの時、勇馬の行動があと一瞬早ければ、蝶の女に矢を射る事が出来たのだろうか。出来たのなら、殺せたのなら……元の世界に帰れたのだろうか。


 衛人は分からない。


 だが、このままでは何時まで経っても蝶の女の手の内にいる事は、今回で三回目の対峙となるが嫌という程理解していた。


「役はストレート。柄違いですが、絵札で揃えてきたというのが面白かったですね。今回のゲームは、貴方達の勝ちです。それでは、配当(はいとう)をどうぞ」


 そう言って、蝶の女が三度孔雀の扇子を振るう。


 途端に十枚のカードは再度金の粒子となって弾けて消え、その内の幾つかが金貨へと変じると、衛人達の目の前まで降りてきた。


 四枚の金貨が、衛人の顔の前で宙に浮いている。


 浩太や光圀達の前でも同枚数の金貨が浮いている。


 ゲームの勝利の対価だったが、誰も素直に手を伸ばして受け取ろうとはしなかった。唯一、一だけが金貨に触れようとしたが、他の四人が受け取ろうとしていない事に気付いて慌てて手を引っ込める。


「受け取らないのですか? その中の一枚は、貴方達それぞれの(アンティ)なのですよ。……まあ、そのまま死にたいのであれば、私は構いませんが」


 蝶の女が、口許を扇子で隠してふふっ、と哂う。


 ち、と勇馬が舌打ちをして、目の前に浮かぶ四枚の金貨を受け取った。石のナイフを下げている。戦う機会はもうないと察したのだろう。


 浩太もがりがりと頭を掻きながら、光圀は無言のまま、一は「何を躊躇ってたんだよ」と言わんばかりにブーたれた顔で、それぞれ目の前の金貨を受け取る。


 衛人も、宙に浮いたままきらきらと輝く金貨に手を伸ばす。


 ずしり、と確かな手応えと共に、四枚の金貨が衛人の手の平にある。と、手の上にあった四枚の金貨の内、一枚が赤い血の色のような粒子に変わると、音もなく衛人の胸元へと吸い込まれて行った。


 痛みも何も感じなかったが、金貨の一枚が自分達の命だと言われているだけに慣れる気分は全く湧いてこなかった。


「それでは、次なるゲームでお会いしましょう。御機嫌よう、皆様方」


 蝶の女は口許に笑みを浮かべてそう告げると、出現した時と同様に頭上に生じている濃厚な白霧の中へと消えて行った。

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