今日のミルクは血のお味
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遠くの方が蜃気楼のように歪みながら、炎のように立ち上る熱気を発している。
夏は始まったばかりだというのに、蝉が煩い。
今年の夏は体温より低くなる日はない、と誰かが言っていた。
私の仕事は食品会社のクレーム処理だ。
クレーム処理といっても、いくつかの種類がある。
まずは、電話対応。
お客様の苦情を聞いて、それが商品の、生産、管理、発送のどの時点で起こった不備なのかを分類する。
必要ならば、担当の人間に通達する仕事だ。
もう一つは、御詫びの訪問だ。
品物を送ってもらい、新品を返送するのが普通だが、時と場合によっては、お客様の家まで伺って御詫びしなければならない。
このクレーム処理を、会社内に設ける所がほとんどだが、外部機関に委託する方がはるかに安く効率良くできる。
だから、私の会社は、他社のクレーム処理を請け負うことを専門にしている。
いくつかの、○○食品や□□フーズなどにくるクレームをウチの会社で処理するのが仕事。
電話対応は、一人ずつ個室が用意してあり、雑音や周りの声が聞こえないように防音構造なっている。
マニュアルのチャートにしたがって、クレーム処理を進めていれば、電話だけで解決することも多い。
電話対応で解決できないのは、異物混入や、食中毒関係のクレームで、特に食中毒は夏に頻繁に起きる。
原因は、お客様側にあることも少なくない。調査や検査をパスしていれば、大抵の厄介な菌はしっかり殺菌されている。
だが、処理する私達にとってはどうでもいいことだ。
私達は、問題が表面化して食品会社に面倒が起こらないためのクッションの役割をすればいい。
私達は第三者なのだから。
その日も、いつものように、電話対応の合間に同僚と話をしていた。
「なぁ、今年はヤケに『△△乳業』
のクレームが多くないか?」
そういえば、ちょうど二件ぐらいクレームがあった。
「そうか?」
「俺なんか、立て続けに三回くらいあったぜ。」
二件くらいなら、例年通りだが、夏が始まって数日しか立っていないのに、この数は少し異常だった。
その日は、△△乳業だけで十件のクレームがあり、そのうち九件は食中毒だった。
再検査の為の通達を送るかどうか話し合い、様子を見るという結論になった。
次の日。
クレームは49件を越えた。
すでに、通達は済ませたが、被害は増え続けていた。
TVのニュースでは、食中毒によって児童の一人が死亡したというニュースがあった。
電話の内容も深刻すぎて対処できない有り様だった。
「謝れば済むと思っているのか」
という激情の電話から
「私の娘を返して」
という悲惨なものまであった。
それに乗じてか、
「人殺し」
という物騒なイタズラまであった。
私達はみんな戸惑ったが、当事者でもなければ、△△乳業でもないという、微妙な立場は、私達を客観的にさせた。
勝手なことを言うなという上司からの戒口令まで出された。
私達は、冷静だった。
自分は第三者であるという安心と、マニュアルどおりのクレーム処理に慣れていたことが大きかった。
私達は、この灰色の壁に囲まれた個室にいるだけだ。
電話は止むことはなく、回線は急遽、増設された。
電話対応の対処方法が決まった。
まず、用件を聞く。相手が情報を求めているなら、情報を教える。
怒っているなら落ち着かせて謝る。
泣いているなら慰めて、励ます。
そんな他愛もない対処だ。
感情移入せず、かといって冷たくせず。
時々、メモと記録を取った。
この部屋には、窓がなく、空調はエアコンによって調節されている。
外と完全に隔てられた部屋は時間の感覚を狂わせた。
まだ朝かもしれないし、もう夕方かもしれない。
少し、寒くなってきた気がして、エアコンを切る。
電話が鳴っている。
今日だけで100件近く、電話応対をしている。
慣れた手付きで受話器を耳にあてる。
そして、いつもの台詞。
「はい、△△乳業お客様担当の石山ですが。」
相手がどんな態度に出ても冷静に。
「………」
相手は妙に静かで、息遣いすら聞こえない。
無言というパターンは確にあった。
イタズラでかけて、何も喋らず、遠くの方で笑い声が聞こえたりする。
「クスクス」
ほら、またイタズラだ。
「自分だけは関係ないって思ってるでしょ?」
「え?」
思わず言葉を失った。
「学校の給食で牛乳が出たの」
冷たい、感情のない少女の声。
「もしかして、君の友達が、食中毒になったのかい?」
少し落ち着いて私が聞く。
「違うよ、死んだのは私。」
ゾッとするような寒さが背中を走る。
切ったハズの冷房が勝手につく。
灰色の箱に、低く唸るような空調の音。
「イタズラは…せ。話は聞く。落ち着いて…はな…話そう。」
「死んだのは友達じゃない。死んだのは貴方じゃない。」
死んだのは自分でもなければ家族でもない
思っていた事を言われて、声を失った。
「ねぇ、そっちに行っていい?」
「私は関係ない。悪いのは△△乳業の奴らだ。恨むなら△△乳業を恨め。」
「関係ない?ホントに?」
想像に反して、近くで声がした。
もう受話器からじゃなかった。
後ろから、湿った視線を感じた。
受話器を叩き付けるように置く。
喉が痺れたように熱い。
逃げようと思うのだけど、足がすくんで立てない。
チャーチャラチャー
突然電話が鳴り出して、飛び退く。
「出ないの?」
後ろから、おどけた少女の声がする。
恐る恐る、手の中に握った受話器に耳をつける。
…はい、△△乳業お客様担当の石…石山ですが。」
「寒いよ…パパ。」
震える声の主は、まさしく今年、小学二年生になる娘の清瀬だった。
「おい、清瀬?清瀬なのか?」
私は、叫んだ。嘘であってくれと願いながら。
「パパ…パパの言った通り、牛乳飲まなかったよ。でも…お友達がみんな…お腹痛いって。」
「死ぬのはお友達じゃない」
後ろで、クスクスと少女が笑いながら言う。
たしかに、私は△△乳業への通達を一日遅らせた。
だが、それは同僚達と相談して決めたのだ。
そして、娘の清瀬には牛乳は絶対に飲むなと警告した。
「パパ。お友達のカナちゃんが死んだの。みんな牛乳飲んで死んじゃう。」
「そうか…お前は飲んでないんだな。」
少し安心して溜め息をつく。
「でもソレってずるいよね…クスクス」
少女は私の正面に回る。
目は笑っていない。
蒼白な顔立ちには血が通っていない。クリクリとした目は焦点があっていない。
「パパ。私だけ、牛乳飲まないとね…カナちゃんが可哀想なの…」
「……えっ?清瀬?」
「だから、私も…ブツッ…ツー、ツー」
無情にも電話が切れる。少女が電話線を抜いたのだ。
「貴方は、関係ないんでしょ?死ぬのは貴方じゃないクスクス。
」
私は呆然と電話機を見つめた。
いつの間にか、冷房の温度が-50になっていた。
「あなたは、△△乳業に通達することができた。でも、一日遅らせた。だって、貴方には関係ないから。」
透明な声が、よく響く。
私は指で何度も、娘の学校の番号を押した。
「あなたは、自分の娘にだけ、牛乳を飲むなと言った。だって、他の誰が死のうと関係ないから。」
私の爪は、冷たいドアを強くひっかいた。
真っ赤な血の色がドアに川の字を描いた。
固いドアはビクトモシナイ。
まるで、外の世界を拒絶するように、
外の世界と無関係に。
今は何時だろうか?
朝なのか夜なのか
外はどうなっているのだろう。
そして娘は、清瀬はどうなったのだろう。
外の世界に通じるドアは固く閉ざされ。
外の世界に通じる電話線はズタズタに引き裂かれている。
この部屋に窓はない。
灰色の棺桶の中は、外の世界よりも少し涼しい。