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婚約者と乙女  作者: 千鶴
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騎士の後悔

 リーデシア=アルミアとアルフレッド=リグタードは幼馴染みの婚約者である。

 三歳の時、挨拶を兼ねた顔合わせで互いが互いに一目惚れした少年少女。人となりすら知らないその場でプロポーズし婚約を果たした二人は、仲睦まじく平和で幸福な日々を過ごしていた。そのためよくありがちな修羅場を経験したことはない。


 リーデシアの初恋はアルフレッドで、アルフレッドの初恋はリーデシア。リーデシアが生涯を捧げた相手はアルフレッドで、アルフレッドが生涯を誓った相手はリーデシア。

 初めて出逢った日からずっとお互いしか目に入らない二人。どちらも、心が摩耗するような擦れ違いや心が抉られるような異性の知り合いによる勘違いとは無縁であった。


 そんな仲睦まじい二人であるが、アルフレッドには後悔している記憶があった。

 それは二人が六歳の時。交流を深めるためにアルミア侯爵領の一部である避暑地に誘われ、共に過ごしていた日のことだった。



***



 アルフレッドは婚約者との初めての遠出に浮かれていた。

 普段はリーデシアがリグタード家の邸宅に招かれることが多かったが、今回は逆。アルフレッドがアルミア侯爵領別邸に招かれたのだ。


 リーデシアはリグタード家に招待される際、婚約者のために念入りに着飾られる。しかし今は自領の別荘ということもあり、いつもより控えめな服装だった。

 白いワンピース型のドレスは華美な装飾品をつけておらず、幼い可愛さを存分に演出している。肩甲骨ほどに伸びた栗色の髪は片側でゆるく結ばれ、小花の集まった髪飾りをつけていた。

 アルフレッドはあどけない少女の姿に愛しさを募らせる。一目惚れから三年経ったが、彼の愛は留まることを知らない。むしろ日を追うごとに想いは強まっていくばかりだった。


「リディ可愛い」

 思わず漏れた呟きに少年は慌てて口を押さえる。

 本当ならばもっと語彙を豊富に使って婚約者の魅力を伝えたかったのだ。それがいたって簡単な、しかも一言だけの感想になってしまい愕然とした。

 自分の気持ちを巧く言葉に変換できずうんうん唸るアルフレッドに、リーデシアは嬉しそうに笑いかける。

「ありがとう、アル。あなたに褒められるととっても嬉しいわ」

 素直で純粋な喜びをそのままに伝えてくるリーデシア。

 アルフレッドは思った。リディ世界一可愛い。言葉をもっと勉強しよう。リディの魅力を語り尽くせるまで語彙を学ぼう。そうだそうしよう。

 アルフレッドが天才と称される頭脳を持つことになるのは、これが原因であった。


 幼い二人は大人達から離れ、領地の端にある森まで遊びに行った。領地内には魔物避けの結界が張ってあるため、結界から外に出なければどこに行っても良いと許可を得ていたからだ。

 念のため護衛の騎士や使用人が数人着いていた。だが幼い子ども達は木の下を掻い潜ったり高い草原を駆け抜けたりして、護衛とはいつの間にかはぐれてしまう。


 そんな事気にもしていなかったアルフレッドは、愛しい婚約者との逢瀬に幸せ絶頂だった。何を話しても楽しいし、何も話さなくても幸せで、傍に居られることが幸福だった。


 しかし平穏な雰囲気は突如一変する。結界内に魔狼が現れたのだ。

 現れた魔狼は痩せ衰え、酷く衰弱していた。けれどその目は餓えた獣のそれであり、幼い子どもは格好の標的である。

 リーデシアを守るため前に出たアルフレッド。

 狙いを少年に定めた魔狼は、じりじりと距離を詰めていく。

 

 勝負は一瞬だった。

 地面を蹴り上げ、細い首を噛み千切ろうと大口を開け迫る魔狼。

 得意の氷魔法を鋭く練り上げ、刃の形を成し振り上げる少年。

 魔狼の牙は少年の額をかすめ、血を滴らせた。

 少年の刃は魔狼の胴体を切り裂き、血を噴き出させた。


 呆気ない終わり。魔狼の二つに分かれた胴体は地面に落ち、少年は自分と魔物の血で赤く染まった。

 婚約者を守ったつもりの少年は忘れていた。自分の後ろで、自分と同じ年の幼い少女が、すべてを見ていたことに。

 降り注ぐ鮮血と臓物を。恐れも躊躇いもなく魔物を切り裂いた自分を。

 一部始終を目の前で見せつけてしまったことに。


 正気付いて振り替えれば、少女は震えていた。血の気の引いた顔色は真っ青で、大きな瞳には涙が浮かんでいる。両手を胸の前で握り締め、唇を戦かせていた。

 アルフレッドも震え出す。嫌われたと思った。恐れられたのだと。愛しい人にとって、自分が恐怖の対象になってしまったのだと憂惧した。


 だが違った。リーデシアは大粒の涙を溢しながら、弾かれたようにアルフレッドに駆け寄る。

「アル! 血、血が! 血が出てる!」

 ドレスからハンカチーフを取り出して、アルフレッドの額を押さえる。

 実際にはかすめただけで大した怪我ではなく、血も僅にしか出ていない。返り血で随分重症に見えるが、アルフレッドに何も問題はなかった。

 しかし惨劇を目の当たりにしたリーデシアにとっては、非常に衝撃的な出来事だったのだ。

 それは拙い魔法を使用することに、躊躇いをなくすには充分であった。


 リーデシアの掌から光が放出される。暖かな魔力の波動が、アルフレッドの額の傷を塞いでいく。

 治癒魔法の行使。術者の大量の魔力と精神力を使用するそれは、専門外の者が無理に使用すると、術者の生命力まで奪いかねない魔法であった。

 魔法で細胞を活性化させ傷を癒しているのだが、そのままだと術を行使された側の肉体が疲弊し、生命力が削られてしまう。

 ただでさえ怪我を負い体力を消耗している患者の、体力を削って治療を行うなど本末転倒。

 それを防ぐために治療術師は魔法を改変し、術者の力を使うことで患者の疲弊を阻止したのだ。

 魔法が上達すれば生命力ではなく魔力と精神力の使用だけで済むのだが、少なくともまだ幼い少女の手に負える代物ではなかった。


 リーデシアの大きな瞳がゆっくりと閉じられていく。アルフレッドの額に触れていたハンカチが落ちた。力を失い倒れていく体。栗色の髪が宙を舞う。すべてがスローモーションだった。

 アルフレッドの目の前でリーデシアが倒れていく。意識を失う前に呟いた彼女の声は小さくて、しかし少年にはしっかりと届いていた。


「……怪我、治った?」


 答える前にくずおれた肢体を抱き留める。

 少年は自身の呼吸が浅くなっているのを自覚した。手足が震え、冷えていく。心臓は駆け足で鼓動している。

 抱き締めた彼女の体は、普段よりも冷たかった。


 急いで帰らなければと焦るのに、足が動かない。早くリーデシアをベッドで休ませなければいけないとわかっているのに、自分の体が言うことを聞かない。

 その数分後、はぐれていた護衛達が合流した。現場の調査をする組と子ども達を護衛する組に別れ、護衛組は幼い二人を抱え急ぎ屋敷に戻った。


 幸いにもリーデシアの生命力使用量はごくわずかであり、生命活動には何も影響を及ぼさない量であった。

 初めての魔力行使に精神と肉体が疲弊したのだろうと結論付け、医者の治療は終わった。


 アルフレッドの怪我はリーデシアのおかげで跡形もなく治っていた。血にまみれた衣服を脱ぎ体を洗う。

 すぐにでも婚約者の元へ駆け出そうとするアルフレッドを使用人総出で抑え、少女に血の匂いを突き付けるつもりかと注意する。意気消沈し大人しくなった少年。

 魔物を倒し婚約者を守ったことで、アルフレッドに危険についての咎めはなかった。


 後日調査にて結界のための魔道具が経年劣化し、耐久力が下がっていたことが判明する。魔狼が噛み砕いた形跡が残されていたため、空腹に耐えきれず魔道具を喰らったこと、それ故に結界が壊れてしまい侵入を許してしまったことが分かった。


 リーデシアにとっては初めて治癒魔法に成功し、愛しい婚約者の傷を癒せたのだ。この日は恐れるよりもむしろ誇らしく、自身の支えとして記憶している。

 アルフレッドが危険に晒されたことには恐怖したが、彼の強さを認識した日でもあった。


 しかしアルフレッドにとって、この日はトラウマだ。愛している婚約者を危険に晒しただけでなく、目の前で惨劇を見せつけた。

 さらに自分の未熟故に、リーデシアに治癒魔法を行使させた。

 挙げ句の果てには彼女が倒れる様に恐怖し、まだ安全ではないその場から動けなかったのだ。大失態だった。


 今回の件に後悔しかないアルフレッドは強さを求め、最終的に剣と魔法の技を共に修得する。

 王立騎士団副団長を務める「氷の騎士」は、この日があったから辿り着いた境地であった。

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