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 今日の箱の中身はナポリタンスパゲティーだった。ケチャップがまだらに付着して、ところどころ白い。部屋中に、プラスチック製のフォークで麺をくちゃくちゃとかき混ぜる音がする。あたしはそれが無性に気に障るので、そのまま口に放り込む。当然、味が薄い時も濃い時もある。そういうランダムな感じが嫌いじゃない。

 誰かと同じになるぐらいなら。


「ねえ、今日の授業の問題、理解した?」


 シナギが訊ねる。彼女は同い年で、ルームメイトというのもあり、いつも同じテーブルで食事を取る。彼女の洗練された手は、無音でスパゲティをかき混ぜていた。


「……ははっ」


イエスでもノーでもない返答をするのは、シナギがルームメイトであると同時に、ライバルでもあるから。

彼女がなぜそんなことを訊ねるのかは分かってる。自分がリードしている数学で追いつかれてはいないかを知りたいんだ。


「いつもそうやってごまかすのね」

 

 彼女はそう言って、フォークに巻いた、信じられないほど少量のパスタを口に運んだ。


「ごまかすって、じゃあシナギはどうなの? 今日の英語、ちゃんと聞いていたの?」

「そんなの聞いていないに決まっているじゃない」

「……ですよね」


 それはあたしも例外ではなかった。英語の授業のぺースが遅すぎるのだ。

あたしは大量の麺を口にほうばり、上を見た。白一色の天井にシーリングファンが回っている。そして周囲を見渡す。各々のテーブルで、くちゃくちゃと音を立てる八十人の子どもたち。馬鹿みたいに騒ぐ男子たちもいれば、他人の悪口や恋愛話に精を出す女子たちもいる。あたしたちのようにほとんど喋らないテーブルもある。

 共通しているのは、長方形の箱に詰められた同じ食事を取っている。食べるものに選択権はない。


「どうしたの?」


 シナギが言った。常に緊張しているような堅い口調。あたしの成績がさんざんだった頃はこんなじゃなかった。彼女はとても穏やかで、努力家で、何より親切だった。テスト前は勉強も教えてくれた。

 彼女との友情という一点においてだけは、あたしは勉強ができない方がよかったのかもしれない。


「いや……どんな食事でもさ、同じ箱で提供されると味気ないなと思って」

「味覚は視覚的な効果もあるから」


 彼女は突き放すように言った。うつむいた時に、ショートヘアが揺れる。小さなころから変わらない髪形。彼女は自分の生活の中で、不必要だと感じたものはばっさりと切り捨てるタイプだ。あたしには彼女の髪形が、そんな彼女の性格の象徴のようにも見える。

あたしは違う。髪を切るのはミタカに任せている。彼女は年上で、ファッションについて普段からすごく考えている面白い女性だ。にもかかわらず、先月の成績も十番台で、あたしたちよりも上位だ。


「視覚的な効果……か」

「何?」

「ううん、そういえばシナギは髪、自分で切ってるよね?」

「それがどうかしたの?」


 以前はあたしが切っていたのに、と言おうかどうか迷ったけれど、結局言わなかった。あたしとの関係性の変化が、実際に言動に伴って現れた、ただそれだけのことだ。そんなこと、わかってる。その上で伝えたところで、皮肉として伝わるだけだ。


 □□□


 昼食を終え、空っぽになった箱を並んだ順にダストボックスに投げ捨て、自動ドアを出た。扉の前に立つと、目上の位置で赤く光るセンサーが静かにあたしたちを認識し、滑らかな音を立てて扉をスライドさせる。その音があたしは何とも言えず好きだった。

 扉を出ると、シナギはあたしが小さく手を振って、一人で図書館の方へ向かって言った。「じゃあまた午後の授業で」とも言ってくれない。

 それでも、とあたしは思ったが、その後の言葉が思いつかなかった。スパゲッティのまずさも加わって嫌な気分。

他の子どもたちの最後尾から更に距離を取って、あたしはあるいた。目的地なんてない。ただシナギとは違う場所ならどこでもよかった。


 一階の食堂から階段に入る。白い階段に、白い壁。この建物は、どこもかしこも情報がなさすぎる。窓もなければ、非常口もない。ここから逃げ出そうと考える人があきらめざるを得ない、そんな設計なのかもしれない。

 気の向くままに四階へ。そこはプライベートルームと呼ばれている、学習用の個室空間。全部で四十ある、四メートル四方の個室は、防音用のぶあつい壁で隣と区切られ、中には学習用机とパソコン、ホワイトボード、そして監視カメラがある。


 こんな建物に子どもたちを放り込んだ人たちは、あたしたちに何を望んでいるのだろう。


 いつも入る部屋は決まっていた。入口から一番遠い、奥の40号室。

 でも今日は珍しく先客がいた。ドアノブの赤いカードに『閉』の文字。ということは、この中の人は、食事後に一直線にここに来たことになる。今までそんな子、いなかったのにな。

 仕方ないから他の部屋に入ろうか、それとも別の場所を散策しようかと考えていると、カシャンと40号室のロックが解除され、扉が開く。

 そこから現れた顔に、あたしは驚いた。


「……チセ、さん?」

「予想通り、来たか」


 彼は不愛想にそう言った。十七歳、八十名の中の最年長組の中で、成績は常に二番台。あたしとは頭の出来が違う。

 彼の第一声は、彼があたしを待っていたことを意味する。しかし、その理由が分からなかった。チセとはこれまで面識はほとんどないし、あたしたちが一方的に見上げるだけの存在だ。


「予想通りって、どういうことですか?」

「言葉通りの意味だよ、ウレル、君がここに来るだろうと予想して待っていたんだよ」

「予想って……あたし別に、毎日ここに来るわけじゃ」

「それは知っている。まあ、とにかく入ってくれないか。ここで話をすると色々こまった

状況を起こしかねないんでね」


 その言葉に、あたしは同意した。こんなところ誰かに見られたら、彼のファンが黙ってはいないだろう。ならば、さっさと個室に入った方が得策だ。


「コーヒーと紅茶どちらがいい?」

「ああ、自分で淹れます。それよりもあたしに何か用でしょうか?」


 質問の返答はすぐには来なかった。彼はシャツの一番上のボタンを閉め、一脚しかないソファチェアに腰かけ、パソコンの起動ボタンを押した。


「用があるかどうか、それを確かめるために来たんだ。今日のナポリタンはうまかったか?」

「まさか」

「そうか。やはりまずかったか。好きな食べ物は?」

「……ハンバーグ」

「ハンバーグか。ならあと二週間後の水曜日の夜まではまずい飯が続くわけだ」

「……そうなんですか」


 メニューには一定の周期があるのは知っていた。だけれど、どんな規則なのかは知らなかった。


「知らなかった、か。無知というのはありがたい」

「下々の人間を馬鹿にしに来たんなら、帰りますよ」

「馬鹿にしたわけじゃないさ。知らないからこその利もある。知っている人間がいくら知らない振りをしたって、何らかの不自然さは残るものだ」


 チセがパソコン画面を見ろと言った。そこに表示されていたのは、あたしたちの住むこの建物、“ホワイトスペース”の図面だった。


「昼食後に、君が向かう場所は全部で四カ所ある。自分の部屋、展示室、ニワトリの部屋、そしてこの個室……単純計算すれば、25パーセントの確率で、君はここに現れる」

「もしかして、ここに待ち伏せていたのは今日だけじゃない?」

「……どうだろうね。でも、そうだとしても勘違いしないでくれよ。僕は意中の相手をストーカーする趣味は持っていないさ。そんなの無意味だし、何より“地獄行き”の対象になる可能性があるんだから」

「……じゃあ、どんな訳で」

「まあ、それにはいくつか質問に答えてもらう必要がある」


 チセは常に自分のペースを保って、会話の主導権を握りたいようだった。その目的は分からないが、試されているこの感じは好きじゃない。


「何が聞きたいんですか?」

「ということは、話を聞いてくれる気になった?」

「いえ、答えるかどうかは次の質問を聞いてから決めることにしました」


 あたしの言葉にチセは意外そうにこちらを見た。下々の人間が自分に逆らうのが意外だったのかもしれない。


「……ウレル、君はなぜ午後になると、この場所に?」

「……一人になれるから、ですよ。でも明日からはここには来ないでしょうけどねっ」

「まだ出会って間もないのに、嫌われたものだ」


 わざとらしくお手上げ状態、の仕草。そうやって立ち上がり、ドアを開けた。

 話を聞け、の後は、もう帰れ、か。


「……仕方がない。といっても急いでいるわけではないんだ。むしろ、今回の件については象の歩みのように進むべきだと思っている」

「もう会わなくてもいいですよ……まあ勉強を教えてくれるのなら会いますけれど」

「ん、そうなのか?」


 その時、チセの雰囲気が少し変わった気がした。気がしただけかもしれない。なんだか今の一言には、初めて聞く新しいニュアンスのようなものが入り混じっていたような気がしたのだ。


「君は先月のテストは二八位だったね」

「そんなことまで暗記しているんですか?」

「ああ、覚えているよ。おそらく、僕はそういう質なんだ。ふとするとね、意味のないものを記憶したいと言う衝動にかられる。職殿シーリングファンの回転数の差から、この施設にある階段の段数まで、気が付いたら考えているんだ」

「あたしのプライベートもそうやって意味もなく記憶したって?」

「……まあ、想像に任せるさ」


 ドアから顔だけを外に出した。通路に誰もいないのを確認し、そそくさとその場を去る。去り際に、すこし監視カメラと目が合った。


「また話そう」

「……もう話すことはありません」

 

 と言っても、それはウソ、というか願いに近いものだった。近いうちに、またチセとは話をすることになる。そんな予感がしていた。


 □□□


 授業後、夕飯を終え、あとは消灯時間まで自由時間になる。

 あたしとシナギはいつも通り部屋にいた。

 ベッドとトイレ、シャワールーム、簡素な部屋の中で、お互いの机のスタンドライトだけが光っている。

 シナギはベッドを挟んで、あたしとは反対側。今日の復習と、明日の予習。優等生らしい夜の過ごし方を今日も変わらず続けている。

 一方で、あたしも机についてはいるが、今日のこともあって、勉強が進まないでいた。仕方ないので、なんとなく『生活の記録』の一ページ目を眺めていた。


 生徒の仕事


月末に実施されるテストをパスし、最も高い成績を得ること

高い知性と発想力を養うこと

   生徒同士、協力し、競争しあい、自らを高める努力を怠らないこと


 

「……協力し、か」


 その部分を鉛筆でぐるぐると囲んだ。ふと口から出たため息に、消しゴムのカスが移動する。

 両手の指の平同士を合わせ、付けたり離したりするのがあたしの癖だ。何年か前、ここではやった脳トレの一種で、今では誰もやる人はいなくなってしまったけれど、あたしはすっかり癖になり、今も暇なときには無意識にやっている。


「一番になんて、いつなれるんだろ……」

「馬鹿ね」


 独り言のつもりだったが、シナギから返答があった。あたしのやる気のない空気に苛立っていたのか、少し刺々しかった。


「人は自分が望む以上の人間にはなれないわ。いつか、なんて言っていたら、一生なれない」

「じゃあシナギは、いつもトップになるつもりでテストを受けているの?」

「言うまでもないわ。あなたは違うの?」

「……あたしは」


 違う。あたしはシナギみたいな優等生じゃない。今でこそ、順位は二十番台になっているけれど、その間に意識したのはトップになることじゃない。


「追いつきたいって思ってた」


 その対象はもちろん、シノギだ。そんなこと彼女だってわかってるはずだ。


「じゃあ、もしあたしが一位を取って、ここからいなくなったらどうするの?」


 振り向くと、彼女があたしを見ていた。でも彼女のメガネが反射して、表情は読み取れない。


「どうする……んだろう。分からない」

「呆れた」

「呆れられたっていいよ。だって、今だって何のためにこんなことしているんだか、さっぱりわからないのに、今後のことなんて……」

「これ以上ないってくらいはっきりしているじゃない。大人は私達に成長を望んでいる。競争の中でがんばって勝ち抜いた人間を。それが大人ってことでしょ」

「でも、一位なんて全員なれるわけじゃない」

「そんなことはないわ。努力が足りないのよ。だって勉強なんて究極、覚えたもの勝ちなんだから。覚えるには時間と、最適な方法が必要。だったら、あとは進むだけ」

「でもさ……ねえ、シナギは一位になった生徒達はどこに行くと思う?」

「やめなさい」


 その口調は、まるで年上が未熟な子どもに教え諭すようだった。


「それは誰も分からないって分かり切ってる質問でしょ。どうして今さらそんなこと」

「答えが見付からないからって、その問題自体をなかったことにするのは違うと思う。それに……あたし、不思議でたまらない。ねえ、この世界の子どもは全員、あたしたちと同じような生活を送っているわけじゃない。社会の授業が本当なら、あたしたちにはお父さんとお母さんって家族がいて、その家族と一緒に過ごしながら、少しずつ大人になっていく……なのにあたしたちは」

「ウレル、いい加減にして」


 彼女は分厚い辞書を机に叩き付けた。ベッドを横切って、あたしの前に立つ。指で天井の監視カメラを指差した。


「あなたがここで何をしようと何を言おうと勝手にすればいい。ここから先、何年もここで暮らすつもりなら、止めない。でもだからって、私の邪魔をするのは止めて」

「……邪魔なんて」


 でも、彼女がそう感じているのなら、そうなのかもしれない。

 彼女がまっすぐな道を進んでいるのだとしたら、あたしの足跡は蛇行している。寄り道もするし、立ち止まったりもする。


 その日の、二人の会話はこれで終わった。あたしは二十二時の消灯の前に、先にベッドに入った。意識がなくなる前に、あたしは想像の中で部屋を抜け出し、プライベートルームに向かった。真っ暗な部屋の中で、40番の部屋の隙間から光が差している。そこにはチセが待ち構えている。そしてあたしにこう言うのだ。


「質問に答えて欲しい」


 馬鹿げた話だ。質問をしたいのはこっちの方だっていうのに。





 

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