月夜の下で
俺たちはとりあえず出口となる大橋まで向かうことにした。
この学園島と外とを繋ぐ唯一の大橋。
高等部棟を出ると目の前には小中等部棟が見える。この学園は中央広場を基準とする十字路をもち、四つのブロックに分かれている。
東南ブロックが小中等部棟、西南ブロックが学生寮及び幼等部棟、北東ブロックがここ高等部棟で、北西ブロックが大学部棟となる。広大な敷地の中には主要な棟の他にも購買部やレストランなどもあり、このなかだけで生活できるようになっている。
道端にはまだ学園祭の面影が残る装飾やらポスターやらが残されており、一体今自分が何のために歩いていて、どういう状況に置かれているのかを、忘れてしまいそうになる。
「私さ、まだ半分以上今の状況を理解し切れてないんだけどさ」
「俺もだよ」
「予定だったらさ、明日の朝は祭りの後の大掃除だったよね」
「そうだな」
「でもさ、このゲームがさ、ホントだったらさ、ないんだよね、大掃除」
「多分な」
「言ってたよね、会長」
「中森が?」
中森はこの学校の生徒会長でクラスメイト。きっと彼女もこの『ゲーム』に巻き込まれているのだろう。
「うん。大掃除が終わるまでが学園祭だ、って」
開会式の時に生徒会長の中森が言っていた言葉を俺も思い出していた。
「言ってたな、そんなこと」
歩く。あと少し。
「言ってた。だからさ終わらないのかな、私たちの、高校二年生としての学園祭。このゲームが終わらない限り……」
前を向きながら俺たちは歩く。お互いの顔は見ない。相手の顔を見るということは今“自分”のしている顔を見ることになるから。
「なあ、夏目」俺は、だから、見ずに言う。
「うん?」
「もし校門から出ることが無理そうだったりしたら、言い方は悪いかもしれないけど」
「……」
「乗る、のか? この、ゲーム、に」
足は、止まらない。
「……分からないよ」
「……ん、」
「それってさ、樋口くんの鞄の中に入ってる物の引き金をクラスメイトに向かって引くってことだよね」
「……ああ」
「分からないよ」
島の外へと続く橋の入り口が、もう、そこに見え始めた。
「俺はさ、」
「……」
「俺は、今、二人で元の生活に帰ることしか、それしか考えていない」
「……うん」
「だから、」
俺の言葉を夏目は遮る。
「樋口くん」夏目の方を見る。ばちりと目が合う。「覚えてる?」
「……何を?」
「昨日の、学園祭二日目。樋口くんが『いつから俺のこと樋口くんって呼ぶようになった』って」
「言ったな」ちゃんと覚えている。
「あの時、私、ちょっと誤魔化したよね」
「……ああ、」
「でもね、ちゃんと理由があるんだよ、もちろん」
「……、」
「私ね、呼べなくなったの、キミのこと、はじめ、って」
「……ぇ、」
「小学生のとき、呼んでた、キミのこと、そうやって、何にも考えず、気軽に、お気楽に、無邪気に、ね。けど中学生になって、なんかね、突然、呼べなくなったの、キミのこと、そんな風に簡単に」
目的地はすぐそこ。
「キミの名前をね、勝手に、私が勝手に、何か大切な、貴重な宝石か何かのように突然思うようになっちゃたの。昨日までは『ただのお友達』だったのが、朝起きたらそうじゃなくなってたの、私の中では、ね」
門の前に止まる。
「私ね、思春期まるだしに、キミのこと、好きになってた」
風が吹く。
「好き、今も、この瞬間も」
“夏目”のスカートをふわりと揺らす。
「はじめ」
鳴った。“夏目”の心臓が。
「私、はじめのこと、ずっと好きだったよ」
とくんと、とくんと。
「一緒に、帰ろう」
“俺”の言葉。
※※※
パラリポロプロ。パラリポロプロ。
ハンドから例のちゃちな音が流れる。俺は手に取り、覗く。
『アレ? もしかして、門から外に出ようとしてる?』
メガネウサギがふざけたように、いや、ふざけて言った。
「ああ、だったら怒るか?」
俺もふざけた風を見せる。
『別に怒りはしないけど、それなりの対応はさせてもらうよー』
「それなり……?」
『うん、みんなが頑張って戦うって時に、その輪を乱そうっていうんだから、やっぱり死んでもらうことになるのかなぁ』
あはは、と軽い笑い声。背筋がぞっとする。
「どうやって? お前が拳銃もって追いかけてくるのか?」
『いやいや、忘れたのかい。ボクは君たちの身体を入れ替えるなんて君たちの常識では考えられないようなことをもうしちゃってるんだよ。君たちの生命活動を一瞬で終わらせてしまうことだって、簡単に出来ちゃいそうに思えないかい?』
思えた。
『試してみるかい。ちなみに少し前に君たちと同じような子達が来たけど、これを言ったら震えながら逃げってたよ。どうする?』
「いや……、やめておく」
『賢明だね』
そう言ってメガネウサギの姿は消えた。
※※※
「はい、ビスケット。食べる? 下駄箱に、誰かの上靴と一緒に入ってた奴だけど」夏目は俺にビスケットを差し出す。
「こういう風に、食べ物も自分たちで見つけていかなければいけないのか?」そのビスケットを受け取りながら言う。
「……うん。この、ゲーム、が終わるまで、ね」
「ゲーム、ね」
塀に背中を寄りかかり、少しだけしょっぱい味を噛んで、月を見る。
「あ、」夏目が突然声を上げた。「気付いたんだけどさ」
「ん?」
「これってさ」ビスケットを齧る振りをする。「間接キスになるのかな」
ぽろり、とビスケットの食べかすが胸に落ちる。
「……どうだろう」
「ま、そんなこと言ってたら、常に唾液を口に含んでる訳だしね」
「……!?」
「なんか、不思議だね。うん……、うん……」
口に含んだビスケットが急に甘くなったような気がした。