樋口と夏目
十一月頭、文化の日の前後に行われる三日間の学園祭。
その三日目に後夜祭が行われる。
この学園は大きな丸い島に幼稚園から大学までの教育機関が入っていて、一つの小さな町のようになっている。通称、学園島。
四方を海に囲まれたこの島では朝昼夕方、三度出航する連絡船以外、外部との行き来は不可能だ。
そんな閉塞的な学園島の文化祭だから、必然、それは大いに盛り上がる。日頃の鬱憤を晴らすように騒ぎ遊ぶ。俺たちも長い準備期間を乗り越えその三日間を存分に楽しんだ。
そして文化祭後の後夜祭。
メインはキャンプファイアー。若さが爆発したように、恥も理性もすべてを捨て、動物の様に火を囲んで騒ぎまわる。それが許される数少ない時間。
俺は、それが、その空気が、嫌いではなかった。何より、文化祭の残りかすをたらふく飲んで燃え上がる炎は、美しかった。
しかし、
俺はその輪からそっと外れた。頬がやけに熱いのは、きっと、炎が当たったせいではなかった。
校庭の明るさとは対照的な暗い校内を歩いた。外の喧騒もここまでは届かない。まだ文化祭の残り香が漂う教室。片付けは終わっているはずなのに、まだいつもの雰囲気とはまるで違っていた。
図書室の扉は建付けが悪い。俺はそれを、音を立てながら開けた。
明かりは消えたままだった。けれど、彼女の姿はすぐに見つかる。
夏目月夜は、暗闇の中でこそ輝く、そんな少女だった。
彼女は、俺の方を見るなり、窓際に手招きをした。
「約束、覚えてたんだ。ありがとう」
「昨日の今日だ、約束をしたのは」
「それでもだよ。うれしい」
夏目はそう言って、目だけで、窓の外を見るよう、俺に促した。
「知ってた?」夏目は小学生が自分だけの宝物をそっと母親に見せるような表情で言った。「ここからでもキャンプファイアーって、あんなに大きく見えるんだね」
確かに、思った以上に火の手は高く上がり、四階にあるここまで届きそうに見えた。
「あんなに大きな焚き火だったら中にはどんだけの芋が、濡れた新聞紙と一緒に入ってんだろうな」
夏目と二人で図書室の窓の外に見える赤い火を眺めながらそんなことを言い合いながら笑っていた、ような気がする。
そこで、記憶が途切れる。ひとつながりのテープをそこで、ぱちん、とハサミで切り落としたように、そこから先を思い出せない。
そして、今、俺たちは――。
※※※
「あの後、一体どうしたんだっけ、俺たち」
保健室のベッドに腰をかけながら俺は夏目へと話しかける。俺の姿をした、夏目に、だ。
その夏目は少し考えた風を見せ、それから首を横に振った。
「分からない、覚えていない。ぼんやりと頭の中に霧が掛かったみたいにあの後のことだけが思い出せない。昨日の晩御飯は覚えてるのに、ね。可笑しいね、ね?」そう言って、無理やりに笑顔を作る。
俺もまだ慣れない少女の声で、あはは、と笑ってみる。
二人の笑いが止むと、保健室には先ほどよりも重たい沈黙が響く。
辺りは静寂。夜の学校特有の寒気を帯びた静けさ。
「これってさ、いわゆる入れ替わりってやつなのかな……?」
夏目が独り言のように俺に尋ねる。
知らない、と言うわけにもいかず、俺は「かもな」と、これもまた独り言に聞えるように返した。
俺は、俺の履いているよれたスカートの裾をじっと見つめながら、この口を今度は夏目のために動かす。
「ごめんな」夏目の方へ顔を向ける。
「……え?」
「入れ替わるにしたって、何も俺じゃなくたってよかったのにな。ごめんな、夏目」
「そんな、」夏目は俺の声で言う。「そんなことない」俺の目を見て。「樋口くんの方こそ私なんかより、市田さんとかとの方が良かったんじゃないの……?」
「そんなこと」俺は立ち上がり、そして“俺”の手を引っ張り上げる「一ミリも考えてなかった」
夏目は突っ立ったまま俺の方を見つめ、きょとん、とする。“自分”の顔がそんな風に俺のことを見るものだから、何だか面白くて、俺はたまらず噴き出してしまった。
「なあ、まったく関係ない事言っていいか」
「何?」
「俺って意外と背が高かったんだな」
そういうと頭一つ以上、下にある俺の顔を見ながら、夏目は、にっこり、と笑った。
その笑顔は、記憶の中にある夏目の笑顔と、そう違っては見えなかった。