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ウラウアのちっぽけな一生

作者: 蒼衣

縦書き読み[PDF]推奨小説です。

 ウラウアは、機械仕掛けのロボットであり、同時に『ココロ』というものを所持している大変希有な存在であった。




 ある朝、博士の手によってウラウアという物体は生み出された。ここで言う博士とは、まだ大人と言うには幼く、子どもと言うほど無知ではない男である。並びにロボット工学の天才と呼ばれるほどに、一般が到底敵わないような優れた頭の持ち主であった。


チュンチュンと小鳥のさえずりが静かな街に響き渡る。地平線からちょこっと顔を覗かせる朝日は、うっすらと街を照らして人々に朝を告げる。茶赤の煉瓦や黒い門が立ち並ぶヨーロッパのとある一角に、純白の壁が大きくそびえ立つ古風な洋館があった。朝五時半をちょっと過ぎた時間帯。その豪勢な館の庭に小さな人影が見える。艶やかな腰まで伸びた金色の髪、澄んだ大きな深紅の瞳、華奢で小さな身体―――ウラウアが、そこにいた。

 ウラウアの朝は早い。自分を作ってくれた博士の為にと、博士の好物のパンとポタージュ・クリエームを精魂込めて作ると、洗濯物を日々使い慣れた桶で手洗いをし、最後に個人庭園にしては大きすぎる庭の草花にお水をあげる。お昼は食事の準備と掃除、夜は食事の準備とお風呂の用意をする。最後にすべての用事が済んだら、ウラウアは自分の部屋に戻り、充電器であるコンセントを金属の体に差し込んで、床に就くのだ。

 毎日特に代わり映えのない日常を、ウラウアは意識を持たずに黙々とこなす。その様はまるでロボットのようで、そして実際彼女はロボットなのだ。


 しかしウラウアにはロボットとは異なる、ある決定的な違いがあった。

 いつものごとくウライアは花に水をやる。じょうろから流れ出た水の重さに耐えかねた紫色の花は自分の体を不安定に揺らす。水滴を体に纏い、光を受けるとダイヤモンドの様に輝く。

 そんな様子をウラウアは綺麗だなあ、と思いながら眺める。

 かわいいな、と感情に浸り、ビー玉のような赤いガラス玉の瞳を瞬かせる。

 普通の機械ロボットにはない、『それ』。


 そう、ウラウアには『ココロ』があるのだ。



 静かな部屋にコンコンと控えめなノックの音の後、

「失礼します」

 という声がして重たい扉がギィィと開く。現れたのは滑車を転がすウラウアであった。滑車には上品な金属の取っ手がつくポットが乗っており、そこから温かな湯気が白く立ち上っている。

 室内は薄暗い灯りが一つ点るだけの明るさで包まれている。数千冊にも及ぶ本が収納された棚だなと、美しい彫刻の模様が入った木製の机、大きな赤皮の椅子と金縁の窓があるばかりである。

「博士、紅茶をお持ちしました」

 ウラウアは滑車を転がし、その背に近づくと恭しく頭を下げる。

「やぁ。ありがとう、ウラウア」

 声の主は今まで背を向けていた体を、椅子を動かしウラウアへと向けた。先程まで仕事をしていたのか机には本が数冊積み上げられ、広げられている白い紙には本人でないと分からないような言葉や数式が書き殴られている。博士と呼ばれたその男は、若いあどけなさを残す顔でウラウアに優しげな笑顔を見せた。

「いえ」とウラウアも微笑み、カップに紅茶を注ぐ。その手つきは何年も修練したかのような慣れがあり、上品さが際だっている。注ぎ終えたカップを白い皿に乗せ、博士に手渡す。男はカップに顔を近づけてから言う。

「今日はなんという紅茶だい?」

「本日はアールグレイでございます」

 返答を得た男は少し頷き、「僕の好きなものだね。嬉しいな」と本当に嬉しそうな笑みを浮かべて、カップに口を近づけた。男の紅茶を啜る音だけが部屋を満たす。

 しばらく経って、今度は男が皿にカップを置く音が響いた。ウラウアは何も言わずそれを受け取り、滑車に乗せる。そしてこの仕事は終了したと確認し、ウラウアはドアへと滑車を動かす。

「ウラウア」

 背後から呼び止められ、ウラウアは振り返った。

「? 何でしょうか」

「きみを作ってほんとうによかったと思ってる」

 真面目な顔つきで言う男の突然の言葉に、ウラウアは驚き目をぱちくりとさせる。

「どうなさいましたか、博士?」

「いや、何でもないよ。急に言いたくなったんだ」

 男自身もよく分かっていないようで、手を上げる。しかしその言葉は、博士に奉仕するために生まれてきたウラウアにとっては最高級の褒め言葉であった。ウラウアは内心歓喜に震えていたが表面上には出さず、「も、もったいなきお言葉です」と頭を下げる。

「いやいや、そんなかしこまらなくてもいいよ」

 男は苦笑いを浮かべたが、それでもウラウアは頭を下げ続けた。そんな悶着があった後、ふと思いついたように男が言葉を口にした。

「作った自分で言うのもなんだが、おまえの髪はほんとうに美しいな。まるで天使がくれた絹糸で作った精巧品みたいだ」

 そう言われて、ウラウアは改めて自分の髪を見る。自分自身の部品のことなのでよくは分からないが、それでも博士の言葉で嬉しさがいっぱいになる。なにかが褒められる、それだけでウラウアは幸せを感じる。

「きみはまるで妖精のようだね」

 そう、男は微笑んだ。



 ウラウアにその知らせが届いたのは、夕方博士の帰宅を夕食を作りながら待っていた時だった。いつものように洗濯をして、いつものように掃除もして、いつものように料理をして、いつもと同じ生活を送るはずだった。だが、洋館へ飛び込んできた電話に出てから、それは急変を余儀なくされた。ウラウアは料理の手を止め、鳴る受話器を手に取り『もしもし』と尋ねる。

『―――』

 受話器の向こうで焦りを帯びた声を聞き、そしてそれを全部聞き終わらない内に血相を変えてウラウアは洋館を飛び出した。受話器の向こうの声はこう告げた。

『君のところの博士が交通事故にあって意識不明の重体だって―――』


 足を懸命に動かし、ウラウアは目的の場所へと向かう。他の人の視線なんて関係ない。形振り構わず道を駆ける。始めは悪魔の言葉かと思った。そして聞き間違いであって欲しいと願った。今日の朝まで一緒に居たのだ。言葉も交わしていたのだ。その博士がなんで、なんで―――。ウラウアは焦燥に駆られ、今にも泣き出しそうだった。大丈夫、博士はきっと生きている。だから心配することなんてない。大丈夫だから――崩れそうになる自分に何度も言い聞かせ、オレンジ色に染まる路地を疾駆する。博士が無事であって欲しい。願うことはただそれだけだった。

 ガタンッと病院に着いてドアを開く。他の人が何事かとこちらを見るが気にしない。受付のカウンターまで来たが、ウラウアはどうすればいいのか途方に暮れた。ウラウアは病院というところに来るのは初めてだった。ゆえに誰に博士の居場所を聞けばいいのかが分からなかった。困惑と焦りが混ざり合いうろうろするウラウアの瞳はその時、受付近くに並列している椅子に座る女性を捉えた。ブロンドで肩までの短い髪に、黒いスーツにスカートの女性は椅子に深々と座り、なにやら疲弊を顔に浮かべている。ウラウアはその女性に見覚えがあった。家に居るとき、たまに博士のもとに訪れてくる女性だ。確か博士はこの人のことを助手だとウラウアに紹介をしていた。この人なら博士のことが分かるかもしれない。そう感じたウラウアは早速その女性に近づき、声を掛ける。

「あの、すみません」

 呼びかけに女性は顔を上げる。ウラウアの姿を認め、次に女性は不快な表情を露わにした。だが焦っていたウラウアはそれに気づくことなく言葉を続ける。

「博士はどこにおられるのですか」

「………東塔の三〇二号室よ」

「あ、ありがとうございます!」

 返答を得ると途端にウラウアは顔を輝かせ、博士のいる方へ走り出す。そんなウラウアの背中を足音と共に姿が見えなくなるまで、女は憎々しげに睨み続けていた。


「博士っ!」

 三〇二号室に着いたウラウアはドアを躊躇なく開く。部屋を隈無く見渡すと、個室になっていてベッドの上に男が横たわっていた。真っ白な天井、壁に包まれ閉鎖されているかのような空間、そこにウラウアは大切な人の姿を捉えた。ベッドの上の男はウラウアの先ほどの叫び声で目が覚めたのか、目を瞬かせている。何事かと顔をこちらに向けた男は間違いなく博士だ、とウラウアは理解した。

 博士は、生きている。生きているのだ。怪我をしてぼろぼろな体になっていたとしても、生きているのだ。

「ウラウア……?」

 男の声を聞いた瞬間、ウラウアの中で何かせき止めていたものが一気に流れ出した。

「博士、博士――!」

 ウラウアは男の近くに駆け寄り、うわああと大きな声を出して、泣いた。博士が生きているということが嬉しすぎて、幸福すぎて、この感情を表に出すにはやはりこの方法しかなかった。機械ならば本来ありえない涙というものを、見せた。

「ウラウア、お前―――」

 ウラウアの見せた行動で、男はこのロボットにはありえてはいけない、あるモノが備わっていることを察し、驚愕を顔に浮かべた。

「お前にはココロがあるのか」

 それは独り言のような小さく呟いた声。だからウラウアには届いていなかった。ひたすらにウラウアは男に寄り添い、涙を流す。しばらく放心状態のまま男はその様子を眺めていたが、やがてゆっくりウラウアの頭の上に手を置き、安心させるように優しく優しく微笑んだ。 


 ウラウアは男が退院するまでの間、何度も何度もお見舞いに行った。男はベッドに横になったまま、ウラウアは近くの椅子に座り時間の許す限り雑談に花を咲かせる。たいていは空が青からオレンジ色になるまでの時間帯が多かった。外では毎日何十何百という車が行き来し、忙しなく人々が動き回る情景があるが、ここではゆっくりとした穏やかな時間が流れていた。

 そして今日も、ウラウアは男と病室でのんびりと過ごしていた。ウラウアが何かを言い、つられて男が笑う。

 まただ。

 ウラウアは動きを止め、男の顔を見つめた。博士が入院した初日に博士が無事だと知ったときから、不思議な感覚を感じている。博士の顔を見るだけで人間でいう心臓と呼ばれる部位が活発化し、博士の笑顔を見ると何故か嬉しい気持ちになる。今までにはなかった現象だ。以前、気になったのでこれの原因を調べてみたら《エラー》の文字が表示された。意味が分からないことにもやもやし、またこれを感じてしまった。

「どうしたんだ?」

 反応しないウラウアに、男は笑顔で問いかける。

「っ……」

 この気持ちはなんだろう。ウラウアには分からなかった。


 あれから三週間待った。博士の病院の面会は週二、毎一時間という取り決めがあったので、面会以外はウラウアは博士の家でずっと待っていた。博士が家に帰ってから困らないように家の掃除だってしたし、気持ちよく帰ってこれるようにと、欠かさず庭の手入れもした。重労働ではあったが、ウラウアにとっては苦でさえなかった。これから再び博士と生活することができる。その出来事の前では苦難だって何の意味も成さなかった。

 ウラウアは今朝アップルパイを作った。いつもより時間を掛けて、気持ちを込めて、言葉じゃ言い表せない自分の気持ちをアップルパイに託した。作ったばかりなのでホクホクと湯気がでている。それが入った箱をウラウアは両手に持って待っていた。

 時刻は午後三時を少し回ったところ。博士の到着はもうじきだ、とウラウアは門の前で今か今かと待ち望む。また二人で暮らしていける。博士の乗る車を待つウラウアのガラスの紅い瞳は、これから来る未来に輝く。

 左から道を折り曲がり、黒い車が姿を現す。博士だ。ウラウアは瞬間ぱぁっと顔を輝かせる。黒い車はやがて大きくなり、ついにはキキッ――と門の前でブレーキをかけた。

「博っ……!」

 博士と声を上げウラウアは駆け寄ろうとしたが、

「……!」

 あるものを視界に捉えたウラウアは顔を硬直させ、手からアップルパイの箱を落とす。ふたが開き、形のきれいだったアップルパイは無残に飛び散る。だがそんなことはどうだってよかった。ウラウアの顔は絶望で塗りつぶされる。

「あ……ぁ………」

 ウラウアの些細な幸せが、音を立てて崩れ去る。

 博士は楽しげな会話をしながら、美人な女と腕を組んで車から降りてきた。


 秋の風は爽やかな空気を運んでやってくる。まだ肌寒さはなく、ほのかに暖かさの残る風だ。窓から部屋に入り込み、カーテンを静かに揺らす。室内には男女二人の姿があった。薄暗い部屋で二人は近づいて、そして――

 博士が女と仲睦まじげにしている。女が艶めかしく動き、顔を近づけている。女は例の博士の助手だった。ウラウアが病院で話していた、女性だった。二人はまたお互い顔を近づける。

「……。」

 どうしてか、ウラウアはそれを見ていて辛く思えた。何故辛いのかは分からない。どうしてかその場を去りたいという衝動に駆られた。ウラウアにとって日課である庭の手入れをしている時、博士の部屋の窓が開いているのを見つけた。何かあったのだろうか、と覗いてみると、その光景に出会ってしまったのであった。女が博士に触れる。博士は女を笑顔で受け止める。それが、ウラウアの目に焼き付いて離れない。目を逸らせばいいのに、囚われたかのように離せない。

 女の髪は短髪だった。肩までのもので、腰まで伸びるウラウアとは正反対だった。スラっと身長も高く美人でまるで自分とは違う存在のようだった。男は女の髪を優しく撫で、女はそれをくすぐったそうに目を細める。

「…………。」

 ウラウアはじっと、長い自分の黄金の髪を眺めた。うねる己の髪を、静観する。艶やかで柔らかい絹糸のようで、そして博士が褒めてくれた自慢の髪。

 その夜、ウラウアは髪を切った。


 始め博士は心底驚いた顔をしていたが、「すみません、料理の最中に焦がしてしまいました」とウラウアは嘘をついた。肩のくらいになった髪で、首は風が通りスースーとして長い髪に慣れていたウラウアは不思議な感覚がした。髪を切ると体が軽く感じた。何でも許せるような、そんな気がした。だからウラウアは博士の幸せを祝福することに決めた。博士に作られた自分は博士のものであり、博士の意志に従うのがロボットとして当然なのだと、そう思い起こした。

 ロボットの存在意義とはなんなのだろうか。主の意志に添うこと? 我を持たず無意味に過ごすこと? たとえ偶然自分というものを持ってしまったとしても?

 一個体でしかないウラウアには分からない。でも、博士のためになることを、博士が一番だという気持ちは変わらない。変わるはずもない。だからウラウアは笑う。博士が今日は仕事があると言いながら私服で女と外に出た時も、嬉しそうな顔でウラウアに二人が交際を始めたことを報告した時も、笑顔を絶やすことなどしなかった。機械であるウラウアは自分を騙すことだってできる。嘘の笑顔だって完璧に作ることができる。なのに何で、何で――

「うぅ……」

 夜、就寝時間の充電中、涙などという物が流れるのか。自分にそんなもの必要する訳もないし、邪魔なものでしかない。なのにオイルの滴は止めどなく溢れ出す。拭っても拭っても止まらない。どうして涙が流れるのかは分からない。何故だか無性に哀しいのだ。幸せそうに笑う博士の顔が、ちっぽけで惨めなこんな自分が。泣いてちゃ駄目だ。ウラウアは自分に鞭を振るって涙を消し去ろうとする。こんなところ、博士に見られたら……。

「ウラウア?」

 一筋の光が集まり、倉庫が照らされた。手を止め声の主を探すと、倉庫の入口付近に懐中電灯を持った男が立っているのが見えた。

「博士……」

 放心した声でウラウアは呟く。

「どうしたんだい? なにか声が聞こえたから起きてきたんだけど」

 それを聞いた瞬間ウラウアははっと気づき、残っていた涙の跡を必死に拭い、笑って誤魔化す。

「な、なんでもないですよ、博士。ただちょっとネズミが出たのに驚いてしまって」

「まったくウラウアは……」

 呆れた顔で男は溜息をつく。よかった。気づかれなかったようだ。ウラウアは胸をなで下ろす。この会話を続けることはよくないと、そして別の話題を男に振る。

「そういえば博士。研究報告結果はどうなりましたか?」

「ん、あぁ、そのことか。そうだな……、ウラウア、隣いいかい?」

 ウラウアが小さく頷くと男は近寄り、ウラウアの隣の地べたに腰を下ろした。

「……あのプログラムは学会に提出し、審査待ちだが今のところなかなかいい評価を得ている。学会の連中は僕の作成した資料を興味津々で眺めていたよ。まったく、そういうモノに眼がないやつらだよ」

 苦笑しながら男は話す。

 人工知能装備機械育成プログラム――これが提出されているプログラムの名前である。これは文字通り、人工知能の持った機械を開発、育成するのを目的としたプログラムで、博士が全力を懸けて作り上げてきた大切な研究報告の主を占めている。これはウラウアというココロを持った機械が誕生したのがキッカケで始まった。博士曰く、このロボットで社会福祉や地域に貢献して欲しい、とのこと。昔その理由を尋ねたことがあったが、それに博士は「おまえと話して、一緒にいて、救われたと思うことが何度もあった。それを僕は僕だけではなくもっと他の人に知って貰いたいし、救ってあげたいんだ」と凛々しい口調で応えたので、ウラウアはよく照れていたものだった。同時にその考えは素晴らしいものであると賛同した。博士は素敵な人だった。いつだって自分ではなく人のことを最優先にと考えるような人だった。博士の気持ちがいつか叶ったらいいな、そう思い約二年。ついに学会まで持ち込み、審議の段階まで移ることが出来たのだ。それが嬉しくないはずはない。今、博士は認められる手前まで近づいたのだ。

「…それもおまえのおかげだよ、ウラウア」

「え?」

 真剣な瞳で男は見つめる。

「ここまで来れたのは、おまえのおかげなんだ。おまえが生まれて、僕を支えてくれて、情報を提供してくれて、それで僕は研究を完成させることができたんだ。ほんとうに、ありがとう」

 深々とウラウアに頭を下げる。そこで慌てたのはウラウアだ。自分の敬愛なる男に頭を下ろさせてしまい、あたふたと手を動かす。

「わ、わたしは何もしていませんよ! それは博士、あなたのお力です。そもそもわたしが生まれたのは博士のおかげなのですから、そうおっしゃる必要もありません」

「そうだな…」

「そ、そうですよ」

「でも」

 男は笑って言う。

「やはりおまえのおかげだよ、ウラウア。僕がそう思っているんだ。だから感謝を伝えたい。ありがとう」

「………。」

 真面目な想いをぶつけられ、今度こそウラウアは黙った。誠意には、誠意を持って対応するべきた。だからウラウアも微笑んで、受け止める。

「ありがとう、ございます。とても嬉しいです」

「……それとな」

 鼻をかき、やや照れた表情をして男は口ごもる。

「何でしょうか?」

 自分の中でいろいろな葛藤があったのだろうか、口をもごもどと動かし、たどたどしく言葉を口にする。

「僕たち、近々結婚することが決まったんだ」

 それはかつてのウラウアならば一撃で深い傷の残る言葉だっただろう。しかし今のウラウアにとっては違う。

「ほんとうですか! おめでとうございます、よかったですね!」

 今ではもう、笑顔で祝福の言葉を述べるほどまでにウラウアは成長したのだ。ウラウアの言葉に男はさらに照れた表情を浮かべる。

「ありがとう」

 その後の夜は今まで語られたことのなかった恋の話で花を咲かせた。ウラウアが入り込んでなにかを訊くと、男は顔を赤くしながら答える。

 あぁ、これでいいんだ。これだったんだ。わたしはこれを望んでいたんだ。男と久しぶりに楽しい時間を過ごすウラウアは、涙が零れそうになりながら、笑った。 


 学会から博士の研究が認められるかどうかが決まる日。洋館からは慌ただしい足音が聞こえていた。ウラウアがいつにも増して清掃に取り組んでいるからだ。隅々までピカピカにするためにあっちへモップを持ち、こっちへ雑巾を掛けと縦横無尽に動き回っていた。今日は博士にとっても大事な日なのだ。それならわたしだってもっと心配りをしたほうがいい、ウラウアはそう張り切っていた。

 応接室で結果を待つ男と女の空気は重かった。中でも男は緊張に押しつぶされそうな心境にあった。もし自分の論文が認められなかったらどうしよう。不安が頭を苛ます。いや、しかしあれだけ力を入れて研究した論文だ、大丈夫に決まってる。男はなんとか平常心を保とうとする。果たしてそれはどれほどの効果があるのか定かではないが、男の心の支えにはなっていただろう。その中で女が口を開く。

「ねぇ、ほんとに大丈夫なの?」

「あぁ、きっと大丈夫さ。あれだけ頑張ったんだ。認められないはずがない」

「そう。ならいいけど……」

 不安から早く開放されたいというような重い表情をした女は、男の言葉でしぶしぶ口を閉ざす。しかし結果を待つ時間そのものが嫌なのか、腕を組み、高いヒールの靴を床にカツカツあてて苛立ちを露わにしていた。

 もしも駄目だったら、なんてことは考えたくない。これからの未来が懸かっているのだ。男は縋るような思いで結果を待つ。

 三十分後。チリンというなんとも軽々しい音が鳴り響き、論文の結果が手紙で報告された。配達員がやってきて、男に手紙を渡したかと思うとまた別の配達場があるのか早々に去っていった。男と女は応接室に戻ってくる。ウラウアは事前にそこに待機をしていた。ゴクリと唾を呑み、男は封を破る。おそるおそる手紙を取り出し、中身を確認する。文字を目で追う男に、隣で同じように女が顔を近づけ中を見る。なんと書いてあったのだろうか。ウラウアにとっても緊張の瞬間であった。

 数秒が数十秒にも思われたその後、突然のガタァンッという大きな音に、ウラウアは思わず顔を上げた。音は、女が椅子を薙ぎ倒した音だった。それだけで悟ったウラウアはしかし、最後の希望に縋り博士の顔を確認する。

「っ……!」

 だが、そこには絶望しか浮かんでいなかった。紙を読むまでもなく、ウラウアは論文が学会で認められなかったのだということを知った。博士はこの論文にすべてを捧げてきた。時間だってお金だってすべてを費やしてきた。それを全否定されてしまった博士の心は計り知れない。なんと声を掛ければいいのか…、戸惑うウラウアはそれでも口を開こうとするが、あえなく女のヒステリックな声に遮られてしまう。

「これは一体どういうことよ! なんで認められてないのよ! あんたあれだけ信じろ信じろと言っておきながら、この結果はなんなのよッ!」

「………。」

「は、博士は今まで頑張ってきました…。だから…」

「あんたは黙っていなさい!」

 魂が抜けたかのように無言で朽ち果てる博士に代わりウラウアが弁解をしようとするが、それも一蹴される。

「ねぇ、あたしはあなたがこの論文で賞を貰ってお偉い人になると思っていたから今までついてきたのよ! それなのにこのザマはなによ! ふざけるんじゃないわよ! お金もなくて資格もないあんたなんかに誰がついていくものですか! あなたとはこれでおさらばよ」

 男の心の奥まで抉るような暴言を浴びせ、言いたいことは言ったとばかりに女は鞄を持ってふんと鼻を鳴らし、わざとらしく大きな音を立てて外へ出て行った。

 残されたのは男と、ウラウア。あまりの酷い光景に、ウラウアは目を閉じたくなった。背けたかった。でも、女を追うことも出来ない博士の哀しすぎる姿が痛々しくて、それすらできない。博士は今、どんな気持ちなのだろう。人生を懸けた研究を否定され、愛していた女は出て行ってしまった。人生のすべてを一瞬にして奪い去られたその気持ちを。

「………。」

 男は無言を貫く。俯いた顔からは表情が見えない。なんと言葉を掛ければいいのか躊躇われて、ウラウアは静かに近づき手を伸ばそうとする。これはウラウアがへこんだ時によく博士がやってくれていたことだった。頭を撫でてもらえるだけで、ウラウアは幸せな気持ちになるのだ。だからそれをほんのちょっとでいいから博士に、と手を伸ばす。

 だが、頭に届く前にバシッと男に手を叩かれてしまった。

「あ……」

 明らかな拒絶にウラウアの表情も凍る。拒絶された手はしばらく宙にあったが、やがて力なくだらんと落ちる。周りの時が止まっているとさえ錯覚するほどに、空間が凍り付いていた。やがてその時間の檻を破り、男は口を開く。

「………くれ」

「え…?」

「出て行って、くれないか。一人にさせてくれ……」

「……分かりました」

 悲痛な申し出に、ウラウアは心境を察っし、頭を下げて部屋を出る。ギィィと重い扉を閉め、男の姿だけを部屋に残した。


 倉庫に戻ったウラウアは一人黙って座る。あの時自分の判断は間違っていたのであろうか。どうやって博士に接してあげればよかったのか。あのまま去らずにそばにいた方がよかったのではないだろうか。色々な考えが悶々とし、ウラウアは苛む。

 だからわたしはポンコツ機械ロボットなんだ。博士の気持ちも分かってあげられない。苦しんでいるのが分かっているのに、なにもできない。こんなだから、博士の論文の妨げとなっていたのだ。これはすべて、わたしの所為だ。わたしが優秀なロボットだったなら、今頃博士は飛躍的に出世し、あの女とも結婚し末永く幸せになっていたんだ。すべてを、わたしが壊した。もう嫌だった。博士を苦しめる、なにもかもが。勿論、自分自身だって許せなかった。自分なんて消えてしまった方が良いのでは、そんな気持ちが一瞬脳をかすめる。

 でも。ウラウアはおもむろに立ち上がる。何もせず消えてしまったらそれこそ何の意味もない存在になってしまう。わたしは博士のためのロボット。ここで動かずして、なにをするのか。主人と仕えるロボットは一心同体であると。ならばわたしはそれを実行するまでのこと。

 踏み出した一歩は今までと決意の重さが決定的に違った。不安や悔しさ、絶望で作られていた表情は今、恐いくらいに凛々しくなっていた。圧倒的な強さがそこには宿っていた。ウラウアは進む。男の元へ、決意を持って。


 トントンとノックの音がして、

「失礼します」

 と応接間に入ってくる影があった。それはもはや、人間と呼ぶに相応しい、機械仕掛けのウラウアの姿があった。

 部屋に電気が灯っていないためか昼間なのに、真っ暗闇が広がっている。ウラウアは自分の暗闇に適応する能力を使い、前へと進む。客間のため床には高級そうな赤い絨毯、大きな机と椅子が数個並んで置いてある。その一番端に、男の姿があった。椅子を入口とは反対側に配置し、ただただ黙々と座っていた。

「博士」

 近づきながらウラウアは声を掛ける。

「言いつけを守れなくて、すみません。ですがわたしはどうしても博士に言いたいことがあるのです。伝えたい言葉があるのです。ご無礼、大変申し訳ありません」

「………。」

 男は沈黙を守っている。反応したくないのか、はたまたウラウアと言葉さえ交わしたくないのか。それにもめげずに、ウラウアは話しかける。

「機械のわたしが何を言うか、と思われるでしょうがそれでも言います。わたしはあなた、博士のことを尊敬し、そして愛しています。だから―――」

 しかし言葉はそこで途切れた。ウラウアがある異変に気がついたのだ。それはほんの些細な違和感だったが、しだいに大きな恐怖とすり替わる。

「博士……?」

 声を掛けるウラウアの声が小さくかすれる。

「………。」

 男は何も答えない。ウラウアの中で警告音が鳴り響く。自然と足早になっていた。男の座る椅子の傍まで寄ったウラウアは博士の顔を恐る恐る覗く。

「博、士……?」

 そこにはきれいな表情で眠る博士の顔があった。血の気のない蒼白い色をして、唇は紫色に変色していて、いかにも神々しかった。

 顔を動かし机の上を見ると、そこには白い粉が飛び散り、オブラートが散乱していた。

「………。」

 ウラウアはすべてを悟った。なにもかも遅かったのだと気づいた。もう言葉は必要ない。静かにウラウアは手を伸ばし、いともたやすく男を持ち上げる。男には熱を帯びておらず、ウラウアのココロまで凍らせてしまうほど冷え冷えとしていた。男を大切そうに抱き上げたウラウアは歩き始める。

 もう、あなたを一人にはしません。

 わたしもあなたの元へ――― 





「おや……?」

 ヨーロッパのある冬の日、清掃作業をしていた老人が何かを見つけて声を上げた。ここは来年から大きなビルが開発される予定のとある空き地で、伸びきった雑草やゴミがそこらかしこに落ちている。老人は荒廃した空き地の整備を任され、やってきたのだが、空き地の真ん中に妙なモノを見つけて立ち止まった。まじまじと見つめる。

 そこには小さく作られた山と、隣には機械が寄り添うように横たわっていた。機械は放置されてから時が立ったのか腐敗して金属の部分が剥きだしになっており、元の顔は判別不可能になっていた。ちらほら雪が降り、地面にうっすら積もってゆく。

 顔が見える訳でもないのに、老人には何故だかその機械ロボットは幸せそうに微笑んでいるような、そんな気がした。









読んでくださり、本当にありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  「ロボットと心」というテーマは、結構古典的なものだと思います。しかし本作の場合、ロボットが『ゼロから心を獲得するまでの過程』ではなく、『心を深めていく過程』に焦点を置いているようですね。…
[一言] 童話のような語り口とストーリーがよく噛み合っていたと思います。 ウラウアについてはみなさん語られていますので、もう一人の女性……「助手」について。 はっきりとした悪役になっているのですが、ど…
2011/12/26 23:41 退会済み
管理
[一言] ボカロ曲の「ココロ」(鏡音リン)を思い出しました。 人間とロボットの永遠の恋。 切ないお話です。 素敵な時間をありがとうございました。
2011/12/26 20:42 退会済み
管理
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