1-2
「あぁ、すみませんが、ドクジマ様はこちらに来ていただいてもよろしいですかな」
「うっはははははははは!」
早い。あまりにも早いタイミングに刻止は大笑いを堪えきれず、腹を抱える他なかった。
ここは渡り廊下の手前。まっすぐに行けば皆が向かう予定の宿舎だというのに、オルダスは刻止を別の場所に案内しようというのだ。
勘繰るなという方が無理である。
急に笑い出した刻止に、オルダスは異様なものを見るように目を見開いていたものの、彼の奇行に慣れきった旧校舎組は軒並み死にかけのセミを見るような顔をしていた。
ああ、お前どうせアレだろ。何か企んでるんだろ…?という顔である。厚い信頼に刻止は膝を叩いて喜んだ。
「…ぅおっほん!」
「うははっ、ははっ!…ああ、いや、すまないね!それで、我輩クンに何用なのかね?」
「来ていただければ分かります」
「ふぅむ?」
「ちょいまち~。そんで、ハイワカリマシターとかないって~。ちゃんと話してくんない?」
「そうですよ!先輩をどこに連れていって、何するつもりですか!」
「それともよぉ、話せねぇようなコトなのか?ア"ァ?」
「…どうなんだ」
能天気な顔の刻止と違って険しい表情で詰めかける一行に、オルダスはわたわたと飛べない鳥のように手を動かす。
「い、いえいえ!誤解!誤解でございます!私めはただ、彼のためを思って…この先役立つ装備品等をお渡ししたいのです」
「装備品、ですか?それは武器や鎧といったものでしょうか?」
「ええ!ええ!その通りでございます!」
「へぇ…それは何故?」
彼が白々しい顔で語ることによると、刻止のようにハズレと言える固有スキルを授かってやってきた異世界人は以前にもいたそうだ。
しかし、そういった者ほど忠告を聞かず、己の力を過信して外へ飛び出して行く。
そしてそのまま…ということらしい。
「ですから、同じ過ちを繰り返さぬよう、そういった方へのサポートを我々の方でさせていただく事になっているのですよ」
「うはははは!成る程、成る程!」
「ただ、このサポートを贔屓ととらえられる事も少なくありませんので…先程は御使い様方へ不明瞭な答えを返してしまいました。誠に申し訳ありません」
「うはははは!成る程、成る程!」
「……」
「おや?もうそれっぽい話は終わったかね?じゃあ行こうか!」
渾身のプレゼンをあまりにも適当に流され、聖人ぶった表情のままオルダスはこめかみに血管を浮かび上がらせた。
つついたら破裂しそうだ、なんて事を考えながら、刻止はその横を悠々と通り抜けていく。
「って、ちょ!?待ってください先輩!?」
「毒嶋…何で君は普通に行こうとしているのかな?」
「ん?」
軽すぎる足取りに危うくスルーしそうになって、正希と讃良が慌てて呼び止めた。
どうしたの?とでも言いたそうな顔に各々頭痛をこらえる。
「あんね~、トッキー?ちょっち冷静に考えよ?」
「明らかに怪しいだろうがアホ」
「そうですよ。いくらなんでも警戒すべきです」
「…危険」
「うはははは!心配してくれてありがとう!でも、大丈夫だとも!」
ひそひそと嗜める面々をぐるりと見渡し、刻止はきゅうっと目を弓なりにしならせる。
トリカブトのような笑みだった。表面の妖艶で美しい姿の下に、確かな毒が滲むような…そんな笑み。
「むしろ、都合が良い」
毒嶋 刻止は変人ではあるが愚者ではない。
そうやって心配を押さえ込み、正希は観念したように「わかったよ」と呟いた。
「オルダスさん、毒嶋をよろしくお願いします」
「うはははは!どんな装備がもらえるのだろうね!我輩クン楽しみだよ!」
「フルプレートアーマーとかいいんじゃね?」
「…重そうだ」
「先輩の顔が隠れるのは嫌です!世界の損失ですよ!?」
「いやささらん、それはないって~!」
「ふふ、讃良ちゃんは相変わらずですね」
「ええと…ご理解いただけたようで何よりでございます。では、行きましょうか」
「では諸君!また!」
ゆぅらゆら。ダボついた白衣も相まって、刻止の足取りはクラゲのよう。
オルダスと共に通路の向こうへ消えた背を見送り、正希はパンと手を叩いた。
「彼が何を考えているのかは…毎度分からないけれど、俺達は俺達に出来ることをしようか」
「はーい、会長~!具体的には~?」
「情報収集が急務だろう」
透子の質問に答えたのは、今までずっとだんまりだった円魔である。
「おう、ガリ勉。今まで授業中みてぇに静かだったクセに、急にどうしたよ」
「うるさいぞ、不良。ついスキルの文章を読み込んでしまっていたんだ」
「章本さんは活字中毒ですからね…」
円魔はそこに活字さえあればジャンル問わず、説明書だろうと成分表だろうとじっくり読みたくなってしまう人間なのだ。
しかも集中力も凄いので、読んでいる最中はそれ以外の全てを意識から追い出してしまう悪癖を持っている。
と、正希があることに気付いた。
「円魔、君…まさかステータスが見えるのかい?」
「ああ。僕の固有スキル『魔導書庫』は、スロットがあれば適性関係なく好きな魔法を覚えられるスキルらしくてな。それで『鑑定』を取って試してみたら…問題なく使えた」
「うそ~!?ぜんぜん気付かなかったんですけど~!」
「頭の中だけで見ていたからな。外への表示も非表示も自由だったのはありがたい発見だ。しかも、使用者が僕だからか日本語で見れたぞ」
「章本先輩、凄いですね…」
「ふん。後で全員鑑定してやるさ」
「うん、助かるよ」
この世界では、異世界もので必須級であるステータスの確認を自由に出来ない。
鑑定の魔法か、神殿やギルドにあるという魔道具 (あの石板がそうだ)を使わなければ見ることが出来ないことに加え、表示してもこの世界の文字が読めないという障害があったのだ。
それを先程までのステータス確認作業で知ってしまい、どうしたものかと頭を悩ませていたのだが…ここで円魔の力はかなり大きい。
本人も異世界ものにおけるステータスの重要性を理解していたので、まだ一枠しかないスキルのスロットに迷わず『鑑定』を選んだのだ。彼も大概仲間思いなのである。
「それで話は戻るけど、情報収集が急務と言ったね。どうしてだい?」
「簡単な話だ。僕達は連れてこられた理由も曖昧な上、この場所…ひいてはこの世界に関しての基本的な情報も知らされていない。情勢どころか、名前すらもな」
「あら、言われてみれば…そうですね」
「…成る程な」
「え、巌先輩、今ので何か分かったんですか?」
皆の視線を思いがけず集めてしまった堅吾は居心地悪そうに眉を寄せたが、数拍間を置いてからゆっくり唇を動かした。
「…俺達に、馬鹿であってほしい…の、かもしれない」
「え~?アタシ、願われなくても馬鹿だけどな~」
「そういうことじゃないと思うわ、透子ちゃん」
潔く頭の弱さを認めた透子に苦笑を浮かべ、天音は品の良いお嬢様のように頬に手を当てて困り顔を作る。
「でも、どうしてでしょう?私なら、愚か者なんて視界に入れることすら不快です。うっかり殺…いえ、うふふ」
「出てるぞ、日聖。まぁ、何故と問われると…御し易いからだろうな。例えばだが、僕かそこの不良…口だけで利用するとしたら、どちらが簡単だと思う?」
「それは…」
ちらり、と正希の目が勝也に向いた。
いや、彼だけでなく、その場にいたほとんどのメンバーが勝也を見た。
「つまり、そういうことだ」
「なるなる~!分かりやすい~!」
「オイコラ」
勝也には悪いが、確かに分かりやすい例えだと正希は納得の色を見せる。
今の二人を比べた時、勝也は巧言を弄して言いくるめられそうだが、円魔には通用しないだろうと思ったのだ。
むしろ、嘘や虚飾を論破されそうで忌避感すら芽生えた。
では何故そう思ったのかと考えてみれば、性格も関係しているだろうが…何より、知識量の差が大きいだろう。
思い出されるのは入学してすぐの記憶。
刻止のやべぇ奴伝説の序章を飾った、"お近づきの印にトリカブト"事件である。
無知だった正希や勝也はソレをただの綺麗な花だと思い、「ハーブティーではないが、煎じて飲むと美味しいよ!」と笑顔で教えてくれた刻止の言葉を「へぇ、そうなのか」と信じかけた。
しかし、円魔だけはその花がトリカブトであると知っていたのだ。
だからこそ、彼は「いや、毒で死ぬぞ」と呆れた顔で否定できたのである。
今考えると何とも恐ろしい話だ。
円魔がいなければ二、三人の席に花が咲いていたかもしれない。
しかも、バレた後も悪びれることなく毒の抽出法を渡してきたのだから、刻止は頭がおかしい。
思い出したら頭痛がしてきた正希はそっと頭を振った。
「はぁ…つまり、今の俺達には誰かの言葉や文献の真偽を判断する術が無いってことだね。何も知らないから」
「あぁ。例えば、魔族という種族がいたとして、それが敵だと言われたとしよう。それらしい悪逆非道な物語を添えられたなら…僕達はそうだと思い込んでしまうことだろうな。もしかしたら本当は温和で友好的な種族であるかもしれないのに、だ。これは非常に危うい」
「でも、その危うさがあのオジサンにとっては都合が良い…って事ですよね?先輩が言いたいのは」
円魔はメガネのブリッジを上げ、静かに頷く。
「毒嶋への態度を見るに、アレは白ではない。与えられる情報を鵜呑みにするのは危険だ」
「だから情報収集なのですわね。自衛のために」
「都合の良いオニンギョウになんざなりたくねぇしな」
「では、まずはこの世界の情報を集めよう。皆、良いかな?」
身に付いてしまった癖というのか、自然とまとめ役として声をかけた正希に皆が是を返す。
しかし、そんな中堅吾だけは静かに…はいつもの事だが、どこか難しい顔をしていた。
それに気付いた透子がトントンと分厚い肩を叩き、振り向いた頬にぷすっと指をさす。固かった。
「どしたのケンケン?顔が三割増しで怖いぞ~?」
「…いや、ただ…気付いてしまって、な」
「え~?何、何~?勿体ぶらずに教えてよ~!」
「…俺達は、文字が…読めない」
盛り上がりかけた場がしん、となったのは言うまでもない。