偶然苗字が一緒の勅使河原くんと勅使河原さんは社内でおしどり夫婦と揶揄われている
【偶然苗字が一緒の勅使河原くんと勅使河原さんは校内でおしどり夫婦と揶揄われている】と【偶然苗字が一緒の勅使河原くんと勅使河原さんは大学内でおしどり夫婦と揶揄われている】の続編です。これで終わりです。
ピピピピピピ。
朝6時半、スマホの目覚ましアラームが寝室内に鳴り響く。
俺・勅使河原宗輔は半分眠った状態で、スマホのアラームを止めた。
「ん〜、あと5分……」
そんなベタな寝言を呟いてから再び夢の世界へ旅立とうとしていると、ベシッと隣から頬を叩かれる。
嫌々目を開けると、すぐそばに勅使河原友里の顔があった。
「早く起きなさい。遅刻するわよ」
「……5分くらい良いじゃんかよ」
「そう言って、昨日は1時間以上も寝ていたでしょうに。あなたの5分は5分じゃ済まないんだから、駄々こねてないで起きなさい」
友里は掛け布団を引っぺがす。それでも俺は、頑として起き上がろうとしなかった。
「……おはようのチューは?」
「まったく、しょうがないわね」
友里の顔が、近づいてくる。
え? 冗談で言ったつもりなのに、本当にキスしてくれるの? キス出来るのなら、嬉しいことはないけど!
俺は目を閉じて、自身の唇が友里の唇と重なるのを待つ。
朝からキスが出来るなんて、今日は素敵な一日になりそうだ。そう思っていると……
「寝惚けたこと言ってないで、とっとと起きなさい」
「いてててて!」
鼻を思いっきり引っ張られた。
友里さんや、それはチューではなくギューですよ。
俺と友里は、かつて偶然苗字が同じのお隣さんだった。
二人とも勅使河原姓であり、同じマンションに住んでいたので、同級生たちからよく「おしどり夫婦」と揶揄われたっけ。
しかしある日を境に、俺は友里に恋心を抱くようになっていた。
高校の頃に一度だけ告白まがいのことをしたことはあったけど、その時はあくまで互いの気持ちを確認しただけで、交際には至らなかった。
お隣さん以上恋人未満。そんな俺たちの煮え切らない関係性が変わったのは、大学3年の春のことだった。
俺たちはちょっとしたすれ違いをして、喧嘩をして……仲直りすると同時に付き合い始めた。
そして現在。26歳となり、社会人として自立した俺たちは、同棲をしている。
家でも会社でも一緒にいられる今の生活を、俺は結構気に入っていた。
同じ苗字で、同じアパートの同じ部屋に住んでいる。だけど俺たちは、夫婦じゃない。
俺たちの関係は、今のところ恋人同士だ。
◇
多忙な業務もひと段落し、俺と友里が帰宅すると、家の中に誰かがいる気配を感じ取った。
俺たちの愛の巣に侵入するなんて、一体何者だ?
「……泥棒か?」
「いいえ。きっと泥棒よりタチの悪い子よ」
そう言って、友里はドアを開ける。
リビングに向かうと、そこには――
「おかえりー」
友里の妹である光莉が、ソファーで寝転びながらくつろいでいた。
「光莉、また来たの?」
「嫌そうな顔しないでよ、お姉ちゃん。お父さんもお母さんも徹夜なんだから、仕方ないじゃん」
光莉は現在小学四年生。誰もいない自宅に一人で留守番させるのは心配だということで、彼女の両親が徹夜で仕事の時はこうして我が家で預かることになっている。
頻度は月に2、3回程度。まぁそれ以外の日も、「小学校に近いから」という理由で度々泊まっているわけだけど。
友里は勝手に家に上がり込む光莉に口では文句を言っているが、内心頼って貰えて嬉しい筈だ。
昔から、友里は光莉が大好きだったからな。勿論俺だって、実の妹のように可愛がっている。
「まったく、来るなら前もって連絡くらい寄越しなさいよ。あなたの分の夜ご飯、ないわよ?」
「えー! 夜ご飯食べないと、餓死しちゃうよ! それは虐待ってやつだよ!」
「……そんな言葉、一体どこで覚えてくるのよ?」
昨今情報なんてどこからでも手に入るからな。それにこれくらいの年の子は純粋だから、何でもかんでもすぐに吸収してしまう。
……だからってお兄ちゃんと一緒にお風呂に入るのを、「セクハラ」って言うのはやめてよね?
「わかったわよ。光莉の分の夕食も、用意するから」
「やった! 私、ハンバーグが良い!」
「この期に及んで注文してくるとは……わがままなところは小さい頃から治っていないわね」
寧ろ知恵がついた分、余計に手がつけられなくなっていると思う。
「ハンバーグを作るには、挽き肉が足りないわね。どうせ明日の朝の食材も足りないことだし……よし! 光莉、スーパーに行くわよ!」
「オッケー!」
買い物に行く支度を始める友里と光莉に、俺は軽く手を振る。
「いってらっしゃーい。気をつけるんだぞー」
「……何言ってるの? あなたも行くのよ、荷物持ち」
……ですよねー。
◇
スーパーでは挽き肉と明日の朝食の材料だけを買うつもりだった。……だけどまぁ、つい余計なものが欲しくなっちゃうのは、人間の性だよな?
光莉はお菓子を、俺はおつまみをさり気なくカゴの中に入れる。
そして会計直前にそれが発覚し、友里に「戻してきなさい!」と怒られるのだ。
スーパーで買い物を済ませた帰り道、俺たちは偶然部長と出会した。
「おっ! 勅使河原に勅使河原じゃないか」
「あっ、部長」
「こんばんは」
社外であっても、上司への挨拶は忘れない。社会人の常識だ。
部長は買い物帰りの俺たちを見ては、なぜか感心するように何度も頷く。
「流石は我が社きってのおしどり夫婦。一緒に買い物とは、仲が良いことだ」
「俺は単なる荷物持ちですけどね。あと、夫婦じゃないです」
おしどり夫婦扱いは、大人になった今でも健在だった。
「荷物持ちでも、冷め切った夫婦は二人で買い物になんて行かないさ。……って、あれ?」
そこで部長はようやく、俺たちが「二人で」買い物に来たわけでないことに気がつく。
お菓子(駄々をこねて買ってもらったやつだ)を食べている光莉を見ながら、部長は首を傾げた。
「お前たち、いつの間に子供をこしらえていたんだよ?」
俺たちはまだ26だぞ? こんなデケェ子供がいるか。
しかしこの手の質問は最早慣れっこなので、友里はすぐに否定した。
「子供じゃありません。妹です」
「妹? ……そういえば身上書に、妹がいるって書いてあったな。それがこの子というわけか」
部長が光莉に「こんばんは」と挨拶をする。
「ほら、光莉。あなたも挨拶をしなさい」
「うん! ……部長さん、こんばんは。いつもお姉ちゃんと宗輔お兄ちゃんがお世話になっています。不束者ですが、今後ともよろしくお願いします」
いや、だからそういう言葉をどこで覚えてくるんだよ? 少なくともこのタイミングで言うセリフじゃねーし。
しかし初めて会う年長者に対する態度としては、及第点だ。部長も「よく出来た妹さんじゃないか」と光莉を絶賛していた。
「きっとこんな良い子に育っているのは、君たち二人がよく面倒を見ているからだろうね。自慢の妹さんだろう?」
「友里にとっては、そうですね。でも光莉は俺の妹じゃないんで」
「そうだったな。……家族水入らずをこれ以上邪魔するは気が引けるし、私はここで退散するとしよう。それでは、また明日」
そう言い残して、部長は去って行く。
部長の姿が見えなくなったところで、光莉がふと俺に問いかけてきた。
「ねぇ、宗輔お兄ちゃん」
「何だ?」
「お兄ちゃんはいつになったら、本当のお義兄ちゃんになってくれるの?」
……本当、子供というのは純粋だ。こっちの悩みなんてお構いなしに、自分の思ったことを口にしてくるのだから。
◇
翌日の昼休み。
俺は同期の男性社員と一緒に、食堂に来ていた。
「あれ? 今日は愛妻弁当じゃないの?」
「たまには友里にも楽をさせてやらないとな。あと、妻じゃねぇ」
同じ勅使河原姓なので、社内では未だに夫婦だと勘違いされることもあるが、こいつの場合は違う。こいつは俺と友里が夫婦でないことを知っている。
だからこれは、いつもの揶揄いだった。
俺はラーメンを、同期はオムライスを注文し、二人用のテーブルに着く。
「いただきます」をしたところで、同期は友里の話を蒸し返してきた。
「冗談は抜きにしてさ、宗輔は勅使河原さんと結婚するつもりないの?」
「結婚って……流石にそれは早いだろ? 一緒に暮らせているだけで、今は満足だよ」
「随分余裕なんだね。でもそんな悠長なこと言ってると、誰かに取られちゃうよ?」
「取られるって、誰に?」
「そうだねぇ……例えば営業の佐藤とか」
営業の佐藤……噂だと社内一のイケメンと言われている男性社員だ。
特定の相手はいないと言っていたが……まさか友里に気があるのか?
「いくら何でも、佐藤が友里狙いなわけないだろ? あいつなら、もっと良い女狙えるって」
「何言っているんだい? 勅使河原さんって客観的に見て凄い美人だし、仕事も出来るし、間違いなく良い女の部類に入るよ。……実は佐藤が勅使河原さんを口説いてるところ、前に見たことがある」
「……マジでか?」
「マジ」
友里のやつ、そんなこと一言も言っていなかったぞ? もしかして……俺に隠れて、佐藤と密会していたりするのか!?
「安心して良いよ。勅使河原さん、「彼氏いるから」って佐藤の誘いを断ってたし」
「……そうか」
友里が浮気していないと聞き、俺は胸を撫で下ろす。
そうだよな。友里に限って、浮気なんてあり得ないよな。
しかし同期はそんな俺の不安を、ここぞとばかりに増長してくる。
「だけど宗輔、安心しちゃダメだよ。佐藤以外にも勅使河原さんに好意を寄せている男はいるだろうし、君が彼女の恋人であり続ける限り、彼女に言い寄る男はいなくならない。恋人じゃダメなんだ。恋人じゃ、足りないんだよ」
恋人では足りない。俺は友里にとって、それ以上の存在になる必要がある。
恋人以上の存在なんて……俺には一つしか思い浮かばなかった。
「おしどり夫婦って言われて揶揄われているけど、そろそろその揶揄いを現実にしても良いんじゃないかな?」
同期の言葉を聞いて、俺は昨晩光莉に言われたことを思い出す。
――お兄ちゃんはいつになったら、本当のお義兄ちゃんになってくれるの?
俺のことをよく知っている光莉と同期が、揃って同じことを口にした。そうなると、恐らくだけど俺のことを一番理解している女性も、同じことを考えているに違いない。
それでも彼女がそれを口にしないのは、俺の方から言ってくるのを待っているから。恋する乙女として、プロポーズは男性からして欲しいと思っているのだ。
俺は同期の左手を見る。既婚者の彼の薬指には、指輪がはめられていた。
「なぁ」
「ん? 何だい?」
「指輪って、どこで買えば良いと思う?」
◇
その日は定時上がりしたにもかかわらず、友里に『帰りが遅くなる』と連絡した。
友里は飲み会だと考えたらしく、『ご飯いらない?』と聞いてくる。
……飲み会だと誤解させて、サプライズでプロポーズするのなんて良いんじゃないか?
そんな悪戯心を抱いた俺は、『要らない』と嘘をついた。
同期に勧められたジュエリーショップで指輪を買った俺は、プロポーズした時の友里の反応を想像しながら帰路に着く。
口を開けて驚くかな? 顔を真っ赤にして照れるかな? それとも……歓喜のあまり、泣いちゃったりして。
俺は1秒でも早く帰って、友里に気持ちを伝えたかった。
家に帰ると、友里が「おかえり」と出迎えてくれる。
「お風呂、沸いてるわよ。ベッドにダイブする前に、汗を流してきちゃってね」
「わかった。でも、その前に……」
ベッドで眠る前に、お風呂に入る前に、俺にはやらなければならないことがある。伝えなければならない言葉がある。
「友里、結婚してくれ」
俺はポケットから指輪を取り出す。
差し出された婚約指輪を見て、友里はポカンとなっていた。
そしてようやくプロポーズされたのだと理解して、顔を真っ赤にした。
「けっ、結婚!? あなた、いきなり何を言ってるのよ!?」
「いきなりじゃねーよ。前々から考えていたけど、その、伝えるタイミングがなかっただけで」
「だったら、どうして今なの!? 誕生日とかクリスマスとか、伝えるタイミングなんて他にもあるじゃない!?」
「それは……思い立ったが吉日っていうか」
嘘だ。本当は友里を誰にも取られたくないという独占欲に駆られたからである。
でも、そんな小っ恥ずかしいことは言わない。今からは……それ以上に恥ずかしいセリフを口にするつもりだ。
「こういう時「俺と同じ苗字になって下さい」とか言うべきなんだろうけど、俺もお前も勅使河原で、元々同じ苗字だしな。そのせいで昔から「おしどり夫婦」だのと揶揄われていたけれど……その揶揄いも、今はそんなに悪くないっていうか。寧ろ本当にしてしまえっていうか」
「……長い。プロポーズの言葉くらい、ビシッと一言でまとめて」
「……わかったよ」
仕切り直す意味も込めて、俺はその場で立膝になる。
そして改めて友里に婚約指輪を差し出した。
「これからもずっと、俺と同じ苗字でい続けて下さい」
昔も今も、そしてこの先も。彼女はいつまでも勅使河原友里だ。それ以外の苗字なんて、絶対に認めない。
俺のプロポーズに対する、友里の答えはというと――
「……はい」
目尻に涙を浮かべながら、ゆっくりと頷く。
もし明日二人で出勤して、会社の同僚たちに「おしどり夫婦」と揶揄われたら、「はい、そうです」と返すことにしよう。
明日だけでなく、これから先、ずっと――。