『速報! オリンピック種目〝あっち向いてホイ〟十七歳男子高校生が金メダル獲得!』
『スキージャンプ金メダル!!! 十七歳!!! 十七歳という若さで金メダルを獲得しました!!! 高橋無音選手おめでとうございます!!!!!!!』
朝、パブロフの犬なみに無意識下で点けたテレビから、男性アナウンサーの声がやたら大きく響いてきた。どうやらいつの間にか開催されていた冬季オリピックで、高橋という選手がジャンプ系の競技で金メダルを獲ったらしい。
そんな世界が熱狂する情報を、同じ苗字、同じ年齢の僕、高橋創は、いたって平凡な屋内にあるリビングにてワイシャツへと袖を通し、ネクタイを締めながら何の感動も得られないままに頭の中に流し込んだ。
この高橋という選手が金メダルを獲得するまでに懸けた情熱や時間は果たしてどれほどのものかは想像することすら出来ない。多分同じことをしても同じ結果にはならないだろうな、ということぐらいしか僕には分からないままだ。
「そりゃあね、だからこそ凄い訳だし」
毎朝一緒に通学している近所の幼馴染、町田姫桜も、オリンピックの情報だけは頭の中に入れてきたらしい。けれども、だからといって特別お洒落をしてきた訳ではないし、いつもの時間、いつもの場所で僕が家から出てくるのを待っていてくれただけだ。
僕とは違う制服姿の彼女は、小学生の頃はおかっぱ頭だったとは思えない程に伸ばした髪を揺らしながら、僕と同じ方向へと歩き始める。
駅までは一緒。
だからボディガードを頼む。
そういった関係だ。
「もし今の創君が金メダルを穫るとしたら、種目は何かな?」
「さぁ……? じゃんけんとかじゃない?」
「あっち向いてホイとか? それなら私でも金メダル狙えそう。あははっ、笑える。受賞の秘訣は? とか聞かれても、何にも答えること出来ないよ。あははっ、やばっ、想像しちゃった。創選手、じゃんけんにはどのようにして勝ったのでしょうか? なんて、あははっ」
高校生の男女の会話とは思えない程に幼稚な内容だけど、そういった下らない会話ですら気兼ねなくすることが出来るのだから、やっぱり僕達の仲は悪くはない、いや、そこそこ良い関係と言えるのだろう。一緒にいると緊張する必要もないし、気を使う必要もない。言葉だって選ぶ必要がないんだ、だって姫桜は下ネタだって笑ってくれるって知ってるから。
「じゃあ、またね」
二人の時間を堪能出来るのは、互いが利用する駅まで。その後の彼女がどういう日常を過ごしているのかは、僕には分からない。
例え、電車の中で彼女へと仲良さそうに語りかける他校の男子の姿が見えても、僕には何も聞く権利は無いし、その後を見ることだって出来ないんだ。
イヤフォンを耳に装着し、雑音を消す。
いつも通りの日常。
ずっと変わって欲しくない日常。
それが崩れたのは、ある朝のことだった。
『全国じゃんけん大会オリンピックを実施することが、政府により正式に決まりました』
とてもふざけた内容をとてもマジメな顔で言われると、どうして人間は笑いがこみ上げてくるのか。毎朝のルーティンレベルで点けていたテレビから聞こえてきた耳に鳴れない言葉は、食べていた目玉焼きとご飯を吹き出すには充分過ぎるほどの破壊力を秘めていた。
「あ、これ本当に開催されるのか。まったく、政治家ってのは暇人の集まりなんだな」
「本当、こんなの参加したくないわよね」
両親の反応を見るに、どうやら大人たちはどこからか情報を入手していたらしい。全国じゃんけん大会オリンピック、どのような内容なのかを、テレビの女性アナウンサーが丁寧にフリップ付きで説明していたのだけれども。
「創君テレビ見た!? じゃんけん大会オリンピックが開催されるんだって!」
ほぼほぼ同じ内容を、同じ番組を見ていたであろう姫桜から聞かされることになり、お陰様で僕の頭の中では完全にじゃんけん大会オリンピックのルールブックが叩き込まれることとなった。
ルール① 国民は強制参加である。
ルール② 対戦相手はランダムで決まる。
ルール③ 競技中は支給された動作検知型手袋を装着の上、カメラ搭載のヘッドギアを装着し、対戦相手とはオンラインでの対戦を実施する。
ルール④ 大会不参加の場合、公的機関利用不可等の罰則が適用される可能性がある。最悪は懲役レベルの内容だった気がする。
ルール⑤ 勝ち残り者が三十名以下になり次第、オンライン大会からオフライン大会へと移行する。その際の会場は武道館を利用する。
他にもいろいろとあったけど、所詮はじゃんけん大会なのだからルールもへったくれもない。ただ見知らぬ相手とじゃんけん、あっち向いてホイをし、勝った負けたをすればいいだけのこと。
「優勝者には金メダルが付与されるらしいよ! 創君、これは頑張るしかないよ!」
「頑張るって言ってもなぁ」
「ほら、よく聞くじゃない、じゃんけんする時の相手の視線とか腕の動きとかで何を出すか予想出来るとか! 大会まで二か月あるんだから、今から目一杯練習しようよ!」
じゃんけんする時の相手の視線とか腕の動きとかで何を出すか予想出来るのなら、既にその道のプロがいるだろうし僕なんかが今から努力したところでたかが知れている。
他の競技と同じ、僕の予想なんか出来ないような訓練をした人が金メダルを穫り、そして何もない日々が始まるに決まっているんだ。
それにテレビで言っていたけど、今回のじゃんけん大会の目的は昨今のオリンピックへの冷めた熱をどうにかするべきと、世界のお偉いさんが考えて決めたものなのだから、一般人がじゃんけんに対する熱を燃やす必要は一切ないはず。
でも。
「はい、創君、じゃーんけん、ぽん!」
こうして姫桜との時間が笑って過ごせるのなら、それだけでこの施策は成功なんじゃないかと、心のどこかで思う僕がいるのも確かだ。
それからというもの、学校でも家の中でもSNSでも、話題はじゃんけん大会オリンピック一色だった。ある意味、オリンピックへの再燃という目的は既に果たせたのではないかと言えるほどに、あちらこちらでじゃんけんの掛け声が聞こえてくる。
「はい創君、じゃーんけーんぽん! ああ、負けちゃった、創君じゃんけん強いわね」
あんなに乗り気じゃなかった母さんまでこれなのだから、既に施策は大成功と言っていいだろう。父さんは相も変わらず冷ややかな目をしているけど、両親が仲良さそうにじゃんけんをしていたのを、僕は知っている。やっぱり、施策は成功なのだろう。
発表から二ヶ月後。
じゃんけん大会予選。
約一億二千万人が同日に参加出来る訳もなく、数週間に分けての開催となった。結果は全てオンラインで確認出来るし、どのように大会が進むのかも動画で確認が出来るのだから、ある意味後々にまわしてくれた方が楽でいいな、と一人思っていたのに。
「こんにちは! 創君の応援にきましたー!」
なぜか、僕は対戦カード初日に設定されてしまっていた。国を挙げての大会ゆえか平日に休むことまで許可されているのに、なぜ土曜日である今日が僕の対戦日なのか。いろいろと文句を言いたかったけど国が決めたことだから何も言えないし、土日休みの人が多いのだからそこが一番多く設定されてしまったのだろうと言えばそれまでなのだけど。
「創君、頑張ってね!」
でも、こうして姫桜が応援しに来てくれたのだから、これだけで満足すべきことなのだろう。思えば姫桜とは毎日のように顔を合わせてはいるものの、休みの日に家まで来てくれたとなると本当、何年前のことか。
「うわ、これが専用手袋なんだね。結構大きいし、配線凄いね。それにヘッドギアってフルフェイスのヘルメットみたいな感じなんだ。へぇー、これって相手の視線とかを見せない為なのかな?」
ヘルメット越しだからか、彼女の顔が近い。
吐息でシールドが曇って、ドキドキする。
「こうして姫桜の顔が見えているのだから、きっと相手の視線だって見えるよ」
「あ、そうなんだ」
「これにはカメラが搭載されていてね、相手が不正していないかを検知する為に造られたらしいよ?」
「不正って、どんな?」
「例えば、次に何を出します、みたいなのを掲示しておくとか?」
「……それって、相手に勝ちを譲るってこと?」
「うん、わざと負けたいって人も、結構多いみたいだしね」
大会が長引けば長引くほど、じゃんけん大会オリンピックに束縛されてしまう。所詮じゃんけんなのだから所要時間は短いし、練習も何もないのだけれど、それだけでもプライベート時間が奪われるのは確かなんだ。こうして現に、僕の土曜日の午前中は、装置設置とかスマートフォンにアプリを入れたりとかで消費されてしまった。
姫桜が側にいてくれるから僕はそれで相殺されてはいるものの、働いてるサラリーマンからしたら貴重な休みを潰されているのだから、たまったものではないだろう
「さて、そろそろ時間か」
専用のスタンドにスマートフォンを立てかける。
アプリ起動。
コードナンバー入力。
名前、生年月日を確認。
『準備出来ました、そのままでお待ち下さい』
画面には、黒地に白で対戦相手準備中の文字が表示されている。沈黙したまま画面を眺めていると、僕の背後に姫桜が映り込んできた。綺麗にととのった前髪、それとは別に胸へと落ちる髪が僕の肩に触れる。
「へぇ……こういう画面なんだね」
僕の両肩に手を置き、より一層彼女は僕へと密着してきた。まるで昔のように、やがて身体全部を僕へと預けてしまうのではないかという意味不明な期待が、僕の胸をやたらと高鳴らせてくる。
もう少し、あとちょっとで。
緊張で握りしめた拳が。
飲み込めずにいた唾が舌に溜まりそうな時。
『対戦相手の準備が出来ました』
画面が、一瞬でどこかの室内へと変わる。
「わわっ」
咄嗟に肩から離れた彼女は、そのまま僕から離れ、反対側……つまりは僕が見ているスマートフォンの方へと、その身を移動させた。
スマートフォンの向こうに、姫桜がいる。
それだけで口元が無意識に緩む。
『ああ、ようやく繋がりました。すいません、お待たせしてしまって』
僕の対戦相手は、見た目、五十から六十ぐらいのメガネを掛けた男性だった。頭は禿げているし、室内なのにセーターを着込んでいる。和室かな? 障子の部屋とか初めてみたかも。
『いやぁ、あんまりこういうのが得意じゃなくてね。孫にも手伝って貰ってようやくです。良いですよねぇ、今回みたいな大会、ウチの方じゃ勝っても負けても商品券が貰えるみたいで、本当、毎年開催して欲しいくらいですよ』
「ははっ……そうですね」
見知らぬオジサンと会話している僕を見てか、姫桜がニヤニヤした顔つきで僕の方を見ている。ジェスチャーであっち行けってやるも、それでも彼女は動かないまま。やむなし、このままとっととじゃんけんを終わらせてしまおう。
『ええと、では、始めましょうか。このじゃんけんって所を触るといいんですよね?』
「はい、それでコールが掛かりますので、後は画面に向けてじゃんけんをして下さい」
『ありがとう、では、宜しくお願いします』
画面の向こうでオジサンがタップするのを見届けた後、僕もスマートフォンの画面、じゃんけんの部分をタップする。すると、女性の声でアナウンスが流れ始めた。
『では、コードナンバー5522648と、72558521によるじゃんけん大会を開始いたします。私のコールの後、一秒以内にグー、チョキ、パーを出して下さい。では、参ります。じゃーんけーん、ぽん!』
僕はグーを出した。
オジサンが出したのはパーだった。
負けた。
ちょっと悔しかった。
『じゃんけんの勝敗が決まりました。ナンバー72558521、私のコールの後一秒以内に上下左右へと指を向けて下さい。ナンバー5522648、私のコールの後一秒以内に、顔を上下左右へと向けて下さい』
そうだった、まだ終わっていなかった。
『では、参ります。あっちむいて……ほい!』
咄嗟に上を向いた。
オジサンの指は右を向いている。
『勝敗が付きませんでした。じゃんけんからやり直します』
ふーっと、息を吐いた。
良かった、まだ負けてない。
見れば姫桜も同じように肩を上下させていた。
緊張が勝手に伝播して、なんだか面白い。
『では、参ります。じゃーんけーん、ぽん!』
僕は再度グーを出した。
オジサンはチョキへと変えていた。
『じゃんけんの勝敗が決まりました。ナンバー5522648、私のコールの後一秒以内に上下左右へと指を向けて下さい。ナンバー72558521、私のコールの後一秒以内に、顔を上下左右へと向けて下さい』
今度は立場が逆転だ。
これを勝てば、僕は一回戦を突破出来る。
今気づいたけど、このヘルメット、じゃんけんが始まると相手の表情が見えない。相手の視線とかで情報を与えるのを防ぐっていう、姫桜の意見が正しかったってことか。
『では、参ります。あっちむいて……ほい!』
僕は指を右へと向けた。
オジサンの顔も、指と同じ方向へと向いている。
『勝敗が決しました。ナンバー5522648はアプリを消さずに、次の案内をお待ち下さい。ナンバー72558521はアプリを削除し、次の案内をお待ちください。対戦お疲れ様でした』
アナウンスの後、オジサンへと何かを伝える間もなく、画面が暗転してしまった。もうちょっと何か、将棋でいうところの感想戦みたいなのをしたい気分だったけど、別にじゃんけんだしそんなものないか……と、一人どこか納得していると。
「創君、一回戦突破おめでとー!」
スマートフォンの向こうで、姫桜が僕へと向けて拍手してくれていた。これが見れただけでも儲けものだし、勝ったという実感が沸々と湧いてきて、なんだがちょっとだけ嬉しかった。
予選第一回戦が終わると、じゃんけん大会オリンピックの話題は、SNS上でかなりの賑わいを見せていた。有名インフルエンサーが勝ったと伝えればファンがおめでとうを連呼し、何だか怪しげな人がじゃんけんの勝ち方を伝えていれば、無言のままブックマークが増えていく。
まだ勝ち残っている自分はこの話題についていけるんだなと思うと、やっぱりそれもどこか嬉しく思える。
それから姫桜も無事一回戦は突破したものの、その後の四回戦で敗退し、今や完全にリスナー側の人間だ。
それから回数を重ねていくごとに、勝ち残った人たちは発言力を増していく。じゃんけん大会生存という名前を頭に付けるだけで、それだけでフォロワーがあっという間に一万人を超えてしまうのだから、もはやフィーバー状態と言っても良い。
そして、僕はと言うと。
『では、参ります。あっちむいて……ほい!』
予選大会二十一試合目。
既に参加者は減りに減り、百名ちょっと。
『勝敗が決しました。ナンバー5522648はアプリを消さずに、次の案内をお待ち下さい。ナンバー3988521はアプリを削除し、次の案内をお待ちください。対戦お疲れ様でした』
なんと、未だに勝ち残ってしまっていた。
「凄いね創君……これで残り六十四人だから、次勝ったら武道館だよ……ぶ、武道館だよ! 武道館だよ創君! 創君武道館!」
「分かった、分かったから、叩くのヤメて」
「うきゃあああ! 凄い! 私の幼馴染が武道館にいけるとか、本当に凄いいいいいぃ!」
じゃんけん大会なのだから、確実に誰か一人は優勝出来るシステムだとはいえ、そこに僕の名前が刻まれるとは到底思えない。そんなの、全ての幸運を使い果たしたたとしても、きっと不可能だ。
だけど、期待してしまう。
なぜなら、競技がじゃんけんだから。
もしかしたらが、常に頭の中で踊る。
そしてそれは、現実でも拍車をかけていく。
「おはようございます! 高橋選手、第二十一回大会、勝ち残りおめでとうございます!」
「あ、あの、ありがとうございます……」
「残る大会は後六回! あと六回勝利すれば、高橋選手のオリンピック金メダルを穫るという現実を、どう受け止めておりますか!」
どのオリンピック種目でもそうだけど、選手の個人名は世界に公表されてしまうものだ。そして残り二桁までいってしまうと、こうして住所まで判明されてしまい、自宅へと取材が突撃してくる。
「そうですね……穫れたらいいなと思います」
「大変ありがたいお言葉、誠にありがとうございました! 国一番のラッキーボーイになれる可能性、あらゆる企業が高橋選手へと注目しております! 是非とも優勝、金メダル目指して頑張って下さい!」
なぜじゃんけん如きで企業が? と思ってしまうところだけど、こんなのでも一番になればインフルエンサーとしての期待値は上がってしまうものらしい。しかも、ただの一番じゃない。一億二千万人の中の一番なのだから、これは普通じゃない。
そんな普通じゃないものに、僕はなろうとしている。
第二十二回戦、最終オンライン大会。
僕は、対戦相手に勝利した。
「九段下から徒歩ですぐなんだね。うわ凄っ、本物の武道館って、結構迫力あるね……」
大会当日。
僕は日本武道館へと足を運んでいた。
しかもなぜか、姫桜と一緒に。
二人で東京までお出かけって、これはもうデートなのではないのだろうか。これまで姫桜とのお出かけなんて、家から自転車で行けるショッピングモールとか、中学卒業式の時に集団で行った焼肉屋ぐらいしかなかったのに。
「それにしても、創君が武道館で大会に参加するとか、想像もしなかったなー。これで大会優勝したら、どうなっちゃうんだろうね」
大会優勝したら、どうなっちゃうんだろうね?
そんなの、金メダル貰って終わりなんじゃ?
「さすがにそれはないと思うよ? だって全国民で一番なんだよ? ネットではたかがじゃんけんって言われてるけどさ、それだって一番になったのなら、それはもう凄いことなんだよ。そして、そんな凄い人のことを、大人は絶対に見逃さない。絶対にお金に変える何かをするんだと思う」
「なんか、含みのある言い方だね」
「でも、実際そうだと思うよ? テレビとかCMで引っ張りだこになって、ほらあれ、お笑いの大会で優勝すると、そこから延々とテレビに出続けるじゃん? あんな感じになっちゃうんじゃないかな」
「芸能人……ってヤツ?」
「そうそう、そんな感じ。あーあ、私だけの創君だったのになー」
私だけの創君?
なんで、そんなことを今の僕に伝えるのか。
まるで世界と姫桜を天秤に乗せてどちらを選択すべきなのかとか、そんな雰囲気まで出てくるじゃないか。もしそうなった場合、僕は間違いなく姫桜を選ぶ。こんな慌ただしい非日常なんて僕には不釣り合いだし、毎朝同じ時間に同じ道を歩く君が一緒にいればそれだけで充分なのだから、そこに悩む部分なんて微塵もない。
「なんてね。冗談だから、真に受けないでね」
じゃあなんで、悲しそうな顔をするんだよ。
そういうのが分かるぐらい、僕達付き合い長いじゃないか。
まとまらない頭のまま。
僕は流されるように会場へと足を運ぶ。
『では、第一回、全国じゃんけん大会オリンピック、決勝戦を開始いたします! 決勝戦第一試合、ナンバー2235さん、壇上へとお上がり下さい!』
満員御礼、想像以上に集まった人たちがどこまでも高らかに歓声を上げる。決勝戦に残った三十二名、学生に会社員、どこかのインフルエンサーみたいな人や、僕よりも若い小学生の女の子までいる。
今日が初対面な訳なんだけど、既に僕達の情報はインターネットでダダ漏れなのだから、なんだか初めての気がしない。会釈をされて、会釈を返してしまうぐらいの親近感が既にある。
そして親近感を持った人たち同士でじゃんけんをし、勝者と敗者に別れる。失った人、敗者へと落胆の声が多数上がるも、それでも彼らは非日常から日常へと戻るだけのこと。肩の荷が降りた、そういった顔の人が多かったのは、このじゃんけん大会オリンピックという場が、僕達一般人にはやはり不釣り合いな舞台だったという証拠に他ならない。
『コードナンバー5522648様! 壇上へとお上がり下さい!』
そんな中、僕の番号が呼ばれる。
コードナンバー5522648。
この番号で呼ばれることも多くなった。
多分、直近の一ヶ月では本名よりも多いと思う。
「創くーん! 頑張ってねー!」
「創ー! 頑張ってー!」
「創! 絶対勝てよ!」
姫桜や両親、更には同じ学校のクラスメイトなんかも観客席にいて、ただただ恥ずかしいばかりだ。
でも、心のどこかに闘志の炎が点火される。
こうして応援されるなんてこと、なかったから。
期待されている、僕の勝利も、僕の敗北も。
「武蔵先輩! 勝ったらボーナスっすよ!」
「優勝一直線だぞー! 頑張れやー!」
「武蔵ちゃーん! ファイトー!」
僕の対戦相手。
住良木武蔵。
多分、土木系のお兄さん。
まともに喧嘩したら絶対に勝てないって分かる。
腕の筋肉だって、首の太さだって段違いだ。
『それでは! 決勝戦第十六試合! 開始します!』
これまでのオンライン大会と違い、多数のジャッジとコールの女性の合図で、僕の決勝戦が始まった。雑多な音が耳から消え、痛いくらいの静寂が僕と対戦相手を包み込む。既に相手の表情を知ることは出来ない。でも、それは好都合だ。あの人の目線を直に見ているだけで、小動物系の僕は萎縮し、弱きになってしまっていただろうから。
『……じゃーんけーん! ぽん!』
僕が出したのは、チョキだった。
チョキを選んだのはネットでの僕の情報を見たから。どうやら僕はじゃんけんの最初でグーを出す可能性がとてつもなく高いらしい。実に七十八%と記録されていたのだから、ある意味僕がグーを出すのは鉄板とも言える。更に言えばこの大舞台だ、緊張が思考の邪魔をし、咄嗟の判断としてグーを出す可能性だって高い。
だからこそのチョキ。
対戦相手もいろいろと考えたのだろう。
見れば、そこには手を開き、震える相手がいた。
『コードナンバー5522648の勝利です! では続いて、あっち向いてホイに移ります!』
喝采、そして静寂。
段々と、この緊張を心地よく感じる。
ずっと続いて欲しい。
そんな欲が、僕の指の方向を決めた。
『あっむいてぇぇぇ……ホイ!』
どこまでも上に。
それはきっと、彼も同じだったのだろう。
「あ」
という彼の呟きが、耳に残る。
対戦相手、住良木武蔵は、上を向いていた。
『勝者、コードナンバー5522648! おめでとうございます! ベスト16へと勝ち残りましたー!!!!』
途端、湧き上がる歓声、ブルブルブルと大地が揺れる感じは、まさに地鳴りのようだ。
だけど、この響き渡る歓声がどこまでも心地良い。
こんな世界を知る人が、世の中にいるのか。
「あークッソ! データなんかに頼らなきゃ良かったぜ! ちくしょー!!!」
これまでとは違い、対戦相手はすぐに消えたりはしない。僕の目の前で生の感情を顕にする。何か声掛けした方がいいのだろうか? 所詮はじゃんけんなのだから、たまたまですよ、とか、次やったら僕が負けます、とか、そういった慰めの言葉が必要なのではないか? そう考え、何かを言おうとして……やめた。
彼の目が、それを否定しているから。
圧倒的憎悪、圧倒的妬み。
じゃんけんなのだから、必ず誰かが勝つ。
そして、必ず誰かが負ける。
勝者が何を言っても、敗者には届かない。
この年齢になって、この場に立って。
それをようやく、思い知った。
観客席の和気あいあいとした空気と、選手がいるこの場所では空気が違う。たった一言の会話の無いままに、僕は空気を飲み込む。母さんが用意してくれた水筒のお茶だけが、僕の味方だ。
ベスト16、ベスト8。
そして呼称が準決勝へと変わる。
『勝者! コードナンバー5522648!! 高橋創選手! おめでとうございます!』
この時点で、僕の準優勝が確定となった。
一億二千万人の中で、二番目の存在。
口の奥に噛み切れないガムがあるみたいにむずがゆいし、高揚感っていうのかな、頭がずっとパチパチしたままで止まらないし、今起こっている何もかもが現実だとは思えない。
二番目なんだ。
はっきり言って、もう充分だろう。
ここまで上り詰めるだけでも奇跡と言える、拍手喝采だってもう聞き慣れた、怒号のような歓声ももう充分だ。次の戦いは勝っても負けても、多分僕は大満足で舞台を下りる事ができる。
たかがじゃんけん。
たかがあっち向いてホイ。
こんな幼稚園児でも出来る遊びでここまで熱くなれたのだから、もう、ここで終わっていいんだ。
全部出し切った。
特に動いてもないくせに、一丁前に汗なんか流してさ。本当に楽しかった、この数ヶ月、楽しかったとしか言えないよ。これで終わり、明日からまた姫桜との平凡な日常が戻ってくる。
彼女も、それを望んでいた。
僕が勝つことを、彼女も望んでいない。
これで終わり。
そう考えたら、なぜか足が軽くなった。
『第一回、じゃんけん大会オリンピック……決勝戦を開始します! 各選手は壇上へとお進み下さい!』
観衆へと手を振りながら、階段を上がる。
武道館中央に設けられた特設試合会場。
ここに上がれるのは、全国民で二人だけ。
僕と、対戦相手の————
「高橋無音です、宜しく」
————オリンピック金メダリストの、高橋無音だ。
正直、彼がここまで勝ち残るとは思えなかった。
もう本物のオリンピックで金メダルを獲ったんだろ? どうしてこんな舞台にまでお前が上がってくるんだよっていう、劣等感マシマシの思考回路しか動いていなかったからだ。
だからこそ彼の勝ち残りは無いと思っていた。だってもう金メダルを獲っているのだから。こんな名前だけの、運だけの金メダルなんてハッキリ言って不要だろ? これ以上箔をつけてどうするよ? 地鳴りのような喝采も、あふれんばかりの拍手も、もうお前は知ってるよな? なんでこの舞台にお前がいるんだ、場違いなんだよ。
この劣等感故の思考回路は。
きっと僕が負け犬だからだろう。
同じことをしても、きっと勝てない。
姫桜も言っていたじゃないか。
それだけのことが出来る、凄い人なんだって。
そう……彼女も認めていたんだ。
いつも隣で笑っていた姫桜が。
「……僕も、認められたい」
僕も、姫桜に認められたい。
私の幼馴染は凄い人なんだって、認めさせたい。
電車に乗ったあとも、僕を見て欲しい。
他の誰かじゃなくて、僕だけを見て欲しい。
動機は不純だ。
こんな酷い動機、多分誰も想像すらしていない。
単純過ぎる。
単細胞動物かよ。
でも、だからこそ。
燃えやすい。
負けたくない。
いつだって僕の世界には、彼女が必要だから。
彼女にとって、僕が必要であって欲しいから。
『では!!! じゃんけん大会オリンピック、決勝戦を開始します!!!』
お前はもう全部持ってるだろ?
一個ぐらい僕に寄越せよ。
そうしたら僕は。
弱虫で負け犬の僕は。
『じゃーん、けーん!』
奪った勇気で、彼女に告白してみせるから。
『ぽん!!!!!』
——————
※タイトルへと続く。




