1-5
「はぁ…何て事だ」
「白ではないと思ってはいたが、これは…」
「真っ黒すぎて草も生えないんですけど~…」
「…最悪、だな」
刻止から事の顛末を聞いた面々は、その明るい口調にそぐわぬ重く悪辣な内容にどんよりと表情を曇らせる。
彼ら彼女らはまだ高校生だ。
その上、ほとんどが人殺しなどテレビの中でしか知らない。
そんな子供達にとって、身近な者が殺されそうになったなど…些か刺激の強い話だった。
故郷がいかに平和だったのか思い知らされた気分である。
「…っ」
「讃良ちゃん…」
特に讃良の狼狽は酷い。
好きな人が殺されかけたという事実に顔を真っ青にして、天音に支えられてやっと立っている状態だ。
「…」
「…」
「離せ」
「…断る」
勝也は逆に、仲間を害されそうになったという怒りで顔を真っ赤にしていた。良くも悪くも熱い男なのだ。
堅吾が抑えていなければ後先考えずに部屋を飛び出していたことだろう。
心中穏やかとはほど遠いものの、取り乱す二人を見て正希は何とか冷静さを保つ。
映画館で自分より大号泣している人を見ると涙が引っ込むアレと同じだ。
「…しかし毒嶋、よく生きて帰ってこれたね?相手はプロか、それ相応の者だったんだろう?」
「うはははは!逃げ足には自信があるとも!我輩クンの教師を撒くスキルをお忘れかね、会長殿?」
「…そういえばそうだったね。そういう事にしておくよ」
じっと刻止の目を覗き込み、彼は静かに笑った。
「はぁーーーーー…テメェはほんっと、能天気な。アホらしくなって頭冷えたわ」
「ありがとう!」
「褒めてねぇ。ンで?撒いたクセに死ぬ予定ってのはどういう事なんだよ」
「そ、そう、ですよ…!せ、先輩は…先輩は、逃げられたんでしょう!?なら、なんで、どうして、死ぬ、なんて…」
「だってそうしないと、また狙われるじゃないか」
あっけらかんと言い放った刻止は、息をのんだ者達にかまうことなく部屋に足音を響かせる。
そして、正希の座るソファーの背に上半身をだらしなく預けて続けた。
「あの男、余程我輩クンが目障りらしくてね。あの様子では生きている限り命を狙われるだろうさ。一度失敗した分、執拗にね。そんなのはごめんだし、ならいっそ死んだことにした方が楽だとも」
「成る程、正論だね…珍しく」
「うはははは!一言余計じゃないかね!」
「ですが、どうやって誤魔化すおつもりで?」
「なぁに、難しい話ではないさ!あの男は我輩クンの殺しを任せた二人に、"報告はいらない"って言っていたからね。余程ナメてくれていたみたいだよ」
「つまり、見つからなければバレないと…お前はそう言いたいんだな?」
「そゆこと!!」
「あれ?でもさ~、その二人が逃がしましたーって報告してたらどうすんの~?」
「うはははは!無理じゃないかな!彼らは今頃きっと…うん!森で迷子にでもなっているだろうからね!」
円魔と堅吾がピクリと眉を上げ、先程の正希と同じような空気をまとって目を伏せる。
刻止は物分かりの良すぎる友人にゆっくりと一つ瞬きを送り、「だから大丈夫!」と話を締め括った。
「ところで、刻止。あの荷物は何だ?」
話題が落ち着いたのを見計らい、円魔は窓枠の下に置かれた風呂敷包みを指差す。
先程まで無かったことを考えると、持ち込んだのは刻止だろう。
「あぁ!忘れてた!我輩クンの戦利品だ!ちょっとそこのテーブルをかりるよ」
戦利品?と皆ハテナを飛ばしつつ、女性陣が手際良く片付けたテーブルの上で風呂敷が解かれるのを見守った。
ヒラリと落ちる布の中から出てきたものは、綺麗なターコイズブルーの石、つるりとした謎の立方体、虫眼鏡にしか見えない何か、丸められた紙、それから…
「うーん…本、かぁ」
数冊の本である。
苦虫を噛み潰した顔になったのは正希だけではない。他の皆も似た反応…あまり歓迎していない様子だった。
「本来ならありがたい土産なんだがな…」
「…読めない」
「あれ…?あ、ちょっと待ってください!」
沈んでいく空気の中、少し回復したらしい讃良はハッと顔を上げると、再びソファーの背でだらけている刻止を見る。
「先輩…何で、さっき読めたんですか?」
「うん?何がかね?」
「だから!あの、え…ェ、エロ本!!!」
顔を真っ赤にしてゴミ箱を指差した彼女を見つめて瞬きを三回。
刻止はふっと優しい顔をした。
「読みたかったのかな?」
「ち、が、い、ま、す、よ!!!欲求不満なワケじゃないですしそもそも先輩の体以外に興味ありません!!!」
「うはははは!聞かなかったことにするね!」
「とにかくですね!何であの本が読めたのかを!知りたいんです!!」
「あぁ!それはコレのおかげだね!」
刻止は某猫型ロボットの真似をしつつ、白衣のポケットからあるものを取り出したのである。
「てっててーん!虫眼鏡モドキ~!」
「いや、名前ダサ~!!」
「ついでに似てねぇ」
モノマネの精度はさておき、刻止が白衣のポケットから取り出したのは、名前の通り虫眼鏡に似た何かであった。
使い方もそのままなのか、彼は探偵の真似事のように右目の前でソレを支えている。
円魔はテーブルの上にも同じものがあると気付き、試しに彼に倣って覗いてみることにした。
そして、驚愕に目を丸くすることとなる。
「よ、める…?読める!読めるぞ!!?」
「きゃはは!何かアッキー厨二っぽ~い」
「やかましい!ふざけてる場合じゃないんだ!」
「透子ちゃん、しー、だよ?」
「ほいさ~」
透子の茶化しを切り捨てた円魔が「『鑑定』」と呟くと、眼鏡の向こうにある虹彩に六角形が浮かび、くるりと回った。
正希達は自分のステータスを鑑定してもらった際に見たので慣れたものだが、初めて魔法の発動を目にした刻止は興奮気味に身を乗り出す。
「…成る程。これは"アガレスの眼"という魔道具らしい。レンズに『全言語解読』のスキルが付与されているようだ」
「つまりどういう事だよガリ勉」
「つまり、これがあれば僕達はこの世界のどんな文字でも読めるってことだ不良」
「まあ!それでは…」
皆の視線が積まれた本を見つめ、各々がわっと喜色を露にする。
徹夜しても「あいうえお」すら理解出来なかった異世界言語…それがこんな形であっさり攻略出来るなんて少し複雑な気分ではあるが、集められる情報が飛躍的に増えた事を喜ばない理由はない。
「今なら君にハグ出来そうだよ、毒嶋」
「ダメです!いくら会長でも先輩は渡しません!!」
「うはははは!とりあえず、喜んでもらえて何よりだとも!」
戯れもほどほどに、刻止の戦利品の確認作業を再開させる。
"アガレスの眼"で期待値が高まる中、次に注目が向いたのは綺麗な宝石と奇妙な石だ。
「ね~、トッキー、これは何?」
「さあ?お金になるかと思って拾ってきたのだよ!」
「…章本」
「分かっている。…『鑑定』」
宝石をつまみ、次に手のひらに石を乗せ、やがて二つをテーブルに戻した円魔が細く息を吐く。
「まず宝石だが、"転移石"というものらしい」
「ほうほう?それはどういうものなのかね?」
円魔曰く転移石とは、使用者とその体に触れている物体をこの世界のどこかへ瞬時に移動させるものだという。
石の大きさで一緒に移動できる物の重量が変わるらしく、刻止が持ってきた3cm程のものだと小柄な人間二~三人分とのことだ。
「ちなみに、どこに出るかは完全にランダムだ」
「それって、運が悪ければ海のど真ん中や火山の上に出る可能性もある…ってことだよね?」
「え~!?何ソレこっわ!!」
「あらあら…リスクを考えると、余程の緊急時にしか使えませんね」
危険物認定され、転移石はそっとテーブルの端に追いやられた。
「そしてこの立方体だが、"異次元収納"…いわゆるアイテムボックスだな」
「そりゃ、よくあるアレか?ガリ勉」
「その通りだ不良」
ピンときていない女性陣を一瞥し、円魔は目の前にあった本を一冊手に取る。
その角を立方体の上面に当てると、あら不思議。明らかに石より大きな本が、するりと吸い込まれるようにして消えたではないか。
「え!?すごっ!?何で何で!?」
「さすがに原理まではわからん」
次いで円魔は立方体に触れ、先程の本を思い浮かべる。すると、消えたはずの本が何事もなかったかのようにポンと手に現れた。折れたり破損している様子はない。
「これは…驚きましたね。どんな物でも出し入れ出来るのですか?」
「生きたものはダメだ。それ以外なら…特に制限はなさそうだな。大きさ、というか内容量に上限はあるが」
「先輩、上限ってどのくらいなんですか?」
「ふむ…2.5m四方。およそ四畳の部屋程度だな」
四畳と言われて正確にイメージできた者はいなかったが、とりあえず寮の一部屋程度だと付け加えられて納得する。ちょっと狭い一人部屋が倉庫になるようなものらしい。
「転移石よりは便利そうだね」
「これでも物としては低品質らしいがな」
「うはははは!なら、上級品ならこの神殿くらい入ってしまうのかもしれないね!」
"これは使えそう"と皆に評価され、石は心なしか誇らしげに輝いた。
それを転移石より丁寧な手付きでテーブルの真ん中から移動させ、正希は次に丸められた紙を開いて広げる。
「んぁ?こりゃ…地図か?」
古ぼけて所々にシミの浮いた紙に描かれていたのは一面の薄い青で、その上にいくつもの歪な図形が居場所を奪い合うように乗っかっている。
それは現代の教科書に載っているような細やかで鮮やかな物ではないが、成る程確かに地図と呼べるものだった。
「…この世界の、地図だ。…見覚えが、ある」
「ええ。少し古いもののようですけれど…私が見せてもらったものと変わり無いように思います」
「うはははは!じゃあこれは本物だったのだね!てっきり、それっぽいテーブルクロスかと思っていたとも!」
「いやその発想にはならないっしょ~!さすトキ!」
「そうか、毒嶋はその…別行動だったから知らないんだね。この世界のこと」
刻止のやたらと濃い数時間を"別行動"という言葉で濁しつつ、正希は天音に目配せをする。
その意図を受け取り、彼女は楚々とした微笑みを浮かべて頷いた。
「まず、この世界の名は"エーデライズ"。女神エルテールによって創られたと言われている世界です」
所々を"アガレスの眼"で確認しつつ、天音の白魚のような指が地図の上を滑っていく。
エーデライズは大まかに、海を抱き込むような形をした巨大大陸。
その周囲に散らばる大小の島。
南東にある火山島。
そして、遥か北にやや大きさのある孤島を有する世界だ。
「取り敢えず、大まかな所だけ説明しますね。巨大大陸の南側には強大な国力を持つ軍事国家…ハインデール帝国と、女神教という宗教の総本山であるフェーレン法国などがあります。次に、中央部にあるのがフローガルと呼ばれる大森林帯。ここは強力な魔物が跋扈するせいでほとんど開発が進んでいない土地で、珍しい動植物や多くのダンジョンと呼ばれるものがあるみたいですよ。そして…」
天音の指がとん、と巨大大陸の北部を叩いた。
「ここが今、私達のいる国…ルベリオン王国です」
「へー、我輩クン達はこんな所にいるのだね!見たところ、大きい国のようだとも」
「…帝国と、王国。…この世界の、二大国家、だ」
堅吾が兵士に聞いた話によると、フローガル大森林帯を挟んだ南北にある二つの国は長年に渡って争いを続けているそうだ。覇権争いというやつだろう。
フローガルのおかげで衝突そのものは頻繁に、とはいかないらしいが…睨み合いは常に続いているらしい。
「チッ、オレらが戦争の道具って展開にならなきゃ良いがな」
「うぅ…あり得そうで怖いですね…」
「うはははは!その時はその時で考えようではないか!とりあえず、続けてくれたまえよ!」
「え、ええ。分かりました」
指はざらつく紙を撫で、巨大大陸から剥がれ落ちたように点在する島々のうち、一際島が密集している場所で止まる。
「この周辺は大小様々な島が集まっていて、それぞれの島に別々の種族…獣人や森人、妖精など、総じて亜人族と呼ばれる方々が住んでいるそうです。一応、島ごとに名前があるらしいですが…全てまとめてカラネロ共和国という国とされています」
「ふむ?亜人族は種族間で仲が悪いのかい?」
「それは分からないけれど…元々島は一つの大陸で、大昔に災害でバラバラになったと言われているみたいだね」
元々種族ごとに集落を作って生活していたため、島に別れた際にそのまま自然とバラけたのではないか…というのが正希の予想らしい。
「こちらの火山島はパルエという小さな国ですが、リゾート地として有名みたいです」
「ハワイみたいなものかな~?ちょっと行ってみたいよね~!」
「国の半分以上は砂漠らしいがな」
「あとは…ここですね」
地図を泳いでいた天音の指がポツンと北に浮かぶ孤島を示し、紙面から離れていった。
「ここは魔族の暮らす"死の大陸"と呼ばれている地域だそうです」
「うはははは!中々仰々しい名がついているじゃないか!良き!」
「なんか魔王とかいそうだよね~」
「…実際は、わからん」
「ここに関しては名前すらも分からないのです。魔族の~というお話も御伽噺みたいなものですし」
「この地図にはどう書かれてるんだ?」
「地図上でも"死の大陸"としか…ともあれ、以上が今のところ分かっているこの世界の全容です」
発表を終えた学生らしく、天音はペコリと頭を下げる。
刻止がそれに拍手を返すものだから、ここだけ教室に戻ったみたいだと皆表情を緩ませたのだった。