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第6話『切実な、お願い』

 神奈川にある、私立四つ葉音楽高等学校。

 結愛はいつものように学校に登校し、教室に入る。

 

神織かみおりさん、見たよ!」

「スゴイよね!」

「すげぇよ!」

 クラス中で昨日の出来事が話題になっていた。神識結愛かみおり ゆあの演奏に感動したみんなが、昨日の桜の舞いや、天使の事を興奮気味に語っていた。


「えっと、みんな、落ちついて」

 戸惑とまどう、結愛。

 沙月さつきはなぜか、「さすがは、うちの結愛だ」

 となぜか、沙月は腕を組み、嬉しそうであった。


 そんな中、教室のとびら突然とつぜん開かれ、奏斗が入ってきた。クラスメートたちは一瞬いっしゅん驚き、視線を向けたが、奏斗はそんなことに構うことなく、結愛のところまで真っ直ぐに歩いてきた。


「神織、ちょっといいか?」奏斗は冷静な声で言った。

 結愛は驚き、少し警戒けいかいしながらも、「なに?」と答える。

 奏斗は一言も無駄むだにせず、結愛のうで強引ごういんつかんだ。「ついてこい」その力強さに、結愛は少し驚き、でも反射的はんしゃてきに「え?」と声を出す。周囲しゅういのクラスメートたちはそのやり取りに驚き、しばらくその場に釘付くぎづけけだったが、すぐに教室を出る二人の姿を見送った。

 

 奏斗は結愛の腕を引きながら、足早に校舎こうしゃ廊下ろうかを進んだ。結愛はその勢いに流されながらも、何か不安が胸に広がっていった。いつも冷静で理知的りちてき奏斗かなとが、今日はどうしてこんなに強引なのか。その理由が気になった。


 二人は無言で音楽室の前に辿り着き、奏斗は扉を開けて中へと入った。音楽室には誰もいなかった。奏斗はそのまま扉を閉め、周囲を見渡してから結愛の方を向いた。


「神織、話がある」奏斗はそのまま言った。その口調は、今までの彼とは違って、どこか必死ひっしさがにじみ出ていた。


 結愛は少し身構みがまえて、「どうしたの?」と問いかけた。

 奏斗は一瞬黙っていたが、やがて深い息をついて言った。


「いくら出せば、お前の音楽で僕の妹を助けてもらえるか、聞きたいんだ」


 結愛は驚き、目を見開いた。


「え?  何言ってるの?」


 奏斗は真剣な顔で、結愛の目をじっと見つめた。


「俺の妹、病弱でさ。もうずっと体調が悪くて、音楽も、何ヶ月も聴けないくらいになっている」


奏斗の目に一瞬、強い痛みが宿った。


「俺は、妹がもう一度、音楽を聴けるようにしてやりたいんだ」

 

結愛は言葉が出なかった。奏斗の妹がそんな状態だなんて、全く知らなかった。


奏斗は少しだけ目をせながら言った。


「音楽を、妹に聴かせてくれ。彼女がもう一度、笑顔になれるように」

 

 結愛はまだその言葉が信じられなかった。彼がそこまで言うなら、よほど妹のことが大切なのだろう。だが、彼女自身もまだ自分の音楽に対して確信を持っているわけではなかったし、何よりそんなことで妹を元気づけられるのか、疑問が残っていた。


「でも……どうして私が?」


結愛は少し戸惑とまどいながらも、口に出してしまった。


「俺は、お前の音楽に力があると思っている」


奏斗は静かに答えた。


「昨日、関内で神織が弾いていたのを見た。桜が舞い、天使が踊った、あの瞬間、お前の音楽にはただのメロディー以上のものがあると確信した。お前の音楽には人々を引き寄せ、癒やす力があるんだ」


奏斗はゆっくりと話しながら、結愛の目をじっと見つめた。


「だから、頼む。いくらでも支払う、どうか音楽を妹に聴かせやってくれ」


奏斗は言葉を続けた。


「妹が笑顔になるためなら、俺は何でもする」


その声には切実さがこもっていた。

結愛はその言葉を聞いて、胸の中で何かがれ動いた。奏斗の妹のことを思うと、彼の必死さが痛いほど伝わってきたからだ。


「でも、私の音楽で……本当に妹さんを元気にできるのか、私には分からない」


 結愛は弱々《よわよわ》しく言った。


「それに、私はまだ自信がないから…」

 奏斗は少し間を空けてから、静かに言った。


「神織が自信を持てるようになるまで、俺が支える」


奏斗の声には、もう一切の疑念ぎねんがなかった。


「だから、お願いだ。神織の音楽を妹に聴かせてほしいんだ」

 

 結愛は心の中で何度も葛藤かっとうした。自分の音楽には、まだ自信がない。しかし、奏斗の必死な頼みを無視することもできなかった。彼の妹を思う気持ちに、何か心を打たれるものがあった。


「……わかった」

結愛は深く息をつき、少しだけ勇気を出して言った。


「でも、私の音楽はすごくないよ? それでもいいの?」

 奏斗はその言葉を聞いて、ほんの少しだけ安堵の表情を浮かべた。


「ありがとう、神織」その口調くちょうは、これまでのクールさとは違い、どこかやわらかくなった。

 結愛は静かにうなずいた。彼女自身、これが本当に正しいことなのか分からなかった。でも、少なくとも今は、奏斗の妹を少しでも元気づけられるなら、それに挑戦してみようと思った。


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