コンニャクと和紙
「ミラちゃん。今日からお前さんには、ここの2階の教室で勤労奉仕してもらうかんね。なぁ、昨日話していた通り西洋風の立派な校舎じゃろ。安心しんしゃい。ここの人達はみんな良い人だかんね」
タイムスリープをした日の翌朝。
夏菜子ちゃんは現代ともそんなに違わない夏菜子ちゃんも通っているという木造2階建ての校舎の中を案内してくれた。
そして案内の最後に階段を登ってすぐ突き当たりにある一際広い教室の前で意味有りげな雰囲気を醸し出し、立ち止まった。
夏菜子ちゃんはその後すぐに振り返ると誇らしげに胸を張り私に、こう言ったのだ。
「ミラちゃん。ここが私らの戦場。秘密兵器を造っとる工場や!」 と。
私はこの言葉を聞いた時。
胃が口からまろび出る思いがした。
*
昨晩。
私と夏菜子ちゃんは制服の話の後、夜遅くまでガールズトークを繰り広げた。
夏菜子ちゃんの身の上話では夏菜子ちゃんは今、父方のおばあちゃんの家に“疎開”しに来ているそうだ。
以前・住んでいた家は今、借家に出している。
出身は三河の碧海郡という所にある海沿いの小さな港町。
そこは大きな漁師町らしかった。
お父さんとお母さんは恋愛結婚。
ひとりっ子のお母さんの所へ、こちらもひとりっ子のお父さんがおばあちゃんからの勘当覚悟で若い頃に婿養子として飛んで行ったらしい。
だが一昨年。
母方の次ぐ身内の不幸で夏菜子ちゃんはお母さんと死に別れた。
その年、お父さんの出征も決まり頼れる親族もなくなった為に去年ここに疎開してきたそうだ。
お母さんの家は夏菜子ちゃんに血筋を残し、断絶してしまったらしい。
私も夏菜子ちゃんの後に続き簡単な身の上を話した。
東京に暮らしていた事。
パパとママと3人暮らしだという事。
パパはごく普通の会社勤めの会社員でママは中学の体育科の教師だと言う事。
私のジイジとバアバは二親の家系とも健在。
今回父方のひいおばあちゃんの葬儀で名古屋を訪れたが、私だけパパと逸れて帰れなくなってしまった事などを話した。
夏菜子ちゃんは終始、相槌を打って話を聞いてくれた。
だが夏菜子ちゃんの中では今でも私は“身売りされそうになったかわいそうな女の子”という設定にてなっているようだ。
彼女の顔からは私の生い立ちを聞いた後もどこか哀愁が漂って見えた。
*
勤労奉仕、初出勤の日。
今日は朝からどんよりとした曇り空。
太陽の光に当たると瞳が青色に変わってしまう私にとっては室内の目張りされた薄暗い空間での勤労奉仕は正直、有難い話だった。
“勤労奉仕”とは10代の若者が学校で勉強をする代わりに戦争で兵隊さんの使う武器や衣類。
それに食べ物を育てる事を言うらしい。
この時代初等科までは主に勤労奉仕の合間に 読み書き、国史、体育それに修身という教科を学ぶ事のみが許されている。
私や夏菜子ちゃんの通う高等科は勤労奉仕だけで授業は行われない。
この時代に現代では当たり前の給食は勿論ない……。
昼食は弁当、持参だ。
*
夏菜子ちゃんの通っている女学校は初等科、中等科、高等科があるエレベーター式の比較的新しい女学校。
初等科から高等科まで、全部合わせて500人くらいの児童・生徒が在籍している多所帯のようだ。
だが、高等科の生徒は今現在、半分くらいしか学校に通っていない。
もう半分の生徒は人手不足を補う為に名古屋の街の方へ勤労奉仕に駆り出されているという話だ。
最近は女学校でも“疎開”する人が多くなり、人手が足らず私が入るクラスでは半分がこの女学校の生徒ではなく“国民学校出身者”が勤労奉仕に来ているらしかった。
ガラ ガラ ガラ……
「まだ、早いから誰も来てないね。まぁ、ええわ。ミラちゃん、これが私らの勤労奉仕や!!」
夏菜子ちゃんはそう言うと部屋の中央に置かれた机の前でめい一杯に手を広げた。
「何だか色々とすごいね……。私の想像以上……」
昨晩。
私は夏菜子ちゃんから大まかな作業内容は聞いていた。
半紙ほどの大きさの和紙を5枚、糊で貼り合わせる単純作業。
だだ、それだけという話だった。
だが作業場を見て痛感した。
実際は想像ていた以上に重労働のようだ。
教室の扉を開けると教室の中には粘り気のある長芋と雨上がりの土の入り混じったような重苦しい悪臭が押し込められていた。
更に教室の奥に入ると全ての机の上に裾だけが白い灰色のまだらな布が掛けられているのが目に入る。
(多分、布は机が汚れないようにテーブルクロスの代わりになる物なんだろうけど……)
教室の臭いを嗅いだだけなのに頭をポコポコハンマーで強く叩かれ続けられるような鈍い頭痛に襲われた。
どうやら今、私は今晩辺り悪夢にうなされるフラグが立ったらしい。
(こんな所で1日過ごすとか地獄過ぎる。今日は朝作ってもらった弁当のおむすびだけが唯一の楽しみかも……)
そうこう考えている間に教室の入口に私と同じくらいの年頃の女の子達が紺色のモンペに白いシャツ。
それにおそろいの黄ばんだ鉢巻をして黄色い声をあげながら、ぞろぞろと集まってきた。
みんな腕におそろいの緑色の腕章を付けている。
昨晩、夏菜子ちゃんのおばあちゃんが旧友である女学校の女先生に私の事を話してくれたおかげで私もみんなとお揃いの腕章をつけ、難なく学校に出入りできることになっていた。
だが、不安もある。
共学出身の私には夏菜子ちゃんから昨晩、聞いた女子校の独特のおおっぴらけな雰囲気に慣れることが出来るのかということだ。
トンッ!
「おはよう!夏菜子さん。夕べの“警戒警報”本当におそがかったの〜。爆弾、街に落ちんと本当よかったわ。あ、そやそやもう聞いたか!昨日の米兵の話!!」
「おはよう!ハナちゃん」
私達が教室の端で突っ立っていると小柄な三つ編みをした女の子が夏菜子ちゃんの隣に立ち朝から元気よく挨拶を交わしてきた。
その後、女の子は教室の1番後ろの右端に置かれたイスに座って話を続ける。
どうやら私の存在は彼女の眼中にないようだ。
「今朝方、私が聞いた女学校組の話ではな。夕べ名古屋の真ん中に偵察に来たアメリカの飛行機が学校の裏山ん中に落っこちたんだと。そんでな。昨晩、若い金髪の米兵と壮年の米兵がな血だらけで隣村の憲兵さんにしょっぴかれて行くのを稽古から帰る途中に千代さんが見たそうじゃ……」
女の子はそう言うと学校に来る途中に仲の良い女学生から聞いたばかりだという話を、さも自分が見聞きしてきたかのように身振り手振りを加えて大おおげさに語った。
夏菜子ちゃんは彼女の話に真剣な表情で相槌を返していく。
「墜落した飛行機は3機。3機じゃと。じゃとしたらまだ、この辺の山ん中に米兵が隠れてとるかもしれんな。1人操縦士が足らん。おそがいなぁ……。米兵っていうのは背が高くて天狗みたいに鼻が長くて肌が白いんじゃろ?ん……?」
女の子は私の姿に気がつくと突然、聞いてきたばかりだという噂話を早口で締め括った。
そして好奇心に満ちた目で私の方を見る。
すると、
「夏菜子さん!誰かね。その色の白い、めんこい子!!」
女の子は大声でこう話した後。
私の手ぬぐいを巻いた頭からモンペの先まで舐めるようにしてじっくりと見定めてきた。
つぶらな眼で穴が開くほどに見つめられると動物園の珍獣になったような、こそばゆい気持ちだ。
そんな明るい女の子に夏菜子ちゃんは優しく笑って、こう話を切り出した。
「やっと気づいたかね。ハナちゃんはホント噂話が好きやねぇ。あんね、ハナちゃん。この子は田中ミラちゃん。私の遠い遠い親戚の娘や。ほら、右耳の所。おんなじ所に黒子がある。これが親戚の証拠じゃ。昨日、東京から疎開して来たんよ。ここいらじゃ、まだ知り合いもいないから仲良くしてな」
そう言うと夏菜子ちゃんは私の背を押しハナちゃんの前に私を突き出した。
右耳の黒子は昨日、夏菜子ちゃんと内湯に入った時に偶然見つけたものだ。
私は鳥居の向こう側の世界ではこの黒子の事をピアスシールをする時に浮き出るので疎ましく思っていた。
なのでコンシーラーでいつも隠していたのだが、今はじめて体のいい言い訳に使えた黒子の存在に感謝をした。
「よ、よろしくお願いします……」
ハナちゃんの方を向くと私は蚊の鳴くような声で挨拶をした。
「はい、よろしく。あんたいくつね?私は16!」
ハナちゃんは、そう言うと私の隣に立ち、少し背伸びをした。
「私も16……です」
「そうね。じゃぁ、敬語はなしじゃ。私は林ハナ。ミラちゃんは東京の子かね?尾張の訛りがないじゃ。東京の女学校通ってたんか?」
「女学校?いや、中高共に共学だよ」
「キョウガク?」
「男子も女子も同じ学校っていう意味」
「ふ〜ん。こない年まで男と女が同じ学校なんて、この辺じゃぁ聞いたこともないな。東京はやっぱり進んどるんだね。じゃぁ、お金持ちの家の子じゃ。どおりで日焼けしとらん訳じゃ。私は国民学校の初等部しか出とらんのよ。勤労奉仕じゃなきゃこんな金持ちのお嬢様の通う校舎には入れん。まぁ、あっちの島の簪を差した団体さんは、この学校に通っとるお嬢様方なんやけんど……」
ハナちゃんは早口でそう説明すると入り口から来た何かに気づき、逃げるよう机の下に急いで隠れた。
カツッ カツッ カツッ
私の背後からブーツの踵を打ち鳴らしながら近づいてくる人型の気配がする。
私が気配の主を見る為に振り向こうとした瞬間。
気配の主は威圧的な口調で自ら口火を切ってきた。
「あなた見ない顔ね?最近、疎開して来た人か?」
私が振り返ると赤い派手な色の生地の百合柄のモンペ。
それに見るからに高そうな赤珊瑚の簪を挿した艶のある黒髪。
そんな如何にも“お金持ち”という雰囲気の容姿の背のかなり高い細身の女性は、私の前に立つと腰に手を当て更に威圧的な目つきで品定めするように私を見てきた。
「あっ……。はい!私、田中ミラと言います。今は夏菜子さんの家に居候……じゃなくて、疎開させて頂いています。東京の湊高校1年生……」
恐る恐る詰まりながら話す私に対し女性は初めは私を見下すように見ていた。
だが、彼女は私が“高校”と言ったワードを出した辺りから明らかに目の色を変えて私の体を上から下へと舐め回すように丁寧に品定めを始めた。
そして、
「東京!高校!?そ、そうね……。夏菜子さんの親戚……。じゃ、私らと同じやね。そいじゃ私からの餞別よ。友達になる子は選んだ方が良いわ。訛りの多い子らは頭が悪くて匂いも臭くて敵わないわよ。友達はきちんと選ばんとね。私は伊豫田千代。家は村長をしてるの。それじゃ、ごきげんよう。これから仲良くしてね。ミラさん」
女性はそう言うと机の下に隠れた小さな頭を見て目を細め睨みつけると、女学校出身の少女達の待つ古巣へと帰っていった。
「は?……な、何なの?あの人!?」
私は女性が背を向けると小さな声で机の下に隠れているハナちゃんに、こう呟いた。
「ミラちゃん……。あん人は、もう行ったかね?」
机の下からハナちゃんのか細い声が聞こえてくる。
「うん。もう行ったよ。何なのあの人!偉そうに」
「あ~。おそがかった。私、千代さん、苦手じゃ。ミラちゃん。千代さんはこの学校の主じゃ。すらっとして顔は銀幕の女優さんのようじゃけど自分が師範学校に通っとったから言うて国民学校出の私らの事いつも馬鹿にしてくるんよ。家も大金持ちじゃ。ホントはこんな勤労奉仕なんてしなくてもいいお嬢様なんよ。じゃけんど国の為や言うてわざわざこんなにキツイ勤労奉仕に毎日来とるんよ。そいで目下にはいつも話す時は命令口調じゃ……」
そう言い終えるとハナちゃんはカサカサと厚くなった両掌を私に見せて、こう言った。
「でもな、ミラちゃん。この前、国民学校出の私らがな、ここの女学校生さんらを抑えて勤労奉仕でな1等賞取ったんよ。そしたらな、ここの先生が賞状くれたんよ。今度見せたげるわ。あんたも賞状もらえるよう頑張りん!!」
ハナちゃんはそう言うと私の手を取り、私を黄色い和紙と独特の粘り気のある灰色の液体の置かれた教壇の前まで連れて行った。
教壇の前は曇の日だからだろうか。
薄い和紙で目張りをされたガラス窓の教室は日の光が届かず何となく薄暗い。
「ミラちゃん。これが私らの仕事じゃ。こうやってな、5枚の和紙をこの糊で隙間なく貼り付けるんじゃ。糊は厚すぎても薄すぎてもいかん」
ハナちゃんはそう言うと液体を自分の作業所まで運んでいきボロボロの刷毛で液体を少しだけ掬うと2枚の和紙を器用に重ね合わせていった。
「ねぇ……ハナちゃん。この糊は何で出来ているの?」
私は不思議な臭いする灰色の液体の入った器を手に取りハナちゃんの横顔に顔を近づけ話しかけた。
するとハナちゃんは骨が見えそうな程薄くなった右手の人差し指に液体を取り黄ばんだ歯を見せ笑うと当たり前の事ように、こう言った。
「ん?これか。これは、コンニャク芋じゃ。米は兵隊さんのご飯じゃき、今はコンニャク芋で糊を作っとる。 最近では東京でもコンニャクは食べられんじゃろ?」
ハナちゃんはそう言うと自分の場所だと言う教室の1番前の席の隣を快く空け、私が作業に慣れるまで根気強く貼り方のコツを教えてくれた。
空気が入らないように2枚の和紙を素早く糊で貼り合わせる。
糊は薄すぎでも厚すぎてもいけない。
同じ作業を繰り返して5枚の和紙を隙間なく貼り合わせたら、空いている所に置いてしっかりと乾かす……。
(な~んだ。思っていたよりも簡単そう……)
私は第一印象。
ハナちゃんの手際の良い作業を隣で見ながらそう思っていた。
「じゃ、ミラちゃんもやってみて」
「うん!」
私はハナちゃんの隣にイスを持っていきハナちゃんに言われた通りに和紙を貼りつけようとした。
だが、想像以上に和紙は固く上手く貼り付かない。
「違う、違う。ミラちゃん糊つけすぎじゃ。それに……ここは薄すぎる。満遍なく均一に糊をつけんと。いや、じゃからな……」
この日の午前。
私は厳しすぎるハナちゃんのチェックの末、この単純作業を午前中に1セットも完成させられないのであった……。
*
初夏の冷房器具のない狭い教室での単純作業は文字通り過酷そのものだった。
キメの細かい黄ばんだ和紙は溢れ出す私の手汗を何度も吸い取り、汗を吸い取った瞬間から乾いていった。
この終わりの見えない単純な作業は指先の感覚が麻痺するまで続いた。
なぜ、教室の窓ガラスに薄い和紙を貼っているのか。
なぜ、こんなに蒸し暑いのに誰も窓を開けようと言わないのか。
なぜ、和紙を何枚も貼り付けるのがお国のためになるのか。
私が作っている秘密兵器は史実上、実際に使われた兵器なのか……。
ここが本当に戦時下の日本なのか。
私は何の答えも分からないままこの日、午前中の作業を終えることになった。
*
勤労奉仕は基本的に朝7時から夕方5時頃まで。
季節によって多少前後するらしい。
ハナちゃんはが言うには“月月火水木金金” 。
戦時中に土曜や日曜は休みという概念は存在しないらしい。
(夏菜子ちゃんがここを“戦場”って言った意味がわかる気がする……)
私はそんな事を考え午前の勤労奉仕の終了後に厠に駆け込んだ後、竹筒の水を一気に飲み干した。
*
この世界では暑さに負け竹筒の水を飲むのも厠に行くのも壁際で睨みをきかせてくる軍服の男性の許可がいるようだった。
私はこの日。
この許可を取るのに羞恥心で何度も心が折れかけ、果ては膀胱炎になりかけた。
あの日。
突然、四六時中見張られている環境の中。
囚人になったような気がした私の身体は強張り、手も足も棒のようになって思う様に動かせなくなってしまっていた。
*
女学校の校舎には14歳から18歳くらいまでの少女達が“国民学校出”も“女学校の生徒”も同じようにそれぞれ与えられた仕事を淡々と熟していた。
そしてそれは、それぞれが分業制。
主な仕事は私と同じ和紙を貼り合わせる作業らしい。
他の教室では弾丸を入れる袋を作ったり落下傘の紐を切ったりしている人もいると聞いた。
*
昼の休憩時間。
私は夏菜子ちゃんと夏菜子のおばちゃんがむすんでくれた麦飯弁当を食べる事になっていた。
その時間。
ハナちゃんは近くの川に行くとか何かで休憩時間が終わるまでみんなの輪の中にはいなかった。
夏菜子ちゃんと私は高等科の女学校の女の子達が集まっている体育館の近くにある階段で弁当を並んで広げた。
ここは大木の木陰になっていて涼しい。
「ミラちゃんもう、食べないの?」
「うん。ごめんね。今、食欲がない……」
夏菜子ちゃんは平気みたいだったけれど私はこの日。
コンニャク糊の独特の粘っこい匂いにまだ慣れなくて食欲をなくし、麦飯を半分残して壁により掛かり項垂れていた。
帰ったら残した麦飯はお茶漬けにしてくれるそうだ。
夏菜子ちゃんのおばあちゃんが私達よりも早起きして作ってくれたおむすびを残すのは本当に心苦しかった。
ありがとう。 夏菜子ちゃん。
ごめんなさい。 夏菜子ちゃんのおばあちゃん……。
*
夏菜子ちゃん達女学校組の話では最高学年の女子生徒は私達がいる教室とは違う別の棟で千代さんと同じ作業をしているらしいかった。
午前中の作業を終えた夏菜子ちゃんからの身体からはコンニャクと汗と酸性の薬品の混じった複雑な鼻の奥を突き刺すような酸っぱい匂いがした。
*
夏菜子ちゃんの話では年上の女の子達の多くは女学校に併設されている室内プールに集められて“和紙を丸く張り合わせる作業”をしているらしかった。
その接着剤の匂いは私達が使うコンニャク糊よりも臭いの強い、強烈な酸性の薬品だそうだ。
私が朝から無心で続けているあの単純作業。
あれはまだマシな方らしい。
強烈な酸性の薬品を使っていると言っていた年上の女学生のモンペは継ぎ接ぎだらけだったり所々、破れていた。
換気の十分にできないような空間に人を閉じ込めて進めなければいけない危険な作業。
一体どんな秘密兵器を組み立てているのだろうか?
飛行機の形のモノ。
ヘリコプターの形をしたモノ。
それとも……。
私は黒い雲に混じった白い雲を見上げながら然程、興味のない女学生達の地元の噂話を右から左へと聞き流していた。
*
この学校では人の出入りはあるが大体100人くらいの若い女の娘たちが毎日、出入りしながら勤労奉仕をしているらしかった。
(14歳から18歳って遊びたい盛りの女の子ばかりを学校と言う名ばかりの工場に集めて……。休日返上して毎日10時間以上もの重労働。ひいおばあちゃんの時代の人達って大変だったんだなぁ……)
カーン カーン カーン
そんなこんな考えているうちに短い昼休憩の終わりを知らせる節が青い空の下に無情にも鳴り響き渡った。
「さぁ、午後もがんばるぞ!!」
夏菜子ちゃんはそう言い残すと私の背を叩き室内プールの方へと急いで駆けていった。
*
私がみんなに紛れて教室へ戻るとハナちゃんは1人、黙々と和紙を貼り合わせる今日の自分のノルマを熟していた。
「ハナちゃん。お昼食べるの早いね。ごめんね。私、足手まといになってて……」
「……?あ、気にすることないよ。それより憲兵さんが来る前に作業始めた方がええ」
ハナちゃんはそう言いながらコンニャク糊を指につけ、和紙を素早く且つ丁寧に貼り合わせていった。
その姿はまるで何かの伝統工芸の職人さながらである。
「ねぇ、ハナちゃん。これ何を作っているの?」
「……」
「えっと、ごめんなさい……」
私は教室に漂う熱気と気だるさ。
それに果てしなく続くような重い沈黙の時間に耐えかね会話を切り出したがどうやら失敗だったようだ。
グ ギュルル……
ハナちゃんのお腹から力ない悲鳴が教室に木霊する。
グ ギュルル……
お腹が小さくなる度に顔を紅くするハナちゃんは私の質問を聞いても言葉を返してはくれない。
「ご、ごめんなさい……」
「……ミラちゃんが謝ることは何もないよ。私の家は小作だけん戦争じゃなくても三食は食えん。 そんだし、私も何を作っとるか、そんなもん知らん。だけど、これはお国に必要なもんだ!!私達女子は戦場で武器を取って戦えなくとも自分達に仇をなす敵を倒す武器は自分達で作らんと」
ハナちゃんはそう言うとまた固くなった指先にコンニャク糊を付け空気が入らないように手早く和紙を貼り合わせていった。
私もハナちゃんに迷惑をかけないように時間の許す限り。
ハナちゃんの真似をしながら和紙を次々と丁寧に貼り合わせていった。
そんな中ハナちゃんは午後の作業中お腹が鳴るたびに何度も自分のお腹を叩いて音を止めていた。
ハナちゃんだけじゃない。
教室のあちらこちらに座る国民学校出身の女の子の中には怖ろしく痩せて骨張った手をした子や青い顔をした子達がたくさんいた。
教室のいたる所でお腹が鳴っている。
(川に行っていたのは空腹を紛らわせるために水を飲みに行っていたのかも。明日、おむすびをハナちゃんにと思ったけど、きっとハナちゃん、おむすび渡したら怒るんだろうなぁ……)
私はその日。
作業が終わるまでハナちゃんの継ぎ接ぎだらけのモンペを横目で見ながら平和な時代とは、平等な時代とは何なのかを悶々と考えていた。
*
「ふぅ~。やっと解放された」
私は勤労奉仕終了の木槌の後。
汗だくになった白シャツの下から生暖かい空気を下着にたんまりと取り入れ、息をついた。
みかん色の空を見上げると外の新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込む。
(スマホもクーラーもない世界。ホント辛い……。あぁ、体中が汗でベタベタして気持ち悪い。帰ったら今日も昨日もらったキュウリとヘチマの保湿パックしよ……)
私はふと、学校から見える青い山々を見上げながら鳥居の向こう側の世界に残してきた家族の事を思い出した。
(ママ達元気かな?パパ、連絡もなしに家を開けた事怒ってるよね。ジイジとバアバはお葬式には来るって言ってたけど足、大丈夫かな?……)
私はみかん色の空を飛び違う烏の下。
そんな事を考えながら夏菜子ちゃんと2人で昨日、彼女と出会ったあのお社を目指し歩き始めた。
夏菜子ちゃんは勤労奉仕の後にお社にお参りする事を日課としているらしい。
「夏菜子ちゃんは何であのお社に行くの?」
私はお社のある小山を登る途中。
ふと湧いてでた疑問を夏菜子ちゃんに投げかけてみた。
すると夏菜子ちゃんは、
「ふふっ。ミラちゃん。あのお社にはな、古くからキツネの神様がいらっしゃるんよ。神様はな100回お参りに来たら一生で1回だけ願いを叶えてくれるらしいんよ」
そう言うと夏菜子ちゃんは西の方角を見て眩しそうに目を細め、手で太陽の光を遮って話を続けた。
「私はな。キツネの神様に“戦争のない世の中を作らせてください”って毎日お願いしとるん」
夏菜子ちゃんはそう言うと少し歩調を緩め、家の門のある大通りを少し高いところから見下ろした。
「戦争のない世界?」
「うん。戦争のない世界」
ほ装されていない小石だらけの山道をスタスタ登る夏菜子ちゃんの後を追う私の足に嵌められた草履からはみ出た小指は歩く度に小石がピンポイントに当たり少し痛い。
「江戸時代が終わってからな、日本は日清戦争、日露戦争、世界大戦、日中戦争とそんで今回の戦争。日本はずっと戦争ばかりしちょる。だからこの戦争に日本が勝ったら私は“戦争のない世界を作る”んよ」
夏菜子ちゃんはそう言うと足を止めた。
「“戦争のない世界を作る”それが私の2つ目の大きな夢。野望かな?私がこんな事言うて非国民になったらおばあちゃんに迷惑が掛かるから今はお百度参りしか出来んのだけど、この戦争が終わったら旗を揚げる覚悟はしとる。だからこの事はまだ内緒よ」
夏菜子ちゃんはそう言うと草履に挟まった小石を抜いた。
女学校の生徒たちの中には千代さんのようにブーツのような靴を履いている子も稀にいる。
だが、この時代はみんな大抵は家で編んだ草履を履くそうだ。
私は今、小指は小石が当たりかなり痛いが、でも今はそんな事はどうでも良かった。
今日、私は夏菜子ちゃんの2つ目の夢を知る事ができた。
そして何よりあのお社に行ける機会に恵まれた。
(今日はラッキーデー。もしかしたら元の世界に戻れるかも……)
私はそんな淡い期待を持ちながら急ぎ足で山を這うようにして登っていった。
田舎の生暖かい夏の夕べりの風は仄かに温かい優しい街の香りをどこからともなく運んで来る。
その優しい香りが運んでくる空気は今日は“何時もと違う日になる”
そんな運命の出会いを暗示をしているよう不思議な甘い香りを纏っていた。




