10 彼女は走り回る。
学際準備期間五日目。残り二日。現在時刻8:12。空気はまだ澄んでいる。
教室作業の人たちはかなり集まっている。さっき見たときは篠原君のクラスには鞄だけあって人はいなく、だから外かと思ったらやっぱり中にいた、とかで教室棟と野外作業場を往復している。はっきり言って面倒だけど、携帯電話を忘れたから仕方ない。あれば電話で済んだのだけど、それなりに急ぎの用事だから仕方ない。っていうか何をフラフラしてるのあいつは。
と半ば八つ当たり気味に教室へ来て顔を覗かせると、いた。ただし、・・・・何だこれ。
教室の中心で倒立してる奴がいた。
っていうかそいつは篠原君だった。その周りで二人くらいが作業している。そのうち男子のほうがこちらに気付いた。
「あー・・・・あはは。何か御用ですか」
苦笑いしつつ立ち上がる。私は倒立している篠原君を指して、
「いや、あの、・・・・あれ」
見事な直立不動。倒立だけど。
私の後ろから教室に入った多分このクラスの人も、げ、と変な声を出した。
「あー・・・・あー、篠原?」
彼が声をかけると、篠原君は流れるような動きでスタッと着地し、こちらを見た。
「おう、どうした――――あ?真庭?」
言いながらスタスタとこちらへ歩いてくる。
「どうかしたか」
「どうかした・・・・っていうのはそっちのほうじゃ?」
「ん?俺か。俺に何かおかしいところがあったか?俺はただ教室の中心で倒立してただけだが」
奇行を恥じるどころか堂々と胸を張ってきた。どこかで聞いたような言葉を真似したって無駄よ、全然かっこよくない。っていうか、んなもん見ればわかるって。
「っていうか、何か朝からテンション高くない?」
「ああ。昨日の夜コーヒー飲み過ぎて眠れなくなってな。結局寝てないんだ」
そういうわけでテンションがハイなのさ、とそんな威張られても。
「・・・・馬鹿じゃないの?」
率直な感想に、篠原君は軽くのけぞった。
「うおい、そんなはっきりと言うなよ、いくら本当のこととはいえ傷つくぞ」
「自虐ネタまで使うのか・・・・あんた、本番前に体調崩したりしたらどーすんのさ。責任とれんの?とれないでしょ」
「あー・・・・すまん。善処する。そんなことは絶対にないよう努力する。具体的には気合いで何とかする」
「なるわけないでしょ!うがい手洗い!」
「うああはいはい、わかりましたって。で、何の用だ」
手をひらひらさせる篠原君。口調はぞんざいだけど・・・・目は逸らさなかったからよしとしよう。そろそろ周りの人たちの視線が気になってきたし。
「部活の連絡。私今日ケータイ忘れたから」
今後はよくよく気を付けよう。私は決意した。
「急ぎか?」
「うんまあ。生徒会のほうで何かあったらしくて、順番が少し変わった」
「順番?早くなったのか」
「いや逆――――トリになった」
「ああ?トリぃ?」
篠原君は頓狂な声を上げた。驚くのも無理はない。私もさっき聞いたばかりで参っているのだ。まあやることは変わらないんだけど、気持ちの問題ね。気持ちの。
「んー・・・・そうか」
篠原君は、何やら難しい顔で考えている。
「今日一日は練習出られないんでしょ?」
「ああ。こっちもいろいろ大変でな・・・・でもまあ、明日からは完全にそっちに行けるようにするさ。トリってことは三日目か?」
「うん・・・・頼むよ主人公。何だかんだ言って主役がしっかりしてないと話にならないんだから。っていうか、何があったの?」
「ん、ああ」
続々とやって来るクラスメートに道をあけつつ、篠原君は苦笑して頭を掻いた。
「接合が甘かったらしくって、作業してた一人が引っかけて半壊したらしいんだ。んで責任者が班も違う俺を呼び出しやがってな」
軽く、責任者らしい男子を睨みながら言うけど、言ってる篠原君も顔が半分笑ってるし、言われてる人も素知らぬフリをしながら笑っているから、悪い気持はないんだろう。
「・・・・まあ、俺も手を出したわけで、乗りかかった船だ。最後までやってやらんと気が済まん」
「意気込みは結構だけど、何とかなるの?今日一日で」
完成間近だったんだろう、残り日数から考えて。でも教室内の惨状を見ると大変な有り様だ。
「何とかする。っていうか完成させるさ。もちろん俺一人じゃできないけどな。全員今日まで作ってきた奴らだ。やってできないわけがない」
さも当然のように言う。きっと本気でそう思っているんだろう。篠原君との付き合いは高校に入ってからになるけど、篠原君はどうやら自分を低く評価する悪い癖がある。そんなことないのに。
一人、女の子がやってきた。その子はあのカナムラ君のように指を切ったりでもしたのか、指に包帯を巻いていた。その子は篠原君を見てその前で立ち止まり、何か言いかけたけどすぐに小さく俯いて、
「・・・・おはよう」
「おはようございます」
堂々と答える篠原君に反し、その子はそそくさと教室に入って行った。持っていた買い物袋をあの責任者の人に渡していた。
「んー・・・・気にすることないのにな」
「今の人が壊しちゃったの?」
篠原君は軽く頬を掻きつつ頷いた。
「まあ直接にはな。でもそうなったのは結束で油断した他の奴が原因なわけで、あの人も突き指してんだからむしろ被害者なんだが・・・・ま、下手に見苦しく言い逃れされるよりはよっぽどいいさ」
いい人だ、と篠原君は目を細めてつぶやいた。ふうん、と私はその人を見た。