四時四十四分四十四秒のゴミ子さん
小さな野バラはそのとげで
ゴミとあたしを傷つける
黒いカラスはそのくちで
ゴミとあたしを刺し殺す
あたしがカモメに恋しても
ゴミとあたしは捨てられる
あたしはゴミを慰めて
今日も広場を駆け巡る
あたしはゴミ ただのゴミ
だからあたしは不幸せ
カモメが啼いて許さない
カモメが飛んで愛してる
カモメよカモメ ルルルルル
夜明け前に編集長から怒りの電話が届いたのは一週間前のことだった。
「ええ原稿だったわ。朝いちで疑問点を解決しに来いや、このクズ」
郷田冬樹は、このクソバカ野郎が! と怒鳴るのを忘れずに電話を切った。
ただし心の中で。
冬樹はため息をつくと、窓を開けて、ぼんやりと、どす黒い雲を眺めていた。
そのうち、タバコが吸いたくなったので、畳の上にほったらかしだったマールボロの箱をつかみ取り、百円ライターで火をつけた。ゆらゆら漂う煙を避けて部屋の隅に視線をそらしたが、そこにはカップ麺の容器などが入ったごみ袋と悪臭が天井までに積もっていた。
はじめて入る人には、とても耐えきれない部屋だろう。鼻を覆い隠したくなるほどの部屋かもしれない。
ときどき冬樹の住むボロアパートから「臭い……臭い……臭い……」と唸るような住民の声が聞こえていた。
冬樹は嫌なことを思い出したかのように目をそらし、今度はタバコの煙を目で追っていた。
冬樹に対するみんなの嫌がらせはさらにエスカレートしていた。
つい一週間前、冬樹の部屋のインターフォンが鳴った。
冬樹はドアの穴から廊下の様子をうかがった。
冬樹の部屋のドアの前に、顔見知りのアパートの住人だけでなく、たくさんのおじさんやおばさんが立っていた。
きっとみんな、このアパートの住人なのだろう。
「いったい、何なんです。どういうつもりですか」
鉄のドア越しに冬樹は言った。
「そんなに大勢で寄ってたかって……いったい僕が何をしたというんです……?」
『郷田さんですか? 管理組合の理事長の小沢と申します』
鉄のドアの向こうの声は管理人ではなく、初老の男の声だった。
『郷田さん、このままの状態で放っておくことはできないです。こういう集団住宅ではね、あんたみたいに一人でもルールーを守らない人がいると、みんながとても迷惑をするのですよ』
「何のことやら……」
ドアチェーンが掛かっていることを確かめて冬樹は言った。
『惚けないでください。よくおわかりでしょう? ここはものすごい悪臭ですよ。郷田さんの近くの部屋では、みんな窓を開けられないって言っています。廊下にもものすごい悪臭が充満しているし……ちょっと郷田さん? 聞いているのですか?』
この時すでに冬樹は、鉄のドアを背にしながらマールボロを取り出していた。
『郷田さんがそういう態度をとるなら、管理組合としても強制的な手段に訴えなくてはなりません。それでいいですね?』
「帰れ」
冬樹は煙草の吸殻を玄関の床の上に落とした。
いつからか、冬樹は部屋の掃除をしていない。
面倒だからやらない、というわけではないのだ。必ず訳があるのだ。
しかしみんなは知らない。
だからみんなは冬樹に嫌がらせをするのだ。
冬樹は取材でいつも部屋を空けておくことが多かった。
その間に――玄関のドアポストに一通の手紙が投げ込まれるのだ。
『この凄まじい悪臭を何とかしてください。これは公害です。このままなら訴えます』
差出人のない、殴り書きのような紙きれだった。
名前も書かないなんて、卑怯な奴だ。
冬樹はその紙きれをクシャクシャに丸めて部屋に放り投げた。
もうどうでもいい、どうでもよくなれ。
そんなことを考えながら、オイル切れのライターをいじって遊んでいたのは五日前だった……。
冬樹には悩みがあった。
冬樹はいつも、決まって真夜中に起きる。
それも仕事のためではない。自然に起きてしまうのだ。
冬樹はカシオの腕時計を見た。
『四:00 0三』
まだ四時になったばかりである。
忙しいサラリーマンならこの時間に起きているだろうが、冬樹はそんなことをしたくなかった。
それに冬樹は二度寝ができるタイプだから、今すぐにでも目をつぶって夢の中に再び入れるのだ。しかし、眠れない。眠ろうとするとすぐに眠気が去ってゆき、眠りたくても眠れない状況に冬樹はいた。
エアコンがないので窓を開けて蒸し暑いのを我慢しているが、この「静寂の蒸し暑い時間」は冬樹にはつらかった。
眠い眠い……………
冬樹は頭の中がボー、としたまま催眠にかかったように視界がぼやけていった。
頭の中に何度も浮かび上がる「眠い」。
眠い眠い眠い眠い……眠ぃ………
どのくらいたったのだろう。
首元に汗が一筋垂れた。
冬樹のある意識は今すぐ寝なさい、と言われているのに、別の意識からはこれじゃあ眠れないよ、と聞かされる。
その時だった。
臭いッ!
急に冬樹の部屋いっぱいに悪臭が広がった。
臭い臭い臭い! 臭い!臭い!臭い!
突然の息臭さ。鼻を刺す悪臭。
腐ったような生ごみの匂い、いや、腐臭が部屋の至る所から広がった。
冬樹は鼻がもげるような激しい臭いに襲われた。
心臓の鼓動が聞こえ、動脈を流れる血の圧迫を感じる。
冬樹はこの腐臭から逃れるためにガラスの窓から顔を出した。
「はぁ……はぁ……ぐッ」
しかし、外に出てもなお、腐臭は冬樹の鼻を覆いつくした。
普段匂わないゴミの部屋がどうしてこんなに匂うのかと、不思議に思う。
冬樹はとにかく深呼吸をした。
部屋よりはましなほうなので、わずかな新鮮な空気をありったけ吸った。
すると、どこからか女の歌声がネオンの輝く街に響いた。
冬樹はまたか、と感じながら耳をすませてた。
小さな野バラはそのとげで
ゴミとあたしを傷つける
黒いカラスはそのくちで
ゴミとあたしを刺し殺す
あたしがカモメに恋しても
ゴミとあたしは捨てられる
あたしはゴミを慰めて
今日も広場を駆け巡る
あたしはゴミ ただのゴミ
だからあたしは不幸せ
カモメが啼いて許さない
カモメが飛んで愛してる
カモメよカモメ ルルルルル
まるで調子の壊れた人形のような声だった。
しかし歌が終わると、冬樹を悩ませた悪臭は過ぎ去り、元通りのゴミ屋敷となった。
ほっと息をつくと腕時計を見た。
『四:四十四 四十五』
喉がカラカラに乾いていた。
そうして冬樹は毎晩一睡もできないまま、会社に行くのだ。
いつから現象がはじまったのかわからない。
しかしそのせいで冬樹は寝不足に陥り、仕事ではつまらないミスが増えた。
現象が起こるたびにミスは多くなり、とうとう上司から電話で叱られてしまった。
クソ、あんな野郎。
苦虫をかみつぶしたような顔をして、冬樹はバスの中でゆれていた。
周囲の目が厳しい感じがした。
「あら……郷田はん」
夕方、冬樹がアパートに戻ると、その階段入口である人と出会った。
「ああどうも、ハルさん」
冬樹は頭を下げた。
ハルさんは夫に先立だれて未亡人となりながらも、女手一つでこのアパートを経営していた。
その頑張りが分かるように、頭の毛には白髪が混じったりシワが冬樹が入ったころよりも増えたりした。
しかし、背が小さくてぽっちゃりとした体形は昔と変わらなかった。
「この前はすいまへんね、あんな大勢で押し寄せたりなんかして」
この前、と言うのはアパートの住民と小沢と言う男がきた日のことである。
たしかあの中にもハルさんが混じっていた。
「いえ……こちらこそすいません。あんなにゴミ溜めてしまって」
「ええ、いつか片づけるといいですわ。それとも……」
ハルさんは冬樹の顔を覗き込むように近寄った。
「まさか……沖奈はんの癖がうつってしまったとかでも?」
「そ、そんなまさか」
沖奈と言う言葉に思わず反応してしまった。
「たしかにあいつはハルさんに迷惑をかけてましたが、俺は違います。あいつの病気なんかうつっていません」
「そうでっか」
ハルさんは納得したようなそぶりを見せた。
「けどな、郷田はん。あたくしゃ郷田はんのことよく知ってまんがな、最近どうもへんやで」
「え」
一瞬、ハルさんとの視線がぶつかった。
冬樹は大学生のころからハルさんとその夫に世話になっていた。
初めは静かなひとり暮らしだったが、あの沖奈香風を連れてきてから毎日が輝いて見えるように冬樹は感じた。
先ほど歌風を軽蔑したようなことを吐いたが、香風は悪くない。そう、悪くないのだ……
「郷田はん? 聞いとりまっか?」
ハルさんの呼びかけで郷田は気を取り直した。
「郷田はん、たしかに郷田はんが最近疲れとるのも無理ないと思うでぇ。なんせ沖奈はんが……」
「やめてください」
冬樹はハルさんの話を遮るように言った。
「あいつがどっか行ったきりなんて、わかってますから。家出です。たぶん長めの家出でいないだけですから」
「家出って……何かあったんどすか、やっぱり?」
やっぱり、というこはやはりあの物音は気付かれたのだろう。
だがもう一か月前のことだ。
急に額から汗が吹き出たので、シャツの袖でぬぐった。
「ちょっと……喧嘩をしてしまって」
「まあ、夫婦喧嘩どすか」
「夫婦喧嘩なんて、まだ夫婦じゃありませんよ」
「そのうちするんやろ」
そう言ってハルさんはため息をついた。
「まあええわ。とにかくゴミを片づけておくんなさいね。なんやったらまたあたしが手伝ってやりましょか?」
「いえ……」
冬樹は首を横に振った。
「大丈夫です……今度は一人でできますから…………ゴミ収集日は日曜でしたね……その時にやりますから……ありがとうございます」
◆
「先輩は物とか大事にするほうですか?」
「ん?」
大学の食堂でふいに香風から聞かれた。
冬樹はカレーを、香風はオムライスを頼んでいた。
「物を大事にするって……そりゃ当り前だろ、人間としてよ」
「よかった」
香風はホッとした感じでオムライスを口に運んだ。
香風とは大学のサークルで知り合った。
もともと先輩、後輩関係だった冬樹と香風はサークルで一緒になってから気が合うようになり、周囲から噂されるほどのカップルであった。
その後、冬樹と香風はあのアパートで同居することにした。
まだ告白をしたわけではないが、お互い一人暮らしであるという理由で冬樹のアパートに香風が引っ越すことになった。
そして、冬樹は気づいたのだ。香風の隠された顔に。
「おい、香風!」
冬樹は声を荒げて香風を呼びつけた。
「どうしてこんなにゴミを溜めるんだ、早く捨てろ!」
部屋の居間にいた香風はキョトンとしていたが、やがて
「おかえりなさい、先輩」
と笑顔を向けた。
「香風、そんなことよりゴミを捨てろ! またハルさんに叱られるぞ!」
よく同居をすると相手の素顔が現れると言うが、香風はひどい。
別に性格が悪いということはないのだが、彼女はゴミを溜める癖があった。
同居生活であふれ出るゴミ、このアパートのゴミ、果てには冬樹がよく通っているゴミ捨て場のゴミでさえ持ちかえって溜めるのだ。
ゴミだけではない、香風は捨て猫まで拾ってくるのだ。
このあたりは捨て猫が多く、動物駆除の役人たちが頑張っているのだが、香風はその役人の目をのがれて段ボールに入れられている子猫を持ち帰る。
ついこの前も子猫を拾ってきたせいでアパートの住人から苦情を言われた。
もともと『動物禁止』のアパートなので余計太刀が悪かった。
そんなことがあって、冬樹の疲労はピークに達していた。
「香風、わかっているだろう。ゴミを早く片付けろ! 今度あそこのゴミ捨て場に行くぞ」
すると香風は猫のようにおびえだし、部屋の隅に後ずさった。
「イヤ……」
「なに」
「イヤッ!」
切り裂けるような叫びが響いた。
普段からは考えられない香風の変貌に冬樹は驚いた。
「なんでですか……なんで先輩まで……『みんな』みたいなこと言うんですか」
「香風、いいかげんにしろ!」
「先輩は……そんなに冷たい人だったんですか」
「違う。今はそんなことよりもこの汚いゴミを片付けろと言ってんだ!」
冬樹は怒った。
「…………」
そのまま香風は黙ってしまった。
「……どうして?」
香風はうつむいたまま言った。
「どうしてみんな汚いとか邪魔とかいう理由でゴミを捨てちゃうの……?どうしてみんな分かってあげないの……?みんないつもそう、自分に必要な分ばかり取って、あとはゴミとして捨てる。コンビニの残飯とか……一日にたくさんのごはんが捨てられるのよ、なんでみんな平気な顔をしていられるの?そのごはんで救える人がいるじゃない」
「香風」
「それだけじゃないわ……猫とか犬もよ。町にいると邪魔だから殺すって、どうかしてるわ。
猫も犬も、生きているのよ。その日その日を大切に生きて、明日を目指しているのよ……それを人間は残忍に殺して……ひどいわ! まるでナチスのユダヤ人虐待よ!」
「お前だって人間だ」
「ちがうわ! あたしわかってたの……あたしはゴミだわ」
突然、香風は自虐的に言葉を吐き出した。
「なに言ってんだ、おまえ」
「小学校の時から、ずーと、言われてきたわ。お前はゴミだって。邪魔で役立たずのゴミだって。『沖奈ゴミ』なんてあだ名も付けられたわ……そうしてみんな勝手にあたしの机の上にゴミをまいて……もううんざりだわ!」
「香風!」
「先輩もそんな人間だったんですね」
後ずさりしながら香風は冬樹を睨みつけた。
「先輩から一緒に住もうって言ってくれた時はうれしかったです。でもわかりました。あたし先輩はうまくやっていけません」
「ま、まて! そんなことないだろ!」
「先輩もみんなみたいにあたしを捨てるんでしょう?だったらあたしから出ていきます!」
「おい、待ってくれ!」
香風は突然玄関に走って行き、ドアノブに手をかけた。
「先輩……」
外に出る直前、香風は冬樹のほうに振り向いた。
そこで冬樹は気づいた。
香風の目は潤んでいた。
そのやるせない表情は冬樹にとって初めて見る顔だった。
今に崩れ落ちそうで、泣きそうな……そんな香風を冬樹は抱きしめてあげたかった。
「……さようなら」
◆
ピーンポーン……ピーンポーン……
アパートの呼び出し鈴の音で冬樹は目覚めた。
「郷田はーん……いらっしゃいますかー……」
「うう……今出ます……」
今何時だろう、そう思って左腕につけているカシオの時計を見ると『十二:三十 十五』を指していた。
もちろん、深夜の十二時三十分である。
扉を開くとまぶしい光とともにハルさんが立っていた。
「ああハルさん……どうされましたか」
「……その前に汗大丈夫でっか?」
気がつくと冬樹に体中に汗が溜まっていた。
よっぽど、うなせれていたのか。
「郷田はん、今隣の人から苦情が来たんですわ。うめき声がうるさいって」
「すいません……悪い夢でも見ていたんだと思います」
「とにかく静かにしてください。まったく、ここは臭いですなぁ」
暗い部屋を見渡すハルさんを目の前に、冬樹は口をもごもごさせた。
「………………ハルさん」
「ん?なんでっか?」
「やっぱり手伝っていただけませんか?ゴミ捨ての手伝い……」
その冬樹の声は恐怖におびえているようだった。
「ああ、そのことでっか。ええでっせ、また次の機会でな……」
「いえ、今です。今お願いします」
「はあ!?」
ハルさんはあきれた表情で返した。
「阿保ぬかしなさるな。今十二時半やで。こんな時間には手伝えませんわ」
「いえお願いです!」冬樹は必死に頭を下げた。
「今にしてください! 今じゃないと……ダメです耐えられません!」
「急にどうしたんや」
「本当にお願いです! こんな夜中に悪いとは思っていますが、でも一人じゃ無理です! 一緒ついていくだけでもお願いします!」
冬樹はとにかく頭を下げた。
「……わかりましたわ」ついにハルさんを口どいた。
ほっと息を冬樹はついた。
「でも全部一人で持ち歩くんやで、あたしも最近年だからどーもしんどいわ。それと、今は静かにしてくださいよ。もう寝ている人がおるんやから……」
こうして冬樹は上下ジャージに着替え、部屋のありったけのゴミを持って下に行き、近くに置いてあった貨車台の上に乗せた。
ずいぶんな量だった。
そのうちハルさんが降りてきたので、二人はゴミ捨て場に向かうことにした。
「あの……ハルさん」
「あん?」
「ハルさんもいつもあのゴミ捨て場に行かれますよね?」
「んまあ、そうやなあ」
「……そこになんかいません?」
「なんか? 別にゴミだけやが、何かあるか?」
「いえ……なんでもありません」
そう言ったきり冬樹は顔も合わせなかった。
時々、脳裏に冷たい風景が写る。
灰色の小山が見える。よく見るとそれは乱雑に積まれた『ゴミ』だった。
いくつも重なる『ゴミ』『ゴミ』『ゴミ』『ゴミ』
凍える風が身を貫き、俺は無我夢中で逃げた。
何から逃げているのか。
それでも逃げる。逃げる逃げる……
その時、急に目の前が開けた。
目の前にバスケットゴールが見える。
そのゴール部にはただ『くくり縄だけ』がぶら下がっていた。
そんなはずはない。
そのくくり縄には本来『あるべきはずのモノ』がなかった。
頭の血が一気に引く。
その時、空から何かが降ってきた。
ゴミの山に、ベチョリ、と叩き潰され、それは俺の足元に転がってきた。
それは腹から内臓を飛び出した、カモメ――――
「見つけた」
突然の隣の声に、冬樹は驚かされた。
「着きましたで」
気がつくと、冬樹たちはゴミ捨て場の入口に立っていた。
一か月ぶりだな、このゴミ……。
「さあ、さっさとゴミ片付けて帰りましょや」
そう言ってハルさんは金網の扉を開くとすっぽりと中に入って行った。
時刻『十二:五十七 三六』
ゴミ捨て場にはかなりの量のゴミが積もっていた。
『ゴミも積もれば山となる』という言葉があるが、ここには冬樹の背丈を楽に越えるゴミの山が10個、いや、20個はあった。
ここ等辺に捨てればいい
そう思い、冬樹は手に貨車台にある大きなゴミを放り投げた。
そのゴミからあふれ出す、カップ麺のプラクスチック、生ゴミ、靴やサンダル、割れたガラス……
全てが、また新しいゴミの山へと積もった。
よく見ると、その下には猫や犬の死骸も交じっていた。
「これでもうええですな」
ハルさんはやれやれという顔をした。
「ほな帰りましょか、もうこんなとこに居たくもないわ」
ハルさんの言うとおりだった。
もうこんな嫌な場所にいたくない。
だがそれと同時に懐かしい感覚が冬樹にはした。
その時であった。
かもめよかもめ いらっしゃい…………
突如背後から、頭に何かを打ち付けられた。
冬樹は考える間もなくばたりと、その場に仰向けになった。
時刻『一:00 五三』
◆
香風はどこに行ったのだろう。
結局冬樹は悲しみにくれる香風を呼び止めることができなかった。
香風が出て行ったあと、冬樹自身も激しい後悔をした。
どうしてあんなことを言ってしまったんだろうか、もう少し何とか言えたではないのか。
それに、あの出て行くときの顔。悲しげな顔。
冬樹はなんだか胸がいっぱいになってきた。
――今からでも間に合うだろうか、でもどこにいる――
ただ時間だけが過ぎてゆく。今は『二:二十三 00』あれからずいぶんたってしまった。
……ふと思い当る場所があった。あのゴミ捨て場だ。
香風にとってゴミとは友達だった。だからもしかすると、そこにいるかもしれない。
ただそのことに期待を寄せて、冬樹はアパートを出た。
ビンゴだった。
香風はゴミ捨て場の中で座っていた。そして、何かと遊んでいた。子猫だった。
「ほら、おいで。いい子だよ……」
香風は三匹の子猫に餌を与えていた。子猫たちはミャーミャー鳴いて香風にじゃれついる。
「香風…………」
冬樹は香風の名前を呼んだが、香風本人は顔を向けもせずに子猫の頭をなででいた。
「……小さな野バラはそのとげで」
「え?」
突然……香風は歌い出した。
「あたしとゴミを傷つける……
黒いカラスはそのとげで……
あたしとゴミを刺し殺す……」
そこまでいって香風は溜息をフゥーと吐いた。
「……変ですよね、あたしって」
真ん中の子猫をごろごろ鳴らしながら呟いた。
「わかってたの。ゴミを集めてためるなんて、バカらしいこと。でも、やっぱり捨てられないの……」
「……どうして?」
「なんだろう……弱い人の味方になりたいって言うか……誰かを守ってあげたいって、ずっと思ってたんだ。でも、みんな強くて怖かったの……」
「強くて怖い?どういうことだ?」
「……あたしが助けられるような人がいなかったってことよ」
子猫が香風に遊んでもらいたそうだった。香風はただほほえんでいた。
「仮にいたとしても、その恩をすぐに忘れて……そしてその人があたしをいじめるの」
しばらく冬樹は口をきけなかった。なんだかあまりにもかわいそうだったからだ。
「……だからゴミを守ろうとしたのか?」
「はい、ゴミは何にも言わないし、傷つけたりもしない。だからゴミを守ってやろうと思ったの」香風は子猫三匹をみんな抱き上げた。
「……この子たちも……ほんとはお母さんがいたの。そのお母さんは役人に殺されたわ。ノラだったもの。そういうのもまとめて守ろうとしたわ……だからみんなに……」
「…………」
「だから……先輩も無理しなくていいんですよ?」
「え?」
「あたしのこと、いやだったら捨てていいんです。もう慣れてますから、気にしないでください。どうぞ」
「………………」
しかし冬樹はその場に立ち続けた。やがて冬樹は香風の近くに座った。
「名前……何にしようか?」
「え?」
香風は冬樹に顔を向けた。
「この子猫、飼いたいんだろう? どうする、タマかい? ミケ? それともなにがいい?」
「先輩……」
「今のアパートは動物禁止だけど……どっかに引っ越しすれば飼えるさ。その時、一緒に子供の名前も考えないか?」
「え」
香風はおもわず冬樹に顔を向けた。
「……それは……あたしに対するプロポーズですか?先輩?」
「いいかな……?」
香風は硬直したまま冬樹を見ていた。そして
「……先輩って、カモメみたいですね」
「それってどういう意味?」
すると香風は笑顔で答えた。
「あたしの大好きな鳥って意味です」
香風の頬が月の光で紅潮しているように見えた。
そうやって二人は静かに、お互いの唇を重ね合わせた……
「でもゴミはだめだぞ。猫か他の動物にしてくれ」
「はい、冬樹さん」
冬樹は香風が飼う猫を選んでいる間にアパートに帰ることにした。
正直、緊張した。今のキスが夢のようにも思われた。
しかし、香風が冬樹のことを『先輩』から『冬樹さん』と言い変えていることが、冬樹を夢ではなく現実だと知らせてくれるのだった。
うれしかった、良かった。そんな気分に浸りつつ冬樹はアパートの部屋に戻った。
――またどのくらいの時間がたったのだろう――
今は『四:三十八 三五』まだ香風が帰ってこない。まさか、と思った。まさか、またゴミを拾ってきているんじゃないだろうな。それだけは勘弁してほしい。またゴミ屋敷にすむなんてまっぴらごめんだ――。
「ただいまー」
香風が帰ってきた。その声と同時に先ほどの子猫三匹が入ってきた。
「お帰り。遅かったじゃないか……」
その言葉が最後まで言われることはなかった。
香風が連れてきたのは三匹の子猫。そして手にしていたのは血だらけのビニール――
「ああ冬樹さん。すみません、猫がこの三匹しかいなかったのでかわりに親の猫といろいろな猫を連れてきました。遅くなってすいませんね――冬樹さん?」
すでに冬樹は聞いていなかった。今の冬樹の視線にあるもの、それは血だらけのゴミ袋……血だらけのゴミ袋……ゴミ……ゴミ……
ゴミ! ゴミ!! ゴミ!!! ゴミ!!!! ゴミ!!!!!
気がつけば冬樹は香風の喉を絞めていた。
香風の喉はか細く、両手で覆い隠せるほどだった。
冬樹は香風の息を、悲鳴を、すべてを止めるつもりで手首に力を入れた。
やがて、冬樹の手をはじこうとしていた香風の手が床に落ち、そのまま動かなくなった。
その時の香風の様子はわからない。ただ、その死に顔には「絶望」という目が映っていた。
なんてことをしたんだ…………
ゴミというだけでこんな風に人を殺してしまうなんて……
どうする、このまま置いていたのでは絶対にばれる……隠せ……隠すんだ……押し入れか? トイレか? ……いや待てよ……
自殺だ、自殺に見せかけよう……まず香風を黒いビニールの中に入れて……ゴミ捨て場まで運ぶんだ……ああ、手袋をしないと……そしてバスケットボールのゴールのとこに紐をぶら下げる……よし……あとは香風を絞めた後に沿って紐を巻いて………………………………
全てが終わった後、冬樹は後ろを振り返った。香風の死体がバスケットに下げられた紐で自殺そしているように見えた。しかし、その真相は彼女の恋人、郷田冬樹が絞殺したのだった……
その時の時刻『四:四十四 四十四』――――
◆
小さな野バラはそのとげで
ゴミとあたしを傷つける
黒いカラスはそのくちで
ゴミとあたしを刺し殺す
あたしがカモメに恋しても
ゴミとあたしは捨てられる
あたしはゴミを慰めて
今日も広場を駆け巡る
あたしはゴミ ただのゴミ
だからあたしは不幸せ
カモメが啼いて許さない
カモメが飛んで愛してる
カモメよカモメ
あたしはカモメを捕まえる……!
「ぐッ……ぐあぁぁぁぁッぁぁぁッ」
突然の腐臭で目が覚めた。今までのにおいとは比べものにならな臭いだ。
冬樹は右手で鼻を、左手で後頭部を押さえながら立ち上がった。そして、その光景に驚愕された。
「なんじゃこりゃ……」
先ほどまでただのゴミの山だったゴミ捨て場が、今は血のゴミの山と化していた。
高く積まれたゴミの一つ一つに鮮明な血が付いていた。
しかもそのゴミの山は動いていた。
一つのゴミ袋がモゾモゾと、まるで、人がこの中に入って必死にもがいているようだった。
「うわ」冬樹は腕が出ているごみ袋を見つけた。その腕は猫やネズミにかじられて真っ赤に染めあがっていた。冬樹はその猫やネズミを追っ払った。その時、妙な好奇心がわいてきた。
――このなかにはだれが入っているのだろう――
その時、冬樹の脳内で、これ以上は深入りしないべきだという警告とまだまだ大丈夫だろうという声が広がった。その時だ。
モゾ……
そのゴミ袋が急に動いたので冬樹はびっくりした。そして中から出てきたのは……。
「ハルさん!」
ハルさんは顔の目や鼻、口、さらには耳の穴から血が出てきていた。
「ハルさん、大丈夫ですか? ハルさん!」
――ハルさんはただ怯えていた。
誰からこんなことをされたのか見当もつかない……
そして、ハルさんは息絶えた。まるでロウソクをふっと消したかのように突然息をしなくなった。
その時だった。
ルルルルル かもめよかもめ かもめよかもめ
突然あの歌が聞こえた。
冬樹はその声がするほうに顔を向けた。
そこにはバスケットのひもにぶら下げられた女性の姿が――――
「か……ふ……う……」
冬樹はもう声も出なかった
香風は昔と変わらぬまま首を吊らされていた。
しかしその顔は、イボガエルのようにごつごつと変色し、血でべっとりと付いているほか、髪が異常に伸びていた……
香風は冬樹に向って冷気を吐き出すかのように呟いた
ルルルルル
カモメよカモメ
カモメよカモメ
カモメが啼いて許さない
カモメが飛んで愛してる
あたしはカモメを捕まえる
カモメがあたしを捨てたから……!
香風をぶら下げていた紐が切れて、香風が落ちてきた。
とっさに冬樹は入口に向かって走った。
悪臭も気にならなかった。
とにかく前へ。とにかく前へ。
「ゔッ・・・・・・!」
しかし冬樹は門の前で立ち止まった。
閉まっていたのだ。いつの間にか南京錠のカギで……がっちりと……
「た……助けてくれぇぇぇぇっぇぇぇッ」
冬樹は大声で叫んだ。
カモメよカモメ
ルルルルル
カモメよカモメ
あたしはカモメを捕まえる
カモメはあたしから逃げられない
カモメはもう、籠の中
冷たい冷たい籠の中
ゴミ捨て場に来てしまったのは、すでにあの歌に取り憑かれていたからだろうか。
冬樹自身が黒い水にのような胸の奥に潜めてきた良心という奴のせいか。
あるいは、単なる殺人者の恐怖がもたらしたものか。
冬樹は同居人であり、恋人である香風を殺しゴミ捨て場で締め上げたせいで、ゴミ捨て場にいけなくなった。
そして、ゴミ捨て場に行かなくなった冬樹は香風のようにゴミを溜めていったのだった――――
許してくれ、許してくれ。
それだけを、血のゴミの山に隠れて、口で動くまま、冬樹は飽くことなく唱え続けた。
カモメ見いつけたぁ……
『四:四十四 四十四』をカシオの腕時計は指し続けた。
この作品は高1の時に文化祭号で出す予定だったものです。
ですが文化祭一週間前に顧問から「読んで嫌な気分になる」ということでボツにされました。
初ホラーなのでどうしたら怖いかといったことは私にはわかりませんが、恐ろしくなったら……感想にどうぞ
私はまだまだ未熟な文芸者です。
どうか私のためにこの作品をどうしたらよくなるのか、教えてください。




