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虚構  作者: 光太朗
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 客間の丸テーブルに、緑鉱石の装飾が散りばめられた見事なティーセット。

 加工された赤い花びらをカップに浮かべ、柑橘茶を注ぐ。上品な甘い香りが漂った。

「珍しいわね」

 カップを手に取り、匂いを楽しみながら悠良がつぶやく。テーブルの脇に焼き菓子の盛られたトレイを置き、莉啓は微笑んだ。

「ガダル=アルゲードが東のラスカから取り寄せた、特別な茶らしい。王宮御用達という触れ込みだ。故郷を思い出す味だろう」

「そうね、お母様が好きそう。悪くないわ」

 ほんの少しを口に含み、悠良は満足そうにうなずく。その隣で、悠良の満足がそのまま三乗で自分の満足といわんばかりの満ちた顔で、莉啓も何やらうなずいている。

 その二人の眼前を、羽毛枕が飛んでいった。

 風でなびいた髪を、悠良は優雅に整える。莉啓は不機嫌さを隠そうともせずに、枕弾の発射口に目をやった。

「邪魔だ」

 一言。

 枕を投げつけた主である怜は、いま起きたばかりの乱れた頭をかきむしるようにして、優雅組を睨みつけた。

「邪魔ってなんだ! あのな、俺がひとりで働いてる間、おまえら何してたわけ? 王宮御用達の茶だ、あらおいしいわ、ってなんだそのやりとり! 避暑か! バカンスか! せめて他の部屋でやれよっ!」

 ほとんど泣きそうな声で叫ぶ。しかし、彼の熱い情熱は、そのまま二人を通過して、突き当たりの壁に吸収されてしまったようだった。何一つ跳ね返ってこない。

 ぶつぶつつぶやきながら、怜はベッドから足を下ろし、布製のブーツに足を突っ込んだ。手首に巻きつけてあった紐で、短い髪を素早くくくる。窓の外の太陽がまだ昇り切っていないことはわかっていたので、あえてそちらは見ないようにした。まったく寝足りない。

「朝食の時間になっても起きてこなかったから、わざわざここで、あなたが起きるのを待っていたのよ。何が不満なの?」

 意志の強い目をそっと細め、皮肉でも何でもなく、悠良が問う。

「貴様の仕事の首尾を聞かないことには、こちらも動けないだろう。帰ってきた早々に報告もなしで眠るとは、いい身分だな」

 淡々と、莉啓の追い打ち。

 怜は泣きそうになった。

「明るくなり始めるのと鳥が鳴き出すのはどっちが早いんだろう、とか、そういうことを考えたことがありますか。ないだろ。ないよな。俺が帰ってきたのはそういう時間だ! 爆睡中でもかまわず、起こせば良かったか?」

 卑屈な気分になりながらも、思いをぶつける。悠良は形のいい眉をひそめ、口元に手をやった。

「怜、あなた、朝帰りなの?」

「歓楽街に行ったきり、朝帰りか。百年早いな」

「ちがうだろ! せめて十年っていえよ! いやちがう、それもちがう!」

 冷ややかな目が怜を射抜く。この仕打ちはどうしたことだろう。毎度のことながら、三人の「仕事」の役割分担に不満を覚えずにはいられない──のだが、あまりに毎度のこと過ぎて、怜は九割九分諦めていた。長く長く、息を吐き出す。

「も、いいから……メシ……」

 なけなしの期待をこめて、絶望的な思いでつぶやく。いくら健気に働いたところで、怜の分の料理がしっかりと用意されていることなど希だ。

「起き抜けで食事か。相変わらず化け物だな。クレシアさんの許可を得て、ここに持ってきてある。できたてではないが、食べるか?」

 莉啓の言葉に、怜は目を見開いた。夢か、とまず思う。もしくは何かの罠か。

 悠良のためにしか包丁を振るわない莉啓が、怜の分の食事も用意し、なおかつ部屋まで持ってきているという。

 鳥肌が立った。

 感動のためか、恐怖のためかは判断が難しい。

 返事もできないでいたが、是ととったのだろう、莉啓は扉を開け、廊下に準備してあったらしい銀のトレイを運んできた。悠良の座る丸テーブルとは別の、四角いテーブルに無造作に並べる。事務的に終え、これ以上することはないとばかりに、悠良の隣に腰を下ろした。自分の分の柑橘茶を注ぐ。

「すげえ」

 大きすぎる感動は語彙の欠落を生んだ。しかしそれで、充分だった。

 怜の知る限り、莉啓のレパートリーのなかでも手の込んだ料理の数々。美しく盛られているとはいいがたいが、それでもしっかりと量が確保されている。

「いただきまーす!」

 無邪気な子どものように顔を輝かせ、怜はナイフとフォークを手に取った。

 その輝く姿が眩しくて、悠良はそっと目を逸らす。彼女は知っているのだ。昨夜の残りが、そのままごっそりここにやってきているという事実。

 それほど暑いわけでも、多湿というわけでもない。そう簡単に痛まないはず、きっと大丈夫に違いない──そういいきかせ、悠良はその事実を伝えないことにした。

 

 その方面の大会に出られそうなほどの勢いで、料理すべてをぺろりと平らげた怜は、早速昨日の「収穫」を話し始めた。

「ガダル=アルゲードについては、まあ、町の噂でちょっと聞いたとおり、人間的にはロクデナシだね。金になることはなんでもやるらしい。今回は情報屋ってのを利用してみたけど、それぜんぶ信じるなら、そりゃもうやりたい放題って感じ。ついでに、女癖も非常に悪いらしく、あちこちに愛人や隠し子がいるとか──まあ、もともと、クレシアさんとの結婚は金目当てで、若いころから愛人はそこらじゅう、ってことらしいけど」

「情報屋」

 悠良のための柑橘茶を新しく作りながら、莉啓がその一言に反応した。

「それは随分、楽をしたな」

「うええ、そこ突っ込むのかよ。事前に情報屋に頼んどくってのはよくやるだろ。有名人なら、利用できるものは利用した方が早いだろうよ」

 ぶつくさ文句をたれながら、怜は隙を見ていれたての柑橘茶をかっさらう。自分でやるほど飲みたいわけでもなかったが、少々気になっていたのだ。一気に飲み干して、空の皿の隙間に置く。

「なんだこれ、甘い」

 思わず漏れた感想に、莉啓の殺気を感じた。取り繕うよりも早く、悠良がすっと立ち上がり、怜の目の前のカップを取り返す。ごく自然な動作で、莉啓に差し出した。おかわり。

 莉啓は眉をひそめ、布巾で丁寧にカップを磨き始めた。

「もうちょっと具体的に聞きたいわ。お金になることはなんでもやる、っていうのは、たとえば、どんな?」

 悠然と足を組み、悠良が問いを投げる。そこ聞くの、と怜は苦笑した。あまり聞かせたい話ではない。

「店にまで行ってみたけど、結局本人と接触はできなかったし、確証はないという前提で──まあ、人身売買、だね。他には、珍しい眼球や髪、手や足なんかの、部分ごとのやりとり。表向きの交易よりも、こっちの方が儲けは大きいんじゃないかって話」

 悠良は、不快そうに眉根を寄せた。思うところはあるのだろうが、それが言葉になることはなかった。気遣うような目線を送りながら、莉啓が新しく入った茶を置く。

「他に収穫は」

 いつもの声で、淡々と、先を促した。

 少し考えるような素振りを見せ、怜はにんまりと笑う。話すべき、大きな収穫があった。

「ミーアっていう女の子に会った」

 怜の期待したとおり、悠良と莉啓の表情に、緊張が生まれた。

 ミーア。珍しい名前ではないが、偶然とも思えない。

「どういうこと?」

「向こうから話しかけてきたんだ。ママとどういう関係だ、ってね。ちょっと話した印象では、クレシア=アルゲードを慕っていて、ガダル=アルゲードは敵視してるみたいだった」

「馬鹿な」

 ごく短く、莉啓がつぶやいた。怜がうなずく。その感情は、まさに怜が抱いたものと同じだ。

「あとをつけてみたら、この屋敷からメインストリートを挟んで反対側の僻地、もうほとんど森のなかの、立派なお屋敷に入っていった。ここほどの規模ではないけどね。そっちには、今日、もう一回接触してみるつもり。ガダル=アルゲードの方は、啓ちゃんに任せてさ」

「それは困るわ」

 悠良が首を振った。

「ここにいられるのは、莉啓が料理人ということになっているからよ。あまり屋敷を空けるわけにはいかないでしょう」

「……むー、そうか。まあ、ここに世話になってれば、会うこともあるだろ、自分の家なんだし。そこんとこは果報は寝て待て、ってことで」

「果報、ね」

 そのあまりにもかけ離れた表現に、莉啓は薄く笑った。


   *


 町に出ようと思うのだが、一緒にどうか──部屋まで悠良を誘いに来たクレシアの言葉に首を横に振るはずもなく、悠良は同行を承諾。食材の買い出しを理由に、当然のように莉啓も同行を申し出た。

 朝のサリエル。市場が開き、看板が立ち並び、人々が行き交う。活気に満ちた町の姿だ。

「何を買われるんですか」

 クレシアと悠良が並んで歩き、莉啓がその一歩後ろを行く。誘いに来たわりには話題を提供する気もないらしいクレシアに、悠良が話しかけた。特に知りたい情報でもなかったが。

 淡い茶のロングカーディガンに身を包んだクレシアは、衣類そのものが自分を演出する一部であるかのように、裾を翻しながらゆったりと、悠良に向き直った。

「そうね。何を買おうかしら」

 しかし、帰ってきた言葉はそれだけだった。そのまま前を向き、静かな足取りで歩いていく。

 問いを重ねようとして、やめた。悠良は無言で、クレシアの隣にいることに専念した。あれこれ考えても仕方がない。

 バスケットを提げた貴婦人たちや、買い出しの少年少女が、右に左に通り過ぎていく。今日はこれがおいしいよ、じゃあそれをいただこうかしら──そんなあたりまえの会話が、まるで架空のできごとであるかのように、クレシアたち三人の頭上を行く。

 莉啓は、ふと、違和感を覚えた。

 そんなことあるはずがないのに、三人の姿だけが、他から見えていないかのようだった。

 うまく言葉にならない、得体の悪さ。もしかしたら、彼らの「仕事」の対象はいつも、こんな感覚でいるのかもしれない。

「そうだわ」

 不意に、クレシアが足を止めた。

「ミーアにお洋服を買っていこうかしら」

 何気なく発せられた言葉だったが、悠良と莉啓は思わずびくりと反応してしまった。

「お洋服、ですか?」

「そうよ。ユラさんも一緒に選んでくれるかしら。どうしても、似たようなものばかりになってしまうの、わたしが選んでばかりだと」

 にこやかに返され、ええ、と悠良は返事を口にする。もちろんかまわない。かまわないが、ミーアとは、いったいだれを指すのか。

 明確な目的を持ったからか、先ほどまでよりもよほど足早に、クレシアは歩みを進めていった。悠良と莉啓は、黙ってそれに続いていく。

 食材を扱う商店や、カフェの並ぶ通りをすぎると、雑貨や衣類の立ち並ぶ一角にたどりついた。迷うことなく、行き慣れた様子で、クレシアはそのうちの一軒に足を踏み入れた。

「いらっしゃい」

 店のなかで迎えたのは、ふんだんにレースの散りばめられたワンピースに身を包んだ、ひとりの老婆だった。白髪を飾る大きな赤いリボンは、年甲斐もないといってしまえばそれまでだが、それほど違和感があるというわけでもない。

 クレシア、悠良、と店に入っていき、あとに続こうとしたものの、莉啓は思わず立ち止まってしまった。

 躊躇させるだけの空気がそこにはあった。

 あまりにも少女趣味の店内。

 赤とピンクが色彩のほとんどを占めている。レースのカーテンが店中を飾り、そこかしこにぬいぐるみが飾られている。足を踏み入れずとも、花の甘い香りがあふれ出てきていた。

 逡巡したものの、莉啓は意を決して、足を踏み入れた。

 これも仕事だ。

「あらあらあら、いらっしゃい。綺麗なお嬢さんと……あら珍しい、綺麗なお兄さんね。クレシアったら、綺麗どころを二人も連れて、いいわねえ」

 老婆はカウンターから身を乗り出し、気乗りしない莉啓の表情を察してか、わざとらしく鼻先を近づけてきた。できるだけ気づかれないほどの所作で、莉啓は小さく身を引く。本当ならば、存在そのものを視界から消してしまって、決して近づきたくない類の店だ。

「いやだ、お買い物に来たのよ、見せびらかしに来たんじゃないわ。新作はできてる? ミーアのお洋服」

 莉啓を庇うつもりでもないだろうが、クレシアがそう促す。老婆は微笑んで、店の奥に姿を消してしまった。しばらくの後、両手に洋服を抱えて、満面の笑みで出てきた。

「クレシア、来るの久しぶりでしょう。たくさんできてるわよ」

「そうだったかしら」

 不思議そうにまばたきをして、クレシアが首を傾ける。カウンター越しに、老婆はクレシアの額をこづくような仕草をした。

「そうよ、この量ができるぐらいに久しぶりよ。ご無沙汰の間、どうしてたの。繁盛しているお店じゃないんだから、あたし、寂しかったわよう」

 そういって老婆が広げたのは、人形のための衣装だった。細かな装飾の施された、ドレスの数々。帽子や手袋など、小物の類を除いても、優に七着ある。

「どうしていたのかしら。よくわからないわ」

 老婆の問いに、クレシアはただ微笑んだ。ごまかす素振りもない。「作品」を一つ一つ手に取り、実に幸せそうに眺めていく。

 店内をぐるりと見わたして、特に興味を見出さなかった悠良は、人形の衣装に注目した。横から、失礼にならない程度に、のぞき込む。

「クレシアさんが、ミーアと呼んでいたお人形のお洋服ですか?」

 何も知らないふりをして、さらりと問う。一瞬、莉啓に緊張が走ったが、それにも我関せずを決め込んだ。このあたりのやりとりが怜に似てきたように思えて、莉啓は胸中で歯がみする。危険に自ら足を踏み入れるような行為は、やめてもらいたいのだが。

「そうなの、ミーアもね、ここのお店で買ったのよ。リケイさんには居心地が悪いかもしれないけど、いかにも女の子の好きそうなお店でしょう。時々こうやって、お洋服を作ってもらうのよ」

「かわいいお人形ですよね」

「でしょう。ミーアにそっくりなの、青い瞳がね」

 笑顔のなかでつぶやいた言葉の違和感に、クレシア自身は気づいていないようだった。どこか遠くに思いを馳せているかのように、うっとりと目を細めている。

 悠良がさらに質問を投げようとしたのに気づき、莉啓が慌てて割り込んだ。

「ミーア、というのは、人形の名では?」

 彼にしてみれば、迂闊な問いだ。しかし、クレシアは意に介した様子もなかった。

「娘よ。娘の名前。とてもとてもかわいくて、物わかりが良くてね。大好きな娘なの」

 そういいきられてしまっては、それ以上聞けなくなってしまった。

 そもそも、「ミーア」という名がだれを指すのか、彼らは知っているのだ。

 ミーア=アルゲード。幼くして亡くなったという、クレシアの一人娘。

「そういうことは、深く聞くもんじゃないわよ」

 老婆にもたしなめられ、二人は口を紡ぐしかなくなる。やはり、こういう情報戦はどう考えても向いていない。必要がなければ世間話などしそうにない、口べたな二人なのだ。

「これ、ぜんぶいただくわ。お代は、家のものがまた払いに来ると思うから」

 決して安い買い物でもないだろうが、クレシアは平然とそう告げた。一着一着を丁寧に薄紙で包みながら、老婆は思いついたように顔を上げる。

「クレシア、あなたのところのお屋敷、ずいぶん前から人払いしてるでしょうよ。ちょっと噂になってるわよ、だれも買い出しに来ないって。多少の暇ならありがたいんでしょうけどね、あんまり長期じゃあ、使用人らも食いっぱぐれちゃうわよ。雇い主として、そのあたり、考えてあげなくちゃあね」

「そうね」

 クレシアはただ一言、答えただけだった。出来上がったピンク色の包みを受け取り、それじゃあ、といい残して、店から出て行く。追うべきだと判断し、悠良は慌ててあとに続いた。

 残った莉啓が、そっと老婆に問うた。

「使用人に暇を出したのは、つい最近のことだとうかがったのですが──現在、臨時の料理人のようなことをしているので、気になって」

 とってつけたような理由になってしまったが、老婆は気にしていないようだった。そうだったの、と笑って、それから声をひそめた。

「変だな、とは思っているんだけどね。もう一ヶ月近く経つかしらね。生まれついてのお嬢様だから、クレシア、ひとりでやっていくのは大変だろうと思うのだけど」

 一ヶ月──それは、重要な言葉であるように思われた。

 礼を告げ、莉啓も店をあとにした。


   *


 アルゲード邸からメインストリートを越え、集落の向こうの農道も通り越し、隣町へ続くソレイユの森の入り口付近、ほとんど人の寄りつかない僻地に、その屋敷はあった。

 真新しい外観ではない。石造りの壁には植物が根付き、まるで最初から森の一部であったかのように、景色にとけ込んでいる。

 その屋敷の重い石扉を開け、白い外套を着た、銀髪の少女が顔を出した。夜のサリエルで、怜にミーアと名乗った少女だ。ミーアは周囲の目を気にするような素振りをしたが、もともと人気のない森のこと、すぐに目線を正面に戻し、足早に歩き出した。

 木の上から様子をうかがう、長い棒を携えた怜の姿には気づかないようだった。

「お、動いたねー」

 口笛を吹き、棒をくるりを回すと、怜は地面に降り立った。気配を消し、そっと、ミーアのあとを追った。


 町に出てしまえば、ミーアは人目など関係ないとばかりに、胸を張って歩いていった。心なしか速度も遅くなり、知り合いでもないであろう町の人に愛想を振りまきながら、進んでいく。以前話した印象とのあまりの違いに、怜は内心で舌を巻いた。十代半ばほどであろうが、すでに様々な表情を使い分けている。

 そのうちに、ミーアはするりと裏通りに入った。昼間の裏通りだ。開いている店もなく、閑散としている。夜のような活気はもちろんなく、不気味なほどに静まりかえっていた。

 人通りのない道を、脇目もふらず歩いていく。怜も後を追おうとして、立ち止まった。

 外套と銀の髪を揺らしていた後ろ姿が、唐突に消えてしまったのだ。

「うわ、しまった」

 怜は立ちすくむしかなかった。まさか、何の心得もない少女を見失うとは思わなかった。

考えたのは一瞬だ。あとを追う術もなく、かといってあてもなく捜しまわるようなことをするつもりもない。怜は唯一開いている宿にすべりこんだ。

「おばちゃん、ちょっと助けて!」

「おや、レン坊や。そんなにあたしに会いたかった?」

 カウンターの向こう側でニュースペーパーを広げていた女が、ゆっくりと顔を上げた。ゆったりとした黒いローブに身を包み、髪は高い位置で無造作にくくられている。着飾った様子もなく、化粧気もまったくないが、夜の町で肉体美を披露していたベギーに他ならない。情報屋のベギーだ。

「ミーアって名乗る女の子、知ってるだろ。銀色の髪の、かわいい子。こっちに来たかと思ったら、姿を消したんだ。どこに行ったか、教えて」

 ベギーは小さく眉を上げた。カウンターから身を乗り出している怜に、身を寄せる。

「ちょっと本気な姿もいいねえ、坊や。はやくダンディな紳士におなりよ」

「ベギー、俺、急いでるんだけど」

 ベギーは苦笑した。

「確証のあるいいかただったね、あたしが知ってるって。いまだけ名前を呼んだのは計算かい? ──いいだろう、あの子のことはあたしも心配だ。すぐに追いな。あの子が馬鹿なことする前にね」

 カウンターからメモをちぎり取ると、さらさらと記していく。地図のようだ。数秒で書き上げて、差し出した。

「どこに行ったの」

 受け取りながら、問う。ベギーは肩をすくめた。

「ガダルのところさ──たぶんね」



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