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「さて、あと確認していないのは本だが…」
円魔は歯切れ悪く言葉尻を濁し、窓の向こうに目を向ける。
気付けばすっかり空は目覚め、使用人や神殿勤めの者達の話し声や物音がざわざわと届いてきていた。
仲間達ならば問題はないのだが、もしそれ以外の者がここに来てしまったら…非常にまずい。
何がか、といえば…
「うはははは!すっかり日が出たようだね!あーたーらしーい朝が来たー!希望の朝かどうかは不明だがね!」
この、能天気な人間が、だ。
殺されかけ、死んだことにして追手から逃げることを選んだというわりに緊張感がまるでない。
彼にとってここは敵地と同然だというのに。
これでは、どう隠せばいいのかと焦る自分達が馬鹿みたいだと各々額をおさえた。
「さて!」
そんな面々を知ってか知らずか、朝日を背に刻止はくるりと振り向いて笑う。
いつも通り。けれどもどこか、寂しそうな顔で。
「その本の内容は既に確認済みだ。あとは皆で活用してくれたまえよ!」
「…君は、どうするつもりなんだい?」
「我輩クンはここを出るよ」
最初から決めていたのだろう。
刻止の声に迷いはなく、揺らぎひとつ無い目はいっそ羨ましいほどの強さを湛えて煌めいていた。不安の影すらないのだから恐れ入る。
「隠れるには限界があるし、我輩クンはそんな生活嫌だからね!どうせなら、"死人"という名の自由を好きに謳歌させてもらおうではないか!」
「…っぷ、あはははははは!いや~、もう、トッキーらしいや!」
透子の台詞にすべてが詰まっていた。
そうだ、毒嶋刻止という人間は…こういう人間なのである。
それを思い出して、突然の離別宣言に驚いていた一同は気の抜けた炭酸のように笑い出す。
自己中心的で周りの事など気にしない。
やりたいことをやりたいようにやる。
それが彼だ。十人が十人"問題児"と口を揃えるだろう変人だ。
けれど、そうやって周囲を引っ掻き回したその先で、いつの間にか"誰か"が救われていたりする。
たまたまなのか、わざとなのかは分からないが…彼は毒であり、同時に薬なのだ。
少なくとも、正希達"旧校舎組"にとっては。
だからきっと今回も、この"勝手"の先に活路の一つでも見つけ出してくれるのではないか。
そんな予感と共に円魔は鼻を鳴らし、アイテムボックスにポケットから取り出した手のひら大の板を入れた。
「僕からの餞別だ。壊れているからと譲ってもらった鑑定板をやるから、アイテムボックスごと持っていくといい。お前の方が必要だろう」
「おお!そういえば我輩クン、自分のステータス知らないんだったね!ところで、壊れていると言ったが…使えるのかい?」
「バッテリーのイカれたスマホと一緒だ。すぐ魔力が放出されて使えなくなるが、フルチャージすれば少しの間は動く」
「うはははは!成る程!それでも無いよりはマシだね!ありがとう!」
それを皮切りに、他の者も何か渡そうとバタバタ動き出す。
透子は夜食用にとこっそり盗んできた食糧。
堅吾は手伝いで、勝也はカツアゲで手に入れた硬貨。
天音は怪我をした時用にと用意していた自作の救急セット。
「俺からは、これを」
「ふむ?これは…小さなポストかい?」
「正解。遠く離れていても手紙のやり取りが出来る連絡用の魔道具…らしいよ」
正希がベッド脇のサイドテーブルを指差すと、そこには刻止が渡されたものと同じ薄紅色の四角い箱が細く口を開けている。
「生存報告もだけど、どうせ外に行くのなら情報収集を頼むよ。中と外では得られるものが違うだろうから」
「うはははは!さすが、抜け目無いねキミは!しかし、よくこんな便利なものが手に入ったね?」
「ふふっ!俺はただ、自分の顔の使い方を心得ているだけだよ」
「うげ…相変わらずだなぁ、お前」
「その結果エロい本も貢がれてるとか超ウケるけどね~!」
「うっ…」
皆が憧れる清廉潔白な生徒会長など所詮は妄想であり、正希の中身は他人をいかにコントロールするかを常に考えている。
つまり、性格が悪い。
旧校舎のメンバーは皆その本性を知っているので、コロコロと転がされている他人を見てきゃっきゃと笑うのだが。こちらも中々歪んでいる。まぁ、今更だ。
「先輩」
アイテムボックスに貰い物を入れ、ポケットにしまった刻止の背に声がかかる。
わざわざ振り向かずとも、それが誰のものなのかを知るのは容易い。
この場で彼を"先輩"と呼ぶのは一人しかいないし、何より夕日に染まる己のテリトリーで毎日のように聞いている声なのだから。
「何だい、讃良クン?キミも何かくれるのかな?」
「…私を」
刻止の、微塵も鍛えていない薄い背にドンと温もりがぶつかった。
柔らかく暖かいそれは、花と少しの柑橘を混ぜた甘い香りがした。
「私を、連れていってください!私が、餞別の品です!」
「うはははは!残念ながらナマモノはアイテムボックスに入らないよ!」
「先輩!!」
「分かっているさ」
茶化すなと肩をいからせた讃良は、ぽすんと頭に乗った重みに口を閉ざす。
「讃良クン。我輩クンが選ぼうとしている道は、現状これまでの日常とは遠いものだ。生活も、価値観もね」
「…っ」
「安全など、平穏など、どこにもないかもしれない。それでも…我輩クンと来るのかい?」
「…わ、たし、は」
迷いは刹那。
ただでさえシワくちゃな白衣に更なるシワを刻むが如く握りしめた彼女は、怒りを露にアーモンド型の目をつり上げた。
それは自分を侮った刻止を、少しでも迷ってしまった己すらも許せないと言いたげに。
「私は、先輩のただ一人の助手です!手放してたまるもんですか!誰にも、この場所を渡すもんですか!たとえ毒の沼を歩くことになったとしても、絶対、離れませんから!離れてなんかあげませんからね!!」
ふぅ、ふぅ、と荒い息遣いだけが残る。
健気を通り越していっそ畏れすら抱く宣言は、シンプルに言って重かった。
しかしそれを背負うべき人物にとっては…
「うはははは!良き!キミがそう決めたのなら、我輩クンはとやかく言うまい!」
「い、いんですか…!?っ、やったー!!」
毒にも薬にもならない程度の話らしい。
だからこそこの二人は上手くやれているのかも、と正希は緊張していた体をソファーに沈めた。
(いいなぁ、君は)
吐き出された息に含まれたのが安堵だけでない事を、誰よりもよく知りながら。
「さて、ではそろそろ出立といこうかな」
まるで遠足に行くかのような気楽な台詞に伏せていた目を開け、正希は友人を真っ直ぐ見つめる。
「君の事だから心配はいらないだろうけど…気を付けてね」
「ささらん泣かすなよ~?」
「無理はしないでくださいね」
「こちらの事は僕達に任せろ」
「勝手にくたばったらブッ飛ばすからな!」
「…達者で、な」
「うはははは!大袈裟だなぁ!」
刻止はテーブルの上の"ソレ"をこっそり掴み、片手で讃良を抱き寄せ、いつも通りに楽しくてたまらないといった表情を振り撒いた。
「これは何てことない散歩さ!いや、補習かもしれないね?ともあれ、我輩クンがしばらく留守にするのは今更だとも!それに、いつもちゃんと帰ってきているだろう?」
昔から刻止は古今東西あらゆる毒を求めて思い付きで旅に出たり、ヤバい施設に潜入したりで数日から数週間失踪する。それは皆の知るところだ。
また、国語の補習の常習犯であり、そのせいで旧校舎に顔を出せないこともしょっちゅう。
今回もそれと同じだと言うのだから、笑うしかないだろう。
「我輩クンの居場所は旧校舎であり、それは今"ここ"にある。…それでは不安かね?」
「いいや、まったく」
正希も他の皆も、彼に倣うようにいつも通りの呆れ顔で肩をすくめた。
その様子に満足そうな顔をして、刻止は"ソレ"を朝日に掲げる。
「では諸君!また会おう!」
「え、ちょ、先輩それ…!?」
「ああそうだ、会長殿。これは忠告だが…」
あっ、という間もなかった。
「は???」
伝言を聞き、瞬きをした次の瞬間にはもうそこには誰もおらず、未だ見慣れない景色があるだけ。
円魔はふとテーブルの上を見て気付く。
「あの馬鹿…"転移石"を使ったな」
「「「え"」」」
思い切りがいいどころの話ではない。
安心して送り出したつもりが、結局刻止達が海の真ん中や火山の上に転移しないよう祈るハメになったのだから胃が痛い。
「はぁ…取り敢えず、俺達も出来る事をしながら待つとしようか」
「待つ、か。それならば…」
「うん。今は、向こうの思惑に乗るしかない。放り出されたら困るからね」
「他の皆さんにも事の顛末をお話しなければいけませんね」
「報連相は大事だもんね〜」
「…やること、多い」
これからの動きをワイワイ話し合う友人達を横目に正希は刻止の消えた床を眺め、吐息を慣れない空気に溶かしたのだった。
「"今はなるべく従順に"、か。中々どうして…難しい注文を残していってくれたね」