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戦争と平和

私と夏菜子ちゃんとが出会った日。


その日から私は夏菜子ちゃんのおばあちゃんの家で下宿(疎開)させてもらうことになった。


夏菜子ちゃんの家はお社のある小山のすぐ下の小さな町の中心にあるようだ。


場所は町の大通りのちょうど真ん中辺り。


家に併設(へいせつ)されているお店の前には『田中薬種屋』という手入れの行き届いた大きめの縦看板が掛けられている。


夏菜子ちゃんの通っている女学校は夏菜子ちゃんの家から徒歩10分程。


池の向こう側にあるらしい。


西洋風の背の高い建物のオレンジ色の屋根が林の中から頭をひょっこりと出しているのが大通りからでも見てとれた。


夏菜子ちゃんのおばあちゃんは(もと)薬種屋(化粧品アドバイザー)


私のひいひいおばあちゃんと同じ職業のようだ。


元というのは1年程前に国から公に化粧品を売ってはいけないという法律が出たから。


だから表向きは閉業中らしい。


家の前の大通りには木で出来た電柱や街灯があり町には電気は通っているそうだ。


家の中の電球はお勝手(キッチン)や居間。


それに夏菜子ちゃんの部屋の天井からもぶら下がってはいるがそれらは皆、白い和紙で灯りが家の外に漏れないように覆われていた。


なので日が暮れた部屋の中は現代でいうとダウンライトをつけているのと同じくらい、かなり薄暗い。


この時代、家の窓ガラス戸には全て十字に✕印の形をした薄い和紙が貼られていた。


最後に案内されたのは土間(どま)にある木の(ふた)のついた大きな“防空壕(ぼうくうごう)”。


防空壕は3軒に1つずつあるらしい。


広さは大体、大人が10人くらい座って入れる大きさだ。


学校や役場から空襲警報や警戒警報のサイレンが聞こえると(ふた)は持ちあげられ、夏菜子ちゃんとおばあちゃん。


それと近所のひとり暮らしのおばあさんトメさん。


あと、その隣に住む老齢の(げん)さんが入る手筈になっているらしい。


私が手持ちのランプを手に防空壕の中を覗き込むと中には缶詰が少しと薬箱。


それとラジオが壁際に寄せてあった。



日が暮れて私は明日から借りる予定の部屋が掃除できるまで夏菜子ちゃんの部屋に泊めてもらうことになった。


夕飯の前、初夏の静寂の空気を揺らした警戒警報のせいで私の胸は高鳴り、今夜は1人ではとても眠れそうにない。


あの後、私の予想に反して夏菜子ちゃんは防空壕から出ると何事もなかったように内湯の後片付けを始めた。


夏菜子ちゃんのおばあちゃんも近所の人達も皆同じ様子だ。


あの轟音は夢だったのではないかと思うくらいに。


私はこの光景を目の当たりにした時、人間の無の境地を垣間見た気がした。


そして消灯時間(7時)も過ぎた時刻。


この家の夜の灯りは部屋の片隅に置かれた行燈(あんどん)(しの)ぐらしい。


シュッ ボッ


柔らかに揺れるみかん色の火を油から伸びた細い紙の束を差すと菜種の独特の弾ける酸っぱい香りが部屋中に広がった。


「おやすみなさい。おばあちゃん……」


「はい、おやすみ。夏菜子。ミラちゃんも今日は疲れたやろ。ゆっくりおやすみ……」


「夏菜子ちゃんのおばあちゃん。クレンジング……じゃなかった化粧落とし、ありがとうございました。おやすみなさい」


「はい、おやすみ」


「スース スース……」


夏菜子ちゃんはおばあちゃんと私が短い会話をしている間。


布団を頭まで被り、わざとらしい寝息を立てながら横になっていた。


行燈の灯りは油がなくなったら勝手に消える仕組みらしい。


「2人ともおやすみ……」



ガタン カタン トン トン トン…… ガラガラ…… パシンッ


「ん、……よし、おばあちゃん部屋に入ったな!」


短いたぬき寝入りの後。


夏菜子ちゃんは母屋で扉が閉まる音を聞くと布団から頭を出し小さな声で、こう呟いた。


「おばあちゃん、就寝時間には妙に厳しいかんね。憲兵さんみたいなんよ。ホント嫌になっちゃう……。あ、今はそんな事よりコレや。ミラちゃん見て見て!この制服、素敵やろ?私のなんよ」


夏菜子ちゃんは、そう言うと(きり)のタンスの引き出しから“制服”だと言う紺色(こんいろ)の洋服を取り出し、胸の前に当てると薄暗闇の中で1周回った。


そして体を右へ左へとゆっくりと揺する。


「レトロカワイイ制服だね!」


「そうやろ。私のおばあちゃんもな、私と同じ女学校に通っとったんよ。明日から“勤労奉仕”でミラちゃんも通うことになる学校。さっき大通りから見たやろ。西洋風の塔のある立派な学校」


夏菜子ちゃんはそう言うと制服を胸に当て、くるりと更に1周りした。


「おばあちゃんが女学校に通っとった時……。明治の時代の話なんやけどな。当時の制服はまだ皆、えび茶色の(はかま)だったらしいんやけど、今の時代は袴の代わりに入学すると生徒の証として、この制服が贈られるんよ」


夏菜子ちゃんは早口でそう言うとうれしそうに制服に顔を埋めて甘酸っぱい匂いを嗅ぐと薄灯りに幸せなそうな笑みを浮かべた。


「だけどな……戦争が始まってすぐ制服を着られんようになってしもうたらしいんよ……。勤労奉仕にはスカートじゃ動きにくいから、しかたなし。だから今は学校に行くのにもこんな継ぎ接ぎだらけのモンペを着ていくんよ。私は去年、越してきたから1ぺんも学校には制服を着て行ったことがないんよ……」


夏菜子ちゃんはそう言うと制服をタンスの引き出しに丁寧に仕舞いながら壁のハンガーに掛けられたモンペを見上げた。


「着るものだけじゃない。戦争が始まったら運動会ではな、薙刀(なぎなた)の演舞やったり、救護訓練の成果を披露したり……。今年に入って運動場が畑になったから運動会もなくなるじゃろな。あ~、それに私もうすぐ卒業(18歳)なのにお婿(むこ)さんも決まっとらん!このまま戦争が長引けば私もすぐにおばあちゃん。行かず後家や!!」


夏菜子ちゃんはそう言うと桐のタンスを背に部屋の端に置かれたちゃぶ台の前に座り(ひじ)をつくと深い溜息をついた。


「戦争は私の家族や青春。おばあちゃんの仕事さえも奪っていった。けんど、何も返してはくれん。この前な(こわ)けた飛行機が小牧(こまき)の方に牛車で運ばれてったんよ。牛車だってみんな言うとるけど、実際は大八車(だいはちぐるま)を痩せた牛に引かせとるだけや。トラックじゃのうて大八車を縄で繫げて壊けた飛行機運ぶって……。それを見た町の人たちは皆、日本の旗色はよくなかろうって影で噂しちょる」


夏菜子ちゃん湧き水のごとくあふれる愚痴を背に私は去年、授業で学んだ平和学習の1ページを思い返していた。


「……夏菜子ちゃん。今、何年だっけ?」


「だから昭和19年じゃ」


私の記憶では戦争が終わるのは昭和20年8月15日。


私達はとりあえず(あと)1年は何としてでも生き延びなければならない。


ひいおばあちゃんの話を思い起こすに終戦まで名古屋では確か空襲が63回もある。


今日がその1回目だとして後62回。


果たして私達は無傷で終戦を迎えられる事ができるのだろうか。


このままでは蚤の心臓の私の体は確実に持たない。 


その前に私は元の時代に帰ることが出来るのだろうか……。


この夜。


私は一抹の不安を抱えながら夏菜子ちゃんから戦争が始まる直前に流行ったメイクや髪型。


それに戦前に流行した服などの記事をスクラップした夏菜子ちゃんお手製の“禁書”を見ながら行灯の灯りが消えるまでの短い間、現実を逃避するようなガールズトークに花を咲かせた。


会話は弾み気が付けば辺りは鈴虫の鳴く優しい音に包まれている時刻になっていた。


私が目を閉じ虫の音に聞きほれているとここが戦時中の名古屋であることを忘れてしまうくらいに静かだ。


「夏菜子ちゃん、夏菜子ちゃんの将来の夢って何?」


「将来の夢?」


私は突然、未来に置いてきた白紙の“進路希望調査表”の存在を思い出し少し年上の夏菜子ちゃんに彼女の夢について尋ねてみることにした。


「私の夢……?夢か。んー。もうすぐ私も卒業だかんね。もう決まっとるよ。1つ目はおばあちゃんの跡を次いで“地主さん”!」


「1つ目?」


私は夏菜子ちゃんの言葉に驚き思わず間髪入れずに返事をした。 


「うん!私、夢が3つあるけんね!!」


「3つも!?」


「うん。そうよ。2つは職業で、あと1つは壮大なる野望じゃ!制服を着て(はよ)う学校に行きたいとか、甘味をたんまり食べたいとか、まぁ小さな願いは人並みに沢山あるんよ。だけんど、大きいのは3つ。どれも大切な私の夢じゃ!難しいのばかりじゃけんど、時間はかかるけんど私は必ず生き抜いて全部、叶えてみせるけんね!!」


「そうなんだ……」


私は夏菜子ちゃんの言葉に気負けして当たり障りのない返答をしてしまった。


すると、


「ミラちゃんの夢は何かね?」


夏菜子ちゃんは逆に私の方を向き訊ねた。


「わ、私の夢は……」


私は天井を見上げ暫く間を取り


「今はまだ決まってないんだ……」


そう小さな声で返事をした。


夏菜子ちゃんが私に向ける真っ直ぐな視線に私は恥ずかしくなり口元に布団を掛けて顔を半分隠した。


夏菜子ちゃんはそんな私を気遣い優しい声で質問を重ねていく。


「じゃぁ好きなもんは?」


「メイク……じゃない。化粧が好き、かな……」


「化粧か。じゃぁ、薬種屋を生業にしとった、私のおばあちゃんにどうやってなったのか聞いたらええじゃないの。まぁ、どうして薬種屋になったか聞いても「うちは世襲制じゃ」言われるだけやろうけど……」


夏菜子ちゃんはそう言うとおばあちゃんの口真似をして小さく笑った。


そして「跡取りが跡を取るつもりがないからミラちゃんが継いでくれると有り難いんじゃが」と続けた。


そして、「まぁ、人生の先輩から1つ言わせてもらうんなら人生、楽しむんなら下手の横好きじゃ。ミラちゃんは今、夢がないなら、まだ決まっとらんのなら今、自分が好きだと思う事を続けたらええ。それが今は人よりも劣っていたとしても……や。そしたら、いつかきっとそれが気がついたら上達しとって将来の夢(職業)に変わっとるはずよ。もし、その好きなことが実にならなかったとしてもまた違う好きな事を見つければええ。私らはまだ若いんだから、失敗しても何度でも立ち上がれるんだかんね」


夏菜子ちゃんはそう言うと天井を見上げ目を瞑った。


「それとな、ミラちゃん。もう1つ。“夢っちゅうのはな。何ができるかじゃのうて。自分が何がしたいかじゃ。自分がどうなりたいか”じゃ……」


「何がしたいか、どうなりたいか……か」


私は夏菜子ちゃんの言葉を繰り返し呟くと夏菜子ちゃんに習い天井を見上げ、目を閉じてみた。


静かな夜。


風の音や月の囁きまで聞き取れてしまいそうな静かな夜。


私は目を閉じて自分の将来の夢について夏菜子ちゃんのアドバイスを参考に模索してみることにした。


今日、タイムリープ前。


名駅のデパコスのコーナーで出会ったコスメコンシェルジュのお姉さんは黒髪を1つにまとめたナチュラルメイクの背の高いキレイな女性(ひと)だった。


アイシャドウを選ぶ時に私の肌色に合う色や流行色を取り入れたメイクを勧めてくれた。


すごく参考になったし、大好きな化粧品にたくさん囲まれた中で仕事ができたら幸せだなぁと思ったし、私も将来メイクで人を幸せにしたい、そうは思った。


だが、私がなりたいのは多分、もう少し別の形で化粧品に関わる仕事だ……。


(私はデパコスのコスメコンシェルジュのお姉さんのように個人にメイクを施すんじゃなくて……。何だろうなぁ……)


私は暫しの沈黙の中。


頭の中で色々なことを考えてしまうと体が火照り、なかなか寝付けなかった。


そして静寂の中ついつい口がひとりでに開き静寂に水を打つように声を上げた。


「夏菜子ちゃん。アドバイスありがとう。私の将来の夢、固まりそうかも!まだハッキリしてないから口には出して言えないけど……」


「そうかね。そりゃ良かった」


夏菜子ちゃんは私の返事を聞き、1つ大きなあくびをした。


数分の沈黙の後。


中々寝付けないいままの私は夏菜子ちゃんの方を向き、会話を続けようとした。


夏菜子ちゃんに夢の話を聞き夏菜子ちゃんの人生に何か私の夢を決めるヒントがあるかも知れない。


そう考えたら居ても立ってもいられない、そんな気分になってきたからだ。


すると、


「ん〜。仕方なし。じゃぁ今日は1つだけね。1つ目はおばあちゃんの跡ついで地主さん」


そう夏菜子ちゃんは面倒くさそうに返事をした。


「そうなんだ。地主さんかぁ……。ってそれさっき言ってなかった!?」


私は夏菜子ちゃんの空返事に驚き思わずツッコミを入れた。


「ふふっ。ん、おばあちゃんには孫が私しかいないから、まぁ単純に世襲するだけだけんどね。1番確実で金が儲かる夢じゃ。でも薬種屋は継がん。これはこれ。それはそれじゃけんね。地主は簡単なようでこの時代叶えるのはかなり難しいと思うんよ。健康で長生きして子どもも産まんといかん。これはこの時代かなりの難題じゃ。だから薬種屋は手に余りそうだから多分廃業じゃ……」


夏菜子ちゃんはそう言うと私に背を向けた。


「そうなんだ。じゃ、あと2つは?」


「それはまだ言えん。秘密じゃ!おやすみ。ミラちゃん……」


そう言うと夏菜子ちゃんは大あくびをした。


「今日はもう遅いかんね。また明日。明日は朝早いよ!私のおばあちゃんは日の出前に目が覚める早起きじゃき。ふふふっ。ミラちゃん、おやすみ」


「うぅ……知りたいよ〜。明日は必ず教えてよね。あと2つの夏菜子ちゃんの夢。あさイチで。おやすみなさい夏菜子ちゃん……」


「おやすみミラちゃん……ふふふっ」


あの夜。


夏菜子ちゃんは意地悪にそう言うと、ふふふっと笑って大切な言葉を誤魔化したのだった。

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