ほんのひと息
「これ何かな?」
保健室の荷物入れの籠の中に何故か入っていた俺たちの鞄。その中を、失くしたものはないか、と調べていたときに、夏目はそれを見つけた。
「スマートフォン……か?」
俺は夏目が握る手の平大の液晶画面を見つめる。
「それ私のじゃないよ。私のスマホは見当たらないの。代わりにそれが入ってて」
ほら、と鞄の中身をすべて机に出して、空っぽになった鞄を見せる夏目。
「樋口くんのは?」
そう言われて俺はケータイの入っているはずの鞄のポケットを探る。
「ん?」指先に触りなれない感触。「同じのが入ってんな、ケータイの代わりに」
スマートフォンらしき何かを机の上に置く。
「やっぱり樋口くんのはない?」
「ない」
んんん、と腕を組む俺たち。スマートフォンもどきを弄ってみるけど、一向に動く気配がない。
「動かないね」
「動かない」
携帯電話があれば、すぐに外部と連絡がとれたのに。
外部と連絡が取れたとして、自分たちの現状をいったいどうやって説明するのかは置いておいて、外とのつながりを断たれてしまったというのは非常に困る。外は暗い。もう夜も深い。俺のことなんかどうとも思っていないであろうウチの両親は別として、夏目の両親には連絡をいれたかった。
保健室の電話を使ってみようとしたが、都合の非常に悪いことに、断線していた。
言いようのない不安が、胸の奥で、湧いた。
どちらともなく言った。
「とりあえず外でようか」
※※※
十一時五十七分。保健室の時計を信用するのならそういうことになる。後夜祭の開始が六時半からだったから、俺の記憶が途絶えてから、五時間以上経っている。
「で、どうしようか」保険室を出て下駄箱に向かっている途中に夏目が言った。
そうだ、それが問題だ。
これからのこと。
身体を元に戻す手段もわからない。誰が解決できるのか検討もつかない。
俺たちに昨日までの日常は戻るのだろうか。
「お母さんに言ったら驚くかな?」
「……まあ、そうだろうな」
「お父さん、何て言うかな?」
「さあ」俺はぼんやりと俺の家にこのまま帰ったときの親の反応を想像しながら応えた。「こんな経験したことないからなぁ」
それを聞いてか、くすり、と夏目が笑う。ペタンペタンと上靴が廊下を蹴る音が暗い廊下を響く。
「まあ、俺たちは寮暮らしだから。その点は大丈夫だと思う」
「そうだよね。樋口くんは、羽柴くんとおんなじ部屋なんだよね」
「ああ、」
「羽柴くん気付くかな?」
「あいつ鈍感だし、俺のフリしてればばれないと思うけど」
「もしさ、みんなにこんなこと知られたら私たちどうしたらいいのかな? 授業とかさ……、更衣室とか……、あと……、」やけに長い間の後に夏目は言った。「トイレとか……」
ぴたり、と勝手に足が止まる。
「ト……ッ!?」一瞬の内に俺の脳内を桃色な妄想が駆け回った。「イ、レ……」
意識していなかった、というか無理やりに思考から外していた、いわゆる男女の性差というものが頭のなかにどでんと居座りやがる。
「…………っ、」意識し出すと途端にスカートから伸びる足に感じる夜の空気や、胸を締め付ける下着の感覚が体中を這いずりまわり、周りの空気すべてが、ぴりぴり、とこそばゆく感じる。
「どうしよう……か」声がかたかたと震えて飛び出す。
夏目は、“俺”の、顔を赤らめながら。「まあ、お互い様だしね」と小さな声で言いながら、うん、と自分自身に頷いた、そんな風に見えた。