千代さん
「なぁ、ミラちゃん!私がリーンに会ってるとこ、今日な千代さんに見られてしもうたかもしれん……」
とある小雨の夕方。
夏菜子ちゃんは家に帰って来た途端、手も洗わずに裏口でヤギのエサやりをしていた私をめがけ走ってきて、こう言った。
「……えっ!?嘘……」
「正確には私とリーンが直接、会うとるとこは見られとらん。千代さんが後をつけて来ているのが分かったから今日はリーンに会わないで風呂敷をお社の中に置いてきた。だけど、お社の中に置いた風呂敷が明日なくなっとったら千代さん、怪しむやろ?どうしよう……」
夏菜子ちゃんは真っ青な顔をして、そう言うと土間に座り込み項垂れ両手で顔を覆った。
「夏菜子ちゃん……」
私はヤギの頭を撫でながら短い間、目を閉じた。
そして昂ぶる気持ちを抑え込む為に自分にこう言い聞かせることにした。
(……大丈夫。大丈夫。私の脚のことを偽って報告する千代さんだもん。きっと夏菜子ちゃんの後をつけたことにも何か事情がある筈……)
そして、
「分かった。夏菜子ちゃん。私に考えがある。明日、私が千代さんにそれとなく探りをいれとくね。そしてお社には近づかない方がいいって言ってみる!!」
私は土間に座り込んでしまった夏菜子ちゃんの手を引き板の間に座らせると水をお椀の汲み、手渡した。
そして夏菜子ちゃんに背を向け再びヤギの乳を絞り始める。
ビュー ビュー ビュ
もうすぐハナちゃんのお母さんが赤ちゃんに飲ませるヤギの乳をもらいに来る時間だ。
私は頭と手を同時に動かしながら思いつきの明日から千代さんをお社に近寄らせないようにするとっておき方法を頭の中で推敲してみることにした。
*
次の日の昼休み。
今日も夏菜子ちゃんの周りには黒山の人だかりが出来ていた。
その様子を千代さんはいつもの通り少し離れた木陰から睨みつけている。
「隣いいですか?」
「えっ!?」
私は1人で離れ小島に座る千代さんの後ろから、こう声を掛けてみた。
「隣いいですか?」
「ど、どうぞ。どこが、誰の場所かなんか決まっとらんだから好きにしたらええ」
カパッ
そう言うと千代さんは忙しそうに朱色の漆の弁当箱を開いた。
弁当箱の中にはおにぎり、ホウレン草のお浸し、梅干し。
それに鳥団子が2つ入っていた。
中々、豪華な弁当。
流石、村長さんの娘さんだ。
千代さんは私が弁当箱を覗き込んでいることに気づくと
「なんね。早う自分の弁当を食べなさい。“腹が減っては戦が出来ぬ”って言うやろ!!」
そう言うと千代さんは大きめな鳥団子を半分に切ると口の中へとほおりこんだ。
「ふふっ。何だか千代さんって先生みたい……」
私は千代さんの強く優しい口調に中学校で世話になっていた副担任の若先生の面影を見た気がして思わず笑ってしまった。
「……。あんね、私はこないだまで師範学校に通ってたんよ。今は休学中なだけ。あと1年早く生まれて学校に通とったら卒業を前倒しで臨時雇用されて今頃、先生になっとったんよ。あんたらお子さまらと同じにしないで!!」
千代さんはそう言うと頬を少し紅らめて、おむすびを食べ始めた。
私は千代さんの少し子供っぽい横顔を見ながらから、こう続けた。
「あ、あの……。この前はありがとうございました。わざとバケツ蹴っ飛ばしたの見てたはずなのに……」
「あ、あれは事故や!事故。お前さん。若いのに鈍臭いからなぁ……」
千代さんは私が会話を切出すとわざと大きな声を出して私の言葉を遮り弁当のおかずに箸をつけた。
私も千代さんに倣い笹に巻いたおむすびと小さな竹細工の箱に入った佃煮を膝に乗せる。
「若い人は癇癪を起こすとすぐに物に当たるからいかんなぁ……。な、なんね?佃煮かね?……」
千代さんはそう言って私の弁当箱を横目で見ると、おむすびを食べる手を止めた。
「そうですよ。夏菜子ちゃんのおばあちゃんの得意料理です。1匹いかがですか?」
私は千代さんの前に佃煮を差し出しながら、こう言った。
「佃煮なんてババ臭いもの私は嫌いよ……」
千代さんはそう言うといつもの通り、私に背を向け冷たい態度をとる。
そして、
「……私は嫌いだけど、兄様は大好きだった。いつも兄様の弁当にはお母様の作った佃煮が入っとった……」
千代さんはそう言うと私に背を向けたまま一筋の涙を流した。
「最近はな、お母様が神経が衰弱してしもうてお勝手に立てんから料理人が全部夕飯を作るんよ。私が好きな物を……。跡取りを亡くしたお母様の気持ちを考えると兄様の好物はもう二度と家の食卓には並ばんのよ……」
そう言い千代さんは箸を握りしめ俯き目に涙を溜めた。
「ミラさんだけに話すけどな。私には心に決めた人がいるのよ。昨日、彼から九州の、とある島にいると手紙が来てね。戦争が終わったら兄様が生きていたら私はその人の所に嫁ぐつもりだったんよ。だけど、兄様が亡くなった今。勝って帰って来てくれたなら彼を婿養子にしなかいかんな……」
そう話すと千代さんは乱れた髪の一房を戻しながら南の空を見上げた。
「千代さん……」
2人の間に灰色の沈黙の時間が流れていく。
「……。さぁ。湿ったい話は、これで終わりよ。ミラさん。私はな、あの人の為に。戦争を早く終わらせる為に、ここで戦うって決めたんよ。だから、お前さんにどんな事情があるかは知らんが今後は気球を作る邪魔はさせないから、ね。覚えておきなさい!さぁ、さ、早よ食べ」
千代さんはそう言うと何かに取りつかれたように2段のお弁当をペロリと平らげた。
そして、
「佃煮ごちそうさま。美味しかったわ……。あと、夏菜子さんに体を大事にしなかいかんよって伝えて。彼女、最近、昼ごはん食べてないようだから……」
千代さんは、そう言うと急いで立ち上がり昨日、山登りで傷めたであろう右脚を引きずりながら足早に室内プールのある建物へと戻っていった。
「えっ?あっ……!?」
千代さんの脚に気を取られ気がつくと私の弁当箱から佃煮は1匹もいなくなり代わりに大きな鳥団子が1つ置かれていた。
(ヤバい。千代さんの身の上話聞いていたら、お社に近づかないように説得し損ねた……。あーぁ……。でも、まっ、いいか。あの脚じゃぁ、とりあえず、今日は山は登れないだろうし……。そもそも昨日、お社までは登れなかったんじゃないかなぁ。そうか、千代さん夏菜子ちゃんの事心配していただけなんだ……。千代さん。皆、怖がってるけど実は、いい人なんじゃないの?)
あの日の私は青い空の下。
ひとり日陰で鳥団子の味に舌鼓を打ちながら昨日、徹夜で考えた自作の怪談話を披露する機会を逃した悔しさを噛み締め、そんな事を悶々と考えていた。




