青い瞳
「早う。ミラちゃん。早う。早う。そんなにゆっくり登っとると日が暮れちゃうよ」
「待って。夏菜子ちゃん……。私、基本的に輝択部(帰宅部)なの。こんなハードな山登りは私には無理……」
「キタクブ?何ね?それ。東京の食べもんか?こんな小山も越せんようじゃ元気な子は産めんよ」
「……子を産むって私まだ結婚もしてないんだけど……」
「無駄口叩かんと足動かし」
夏菜子ちゃんの後に続き私は足を引きずるようにして山を登りながら、彼女の急かす声に対して息も絶え絶えに無言で頷いた。
タイムスリープ2日目の夕方。
初めての勤労奉仕、終了後。
私と夏菜子ちゃんは2人、山頂にあるお社を目指して学校の裏にある小山の男坂を登っていた。
昨日、私と夏菜子ちゃんの出会ったあの小山だ。
「もう無理……。夏菜子ちゃん、少し休もうよ〜」
「なんね。ミラちゃん。若いのに締まりがない。ほら、お社まで後ほんの少しよ。頑張りん」
「え、無理……」
小山の中腹付近。
私は軽快な足取りで前を登る夏菜子ちゃんの背を目で追いながら彼女に十数歩遅れて、石段を1段1段ゆっくりと噛み締めるように登っていった。
体力測定、万年C判定。
そんな私にはこの階段を登りきることは、かなりの苦行だ。
もちろんこの時代の石段には手摺なんていう物はない。
足を踏み外したら下へ真っ逆さま。 一貫の終わり。
(こんな山登り、今日限りにしたい!早く未来に帰れるといいなぁ……)
私はそんな淡い期待を抱きながら震える右膝を庇い、無言でひたすらに石段という名ばかりの獣道を登っていくのだった。
*
お社に向かって延びる道は男坂と女坂とがある。
真っ直ぐ伸びた石段を敷いた男坂は歩く距離は短いが山道を蛇行する女坂に比べ傾斜が激しい。
今は小山の8合目辺り。
全体重が膝へとのしかかる拷問のような重みを脚に感じながら私は山頂を見上げた。
ふと立ち止まり下界に見た街の景色は今日も昨日と同じ夏色の濃い緑に包まれている。
「風が気持ちいい……」
一瞬の癒やし。
この場所は太陽が傾いたこの時間には、夏なのに仄かに涼しい風が吹き上げてきた。
遠くに見える“名古屋の街”だという黒い建物の塊は所々から灰色の煙を吐き出して見える。
遠目からは灰色の靄に包まれた街は何だか悲壮感が漂っているように私の瞳に映った。
(昨日の警戒警報、アメリカ軍が偵察に来たのが原因らしいから、あそこにもいつ爆弾が落ちるか分からない……。現実は史実どおりとは限らない……)
そんなことを考えると未来から来た私は、これから起こりるであろう未来の出来事を口に出来ないでいる罪悪感に胸が小さく軋んだ。
「ミラちゃん。早う!」
「はい!」
山頂からエールを送る夏菜子ちゃんの言葉に背を押され、私は最後の力を振り絞って急ぎ山を登りきる覚悟を決めた。
そして再び重い足を前へ前へと進めるのだった。
*
この後も9合目までは順調だった。
だが体力の無い私はラストスパートに差し掛かると無言で下に見える女学校の小さな畑と頂上に立っている夏菜子ちゃんを交互に見ながら登るのが精一杯になってきた。
ママに言うとおりにテニス続けていれば良かった……と心から後悔した。
そんなこんなで、ラストスパート。
頂上に立つ夏菜子ちゃんが「ここからの景色が街で1番キレイよ」と言った辺りから私は周りの景色など見る余裕など1ミリもなくなっていた。
山頂の特有の涼しい空気とは反対に石段を登る度に私の額からは湯気のような汗が吹き出してきた。
そして、
「よし、無事にお社に着いたね!ミラちゃん。よく頑張った!!ほら、見てみ。今日はいつもより早いからみかん色の空と街がいつもよりキレイに見えるよ……」
夏菜子ちゃんはそう言うとすぐに踵を返して地面に膝をついた。
そして、お社の前で柏手を3回打つとキツネ様に深々とお辞儀をする。
その後、萎びた野菊の花を途中で摘んできた紫色の小さな野草へと挿し替えていく。
お餅をお供えしたばかりのお社の両脇にいるキツネ様は今日も昨日と同じで相も変わらずニヒルな笑いを浮かべて私を見下してきた。
この時間こんな、へんぴな場所に私達以外の人影はない。
パン パン
「ん?変ね。今日もお供えが無くなっちょる。昨日、置いたはずなんやけどなぁ〜。まぁ、いいか。さぁ、ミラちゃん、早う帰ろうか……」
夏菜子ちゃんは短いお祈りをすると私の方を振り返り下山するため石段を駆け下りて行こうと石段に足を掛けた。
しかし、 次の瞬間。
ガサガサ ガサガサ……
「きゃっ!」
私が夏菜子ちゃんの隙をつきキツネ様のお社の扉に手を掛けていた、ちょうどその時。
すぐ後ろにいるはずの夏菜子ちゃんが藪の方を見て小さな悲鳴をあげた。
「夏菜子ちゃん!?どうしたの?」
蝋人形のよう固まった夏菜子ちゃんの後ろから私は恐る恐る石段の横にある大きな藪の方を覗き込んだ。
熊か鹿か何か大きなものが藪の中から遠くへ逃げて行くかのような足音が聞こえる。
「あ、青い瞳だった。はじめてミラちゃんに会った時と同じ青色の瞳……」
夏菜子ちゃんはそう言い残すと私を置いて藪の中へ一直線に走って行った。
「え!?ちょっと待って!夏菜子ちゃん……。キツネ様、私、未来に帰りた……。あ、ちょと。夏菜子ちゃん待ってよ!」
私はキツネ様の像に適当に柏手を打つと急いで夏菜子ちゃんの後を追った。
ガサ ガサ ガサ……
夏菜子ちゃんを追って入った藪の中はクモの巣や小枝が突き出ていて思うように前へは進めないような獣道だった。
ガサ ガサ ガサ……
だが、そんな中でも夏菜子ちゃんは目標を見据え無我夢中というように藪の中をズンズン突き進んで行った。
「夏菜子ちゃん。ちょっと。待って、待ってよ!夏菜子ちゃん……」
私は必死に夏菜子ちゃんの背を見失わないように走り続けた。
そして、
「ミラちゃん、見て!見てぇなアレ!!」
突然、開けた場所にある四角い井戸の前で夏菜子ちゃんは走るのを止め、足を止めた。
辿り着いたのは回り回ってお社の隣にある空井戸の前。
空井戸は、ひいおばあちゃんの家にあるのと同じ形のものだ。
(何でこんな瓜二つの形をした井戸がこの時代に……?)
「待って!夏菜子ちゃん。早いよ……。そんな走っても追いつかな、い?」
私がやっとのことで藪を掻き分け夏菜子ちゃんの近くに到着した時。
夏菜子ちゃんは、さっき悲鳴を上げた時と同じように開いた口に手を当て少し上の方を見上げながら固まっていた。
「か、夏菜子ちゃん!大丈夫!?」
私は近くの長い枝を掴み、夏菜子ちゃんの隣に立つと彼女の目線の先を追ってみた。
すると彼女の目の前には泥だらけの迷彩色の軍服を着た背の高い若い男性が木の側に立っているのだと分かった。
彫りの深い顔。
白い肌。
日本人ではない。
そして、すぐに男性は諦めたように大木の影から太陽の下へとゆっくりと出てきた。
私達はその瞬間、彼が私と同じ青い瞳。
そして金色の髪を持つ男性だと分かった。
(異国の人だ。どこの国の人だろう?アメリカ?フランス?彼もタイムリープしてきたのかな?……)
私はそんな事を考えながら悠長に彼の容姿を眺めていた。
だが、夏菜子ちゃんは違ったようだ。
泥だらけの軍服の彼を黒い双眼で穴が開くほど見つめると鋭い声で、こう言い放った。
「例の異人さんかね!?」 と。
そして気がつけば夏菜子ちゃんは少林寺拳法の構えのような体制で男性と対峙し、警戒を始めた。
数秒間の対峙の後、
ギュルルルル……
軍服姿の男性のお腹は助けを求めるように高い声を出し、短く鳴った。
男性はお腹が鳴り止むと少し恥ずかしそうに身をかがめ、私達に背中を向けた。
「……っ」
7月の生暖かい風が3人の微妙な空気を遠くまで吹き飛ばしていく。
すると、
「……ミラちゃん、今日、お昼に食べきれんかった麦飯のおむすび、あるかね?」
夏菜子ちゃんは年長者らしく一番に口を開き、事の次第を理解したように深く頷いた。
「えっ?あるけど……」
動揺する私とは対照的に夏菜子ちゃんは射るような目で男性を見つめたまま目を離さず、私の手提げの方に無言で手を差し出してきた。
私は夏菜子ちゃんのあまりにも真剣な表情に物怖じし、思わず半分かけのおむすびの入った包みを夏菜子ちゃんに差し出した。
「ありがとう。ミラちゃん。これ、この異人さんにあげてくれんかね。彼、今お腹空いとるみたい……」
夏菜子ちゃんはそう言うと私の返事も聞かず彼の前に冷え切ったおむすびの入った包みを突き出した。
引きつった笑顔とは裏腹に彼女の手は汗ばみ、小刻みに揺れている。
きっと男性が武器を隠しているのか疑っているのだろう。
隣にいる私までその緊張がひしひしと伝わってくる。
困惑する男性に夏菜子ちゃんは、おむすびを“異人さん”と呼んだ男性のお腹の前に再び突き出すと、こう言った。
「ほれ、水とおむすび。おむすび半分やけど……。お腹空いとるんでしょ?食べりん」
夏菜子ちゃんはそう言うと青い瞳の男性に少しずつ、にじり寄っていった。
男性は夏菜子ちゃんの言葉が分からない様子だ。
首を傾げ不安そうに夏菜子ちゃんの突き出したおむすびを見下ろしている。
「早う!」
バサッ
夏菜子ちゃんのあまりの威圧的な言い方に男性は近づいてきた夏菜子ちゃんの手からあっさりとおむすびを受け取った。
だが男性は手渡されたおむすびと水筒に目を落とし、どうしていいか分からないようで暫く夏菜子ちゃんと同じように固まっていた。
「早う。食べりん!」
夏菜子ちゃんは言葉の分からないであろう男性に向かい少し怒ったような顔で催促をする。
「……」
「……」
短い間。
2人の間に生暖かい沈黙の時間が流れていく。
ほんの短い時間であった。
だが私は2人の作り出している微妙に張りつめた空気に耐えられず間に立って入り、とりえず英語で通訳をしてみることにした。
「え~っと。ハロー。This is a rice ball and water.Please eat these.Do you understand English?(おむすびと水です。食べてください。私の言ってること分かりますか?)」
私はまずは簡単な英語で通訳を始めた。
すると、
「……えっ!何!?」
「……W!What!?(何!?)」
そして私は初めての通訳の後。
2人から同時に射るような視線を向けられた恐怖で彼らと同じように固まった。
(2人とも顔、めちゃくちゃ怖い……。でもWhat?か。じゃぁ、やっぱり彼は英語が通じる人だ。じゃあ、どうにか会話はできるかも……)
ぐ~ ぎゅるる……
「……Th、Thank you!」
彼は、再度お腹が鳴った後。
私と夏菜子ちゃんにそれぞれ頭を軽く下げると天を見上げた。
そして胸の前で十字を切ると地面に直に胡座をかき、半分かけのおむすびを一口で平らげた。
私の半分かけのおむすびはあっという間に彼のお腹の中へと消えていったのだ。
彼がおむすびを食べ終えた後。
今度は3人の間にまた短い沈黙の時が流れていった。
その沈黙のせきを切るように夏菜子ちゃんは突然、男性の前にかがみ込むと彼の瞳をじっと、覗き込んだ。
私の時と同じだ。
「本当にキレイな瞳。ブルーや。私の生まれ故郷の三河の海みたいじゃ。え~っと。異人さん。私達は明日も同じ時間に来ます。じゃぁ、また……」
夏菜子ちゃんは、そう言うと私の分の竹筒を地面に置いた。
そして踵を返すと元来た男坂の方へ帰って行こうとした。
「夏菜子ちゃん、待って!私、帰りは女坂が良いんだけど!えっと、異人さん。……I'll come again tomorrow.(私達は明日また来ます)」
先を急ぐ夏菜子ちゃんは名前も知らない私と同じ青い瞳を持つ異国の男性を藪の中に置き去りにして突然、走り出した。
そして、あの日。
私は汗ばむ夏菜子ちゃんの背を無我夢中で追いかけながら、私達は2人だけの秘密を胸に秘めて家へ帰る事になったのだった。
*
夏菜子ちゃんはその日の帰路。
私が何を話しかけても口を聞いてはくれなかった。
怒っているのか。
それとも何か言いたい事を我慢しているのか。
それは私には分からない。
だけど坂を下る時に垣間見えた彼女の横顔は、戦争下で青春をどこかに置き忘れてしまった女の子が青春を取り戻した。
そんな幸せそうな乙女の顔をしていた。




