第一章 ~『父親の土下座』~
「すまない、アンナ」
婚約破棄から数日後。青ざめた顔で屋敷に帰ってきた父親のルドルフに土下座される。震えた声には彼女への申し訳なさが滲んでいた。
「我が家の家計が危機的な状況となった。このままでは家族全員が路頭に迷う」
「あ、ありえません! 私達は莫大な慰謝料を手に入れたはずです!」
男爵家から婚約破棄の慰謝料として大金が支払われるはずだ。だが彼は首を横にふる。
「実はな、男爵家は破産したのだ。さらにグレシャムの両親は夜逃げして行方知れずとなっている」
「グレシャム様本人はどうなのですか?」
「婿養子に入ったそうだ。本人はもう実家と関係ないと主張している。慰謝料の支払い契約も男爵家相手に結んだものだからな。実質的に無効となってしまった」
「彼を舐めすぎていましたね……」
グレシャムは実家が破産することを見越して、婚約破棄したのだ。この世界では美形として扱われている彼ならばすぐに婚姻相手は見つかる。自分の魅力を踏まえた戦略に、してやられたのである。
「慰謝料については理解できました。ですが、まだ分からないことがあります。我が家の家計はどうしてピンチになったのですか?」
男爵家が夜逃げしたからといって、婚約者のアンナの家とは関係のない話だ。どこに繋がりがあるのかと問うと、父は申し訳無さそうに体を震わせる。
「実は、男爵家の連帯保証人になっていたのだ」
「ど、どうして、そんな馬鹿な真似を⁉」
「それは……アンナに幸せになってほしかったからだ。グレシャムは美男子だ。彼との婚約を得るために、連帯保証の契約を結ぶしかなかったのだ」
きっと娘が喜ぶはずだと信じて、婚約者にグレシャムを用意した。だが需要の高い男性との婚約を得るには、それ相応の対価がいる。彼は娘の幸せを優先し、危険だと分かっていながら、連帯保証にサインしたのだ。
「この状況を脱する方法は唯一つ。縁談しかない」
「私がお金持ちと結婚すればよいのですね?」
「すまない……」
「頭を上げてください、お父様。元はと言えば、私の幸せを考えてくれての行動ですから。私は大切な家族を守るためなら、どんな相手とでも結婚しますよ」
本心では好みに合致する男性との婚姻を望んでいたが、我儘を言える状況でもない。家族に恵まれてきたからこそ、身を捧げることに迷いはなかった。
せめて少しでも良い相手と縁談できますようにと、心のなかで祈りを捧げるのだった。