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虚構  作者: 光太朗
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「──君は、だれだね?」

 夜になれば光り輝く、翡翠の小麦亭。

 いまは暗いその一室で、ベッドに横たわる人物がいた。

 あごひげを蓄えたその男は、一糸まとわぬ上半身を起こし、唐突に開いた扉を見やる。そこにいたのはミーアだ。銀の髪と、青い瞳を持つ少女。暗闇と暗闇とを繋ぐ扉の前に、堂々と立っていた。

「ガダル=アルゲード、さん。話があるわ」

「話。いま、この状況で?」

 呆れたように男──ガダルが笑う。傍らのシーツが、小刻みに震えた。

「いいじゃない、カワイイお客様。アタシはかまわないわよ、ガダル」

「オレは少しかまうんだが」

 ガダルは眉を上げ、ベッド脇のローボードに放ってあった黒いコートをまとう。ベッドの女にキスを落とすと、革靴に足を通した。

「部屋を変えようか」

 ミーアは逆らわなかった。そのまま、暗い部屋の戸が閉められた。


 通されたのは、応接間だった。

 一階が酒場、二階が宿を兼ねた客室となっているようだ。三階は特別な客を招くためだろうか、廊下には茶の絨毯が敷き詰められ、扉の装飾も明らかにそうとわかる上等なものに変わっていた。

 そのうちの一室、応接と札の掲げられた部屋のソファに、ミーアは勧められるままに座った。四つの赤いソファ。涼しくなる季節を意識しているのか、ホーグル毛のソファカバーがかけられている。

 向かい側に、ガダル=アルゲードが腰を下ろした。ちゃんとした衣類を着る気もないらしく、黒のコート姿のままだ。

「わざわざ裏口から潜り込んできたのかね。用件は?」

 ガダルはそっと足を組んだ。あごひげを撫でるようにして身を屈め、ミーアの瞳を見つめる。

 喉はからからだったが、ミーアはありもしない生唾をむりやり飲み込んだ。喉が焼けそうだ。吹きだそうとする汗を押さえ込んでいるつもりもないが、まるで直立不動を命ぜられているかのように、細胞のすべてが固まってしまったかのようだ。

 それでも、ここまで来たのだ。

 逃げ帰る気もなかった。

「お金が欲しいの」

 息継ぎをしてしまってはくじけそうだった。ミーアは一息で告げた。

「金」

 一言、ガダルは返した。たっぷりと数秒をかけて、足を組み替える。

「……君のその無邪気な願いが、何を意味しているのか、知っているかね」

「わかってる。だから来た──ん、です。あたしは、どうしてもお金が欲しいの。そのためなら、どうなってもいい」

 ガダルは眉を上げた。その表情から感情は読みとれなかったが、少なくとも、ミーアに興味を持ったようだった。商品を見るような目で、その銀色の髪、青い瞳、白い肌を、一つ一つ物色する。

 ごくりと、もう一度、ミーアの喉が動いた。

 ガダルが立ち上がったのだ。

「上等な衣類を着ている。良い家柄のお嬢さんだろう。お金に困っているとも思えないが……ここへ来たこと、その度胸を考えれば、まったくのもの知らずというわけでもなさそうだ。──名は?」

「ミーア」

 名を聞いた瞬間、わずかに、ガダルの頬が動いた。

 だが、それだけだった。

ガダルの大きな、無骨な手が、ミーアの頬に触れた。もう一方の手は、その銀色の髪を撫ぜた。

「いいだろう」

 瞬間、ミーアは息を吸い込んだ。いままで動けなかったことが信じられないほどの機敏な動きで、右手を外套の中に差し入れる。そこにある固い柄を握りしめ、一気に引き抜く。

 しかし、刃がきらめくよりも早く、小さな手は抑えられた。ガダルは難なくダガーを奪い取り、見せびらかしでもするかのように、高く高く掲げてみせた。

「幼稚な」

 つぶやいて、嘲笑する。

 それでもミーアは引き下がらなかった。立ち上がり、懸命につまさきをのばす。両手をあげ、ただ一つの武器にすがろうとする。

「返せ!」

 その手は届かない。どうしても、届かない。

「いい覚悟だ。その覚悟で来たのなら、こちらとしても商品として利用しがいがある。ミーアといったね。君にとって最良の、買い手を探そう」 

「じゃあ、俺が買おうかな」

 ガダルとミーアの間の僅かな隙間に、鋭い衝撃が突き抜けた。

 ミーアの目では、何が起こったのか、すべての事象を捉えるのは不可能だった。ただ、驚愕の一瞬ののちには、すぐ目の前にいたはずのガダルの身体がソファに叩きつけられ、ミーアの身体は頼もしい腕に抱えられていた。

 ミーアは、腕の主を見上げた。見知った顔だ。レン、と名乗っただろうか。左腕にミーアを、右手には長い棒を携えている。その表情は、怒っているように見えた。

「──だれだ、どこから」

 腹部を押さえて咳をくり返し、苦痛に顔を歪めてガダルが目線を上げる。ミーアを抱えたままですっと腰を落とし、怜は目を細めた。

「名前はどうでもいいだろ。どこからってのは、そこの扉から。もっと知りたいなら、もちろん裏口からってことになるかな。ここの店に入るルートが、三件隣の廃墟の地下ってのはやりすぎだね、おじさん。どこの秘密組織だよって話」

「オレを殺す気か」

 じりじりと、ガダルは後方へ下がった。ソファの後ろの、奥の扉の前まで動く。

 怜は鼻先で笑った。

「なるほどね。おじさんが、殺される心当たりが満載だってことがよくわかった。──でも俺にその権限はないんでね。さっきの一撃でこの子を買いたいんだけど、足りない?」

 ガダルは眉を寄せた。ほとんどすぐに、結論が口から滑り出る。

「充分だ」

「おりこう」

 微笑んでみせて、怜はもう一撃を繰り出す。額の中央に棒を突きつけると、当たっていないにも関わらず、風圧でガダルの髪が舞い上がった。そのままずるずると、尻をつく。腰がくだけたのだろう。

 怜はミーアを抱えたまま、部屋を出た。扉を閉め、そのままずんずんと歩いていく。

「離せ! あたしはあいつを殺すんだ! まだ殺してない! あたしは死んだっていいんだ、かまわないんだから、離して──!」

 やっと我に返ったミーアが、腕のなかでじたばたともがく。怜はそちらを見ずに、冷ややかにいい捨てた。

「悪いけど、お兄さんはちょっと怒ってるよ」

 おどけた台詞ではあったが、本気の怒りが感じられた。ミーアは口を開いたが、空気だけを吸い込んで、結局はそのまま黙るしかなかった。


 アルゲード邸の正門を開け放ち、嫌がるミーアを抱える力は微塵も弱めず、怜はずかずかと邸内に上がり込んだ。ベルを鳴らすべきかを考えたのはほんの一瞬のことだ。

「何ごとだ」

 突然の来客に駆けつけてきたのが見慣れた相棒であったことに、思わず破顔する。しかも、エプロンと帽子のコックスタイル。あまりに似合いすぎていて、突っ込むことすら忘れそうだった。

「啓ちゃん、すっかり板についちゃって。もう料理人として職探したら。高給取りになるんじゃないの」

「貴様は誘拐魔に転職でもしたか。どういうつもりだ。同意の上で連れてきているようにも見えないが」

 莉啓の目が冷ややかに光る。そこでやっと気づいたかのように、怜はミーアを床に下ろした。それほど強い力で抱えていたつもりもなかったが、解放されたとたん、ミーアは平衡感覚を失ったようによろめいて、尻餅をついてしまう。莉啓の一層冷たさを増した視線が突き刺さり、怜は苦笑するしかなかった。

「や、これはどちらかというと人助けなんだけどな。ね、ミーアちゃん」

 笑って、ミーアの顔をのぞき込もうとする。しかし、無言で小さな手のひらが突き出された。これ以上寄るな、とでもいいたげだ。

「……人助けか」

「うわ、信じてないな。人助けだよ。余計なお世話だったんだろうけどさ。啓ちゃん、悪いけど、気分が落ち着く飲み物か何か。悠良ちゃんに作るぐらいのつもりで、どうぞよろしく」

「いいだろう」

 莉啓はさっと踵を返す。状況ぐらいは察してくれる相棒だ。おそらく、自分の分の飲み物はないだろうが──そんなことを思いながら、怜はミーアの手を引く。まさか、廊下で話し込むわけにもいかない。

「とりあえず事情を聞かせてよ。クレシアさんにばらすような真似はしないからさ」

 心にもないことをいった。クレシア、という名に反応したのか、ミーアはおとなしくうなずく。どの部屋に行くべきか逡巡し、怜は結局莉啓のあとを追った。調理場脇の小テーブルあたりが無難だろう。

 クレシアのことをママと呼ぶわりには、ミーアは屋敷の内部に精通している様子もなかった。不安そうに──観念した様子ではあったが──怜に連れられるままに歩を進めていく。たどりついた場所が調理場で、勧められたのが客用ではない木の椅子であると知ったとき、ミーアはやっと安心したように息を吐き出した。翡翠の小麦亭と同じ展開を危惧していたのだろう。

 まかない用か、それとも小休憩用なのか。落ち着いた長い時を過ごすにはあまりにも小さい丸テーブルに、莉啓はホットミルクを置いた。自分は調理台にもたれかかり、腕を組む。

 椅子が二脚あったので、怜はミーアの隣に腰をおろした。

 目の前に甘い香りを漂わせるホットミルクを差し出され、ミーアは警戒も遠慮もなく、かみつくようにカップに口をつけた。ここの料理人が火傷するほどの温度に設定するはずもなく、ミーアは一気にそれを飲み干す。音をたててテーブルに置き、乱暴に口元を拭った。

「ミーアちゃん、落ち着いた?」

 テーブルに両肘をつき、怜が問う。同時に、ごく自然に、背後の相棒に情報を伝えた。この少女が「ミーア」であったのかと、莉啓はかすかに眉を上げる。そういうことなら、誘拐まがいの行為もわからなくはない。

 ミーアは一瞬だけ怜を見て、それから目を逸らした。

「あたしは最初から落ち着いてんだ。最初から、そのつもりで行った。覚悟があったんだ」

「ガダル=アルゲードを殺す覚悟が?」

「そうだよ!」

 叫んだ拍子につばが飛ぶ。怜は器用にそれを避けた。

「なら、浅はかさを知ることだね。あれじゃ、身売りに行った世間知らずだよ。本当に殺したいなら、もっと周到になった方がいい」

「そんなこと!」

 テーブルを叩きつけ、ミーアが吠える。勢いのまま続けようとして、怜と莉啓との、真剣な眼差しに気づいた。一瞬気圧されたように眉を下げたが、それでも腹に力を入れて、続けた。

「そんなことは、どうだっていいんだ。売られるのならそれでもよかった。そんなことをしたら、アイツは実の娘を売り物にした最低な男だ。それならそれでよかった。それにあたしは、どうしても、どうしても──」

 声に涙が混じった。血が滲むほどに唇を噛みしめ、それでも足りないとばかりに、ミーアは両の拳を握りしめた。

「──アイツが許せないんだ。アイツがだめにした、なにもかもをだめにした。過去だけじゃない、いまだって、ぜんぶ、何もかもだ! だからあたしは、アイツを殺すんだ。何度だって殺すんだ。何度失敗したって、それでママが救われるなら、あたしは──!」

 ぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。

 怜はその背中をさすってやりながら、重要な問いを口にした。

「以前にも、ガダル=アルゲードを?」

「殺した! 殺したんだ! けどそれがだめで、うまくいかなくて、だからあたしは──!」

「悠良は」

 怜の問いに、莉啓は迅速に答えた。

「二階だ。急ごう」

「──じゃあ俺は、役者を揃えるかな」

怜は立ち上がり、床を蹴った。


   * 

 

「さあミーア、新しいお洋服よ」

 買ったばかりの衣装の数々を、ベッドに広げた。手入れする人間がいないので、皺一つないとはいいがたかったが、それでも丁寧に伸ばされたシーツの上に、そっと人形を横たえる。のぞき込むようにして、クレシアは人形の髪に触れた。

「どれがいいかしら。白が似合うわね。でも、こっちのリボンもかわいいわ」

 愛おしそうに目を細め、一つ一つあてがっていく。人形はぴくりとも動かないが、クレシアは会話さえしているかのようだった。

「あら、でもママは、赤だって好きよ。そんなこといわないで。ミーアはかわいいから、なんだって似合うわ。あなたの銀の髪は、どの色にも映えるのよ」

 最終的には、最初に手にしていた白の総レースに落ち着いたようだった。丁寧に丁寧に、強く触れてしまっては壊れてしまう宝物を扱うかのように、衣服を着せ替えていく。花嫁のそれを彷彿とさせる白いドレスを着せ終えると、小さな手袋に手を通した。髪飾りを結わえる。 

「よく似合うわ、ミーア」

 クレシアは人形を抱き上げ、白く固い頬に、口づけた。

 その様子を、部屋の片隅で、悠良はずっと見ていた。本当は、部屋の前を通り過ぎて、与えられている客室に引っ込むつもりだった。しかし、部屋の扉も閉めずに、ひとり話し始めてしまったクレシアから、目が離せなくなってしまったのだ。

 彼女は悠良の存在など、気にも留めていないようだった。

 ただ人形を見つめ、愛でていた。

「失礼な質問だとは思うのですが」

 その様子に、悠良はもう、聞かずにはいられなくなっていた。ミーアという名は、この町のものなら知っていてもおかしくない。有名な名だ。アルゲード家そのものがサリエルを代表する商家で、生まれた子がその跡取りとなるかもしれない以上、クレシアの出産には少なからず町の関心が寄せられていたのだ。

「あら、ユラさん。どうしたの」

 クレシアはふり返り、微笑んだ。その目は悠良を見ているようで、どこか遠くを見ているようでもあった。

 いざ聞き返されてしまっては、どう質問を投げたものか、悠良は逡巡してしまった。娘さんは亡くなられたのですよね──まさかそんなストレートな問いかけをするわけにもいかない。

「……その、お人形は。ミーアちゃんと、いうのですか?」

 結局、そんな問いに落ち着く。クレシアは目を瞬かせた。

「名前? そうね、そういうことになるのかしら。でも、この子はミーアじゃないのよ。ミーアはね、もっとかわいいの」

 澄んだ瞳で、小首をかしげるようにして、クレシアはくすぐったそうに笑う。

 その瞳に捉えられたように、悠良は動けなくなってしまった。

 この瞳を知っている。「仕事」をする上で、幾度となく、対峙してきた瞳。そこに映るものを何一つ疑わず、しかし本当の意味では何もかもを信じない、まっすぐな瞳。

 悠良は首を振った。

 このままでいいはずがなかった。

 このままでは、あまりにも、悲しい。

「あなたは、どうして」

 言葉が続かない。

 なんと尋ねればいいのだろう。

 あなたはどうして──

 見つめようとしないの。認めようとしないの。逃げているの。

 ここに、いるの。

「ミーアは死んだのよ」

 笑顔はそのままで、歌うように、クレシアは告げた。

「死んでしまったの。だからもう、ここにはいないの。これは偽物よ。ただのお人形。ミーアは生まれてきたけれど、幸せだったけれど、でもここにはいなかったの。本当は、いなかったの」

 クレシアは人形の頭部を握りしめた。

 細い腕を少しよじるだけで、その小さな頭は、ひどく容易に首から抜け落ちた。

 使い終わってしまった紙くずを放るように、ごく小さな挙動で、頭をベッドに投げる。銀の髪が遅れて降りて、青い瞳を隠したが、クレシアの目にはすでにその姿は映っていなかった。

「かわいそうなミーア」

 クレシアは、小さく小さくつぶやいた。

 その声は場にそぐわないほど落ち着いていて、涙がこぼれ落ちる様子はなかった。

「わたしはぜんぶ知っているの」

 もう一度、悠良を射抜く。意志のはっきりと宿った目で、固い声で、つぶやいた。

「知っているのよ、悠良さん。でも、怖いの。怖いのよ」

「では、この子は」

 第三者の声が割り込んだ。

 莉啓が、ミーアを支えるようにして、扉の前にいた。

 背中を押され、ミーアが一歩、前に出る。震える瞳で、クレシアを見上げている。

 その姿に、悠良は息を飲んだ。

 クレシアの愛でている人形の「ミーア」と、恐ろしく酷似していた。銀の髪、青い瞳。白く透き通る肌。

 ただ、そのすがるような瞳は、人形にはなかったものだ。

 空気を沈めるような落ち着いた声で、莉啓は続けた。

「この子は、あなたの娘ではないのですか」

「あら、ミーア」

 クレシアは、そっと膝を屈めた。ミーアを迎え入れようと、満面の笑みで、両手を広げる。

「ミーアじゃないの。久しぶりね、どうしていたの。ママ、とっても寂しかったのよ。かわいいミーア。かわいそうなミーア」

 ミーアの足先が、かすかに身じろぎする。それから助けを求めるような目を、一瞬だったが、莉啓に向けた。

「ママ」

 声が強ばる。

 一歩一歩と、クレシアが歩を進める。

 抱きしめられる瞬間に、ミーアは覚悟するように瞳を閉じた。ほぼ同時に、クレシアは小さな少女の身体を突き飛ばした。

「かわいそうなミーア! ここにも、なんてかわいそうなミーア。ばかな人。かわいそうなミーア。ああ、なんてかわいそうなの。あなたはなぜ、ここにいるの。なんのために、ここにいるの。幸せになるためじゃなかったの。幸せになるために、生まれてきたんじゃなかったの」

「あたしは、ミーアだよ、ママ」

 ミーアは訴えた。必死の言葉は涙に混じったが、それでも伝えたいことを形にして、ミーアは声を絞り出した。

「あたしだって、ミーアに生まれたかった。あたしを生んだのが誰かは知らないけど、どうせ捨てられたいらない子だけど──でもクレシアさんが、ママが、あたしを見つけてくれて、本当に嬉しかったんだ。住む場所をくれたとか、綺麗なお洋服をくれたとか、そういうことじゃなくて。生きてていいんだっていわれたみたいで、本当に、本当に嬉しかった。だからあたしは、ミーアになりたくて。ぜんぶを変えてしまいたくて。だからアイツを殺したのに、だからアイツを殺そうと──」

 殺そうと。

 ミーアは、目を見開いた。

 思い出してはいけない何かが、記憶の片隅で、重い頭をもたげていた。

 ああ、顔を上げないで。

 こっちを向かないで。

 あたしを見ないで。

 どうか、思い出させないで──

「ママはぜんぶ知ってるのよ」

 ひどく柔らかい言葉を、呪文のような甘い声で投げかけて、クレシアはふわりと微笑んだ。

 ミーアの涙を親指で拭い、頬を撫でる。笑みの形の瞳からは、涙が流れることなどないように思われたが、ミーアは知っていた。

 彼女は泣いているのだ。

 ずっとずっと、泣いているのだ。

「けれど、怖いの」



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