瞬きひとつで人を消すという話
フィクションです。と、わざわざ言います。
ねえどうしても許せない人種っていうの、いるよね? いない? それはセツさんがずいぶん人間ができているのよ。ホント、そう思うわ心から。うふふ。
私ね、誰にも話したことないけど、息子が山口のある家を相続しなければならなくて、いつまでもここに住んでいられないの、いずれは山口に帰らなければ。息子の義務教育が終わった頃には、ええ。平安時代の葛城氏、御存知ない? そう、残念。その頃からの家系なのよ、お寺の過去帳だけでもすごい量で。
どうしてすぐ帰らないのか? やっぱり親戚にはうるさい連中もいてね、母は後妻だったの、もちろん先妻はどうしようもないだらしない女で出自もね……それで母が迎え入れられて、でも何かと面白くない親戚も多かったらしくて、母の方がうっとうしく思って私を連れて出たの。それが後から戻って来い、戻って来いとうるさくって。祖父はもう亡くなったし、父というのもだらしない男だったので、早く亡くなってせいせいしたらしいけど。
言葉遣いが奇麗ですね、って? そうなの、私じしん、幼い頃から祖父に礼儀作法は叩きこまれたわ。よく言うでしょう? 背中に物差しを、とか、本当にそういう世界だったの。お箸の上げ下げから何から。それに漢文から古文から、日本の古典文学もずいぶん学ばされた……今となってはありがたいばかりですけれどね。
息子にはそれもあって、お花、お茶、ピアノにバイオリンを習わせているの、もちろん学習面でも、数学、英語、もちろん古文漢文も。先生から褒められたのよ、息子さんはすでに高校生並みの知識を持ち合わせています、って。もちろん家庭教師の先生から、ですけど。ここの学校の先生って、センセイと呼ぶにはあまりにもお粗末、というか本当に田舎のどうしようもない俗物ばかり。そう、この地域、本当に嫌な人、多いよね?
ごめんなさいね、あなたもここの地域の出身だよね。まあ、大学は出てらっしゃるし、そこまで毒されていないわよね、地域には。人文学部の英文科? あの大学では○○先生とか、御存知? え? 指導教官? 世の中狭いわよね、あの方は立派な方よね、先生としては少し頼りないけど……ええ、私も聴講生として一年、講義を受けたの。そうよ、私、早稲田はちょっと物足りなくて途中で止めて、あちこちふさわしい学校を探し歩いてね、結局、××先生の英文解釈が素晴らしい、と聞いてこの地元の大学に入ったの。だから同期ね。ふふふ。
まあ確かに田舎らしい、のんびりした大学だけどね。部分ぶぶんでは他の有名大学に負けない講座もあるのよ。御存知なかった? あら、残念ね。
息子にはとにかくもっと一流のものを与えたいわ、セツさんの娘さんもずいぶんお勉強できるよね? 息子はなぜか娘さんに学校でもお世話になっているらしくて。賢い子なんだけれども、のんびり屋さんなのよね、だから他の男子からも浮いているらしくて。娘さんが何度かかばって下さったみたいで、嬉しいわ。息子にはセツさんの娘さんみたいに賢い方を選びたいわ。もちろん、家柄もあるのでなかなか、難しいのだけれども。
この地域の連中、本当に腹が立つわ。特に町内会長、アイツの言い方がいつもケンカごしで、どなりつけるみたい。本当に下劣。品性がないし。それを回りの連中がそうだそうだ、って同調して。学校の父兄も馬鹿ばっかり、変なうわさばっかりして、気持ちわるい笑い方で、うちの息子が悪い、って先生にも言い付けたらしくて、何だか長い話に呼ばれてくどくどと。頭おかしいんじゃないの? そう? 娘さんかばって下さったようで、うれしいわ、先生は聞いてなかったみたいだけどね。
娘さんが優しいのも、セツさんのお人柄から来ているのよ。そう、優しいの。
でもね。
許せない人間というのは瞬きひとつで消えるのよね。ほら、こうやって。
それから彼女は私の目の前から消えた。
何年も経って噂も聞かなくなり、彼女は息子を連れてもう山口に帰ったのだろう、と思っていた頃、近所のスーパーでばったりと彼女と出くわした。
彼女は以前より少し短めの髪をふわりと肩におろし、どこか遠くに柔らかい頬笑みの視線を向けながら、当然のようにこちちに目を向けず、店内へと入っていった。
瞬きで相手が消せる、というのは案外簡単なことのようだ。