巨大地震
昭和19年12月7日。
年の瀬が冬の足音を運んできた日。
その日はカラッと晴れた晴天。
外に布団を干すのに丁度いい天気だった。
「ハナちゃん、おはよ!今日もいい天気だね!」
「おはよう。ミラちゃん。足の調子どうかね?」
「うん。もう順調!全快よ」
「そうね。良かった。じゃぁ今日の勤労奉仕、気合入れて頑張ろうね!絶対、今度も国民学校組が賞状もらうけんね!!」
私と夏菜子ちゃんがリアムに会えなくなってから約1ヶ月半の月日が過ぎた。
私の足の捻挫は松葉杖を使わなくても歩けるまでに回復していた。
勤労奉仕で行われている気球づくりは今が最盛期。
皆、校内のいたる教室で競い合うようにして和紙を張り合わせている。
偏西風が吹き終わる季節が終われば少し作業は落ち着く予定だそうだ。
夏菜子ちゃんはというと、今日も体調が悪いという事で家で“慰問人形”を作るいう勤労奉仕をしている。
つまり、お留守番だ。
どうやら夏菜子ちゃんは今月のはじめ頃から“月のモノ”が止まり、めまいや吐き気がして立っているのもやっとな状況らしい。
家にいる時も厠にこもることが多い。
夏菜子ちゃんのおばあちゃんが言うには戦争中は月のモノが止まるのは女性にはよくある事らしい。
そんな中。
夏菜子ちゃんは毎日、深夜に家をこっそり抜け出してリアムを探しにお社へと足しげく通っている。
彼女は今でも自分が原因でリアムが追われる身になったと思っているようでリアムが消えた日からは以前のように笑うことはなくなった。
*
私たちが全校朝会の為に体育館に着くと足袋に日和下駄を履いた女学校の生徒達は皆、背中を丸め胸の前で白い息を吐きながら木炭のストーブの周りに集まっていた。
この体育館は土足が許可されている場所だ。
今日は週1回の朝礼の日。
そこで私はハナちゃんの友達という、噂が好きな女学生から信じられない話を聞いた。
「おはよう。ミラちゃん。ハナちゃん。なぁ、知っとるか?」
2つ縛りのおさげに髪を結った女学生は私達が体育館に入ると、わざとらしく私たちの手を引きリアムの隠れていた山が見える窓の下辺りまで引っ張っていった。
そして意味あり気に立ち止まると山を見上げ、こう話を始めた。
「あんな昨日の晩。あそこの山にあるお社の石段の近くで、痩せて行き倒れていた散切り頭の米兵を婦人会の人が見つけたんだと。先月、兵隊帰りの弥助さんが見つけた米兵と同じやと思う。弥助さんちゅうのはな顔に傷のある傷痍軍人さんなんやけどな……」
女学生はそこまでを一息で話すと続きをもったいぶるかの様に少し押し黙った。
「それで、それでどうなったの!?」
私は嫌な予感と、とうとうこの日が来てしまったという複雑な負の感情に胸が押し潰され、彼女に勢いよく詰め寄った。
そしてリアムの置かれた状況をいち早く聞き出す為に息をするのも苦しい程に距離をつめていく。
体育館の片隅で談話する3人の間に緊迫した空気が流れはじめた。
「⋯⋯!?あぁ、そんでな……千代さんとこのお母様達の婦人会がな、山を探索しとったらな、お社の空井戸の近くでその米兵を見つけたげな……」
私は先に進まない話に思わず女学生の話に固唾をのんだ。
「そんでな……。殺してしまったんだと。みんなは若い兵士やったから可哀想になって「街の役場に連れて行こう」って言ったんだが、千代さんのお母ちゃんがな「息子の敵や!」言うて持っとった備中鍬で頭を叩いたら米兵はあっけなく死んでしもうたらしい……」
女学生はそう言うと体育館の真ん中で暖を取る千代さんの背中をチラリと見て小さい声をさらに小さくして、こう言った。
「そん時の千代さんのお母様の顔と言ったらまるで般若のようだったと。その後は大泣きして家へ抱えられて帰ったそうな。捕虜を殺すのは重罪じゃ。米兵は、どこから来たんやろか?死んだ時、米兵はな、青い絞り染めのリボンを胸に大事そうに抱いとったんだと。なぁ、ハナちゃん、ミラちゃん何か知らんね?」
私は女学生の話を聞いて思わず身震いをした。
夏菜子ちゃんは確か祭りの日に青い絞り染めのリボンをしていった。
そして夏菜子ちゃんは次の日、おばあちゃんに「青いリボンはなくした」と言っていた。
もしかしたら……。
ハナちゃんは彼女の質問に首を横に振った。
「ミラちゃんは夏菜子さんと、よくあのお社に言っとったやろ?何もなくて良かったなぁ……」
女学生がそう言った後。
私は心にポッカリと穴が空いてしまったような気がして女学生の話す声が何も聞こえなくなった。
(リアムが昨日、死んだ……?ウソ、ウソ、嘘……)
そんな事を考えていると彼との思い出が脳裏を過ぎり、無意識に涙が溢れ出す。
周りのみんなは私が泣いていることにまだ気づいていない様子だ。
「米兵か〜。おそがいのぉ……。ん?ミラちゃん、大丈夫か?何で泣いとるんや?どこか痛むんか?」
私の嗚咽に気が付きハナちゃんと女学生が心配してくれる中。
ハナちゃん達の言葉に私は意味もなく何度も何度も小さく首を縦に振った。
夏菜子ちゃんは、まだこの事実を知らないだろう。
彼女がこの事実を知ったらと思うと胸が締め付けられるように痛い。
(夏菜子ちゃんはこの事を知って冷静でいられるだろうか?最近、体調が悪い。お腹がグルグルするって言っていたけど……。更に悪化してしまうのではないだろうか……)
私はリアムの隠れていた山を見上げ涙を拭くと小さく手を合わせた。
(リアム、私はまだ諦めないよ。自分の目で確かめなきゃリアムが死んだなんて信じないからね。今日は夏菜子ちゃんの代わりに私が行くから。それまで、どうか無事で……)
私はそんな小さな決意をして体育館の舞台に掲げられた校章を見据えた。
その時、
「はい、はい!おしゃべりはそこまで。2、2、4列に並びんしゃい」
少し遅れて体育館に入って来た丸眼鏡の女先生は、いつもと同じ鋭い声で皆に整列するように指示をした。
そして朝礼のはじめに日の丸に一礼すると昨日山で死んだ米兵の事を話し始めたのだった。
*
朝礼が終わった後。
私はいつもと同じ勤労奉仕の仕事を熟す為、コンニャクの匂いの染み付いた教室に入っていった。
いつもと変わらない席。
いつもと同じ単純作業。
いつもと同じ重い空気に満ちた教室。
だがこの日は、いつも当たり前にできる単純な作業でも私は小さなミスを連発し続けた。
この日は私にとって何もかもアンラッキーな日だった。
*
昼休み。
私は食欲がなく昼食の後。
午後の勤労奉仕を初めてお休みした。
今回は案外すんなりと申請が通った。
仮病の演技がうまかったのか。
それとも先生がやる予定の千人針の課題を引き受けたのが 功を奏したのかは分からない。
帰路に着く途中。
夏菜子ちゃんにリアムのことをどう告げるべきか。
彼女が傷つかない言い方はないだろうか。
そればかりを考えていた。
だが、まずは家に帰る前にお社の近くの空井戸に行きリアムが死んだ事実を確認しなければならない。
そう考えると私の足は自然とお社へと向かっていた。
お社に続く道はいつもの通り険しい道だった。
この道を私が登るのは実に2ヶ月ぶりのことだった。
いつもと同じ日常にリアムだけがいない。
現実を受け止めたくなくて私はひとり無心で男坂を登っていった。
北風が私の髪を優しく撫でては遠くに消えていく。
それはリアムが教えてくれたリアムが妹によくするクセのように優しいものだった。
風はまるでリアムが私にお別れを言っているかのように感じた。
そして私がやっとの思いで山頂の空井戸に到着すると井戸の蓋を開け中に風呂敷や布団、竹筒やらが乱雑に投げ込まれているのを見た。
井戸の側の藪の中には数滴の血痕らしき黒いシミが残されていた。
だが、あの日。
リアムの姿はどこにも見当たらなかった。
そして私は跳ねる心臓を抑え込みながらキツネ様に願いを叶えてもらう為、藪の横を通りお社の鳥居を潜った。
パン! パン!
「キツネの神様……お願いです。私が今日ここに来るのはタイムスリープして来てからちょうど100回目です。だから……お願いします。私の願いは叶わなくても構いません。だから、リアムと夏菜子ちゃんの願いを聞き入れてください……」
私が真剣にお願いしている最中。
空では尋常では無い数の烏が一声に悲鳴を上げた。
カー カーカー! ガー!!
「えっ?な、何?」
シャラン…… グラ グラ グラ……
「えっ……」
お社の前の鈴に私が手をかけた瞬間。
辺りは天地がひっくり返るような強い縦揺れに襲われた。
「きゃっ!」
グラ グラ グラ ドカン!!!
激しい空振が木霊する。
昭和19年12月7日。
13時35分。
後に『昭和東南海地震』と言われる大地震が起こったのだ。
私は、あまりの大きな揺れに耐えきれずお社の鈴のついた紐にしがみつき必死に目を瞑った。
「きゃっ!」
ガタン
(あっ、痛い……。頭の右後ろ、打っちゃった。揺れ、長すぎる……)
どこで頭を打ったのだろうか。
頭の後ろに鈍器で殴られたような鈍い痛みが走る。
手から徐々に力が抜けていく……。
(もう腕が限界……。あ……)
意識を失う直前。
私はお社に掛かる紐から思わず手を離してしまった。
その瞬間。
私は私を呼ぶリアムと夏菜子ちゃんの声が遠くに聞こえた気がした。
揺れる景色の中。
私は意識が遠くなるのを感じて無気力に目を閉じた。
再び目の前に真っ白な世界が広がる。
次の瞬間。
私の体は崖から下へ。
無重力の空間へと投げ出されていった。
今、 生きているのか、死んでいるのか私には分からない。
でも、あの日の私はそんな事どうでもよかった。
ふたりが幸せになれたのなら……。
あの日の私はそんな事を考えながら無気力な甘い匂いの漂う世界にただ体を委ね、深い眠りに誘われていったのだった。




