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女子語り  作者: 八瀬研
1/1

第一話 将来の夢


「いて座のあなた」


 スマホを片手に鳥越千夏はにやにやとした顔をあげる。


「……?」


 ポテトを片手に清水綾香は不思議そうに首をかしげた。


「第5位!」

「びみょー」

「自分らしさが受け入れられます。今まで周りにに合わせていたことも、自分の個性ややり方にこだわればそれが受け入れられて、成功のきっかけになるかも」

「自分らしさ…、まあ、確かに」


 清水はしばらく考えては、納得したようにうんうんと頷いた。


「ラッキーアイテムは花柄のしおり! えーと、読んでいる本や勉強しているテキストに挟みましょう」

「え、誰か花柄のしおり持ってる?」


 学校最寄りのショッピングモールの、いつでも人の多いマク〇ナルドの店内、ボックス席に座る四人の女子高校生がいた。清水は他の三人を見回す。


「持ってなぁい!」


 鳥越は元気よく言い切り、


「あたしもない」


 自分の鞄の中身を見た有村咲は清水の手からポテトを取って、


「そんなピンポイントで今持ってたら奇跡じゃんはっはっはっは!」


 山田夢子は笑い飛ばした。


「やはり私達には奇跡は起こせないというのか…」


 清水はうなだれながらフライドポテトを口へ運ぶ。


「恋愛運はまあまあだけど、一番親しい人とは気持ちが通じあって愛が深まるってぇ! メールとかじゃなく直接話したら愛が伝わるんだって!」

「へ、へえー」


 清水は困ったように相槌を打つと、突然有村がばんと机に手を置いて立ち上がった。


「そ、その反応、もしかしているの⁉」


 清水はそのオーバーな反応に肩を竦めた。


「親しい男子すらいないのが問題なんだって…」

「そ、そう、ならよかった」

「いたら裏切りだかんな!」


 有村は大人しく座り直し、鳥越はいきり立つ。清水はしみじみと呟く。


「早く裏切りたい」

「それでそれであたしの占いは?」


 今度は有村咲が興味を持つようになった。


「しし座のあなた」

「うん」

「第4位! いいアイデアに恵まれます、だって」

「え~、4位か。ま、綾香に勝ったからいいか」

「なんだと~」


 有村の挑発に清水はむっとほほを膨らませた。


「キッチンにカラフルなマスコットとかアクセサリーを置くと明るい気持ちになるって」

「いやもうそれ占いとか関係なくない?」


 有村は泰然とツッコミを入れる。


「で、恋愛運は、上手くいかないって」

「なんで!?」

「えっと、異性に対しては遠慮がちになりそう――」

「なんだそれならいっか」


 一瞬焦った有村だが、それだけ聞くと満足そうにシェイクに口をつけた。


「何が解決したの」

「なんでもない」


 清水に問われても知らんぷりをする。


「で、最後にゆめっちだけど、てんびん座は…」

「てんびん座は…?」


 山田夢子はごくりと唾を呑んだ。溜めに溜める鳥越とじっくり見つめ合うこと数秒、夢子は己の勝ちを確信した。



「第2位!」



「やっ! えっ! 今のは1位の溜めじゃん! 反応に困るよ⁉」


 もしくは最下位がよかった。いい順位なのは嬉しいけれど、なんとも言えない。


「思いがけない力を発揮できそう。パンにバター塗るときは三回に分けて塗るといいって」

「それ本当に2位のやつかよ⁉ うちは主食お米だし塗るとしたらいつもはマーガリンなんだよ! 綾香と咲の方が絶対いいじゃん!」

「あ、マーガリンってヤバいらしいよ。なんか工業製品とかで」


 清水が反応すると、山田は首を傾げた。


「えっ? 工業製品って何?」

「え、なんだろ…」


 清水が他2人に目を向けると、有村も鳥越も頭を横に振った。


「それで、千夏は占いどうだったの?」


 山田が話題を戻すと、鳥越はあっけらかんと答えた。


「千夏は6位、びりっけつ」

「見してよ」

「てか4、5、6位で固まってんじゃん」


 山田は隣の鳥越のスマホを覗きこんだ。


「集中力が欠けがち。これあんたじゃんはっはっは」

「千夏の集中力を続かせないこの世界が悪い」


 鳥越はふんっと偉そうに胸を張る。


「あ、世界を敵に回した」

「千夏らしいよ」

「世界ってはっはっは」


 清水がからかうように笑うと有村もやれやれと苦笑い。鳥越の発言がツボに入った山田は引き笑いを続けている。


 季節は7月、入学してから3ヶ月の女子高校生4人は高校生活には慣れたものだった。




「明日の体育クソだる~」

「あー、プールね」


 千夏は脱力して机の上に溶け、綾香は自分の腹を捻ると深刻そうに言った。


「ちょっと最近、太ったんだよね」

「大丈夫全然分かんない」


 咲に笑い飛ばされ、綾香はむっとする。


「あなたほんとデリカシーないんだから。水着着たら私は自分のお腹を直視出来なくなるんだよ!」

「てか高校生にもなってスク水ってどうなの。恥ずかしくて着れない~」


 伏したまま言う千夏に咲が答えた。


「いいじゃん、男子は授業別なんだし」


 すると千夏はガバッと起き上がり、かっと目を見開いた。


「そういう問題じゃないんだよおおおお! 普通に可愛いくないし、あんなのコスプレじゃん! なんなの校長の趣味なの!? 日本に数いる頭のいい人達が集まっておいてあんなクソださ水着強制するってもう日本は終わりだよ!」

 咲は呆気にとられ、綾香はなっとくしたように頷いた。


「ビックリした」

「校長の趣味って考えると、確かにキモい。まあ、うちの校長は女の人だけど」

「でしょ! もう私達ストライキしようよ! 制服とかそういうので人の自由を奪うのは時代遅れなんだよ!」

「え、ビキニ?」


 咲はポテトに手を伸ばすが既になくなっていたことに驚愕する。


「い、いやビキニはちょっと」

「ちょっとゆめ! 静かだと思ってたら何全部食べてるの!?」

「まっめもままむいめままま」

「なんて⁉」


 夢子はしばらくもぐもぐ口を動かしてから、ごくりと飲み込んで持参のマイボトルのお茶を飲んだ。


「ぷはっ。お腹すいてたから。あとみんな食べたら太っちゃうし」


 おちゃらけて誤魔化していると、千夏に水を向けられる。


「山田はスク水でいいの?」


 夢子の表情に影が射した。


「あー、うん。私は全然大丈夫。むしろスク水って可愛いなって思うし、うん」


 その挙動の不自然さに、他の3人は怪しんだ。


「泳げないから、私はスク水でも何でもいいんだ」

「今までそれでいじけてたの!?」


 咲には高校生になっても泳げなくて先生に気を遣われ、友達に笑われる気持ちなんて分からないだろう。水着や体型を気にするのはその次だ。というか千夏も綾香も咲も普通に可愛いし、別に太ってるわけじゃないし。


「あー、いいから続けて。どうせ私水泳はサボるし」

「やっぱサボるしかないよね」


 千夏は同意するが、咲と綾香は手を止めて驚いていた。二人とも真面目だから授業をサボったことはなかった。


「えっ、あんたそこまで深刻なの?」


 咲は心配して夢子の顔を覗き込んだ。


「体浮かないし、息できないし、唇は紫になるし、水泳なんて自殺と同じだよ」

「サボる理由はどうするの?」


 綾香も実現可能性を考える。


「風邪とか、怪我しちゃったとか、何でも使えるよ」


 千夏に関してはよく仮病を使うから皆慣れているが、夢子に関して言うとそうではない。咲は至極真剣に夢子に提案する。


「私達が付いてるから一緒にやろうよ。必修なのは1年だけだし、これを乗り越えればもう一生泳がなくていいんだから。私達も夢子と泳ぎたい」

「さ、さきちゃん…」

「私も、やっぱ夢子にはいてほしいな。一緒に頑張ろ?」

「あーちゃん…」


 感極まった夢子は決心した。


「分かった。二人がそんなに言ってくれるなら私やるよ! やってやんよ!」

「よく言ったその意気だ!」

「よっ、山田夢子!」


 ぱちぱちと手を叩く二人と、


「千夏は…?」


 置いてかれた千夏がいた。




「でもさ、やっぱ夏と言えば海とかプールみたいなところあるよね。今『ここキャン』のアニメでもプールイベントが来てて、先生に掃除させられるやつ、ベタだけど凄いキュンキュンする」

「ね、あんなの尊過ぎてずるいじゃん」


 咲は綾香に同意する。


「『ここキャン』?」


 夢子は聞いたことのない単語に首を傾げた。綾香と咲は声優を目指していて、アニメや漫画に詳しく、時々そういった話題を口にする。


「うん、漫画原作のラブコメアニメなんだけど、『心のキャンバス』っていうのが今季の覇権アニメなの。もうキュンッキュンするから」


 咲が説明する。


「そのさ、一応は少女漫画なんだけど、『ここキャン』はもう少年少女関係なく面白いの。今すっごい勢いで来てるんだから」

「じゃ今度漫画持ってきてよ」


 大きなあくびをしながら千夏が言った。


「それなら今度アニメの上映会しようよ。あたしネトフリ入ってるから」

「いいね。お泊まり会」

「泊まりでも…、まあ、いいか」


 綾香に勝手に決められても咲はNGを出さず、成り行きで泊まりにまで話が発展してゆく。


「賛成賛成! 千夏はいつでも暇!」

「夢は?」

「うん、すっごい楽しそう。私もいつでも暇だよ」

「じゃ今週末日曜日」

「おけい!」「大丈夫」「おっけーだよ」


 千夏も綾香も夢子も予定に問題なく、かくして泊まりのアニメ鑑賞会の決定が決まった。




「うわ、えろ…」


 綾香はスマホ画面を見て驚嘆した。それを覗いた咲は驚愕する。


「あんたなんてもん見てるの! こんなぼんきゅっぼんにはなれないんだから! やめなさいよ!」

「いいもんだ。私は将来はナイスバディになってモテまくるんだから」

「いや、まあ、なきにしもあらずだけど」


 綾香が小さな胸の前で腕を組み、咲は自分の成長している胸元と見比べてなんとも言い難い顔をする。


「買うならワンピースタイプの方がいいよ。スク水とか」

「千夏!」


 ちゃちゃを入れられ綾香はいきり立つ。胸の大きさでは千夏が一番大きい。


「はっはっは、でもこのタンキニって可愛いよ。タンクトップとビキニでタンキニだって初めて聞いた」


 夢子は露出の少ない着やすそうな水着を指さした。


「夢子~。夢子は仲間だ」

「ふざっけんな誰が仲間だよっ!」


 綾香は明らかに胸元を見て言っている。確かにまだ小さい上に、今後成長が見込めるものでもないからなおのことオーバーに反応してしまった。


「図星~!」


 千夏がきゃっきゃと笑う。


「図星じゃい!」

「認めるの早…」


 咲が驚いた。


「あ! 水着診断ある!」

「ほんと千夏それ系好きだよね」


 呆れつつ、綾香も『鳥越千夏』と入力された画面を見る。名前を入力して診断するという、全く根拠のないものだけれど、千夏はそういった類に浪漫を感じるたちだった。


「ビジュー付きビキニだって! いやー、やっぱり千夏はセクシー系かなあ!」

「うわ、えろ…」

「ビジューって何よ?」


 咲が問うと、誰も応えることはできなかった。


「てかあたしは?」

「有村は~、ドレッシーなワンピースタイプの水着だって」

「ドレッシーってこのひらひら?」

「多分そう」

「いや多分って…」


 千夏の『多分』という言葉で、咲は何かに気付いたようにはっとした。


「……あたしたちファッションのこと知らなすぎない?」


「「……」」


綾香も千夏も黙り込む。夢子は別段気にすることもなかったが咲は戦慄する。


「待って待って待ってヤバいってあたしたち。JKなんだからもっとお洒落した方がいいんじゃない…⁉ ファッション知らな過ぎるって⁉」


 綾香はぴしっと手を挙げた。


「待った。私ファッション用語言えます」


「何よ?」


「オーバーオール」


 ドヤ顔気味に答える。語感が気に入っているらしかった。


「意味は?」

「ほら、あの土管に入るおじさんが着てるやつ」

「マ〇オね! おじさん言うな消されるわよ」


 今度は千夏が手を挙げた。


「先生! 私も言えます!」

「何?」

「サロペット!」

「技巧派! 千夏って結構技巧派よね。『私オーバーオール言い換えられます』みたいな」

「え、どゆこと?」


 千夏は首を傾げた。


「あんたサロペットが何か分かんないで言ってたの⁉」

「なんとなく言ったけどさすが千夏天才!」


 千夏は嬉々としてガッツポーズを決める。初耳の綾香は知らなかったことを悔しがっていた。


「つなぎって言ったりもするけどね」


 咲が補足すると、


「この裏切り者! なんでそんなに詳しいの!」


 綾香はまさに裏切り者を見るように紛糾した。


「私達の幼稚園の頃からの絆を忘れたのか」

「あんたこの前雑誌貸したのに見てないの⁉」

「……え?」

「あー、あーはいはい出ました。あたしはずっとあんたのこと思ってるのにそうやってすぐ裏切ったとか言うんだから。せっかく貸してあげたのに」


 咲は当てつけのように不満をあらわにしてぷいとそっぽを向く。さすがの綾香も申し訳なく思ったのか、そっぽを向いた咲の体の向きを無理矢理戻す。


「いやだって、唯ちゃんのインタビュー記事目当てだったし」

「でも私ファッションのところ為になるって言いました。言ったでしょ?」

「……い、言いました」

「ほら!」

「や、や、待って、今日読もうと思ってたの」


 綾香は真剣な顔をして言ったが、咲を騙すことはできなかった。


「あんたその言い訳無理あるわよ⁉」

「じゃあもうはい、認めます。ごめんなさい。帰ったらすぐ読んで返します」

「ちょっと言い方があれだけど…、まあいいわ、許す。今度驕りね」

「ええっ⁉ なんって悪魔なのあんたは? 悪魔に魂売ったの?」

「やった奢りぃ!」


 また始まったなあと眺めていた千夏だが、奢りという言葉に反応した。


「千夏は駄目」

「けちい」


 綾香の冷静な否定に千夏は大人しく引き下がる。


「じゃあたしはいいの?」

「……まあ、いいよ。仕方なし」

「いよっし!」


 そして久々に夢子も反応した。


「私は?」

「もう夢子もおまけでいいよ」

「へっ⁉ よっしゃ!」

「なんで⁉ 千夏キレるよ⁉」


 ハイタッチをし合う咲と夢子の仲間になれず、絶叫する千夏の声も騒がしい店内に掻き消える。ポテトの上がった音が大きく鳴った。




 会話のちょうど区切られたところで、綾香が手帳型ケースのスマホをパタンと折り畳んだ。


「じゃ、そろそろあたしたちは養成所あるから」

「えー! さぼっちまえ」


 千夏が不満そうにブーイングするが、咲が先に立ち上がった。


「また明日ね」

「ちぇっ。じゃあな」

「夢子も明日」

「またね」


 咲に続いて綾香も席を立つ。


「ばいばい」

「「ばいば~い」」


 どうせ明日も今日のような一日を過ごす。明日になればすぐに会える。そう分かっていてもなお一抹の寂しさを感じつつ、夢子は二人に手を振った。


「二人が将来有名になったときに奢ってもらお」

「ちなちゃん…」


 夢子は千夏のがめつさに若干引きつつも、二人が有名になることを応援しているような口ぶりから千夏の優しさが感じられた。


(でも、二人ともかっこいいなあ。声優かあ)


「じゃあ千夏達はどうする? 二次会でカラオケ?」

「ううん。私もそろそろ帰らないとママが心配するから」


 時刻は既に十八時を回っている。門限はないけれど、あまり遅いと心配させてしまう。


「ちぇっ、じゃあ千夏も帰って絵描く」


 そして夢子も千夏も並んで店を出た。


「じゃな」

「うん、また明日」


 駅に向かった千夏とは反対の方向、駐輪場から自転車を引き出した夢子は家までの帰路についた。


 暦の上では夏だけれど、夢子は肌寒さを感じながら舗装された自転車用の道を下っていく。街頭と車のライトで大分明るい道だ。


 本当はもっと千夏と咲と綾香の三人と一緒にいたい。三人の賑やかなやり取りを近くで見ているのが楽しい。一緒に笑うと幸せな気持ちになるのだ。


 千夏は面白いことを見つけるのが得意だ。退屈が嫌いなくらい面白いことが好きで、常に泳いでいないと死んでしまうマグロのような友達だ。


(あれ、泳いでないと死ぬのってマグロだっけ?)


 出会った頃から突飛な行動が目立つ子で、まさかこんなに仲良くなるとは思わなかった。


 咲はコミュ力が高い。クラスの男女問わずみんなと仲が良く、クラスメイトどんな雑な振りでも巧みに笑いに変えることができる。人気者で高校では二回口説かれているのを夢子は目撃している。


(中学のころは十回だっけ?)


 そんなに告白されても誰とも付き合ってはいないらしい。その理由はなんとなく察している。


 綾香は天然だ。思慮深く大人びているけれど、所々天然なところが可愛い。そんな不思議な魅力に咲は惹かれているのかもしれない。


 そして綾香はかなりの努力家だ。なんと声優事務所に入所が決まり、もうすぐ小学生の頃から通っていた養成所を卒業するらしい。エキストラは既に何本かとっているとか。


 咲と綾香は幼稚園の頃から幼馴染だけれど、夢子と三人が出会ったのはつい三か月前だった。今となってはずっと前から友達だったのではないかと思うほど仲が良く、殆どの時間一緒にいる親友だった。


 別れても名残惜しく思い出すのはそんな三人のことだった。


(声優かあ)


 やがて街頭のないくらい道に入ると、夢子は小さな星々の瞬く空を見上げた。


 今日はたまたま、別れ際に咲と綾香が養成所に行くと言ったことが頭に残った。二人には夢がある。小さいころから憧れて、そのために努力をしてきた。千夏だって飄々としているけれど、絵を書いているのは漫画家になりたいだからだとか。


(私は、何になりたいんだろう…)


 ふと疑問に思った。確かにアニメも漫画も好きだし、ゲームも雑談も好きだけれどそれで将来自分がどうしたいだとか思うことはなかった。


 夢を持っている三人が少し羨ましい。


 ママは私に夢子なんて名前を付けたけれど、持っている夢といえばそのくらいで、どちらかといえば皮肉に感じられてしまう。


(ま、いっか。時間はいくらでもあるんだし)


 風を切っていた夢子はある一軒家の前で自転車から降りた。大きくも小さくもなく、外壁も綺麗でも汚くもない、住宅街に馴染んだよくある戸建ての家だ。庭に自転車を止めて、玄関のドアに手をかけた。


(あれ、開かない…)


 部屋の明かりもついていない。夢子は鞄からカギを取り出して家に入った。


「ただいまー」


 まだ誰も帰ってきていない。まずリビングの明かりをつけてから、適当に床に鞄を置いた夢子はポケットで振動したスマホのラインを確認した。


『仕事で帰るのが二十時になります。ごはんはつくれなさそうなので適当に食べてください』


「せめてもっと早く連絡くれれば千夏と食べたのにぃ…!」


 夢子は恨みがましく一人ごちた。今から千夏に連絡しようかとも思ったけれど、千夏の家の最寄り駅は距離があるから大変だろうと諦めて、手洗いとうがいを済ませた。


 ママはスーパーの店員として働いていて、時折こうして帰る時間が予定より遅くなる。ママが働いているのが自分のためだと知っているから文句はほどほどにしておくけれど。


「せめてもっと早く連絡してよね…!」


 テレビを付けると夕方の情報番組は都内のスイーツ店の特集を組んでいた。王道のフレンチトーストもアルミに包んだりやたら手の込んだ作り方がされていて、粉糖が白く雪のように積もるのを見ると夢子はよだれが垂れた。


「美味そ~!」


 東京に行きたい。いやまあ立川市は東京都内ではあるけれど23区とはやっぱり違う。今度三人を誘って遊びに行きたいなあとぼんやり思いながら、何か夕飯になりそうなものがないかと食卓のバスケットを覗き込んだ。


 さっきまでマックのポテトを食べていたけれど、夕方この時間になると自動的にお腹が減ってしまう。お母さんは「太った?」とか聞いてくる失礼な女だけど、成長期だから仕方ない。成長期だから。


 夢子は自分の成長期が過ぎてしまったことから目を逸らし、竹で編まれたバスケットの中に八枚切りの食パンを見つけた。


(フレンチトースト! は、無理か…)


 そんなのを作れるような女子力はないし、さっきテレビでやってたやつには遠く及ばないだろうから。


 しかし夢子は閃いた。


(……そうだ!)


 冷蔵庫を開けた夢子はマーガリンを取りそうになる手を止めバターを見つけると、パンをトースターに入れて五分にセット。


 一度閃いた夢子はうきうきだった。


 そしてそのままコーンスープの粉末を引き出しから取り出し、やかんでお湯を沸かす。食パンを食べるときに一緒にコーンスープを飲むのが習慣だった。


「ふんふんふふん」


 夢子は鼻歌まで歌いだす始末。


 今日千夏が話していた占いの、内容はよく覚えていないけれど、てんびん座は食パンにバターを塗って食べると何かいいことがあるんだとか。


 自分から好んで占いを見る方ではないけれどそういったファンタジーもある程度信じる方だ。二位だったんだからきっといいことがあるはず。


 それを思い出した夢子の顔には自然と笑みが浮かんでいた。


 月曜日の六時半、外は夜の帳が降りているけれど山田家の中は明るく照らされていた。やがてトースターがチンと小気味良い音を立てると、夢子は熱々のパンを手で掴んで皿の上に置く。


「よっしゃ!」


 食卓についた夢子はさくさくの食パンにバターを落とした。バターはとろりと溶けて食パンの上を滑った。


 夢子は不器用な手つきで、不器用なりに丁寧に塗った。


 わざわざ三回に分けて塗って、満面の笑みで食パンにかぶりついた。

作中に登場する固有名詞は実在する人物、団体とは一切関係がございません。

〇付けるの忘れてたら教えてください。

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