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二、あの子

 放課後の三階の音楽室、またはその前の廊下に行ってはいけない。この世じゃないどこかに迷い込むから。ピアノの音色が迷い込んだ合図、そのピアノを弾いているのは人間ではない。

 行ったら最後、神隠しに遭ってしまうという。過去に実際生徒が一人消えたそうだ。


 その噂を信じて私は音楽室に向かい、不思議な現象を体験した。


 時計を読み間違えただけかもしれない。それかあそこの時計が壊れているかだ。どっちかだと思うのだけど、私は時間を少し遡ってしまったのだ。


 音楽室の噂がウソだとわかったらすぐ帰るつもりだったけど、沙羅という女の子と出会ってついお喋りしてしまった。音楽室に向かったのは五時前だったが、出る頃には六時になってしまっていた。はずなのだが────


 全力疾走しながらスマホの時計を見るとなんと五時。街は夕闇に沈むどころか夕日で綺麗なオレンジ色ではないか。「17:07」と表示されたスマホの画面をしばらく凝視していたせいで、通りすがりの人に変な目で見られた。




 夜、ベッドに寝転がりながらぼんやりと考えた。

 あの音楽室は、そこでピアノを弾いていた女の子はなんだったの? と。


 女の子……沙羅は人間に見えた。だって足もあるし透けてない。それに石黒、通称オカルト腹黒の名を知っていたという事はやっぱり生徒であることは間違いない。


 連絡先を聞けばよかったと今更後悔する。

 でも、まあ明日腹黒に沙羅の名前を出せばきっと全部わかるはずだ。でも、もしあの音楽室がこの世じゃないどこかだったとしたら。


 ああ、もう眠れなくなりそうだ。死にたかったけど、永遠に彷徨うとかは嫌すぎる。だいたいこの世じゃないならどこなんだ。あの世か。よし、今日は電気を点けて寝よう。エコなんて糞食らえ。


 あれは間違いだ、時計は見間違いだ。それか壊れてるんだ。そうに違いない。


 そう言い聞かせながら、夏なのに布団を頭まで被った。





 朝になる頃にはバカな私は、昨日の体験なんてすっかり忘れていた……一時間目から音楽の授業がなければ。


 一人で音楽室へ向かっていると、クスクス嘲笑う声が背後から聞こえてくる。

 また悪口で盛り上がってるんだ、と思った。つい最近まで私もその輪の中にいた。一緒に陰口で笑いあっていたなんて今考えればバカみたいだし、この手の平返しが恐ろしいと思う。


 ありもしない事を言われるのは正直堪えるけれど、我慢するしかない。でも、社会に出てからも一生悪口を言ったり言われたり、と考えると心底うんざりする。


 音楽室前の廊下は昼でも不気味だ。

 古い木がギシリ、ギシリと軋む。この学校は古く、何度か修築しているとはいえ戦前からあるという話だ。しかもその前にあったのはお寺。逆に何もないはずがない。


 だがそれも私達の代で終わる。

 来年、この学校は隣の学校と合併する事が決まった。この校舎は取り壊され、新しく建てられるのだという。


 音楽室に着いたとき、あれっと思った。それは昨日は気付かなかった小さな違和感。

 昨日の音楽室は、驚く程全てが綺麗に整えられていた。黒く艷やかなピアノ、真っ白な壁には誇らしげな顔の音楽家達の絵、椅子も机も下品な落書きなんて一つもなかった。


 ところがどうだろう。絵は埃を被ったまま色褪せ、放置されて偉人の扱いとはとても思えない。ピアノは黒地に大量の細かい傷が反射している。机は文字が彫られて椅子はマジックでいたずら書き。


 背中がスーッと寒くなるのを感じた。じゃあ、あれは。

 いや、いや。きっと見落としたのだ。話す事に夢中で気付かなかったんだ。うん。

 何食わぬ顔で私は席に座った。


 この時間が終わったら、すぐ腹黒のところに行ってあの子の事を聞こう……。


 もはや授業内容もクラスメート達の悪口も耳に入っていなかった。





 音楽が終わって、すぐ職員室に行こうと廊下を小走りしていたときだった。


 突如、曲がり角からぬっと現れる人影。


「うおぁ!」


 急ブレーキをかけ、なんとか目の前で静止した。


「す、すみません!」

「まったく、廊下は走るなって昔から言われてるだろう!」


 聞き覚えのある声に私は顔を上げる。


「あ……」


 ずんぐりむっくりとした大きな身体。イボガエルとブルドックが混ざったしわくちゃの顔。

 まさしく、私が会いたかった腹黒だった。


「はら、じゃなくて石黒先生! ちょうどよかったです! 聞きたい事があって」

「ん? なんだね?」


 喋ろうとして、一瞬私はためらった。

 これでいよいよあの子の事がわかる。でも、そんな子知らないと言われたら?

 でも、早くしてほしそうな腹黒の顔を見て決心した。


「あの、二年一組の子で岸谷沙羅ちゃんって子いますか?」


 さあっと腹黒の顔色が変わった。


「……岸谷沙羅、だって? どこでその名前を知ったんだ」

「本人から聞きました。昨日音楽室で仲良くなって」


 腹黒は動揺を隠しきれていないようだった。顔を激しく強張らせ、私の顔を睨みつけてきたが、黙って見つめ返す。こういうとき、無駄に喋らない方がいいと思ったからだ。

 いたずらではないと悟ったらしい。腹黒は溜息をつくと、静かに言った。


「少し場所を移そう。君に言わねばならない事がある」


 いつもの偉そうな口調ではなかった。





 普段は立入禁止になっている、屋上へ続く階段に私達はいた。


 開口一番、腹黒は信じられない事を言った。


「岸谷は、二十年近く前の生徒だ。私が担任をしていた」

「えっ、あれ……それだと、年齢的にはもう三十後半ですよね? でも同年代に見えました」

「それはそうだろう。岸谷はこの学校内で失踪し、結局見つからないまま死亡扱いになったのだからな」


 確信した。私はたしかにこの世じゃないどこかに迷い込んだのだと。


 女子生徒失踪事件と異次元の音楽室の真実はこうだ。

 一九九五年当時、二年一組に属していた生徒────岸谷沙羅はクラスメートから妖怪だお化けだといじめられていたそうだ。

 いつしか彼女は、孤独の中に自分の居場所を見出すようになった。ピアノだけが彼女の楽しみだったそうだ。

 だがある日、彼女はこつ然と姿を消した。彼女の姿を見た最後の場所が、当時から暗くて不気味な音楽室前の廊下だった事から当時からあった噂に色々付け足されたそうだ。


「同じ悲劇があってはならない。だから私は放課後の音楽室に行くと帰ってこれなくなると生徒を脅し続けていたのだ……それなのにどうしてお前はわざわざあそこに行ったのかね?!」

「……すみません。ただの好奇心で」


 私は目を逸らした。心の中を見透かされたくなかったからだ。


 まさか死にたかったなんて言えないもんな。厄介な事になるに決まってる。

 私とあの子は似ていた。今だってそう、心なんか読まれるはずないのに無駄な警戒心を抱き、いつだって周りにバリアーを張り続ける。そして結果的に一人を求め続けるのだ。


「まったく────これでわかったな? 放課後の音楽室はな、いつも知っている音楽室とは違うのだよ。もう、近づくな。本当に帰れなくなるぞ」

「ホントにそうですね。ちょっとだけ様子違いましたもん。あそこだけ異次元なのかもですね」


 同意すると、満足したように腹黒は大げさに頷いてみせる。


「うむ。あるいは二十年前の音楽室と繋がったか……どっちにしろあそこが異質なのには違いないだろう。そういえば、校舎自体もう古いだろう? だから古い物に命が宿って妖怪になるのと同じように、学校自身も何かの力が宿……」


 あっヤバい。これはオカルト腹黒のいつものパターン……!!


 こうなると長話はもはや避けられない。

 反射的に踵を返す。


「自分がもうすぐ取り壊されるのを校舎も知って……あ、どこへ行く!!」

「授業が始まるんですんませ~んっ!!」


 屋上階段を駆け下りて、教室に向かって吹っ飛ぶように走りだした。


 沙羅に会いに行こう。

 まるでファンタジーのような真実が、私にはわかったような気がした。





 岸谷沙羅は孤独を求めた。きっと音楽室の中に居場所を求め、あの中に自分の世界を創りあげ閉じこもってしまったのだ。

 一九九五年の午後六時で止まったあの音楽室に。

 私もあの子に似たところがあったからこそ、引き寄せられてしまったのかもしれない。

 もし腹黒の言うとおり二十年前の音楽室に繋がっているとしたら────


 あの子を連れだそう。噂も失踪事件も全てを終わらせるんだ。


 放課後。念じ続けながら誰もいない階段を一人で駆け上がっていく。

 廊下を走る今、多分私は時空を超えているのだろう。

 廊下に光はなく、ただ向こうの音楽室から薄ぼんやりとしたオレンジ色の夕日が見えるのみ。


 ピアノの音が聞こえる。沙羅がいる。

 私は、木でできた戸を勢い良く開けた。


「沙羅!!」


 ピアノの前のあの子が静かに顔を上げた。


「……あら、さっきも……来てなかった? け?」

「沙羅、今すぐここから出よう。既に沙羅も私も迷い込んでしまってるの、この世じゃない場所に!」


 不思議そうに見つめる沙羅の手を無理矢理引っ張る。青白くて冷たい、人形のような手だった。


 さあ、出よう。孤独じゃない世界へ。

 沙羅は一人じゃない。最初はこんなはずじゃなかったけれど、そして彼女ともっと仲良くなれたなら────きっと、私もまだこの世は捨てたもんじゃないって思える日が来るだろう。私は、私と同じように人に傷つけられた沙羅の事を信じているのだから。


 そのとき、「やめて」と沙羅が手を振りほどいた。

「なんで? ここはあなたが一人で逃げこむために存在する世界なの。あなたは知らないと思うけど、本当はもう二十年経っているんだ……でも、私が一緒にいる。私も、もう逃げないから。帰ろ? 元の世界へ」

「だからなんなの」


 私はびっくりして沙羅を見た。


「私の生きられる場所はもうここしかない。私の居場所はこの音楽室しかないの!」


 彼女はまるで般若のような形相だった。

 それだけじゃない、何か彼女以外の視線を感じていた。

 それは壁に所狭しと貼られた音楽家達の肖像画のもの。いや、それどころかピアノが黒板が、椅子が窓が、ここに存在しうる全ての物が私達を見つめているように思えた。


「ここが違う世界って事とっくの昔から知ってるわ。帰ろうとしても何故だか学校の玄関そのものが消えてしまってね。でも怖くなかったわ。今いるこの音楽室が、この校舎が違う世界だとしたら、きっとここには私以外の人間が存在しない世界なのだろうから。それにここは時が流れないから終わりがないの。例えば、普通の世界でこの校舎がなくなったとしても、ここは永遠に残り続ける……」


 それはまるで永遠を求め続けているようだった。彼女だけでない。この学校もそうだ。心を持っているかのように取り壊される運命を恐れ、日の沈まない世界に自らの居場所を見出そうとしている────


 そのとき、私は自分の考えのほとんどが外れていた事に気がついた。

 そしてこの夕暮れの世界の正体に気がついてしまった気がした。


「沙羅、聞いてもいい」

「なんだって聞くわ」


 昨日の大人しい沙羅とは別人みたいだった。

 彼女は口を歪ませて、音楽家達の肖像画と一緒に笑っていた。


「わかったよ……じゃあ、岸谷沙羅は二十年前に死んだ?」


 そして予想通りの答えが返ってきた。


「死んだ」

「じゃあ遺体が見つからなかったのは?」

「ややこしい話になるわね。身体はここにある。でもここにいるうちに私は人ならざるものに変わってしまった。だから人間としての私は死んだも同じ」


 私は音楽室を飛び出した。


 待って、今更どこへ行くの。


 沙羅の声が暗い廊下にこだまする。でも私は構わず走り続けた。


 ここは人の入る場所じゃない。入ったら最後、沙羅のように人ならざるもの────恐らく妖のようになってしまって二度と元の世界には戻れなくなる。

 ここはいつか醜く朽ちていく事を恐れた校舎が何十年も前に作り出したのであろう世界。

 まるで在りし日の美しい姿をどこかに永遠に残そうとしているかのように。


 ここは永遠を求めたもの達の世界。ずっと音楽室にいる事を望んだ彼女も、朽ちていく事を恐れた物達も。


 毎朝、足を乗せる度ギシギシと悲鳴をあげていた階段は、ワックスを塗られたばかりのようにかつての輝きを取り戻していた。一切の汚れのない窓からは夕暮れを浴びて、廊下を明るく照らしだす。


 もうわかっていた。でも信じたくなかった。


 やがて、私は一階にたどりつく。

 でもそこに玄関はどこにもない。もはや帰る道はどこにもない。


 どこだかもわからない世界で老いる事も飢えなどで死ぬ事もなく、永遠に彷徨い続けるのは死ぬより怖い。


「私ね、この世界が大好きよ。でも、時々この孤独が切なくなるの。だってここには仲間がいない」


 振り返ると、沙羅がいた。


「またここに来てくれてありがとう。あなたが帰った後、寂しいって初めて思えたの。これからは永遠に一緒にいましょ、きっとこの校舎も仲間が増えて喜んでるわ。うふふ」





 二人目の失踪者もまた見つかる事なくこの校舎は壊される事になった。

 でも、もう一つの世界に校舎は美しいまま永遠に残り続けるだろう。

 何年経った今でも、校舎跡に神隠しの噂は絶えない。昼と夜の合間にその世界の口は開く。


 死ぬ事が怖くなったり、老いるのが嫌になったら、午後六時にこの校舎跡に来てね。

 私はずっとずっと音楽室で待ってるわ。

わかりづらくなってしまったかもしれません。ごめんなさい。

でも、最後まで読んでいただきありがとうございました。

何かありましたら気楽にどうぞ。

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