運命の日(Side夏菜子)
「リーン!お待たせ!!」
「カナコ!Wow, You are so cute.(おぉ、可愛いね)ゴホッ、ゴホッ……」
「似合うかね?私、色が黒いから紺、ブルーの浴衣ににしてみたんやけど……。リ、リーン、今日、薬、飲んだ?Did you take the medicine?」
私がそう言うとリーンは青白い顔に無理やり笑顔を作り、私をいつものように優しく抱き寄せると額に温かいキスをして、再び無理に笑ってみせた。
この様子からリーンは浴衣を着てきた私を見て喜んでくれてくれているのだと察した。
リーンは今日はいつにも増して苦しそうな咳をしている。
薬はあまり効いていないようだ。
もっと栄養のあるものを食べさせなければ、リーンが死んでしまう……。
明日は学校で配給されるはずの肝油をこっそり持ってこよう、そう思っていた。
あの夜は文句のつけどころのない月の綺麗な夜だった。
まんまるの月に照らされて見えるリーンの金色の長い髪は秋の稲穂のように輝いて見えた。
初めて会った時イガグリのような短かった彼の髪の毛は今は総髪頭くらいに伸びてきてしまっている。
今日は私が彼の髪に初めてハサミを入れる約束の日だ。
私の夢は美容師。
本当は美容師になるには専門の知識を教えてくれる学校に入るか、美容室に弟子入りするかが望ましいけれど、今は日本のどこの学校もやっていない。
そんな最中、私は中等科を卒業すると女先生から頂いた教本を見ながら独学で整髪を学んだ。
最近では近所の源さんを筆頭に私のおばあちゃん、近所の子どもたちの髪は私が切っている。
なかなかの腕前だと皆の評判も良い。
「Lean, What hairstyle are you going to have today?(リーン。今日はどんな髪型にする?)」
「Hmm. I'll leave it to Kanako. (ん〜。夏菜子に任せるよ)」
「Understood. Maste.(かしこまりました。ご主人様)」
「ハハハ……」 チョキチョキチョキ……
「Kanako, you're good. Like a pro.(夏菜子、上手いね。プロみたい)」
「You haven't seen it yet.(まだ見てないでしょう(笑))」
私はリーンの冗談を受け流しながら彼の柔らかい髪を短く整えていく。
「Feels good……(気持ちいい……)」
リーンは、私が髪を切っている最中。
そんなことを呟いた。
彼は今、出会った時よりもかなり、やつれた姿になっていた。
痛々しい程に。
でも、それでも私はそんな彼と言葉を重ねる度に彼の事が心の底から好きになってしまっている自分に気がついていた。
彼の優しさ、彼の苦しさ、そして温かさ……。
彼と会話を積み重ねる度に全部ひっくるめて私は1人の人間としての彼が好きになっていった。
私は彼の外見よりも心を好きになったのだ。
晴れの日も雨の日もこの3ヶ月半の間。
私の隣にはリーンがいた。
彼が待っていると分かっているから、雨の日も風が強く吹いている天気の悪い日の山登りも苦ではなかった。
彼が生きてさえいれば、どんな苦難にあったとしても乗り越えた先の私の心はいつも快晴……。
そう、この日まではそう思っていた。
*
私は彼の髪を切りそろえると彼の後ろから抱きつき 振り向いたリーンと暫くの間、静かにお互いを見つめ合った。
その後、昨日置いていった風呂敷を敷物にして私たちは隣同士に座るとリーンに今夜の秋蛍の話をした。
「The fireflies released into the night sky were beautiful.(夜空に放った蛍、キレイだった)」
私は昨日、ミラちゃんに教えてもらった通りに蛍の話を切り出す。
「That's true. ゴホッ。But tonight Kanako is prettier than anyone else.(そうなんだ。でも、今夜の夏菜子は誰よりもキレイだよ)」
「リーン……」
「カナコ。ボク、スグニシヌ。ダカラ……」
「リーン、縁起でもない。そんなこと言わないでっていつも言うてるやろ?言わないで!!Don't say it!!」
私はリーンの弱音を思わず遮り、思わず叫び声を上げた。
心の奥の叫びを言い終わると私の頭には血が登り、目からは涙が溢れて止まらなかった。
「この前、リーンが“僕は君たちを殺そうとした”って言ったってミラちゃんが言ってたけど、私はリーンが悪いとは思っとらんよ。“戦争が悪い”んよ。“戦争を始めた人が悪い”んよ。日本とアメリカは今も戦争しちょるけど、私はなアメリカ人だからってだけでリーンを切り捨てる事は絶対にしない!!戦争に勝者も敗者もないんよ!!」
そう言うと、私は耳を紅くして、俯いた。
モンペに温かい涙が染みとなり、静かに広がっていく。
リーンには通じない日本語で言っても彼に私の本音は伝わない。
そんな事分かっているのに今、私は彼と向き合い叫ばなければいけない、そんな気がしていた。
そして私はリーンの前に正座をすると彼の瞳の中に映る私を見据え勇気を出して心の奥底に大切に秘めていた想いを彼に伝える決心を固め、口を開いた。
「リーン……。リーン、あのな。も、もしな、戦争が終わったら、わ、私と……私とけ、結婚してくれますか!?」
私は精一杯の気持ちをリーンにぶつけ赤面した。
「……ケ、ケッコン?シテクレマスカ?」
リーンは私を見つめ押し黙った。
(あっ、やっちゃった。私のバカ……)
リーンは私の言う「結婚」の意味が分からず困惑している様子だ。
首を傾げたまま困り顔をしている。
(“結婚”って英語で何ていうんだろ?あぁ、考えても分からん!ミラちゃんに聞いておけばよかった……)
私は自分の無鉄砲さに思わず涙が出た。
そして私の短い沈黙の後。
リーンはいつものように優しく笑い、私の額にキスをした。
「カナコ、ダイジョウブ。ボクハ アナタノ コトガ タイセツ……」
私の目からは彼の話す片言の日本語を聞いて再び涙が溢れ出す。
「リ、リーン。わ、私。私はな、今夜はここで一晩中リーンと話をしたいんよ。え~っと、Lean,I want to stay here and talk to you all night tonight.(リーン。私はあなたと一晩中、話がしたい)」
「……!?」
リーンは私が昨晩、覚えたばかりの英語を聞くと口に手を当て俯き固まった。
そんなリーンの横顔は徐々に紅みを帯びていく。
私は何か間違ったことを言ったのだろうか?
一抹の不安が頭を過る。
だが、私は諦めなかった。
「リーン!今夜、私、ここに、いる!何が何でも、ここにいるかんね!!アイム、ヒヤー!!」
「カナコ……」
リーンはそう言うと紅く熱を帯びた私の手を取り優しく私の瞳を見つめてきた。
その後、再び私を胸に抱き寄せるとゆっくりと唇を近づけてくる。
そして、
チュッ
人生で初めて湯たんぽのような温かさが私の唇に優しく触れた。
「リーン……」
私はリーンの行動に初めは驚いた。
だが、あの日。
私は彼のアプローチをいつものように受け入れることにした。
そうするべきだと思った。
そうしたいと心の奥底から切に願った。
あの夜、リーンの潤んだ青い瞳が私の瞳を捕らえて離さなくても不思議と嫌な気持ちはしなかった。
むしろ、あの時の私はリーンの事をもっと知りたい、彼ともっともっと一緒にいたい、離れたくない、そう心の底から思っていた。
リーンは私を強く抱きしめると草の上に優しく押し倒した。
そして彼は再び私の唇に接吻をし、私の顔の前に自分の高い鼻を徐々に近づけてきた。
(怖い。何が始まるんやろ!?……)
私は目をキュッと閉じた。
「I love you, Kanako(愛してるよ。夏菜子)」
リーンはそう言うと私の耳元で優しく熱い吐息を吐いた。
ツーッ
一筋の温かい涙が私とリーンの間を流れ落ちていく。
リーンは私を彼の腕の中で抱きながら“静かな愛している”を何度も何度も囁いた。
一生分では足りないくらいに……。
「I love you, Kanako.I love you.カナコ、アイシテル……」
あの日。
リーンは壊れたレコードのように同じ言葉しか話さなかった。
「私もアイシテル……リーン……I love you」
私たちの心が言葉の壁を乗り越えて繋がった、あの瞬間。
私の瞳からは彼と同じ一筋の青い涙が流れ落ちていった。
月の綺麗な夜。
私の心と体はバラバラで、私とリーンの間に流れる時間にはアメリカも日本も関係なかった。
そして戦争という名前の敵に自由を奪われていた私たちはあの夜。
人生で初めて1人の人間として愛される事の幸せを噛み締めていた。
私は胸の奥から溢れ出した熱い想いの名前をまだ知らない……。
*
木枯らしの吹く少し肌寒い朝。
秋祭りの次の日。
私は日の出よりも早くに下山した。
そして私はいつもと同じように勤労奉仕を終えた後、いつも通りに山を登った。
リーンは紫色の花が好きだと言ったから狂い咲きの桔梗を山に登る途中に2輪摘んで行く。
桔梗の花言葉は“永遠の愛” 。
アメリカと日本の花言葉は違うかも知れないけれど私のこの気持ち彼に届くと良いな、そんな事を考えながら私は早足で山を登った。
「……アイ ラブ ユー。ミーツ、か」
私は今朝、ミラちゃんに教えてもらったリーンへの返事を手土産に今日も軽い足取りでお社に向かう男坂をスルスルと登っていく。
昨日、リーンと私の間に人には言えない秘密ができた。
まんまるの月を見上げながら昨晩、リーンと私は色々なことを話した。
どれも他愛のない事ばかりだ。
リーンの方はこのところ、日本語が少しずつ理解できるようになってきたようだ。
「センソウ ノ ナイ セカイヲ」
私の大きい夢の1つが最近の彼の口癖だ。
戦争をしている国同士の人間が戦時下に夢を語り合い、愛し合う……。
これは異常なことだ。
だが人種は違えど願いは同じ。
だだ平和に生きたい。
好きな人の側にいたい。
ただ、それだけなのに戦争をしてある間はその小さな願いさえ願う事が許されないのは何故なのだろうか……。
(今日こそは戦争、終わると良いなぁ……)
小山の9合目辺りで立ち止まると私は昨晩、私の上で彼が流した涙を思い出し青い空を見上げた。
昨夜、彼の涙の中に私は兵士ではない本当の彼の姿を垣間見たように感じた。
私の見た彼はごく普通の18歳の青年だった。
あの瞬間。
彼の青い瞳が見てきた世界が私の知る世界よりも厳しくて残酷なものであったとしても私は彼の事をもっともっと知って深く愛したい、そう思ってしまったのだ。
(私達は未来で結ばれているのだろうか……)
そんな事を考えていたら私は小山の頂上にある、お社の前で足が止まってしまった。
「あ、ぼ〜っとしとったら、いかん。いかん。」
パン パン パン
「え~、キツネの神様、今日も平和な1日をありがとうございました。私の大切な人たちをどうかお守りください」
私はいつもの通りお社に小さな丸餅をお供えするとリーンのもとに向かう為、立ち上がろうと地面に手をついた。
今日は私の勤労奉仕の仕事内容をリーンに打ち明ける予定だ。
彼がどんな顔をするか分からないが、このまま素知らぬ顔は出来ない。
そんな事を考えていると、
「おい!騒ぐな。女。騒ぐとノド元かっ切るぞ!!」
低い中年の男の声は、そう言うと私の身体を後ろから羽交い締めにしてきた。
「キャー!!!」
私はあまりにも突然の出来事に驚き男の忠告も聞かかずに大声を出した。
男も私の大声に驚き思わず私の胸を掴んだ右手に力が入る。
「うるさい女だなぁ。ちっとは……」
男はそう言うと私を突き放し、ズボンの裾の擦り切れた国民服のベルトに手を掛けようとした。
私は思わずお社の石のキツネ様を持ち上げ戦闘態勢をとる。
2人の間に緊張で煮詰まった重い空気が漂い始めた。
すると、
その時。
バザ バザ バザ ……
「O O ……Oh !!」
私の叫び声に呼応したかように突然、藪の中から青い瞳をした獣が飛び出してきた。
そして金色の髪をした獣は小太りの黒い坊主頭に太い木の枝を持って襲いかかっていったのだ。
「異人!?」
小太りの男はそう呟くと浅黒い肌を青くし、尻もちをついた。
「異人だ。異人だ!!」
小太りの男はリーンの姿を見上げ何度も、こう叫ぶと慌てた様子で草履を投げ捨て女坂を転げ落ちていった。
「カナコ、ダイザョウブ?」
「り、リーン……」
男の声が遠ざかっていく最中。
私の目からは一筋の涙が自然と流れ落ちた。
それを見たリーンは涙で濡れた私の頬に優しくお別れのキスをした。
「リアム。リーン。あぁ、ごめんなさい……」
私がそう言うとリーンは私のお腹の上で手を重ねながら優しい笑顔を作り、首を横に振った。
そして、
「サヨウナラ。カナコ。アイシテル……」
リーンはそう言うと誰か人の来た気配を感じ取ったかのように元、来た藪の中へと消えていった。
「異人だ!異人はどこだ……!!」
坂の下からは野太い男の大声が聞こえてくる。
あの日。
最後まで彼は振り返らなかった。
私が彼を見たのは、これっきり。
そしてこの日。
私のこの1つの軽率な行動のせいでリーンの存在が村中に知れ渡ることになるのだった。




