番外 High School Photograph
生まれて初めて、僕は絵に魂を奪われた。
と、言っても過言ではない。
写真部繋がりの友達が学祭で展示をやるというから、僕も自分の高校の暇を見て見物にやって来ていた。どうやらこちらではもう二日目らしい。うちの高校にはない立派な中庭のステージでは、今は声楽部がJ-POPのコーラスアレンジを熱唱していた。うん、少なくとも僕にとってはこてこての合唱曲よりはこちらの方が聴きやすい。僕はそれを少し眺めた後、教室棟の方へ向かおうと思い、渡り廊下を歩いていた。開かれた窓からは、中庭ではっぴに水中ゴーグル着用で焼き鳥を売っているアヤシゲなところから上がってきた煙が入ってきていてかなり煙たかった。
そして、その反対側の壁には数メートル間隔で大きな油絵が展示されていた。美術部のものだろう。僕は絵よりも写真派だけど、絵も割と好きなので見るともなしに見ていたら、その中の一枚。
構図は単純だ。どこかの交叉点。スクランブル交叉点の、その中心に、女の子が一人立っている。その他には誰もいない……多分、一度写真を撮って、他の歩行者は描かなかったとか、そんな感じなんだろう。と、下世話な予想がちらりと頭をよぎる。でもその全体像は、かなり僕好みだった。誰もいない交叉点の中央に、女の子が一人。一切音の聴こえない、静謐な世界。まるで何かの終わりのような。
でも何より僕の目を引いたのは、その目。
女の子は、多分この学校の生徒の誰かなんだろう。でもこの女の子は制服を着ている。この学校は私服だったはずだけど……じゃあ違うのかな。見たことない制服だ。
正面からこちらを向いているわけではなく、半身だけ振り返った姿勢。顔も横顔より少しこちら向きなだけ。そしてまっすぐにこちらを見据えている。
その眼力。
今年のテーマは『青春』らしい。他の絵も全体に爽やかだ。この絵だって全体の色調は鮮やかなのに、中心のその女の子の、その目だけが全く違った。
泣きたいような。
笑いたいような。
まさしく青春の清濁全てを内包しているかのような、不思議な目だった。全体からすればその目はあまりに小さく、特別際立たせられているわけでもないにも関わらず、自然と目が行ってしまう。
その絵そのものの題は、『無題』だった。
十分か、十五分かはわからないが、じっと黙ってその絵を眺めた後で、僕はふと思い立ってスマートフォンを取り出し、その絵を写真に収めた。
「お、来たな梶村」
四階の展開教室に入ると、窓際で椅子に座って暇に団扇であおいでいた夏木が片手を上げて見せた。
「やあ、はるばる我らが『青春の祭典』ようこそ」
夏木は立ち上がると、気取った仕草で腰を折る。
「青春青春って、どこもかしこも青春だな」
「ああ、まあな。今年のうちの学祭テーマ『High School Grafitti』だもんだから、どこもかしこもフレッシュな」
捻りが足りないよな、と夏木は笑った。それからくるくると立てた指を回しながら、
「三階の展開教室だったか。あそこだとうちの教師陣の嬉し恥ずかし青春時代を晒してるぞ」
まあ見とけよ、という声に頷いて、とりあえず僕は一通り見て回ることにした。
男女男女男女。静物写真も何枚かあったけど、ほとんどはテーマに沿ってか男女一カップルで数枚セットだった。
青春=恋愛事とでもいうのか。全くもってけしからん。
見て回っていけば、中には男二人や女子二人、男女混合五、六人のものもある。上裸の男子二人が絡み合っている写真はスルーした。男二人だけど片方がセーラー服で絡み合っているのもスルーした。何だかネタも多いなあ。ふむう、と僕は腕を組んだ。
全員が制服着用なのは、青春とはやはり制服にあるという考えなんだろうか。私服校なのに、どこで入手したんだろう。
「おう、どうよ出来は」
夏木がやってきた。僕はちょうど眼前にあった男女の写真を指し、
「この二人とかって実際に恋人同士なのか?」
「ん? ああそれ。んー、実際のカップルもるし、ノリのいい男女連れてきたのもあるし、学祭中にできた二人も混ざってるさ」
いいよなあ青春、と言いながら目は笑ってない夏木。そんな夏木には触れず、僕はスマートフォンを出してさっき撮った絵を見せた。
「なあ、これ美術部の、廊下にあった奴なんだけどさ」
「ん? ああ、それな。俺も見たよ。それが?」
うん、と頷き、何と言ったものか考える。
「えっとさ、この絵描いたのって誰だかわかる?」
「ん? んー………や、俺にはわかんないな。何で?」
わかんないか、と少し肩を落としつつ、
「や、この絵のモデルって誰なのかなって思ってさ」
「ああ、それなら知ってるぜ。でも何で?」
「え、知ってるの?」
夏木は頷いた。
「眼力が凄いからな。一目見りゃわかる。でも何で?」
「あ、いや、なんて言うか………撮ってみたいなって」
「その人を? お前静物派じゃなかったっけ? ………まあいいけどさ。でも違う意味でやめた方がいいと思うぞ」
「何で?」
何でも何も、と夏木は肩をすくめた。
「マジで眼力ヤバいんだってその人。まあ止めやしないけどさ。覚悟決めとけよ。校内探したらどっかにいるんじゃないか? 悪いがクラスは知らんけど、マジで一目見ればわかるから」
「ん、そっか。ありがとう」
おう、と答えて夏木は椅子の方に戻って行った。背中を丸めてダルそうに。確かにここは少し暑い。そんな背に、僕は一言声をかけた。
「夏木」
「んー?」
「写真、いいと思うよ。配置もいいと思う」
「お、そうか? 写真は俺だけじゃないけど、配置は俺なんだよ。うまいだろ」
夏木が振り返ってニカッと笑った。僕も笑い返し、
「うちのもぜひ来てくれよ。こっちも地味にやるから」
「おう。そうするよ」
夏木に手を振って、僕はその教室を出た。
探してみるつもりだ。あの絵の女の子を。見つけて何かしようってことは考えないけど、あの目は何かすごく惹かれるものがあった。
カメラ持ってくればよかったかな、と僕は少し後悔した。
●
今日は何だかもの凄くツいている。こんなにテンションが上がったのはいつ以来だろうか。
探索に出る前にもう一度あの絵を見ておこうと思い、あの煙で真っ白になっている廊下に入って、何気なく窓から外を眺めながら歩いていたら、偶然生徒玄関から女の子が一人で出てくるのが見えた。
そして、見間違えるはずがない、あの目。
結構な距離があるにも関わらず、あの女の子があの絵の女の子だということは遠目にも一目でわかった。僕は思わず窓から身を乗り出してその女の子の行き先を目で追う。女の子は迷いない足取りでスタスタと中庭に入っていき、まっすぐにあのステージ横のテントに入って行った。そこまで確認して、僕は大急ぎで廊下を走り出した。
あの人に会うなら今がチャンスだ。あのテントが何の施設なのかはわからないが、今を逃してなるものか。すれ違う人たちの奇異の視線をものともせず、僕はパタパタとスリッパの音も高く廊下を突っ走り階段を駆け下り、玄関で靴を突っかけて全力で外へ飛び出した。
人ごみの間を縫ってあのテントへ急ぐ。ここまで一分かかっていないが、あの人はまだいるだろうか。僕は急いた心のままテントの幌を払って中に駆け込んだ。
「………んー? おや、そんなに急いでどうしましたかねー?」
何だか能天気な声がした。男の人の声だ。見れば、パイプ机の横でパイプ椅子に座った白衣の男の人がいて、こちらを見てほんわか笑っている。
そして、その人はいた。その男の人の前に座り、こちらへ半身で振り返っている。
そしてその眼力をまじまじと当てられて、僕は殺されるんじゃないかと思った。
「えっと………ここは………」
「おやおや、ここがどこなのかわからないで飛び込んできたのかい? ここは東高だよ」
「や、そうじゃなくて保健室テントでしょーが」
女の子は男の人に向き直って冷静にツッコミを入れる。男の人はからからと笑って、未だ入口に立ち止まったままの僕へ手招きして、
「まあ、何でもいいや。とにかくもお客さんだね。何か用があってきたのかい?」
「何か用って、保健室に来るような用事って怪我か体調不良じゃないの?」
手招かれるままに二人のところへ近寄って行っていた僕は、二人に見つめられて慌てて手を振り、
「あ、いや、怪我とかそういうのじゃないです」
「だってさ。それじゃあお茶を飲みに来たんだね」
「見境なくお茶飲み仲間を増やそうとしないでください。どこの世界に保健室にお茶を飲みに来る人がいるってのよ」
「例えばキミとか」
「………私はともかく、外部の人でしょう? 校外の人で保健室をお茶飲み場だと思う人なんていないでしょ」
どーなのよ、とばかりにまた二人に見つめられて、僕はまた焦って、
「あ、いや、お茶を飲みに来たわけでもなく」
「んー? じゃあ一体何用で?」
本気で不思議そうに男の人が首を傾げる。僕はそこで女の子のほうを向き、
「えと、キミ。キミに用があるんです」
二人はまた顔を見合わせた。
「ほら見なさい。保健室にお茶飲みに来るような人なんて、私くらいしかいないのよ」
「うん。で、彼はそんなキミに用があるって言ったんだけどキミは聞いてたかい?」
「………え? 私?」
本気で戸惑った表情で女の子はこちらを向いた。
「な、何? 私、あなたと初対面よね。私は別にあなたに悪いことをした覚えなんて一つもないんだからね。ええ一つもよ。ただの一つも」
「その言い方もどうかと思うけどね………キミに用がある人間は皆キミの敵だなんて考えは、ちょっとどうですよ?」
やかましい、と一蹴して、二人はまたこちらを見た。何か息合ってるよなあ。僕はようやく用件を切り出す。
「えと………あっちの廊下に飾ってある絵を見たんです。あの中の一枚の、スクランブル交叉点で描かれてるの、あれキミですよね?」
女の子はなぜだかちょっと苦い顔をした。
「ああ………あれね」
「え、何? キミ絵のモデルやったの? 知らなかったなあ。どこにあるって?」
凄く楽しそうに男の人が話に入って来る。胸に名札があって、『斎藤』とあった。
女の子は渋々頷く。
「確かにしつこく頼まれたから許したけど、それが何?」
「あれあれ? 僕のことは無視ですか?」
おーいと手を振る斎藤さんに、女の子はひらひらと手を振り返すのみだ。
「うん。あの絵を見て………その、キミに興味を持った」
「………はあ?」
うまい言葉が見つからなかったので思ったことを率直に伝えると、女の子は眉をひそめた。相乗効果で眼力がさらに強力になる。もしも視線に殺傷能力があったら、僕はとっくに死んでいるだろう。
しかし僕はひるまない。
「ええとつまり………」
「まあとりあえずは座ってよ。今お茶を入れてあげよう」
斎藤さんが出してくれたパイプ椅子に座らせてもらい、素早く慣れた手つきで淹れてくれたお茶を受け取って、僕は改めて困った。
しまったな。何か台詞を考えておくんだった。
女の子は不機嫌そうな表情のまま黙っている。
「えっと………僕は、桜高の梶村っていいます」
とりあえずは、自分の正体を明かすことにした。隠しておいて得するものでもないし。
「桜高? ふーん。で、キミ三年生?」
「え? あ、はい」
頷くと、女の子は手をひらひらと手を振った。
「んじゃあ同い年だね。そんならそんなに畏まんなくていいよ。私も三年だから」
「最年長の僕には少しくらい畏まってほしいかなあ」
「斎藤さんは中身が子供だからいいんです」
スパッと返されて、斎藤さんは頭を掻いた。
「ああ、成程ねえ」
「納得してないで改善してください」
仲が良いんだなあ。女の子が再び視線で促してくれたので、僕はまた口を開く。
「僕、写真部でして、こっちに写真部の友達がいて、そいつに誘われて今日来たんですけど」
「だからそんなですます調じゃなくていいって」
「あ、はい、うん」
頷きはするが、何だかこの人は雰囲気が年上っぽくて、素直に話そうとするとどうしても違和感がある。
女の子は訝しそうにこちらを見ていたが、やがて、ああ、と手を打って、
「そうか、わかったわ。この目ね? この目がいけないのね? そうだったわ。御免ねもっと早く気付けばよかった」
半ば棒読みに言うと、女の子はどこからかサングラスを取り出してスチャッと装着した。
「さあこれでどうよ?」
「いやあ、自虐ネタにまでできるようになると場合によってはいい兆候なんだけど、それじゃあまるでヤクザのボスだよ」
斎藤さんが言うと、女の子は隣に座る斎藤さんをキッと睨んで、
「お黙りなさい。コンクリ詰めにして東京湾に沈めるわよ」
「東京は、ここからだとちょっと遠いねえ」
この二人、楽しんでいるんだろうか。とにかく話を進めるべく、僕は身を乗り出した。
「そう、その目なんだ」
「は?」
「廊下にあったあの絵。あの絵の中のキミの眼に僕は感動した」
女の子と斎藤さんは少しの間沈黙していたが、不意に斎藤さんが焦った表情で左右を見回して、
「こ、この雰囲気はいかんいかんよいかんさね? こ、こここここで一発小粋なジョークを」
「御免なさい。私シリアス担当なの」
ため息まじりに、女の子はサングラスを外して今度はこちらをキッと睨んだ。視殺されそうな力の込められた視線に、後頭部がしびれる。
「そう………つまりあなたも東京湾に沈みたいのね」
「いやシリアス混じるとそれジョークじゃなくなるからね? ね? ってか段階飛んでるよ?」
「うるさいわねえ。冗談よ冗談」
女の子は頬横の髪を耳にかけつつ、ぽそっと、
「………二割くらい」
「八割本気!?」
「嘘。一割よ」
「ほぼ本気だね!? っていうかあなた『も』って………」
うすら寒い笑みでちょっと身を引く斎藤さんに構わず、女の子はこちらに向き直った。眉はひそめられ、怒、というよりも呆れの色が見える。
「この眼力についてそんなこと言われたのは生れて初めてね………気にしないって人もいれば感動したとか言う奴もいるし。ほんとによくわからないわ。とりあえずお礼を言えばいいのかな? で、キミはそれだけ言いにわざわざここまで来たわけ?」
「あ、いや」
僕は慌ててポケットを探り、スマートフォンを出した。カメラを持ってこなかったことが今や心底悔やまれる。
「一枚写真を撮らせてもらえないかな」
「はあ?」
女の子は素っ頓狂な声を上げた。斎藤さんは、ほう、という顔をする。
「何で」
「次の写真展に出したいんだ」
「はあ?」
女の子は二度目、さっきより大きな奇声を上げた。僕はここぞとばかりに力説する。
「絶対に優勝できると思うんだ。次の写真展のテーマは『人』でね。君ならいい絵になることは間違いない」
ちょっと興奮気味に身を乗り出す僕に対し、女の子はちょっと身を引いた。
「そんなこと………」
「いいねえ! 撮ろう! 是非撮ろう!」
斎藤さんが不意に楽しそうに声を上げた。女の子はぎょっとするが、斎藤さんは構わず、
「角度はここら辺からでどうだい? このくらいがやっぱり一番映えると思うんだよ」
「あ、わかってますねえ。僕もそう思ってたんですよ!」
「で、首の角度はこのくらいで、手をこう置いて」
斎藤さんは女の子に手を添えて有無を言わさず向きを変えさせ姿勢を作っていく。女の子はされるがままだったけど、ぼそっと、
「何で斎藤さんがノリノリなのよ………」
しかし斎藤さんのセッティングした女の子は僕から見てもドストライクだった。
でも、何か………
うーん、と斎藤さんは両手の指で作った枠を覗きながらうなった。
「何か、こう、もう一つ………」
「あ、やっぱりそう思いますか。僕も何かもうワンポイント………」
んー、と二人でうなり、しびれを切らした女の子が何かを言おうとした瞬間、斎藤さんが不意に手を打った。
「そうだ、あれがいい!」
女の子と僕が見つめる中、斎藤さんは大股にパイプ机の方へ行くと、その上にあった二羽の折り鶴のうち、紺色の方を手に取った。そしてそれを女の子に持たせてまた少し調節し、がばっと振り返ると、
「これだ! これでどうだい!?」
「それです! 素晴らしい!」
「あなたたちねえ………」
「動かないで!」
僕はスマートフォンのフレームを覗きこみ、じっと睨みつけると、
「…………!」
撮った。シャッター音も軽く写真を収めると、早速ファイルを開いてみる。斎藤さんも覗きこんできて、二人で、
「「ふおお………!」」
「あんたたちねえ………あ、そうか、変態ね? 変態なのね?」
女の子は呆れているが、僕は狂喜して思わず斎藤さんとハイタッチを交わす。
「これだ! 僕はこういう写真をこそ求めていたのですよ!」
「ああ! 素晴らしい腕前だ! それ現像するんだろう? 桜高だったね? 僕も桜校の学祭に行くから、そのとき僕にもくれないか」
「もちろんですよ!」
二人で盛り上がっているのを、もはや何も言わずに眺めている女の子だったが、そこで僕はふと我に返って、
「あ、これ写真展に出品してもいいです?」
恐る恐る尋ねる。ノリでここまで来たけど、そういえば許可を取っていない。無断でやると違法行為だ。
女の子は微妙な表情をしていたが、やがて深々とため息をついて、
「ああもう………ええ、勝手にすれば」
「やった! 結果が出たらお知らせしますね!」
斎藤さんと女の子と強く握手を交わして、僕はテントを出た。来た時と違い、今はやたらとテンションが高い。
まだやるべきことは多い。
「っしゃあ! やるぞお!!」
僕は人目もはばからず空に向かって拳を突き上げた。




