西洋風の髪型
私が右足首を捻挫をした次の日の事。
今日から夏菜子ちゃんは1人でリアムの所へ水とおむすびを届けに行くことになった。
夏菜子ちゃんはリアムに少しでも元気でいてもらう為、以前から自分の分の弁当も食べずに持っていってる様子だった。
夏菜子ちゃんは私と出会った頃よりも目に見える形で痩せてきた。
リアムの家族を殺すかもしれない風船爆弾を作ることの葛藤も体調不良の一因なのかもしれない。
そんな最中、 足を捻挫した私はまた以前の勤労奉仕をしていた教室へと戻される事が決まった。
体育館の重労働に比べれば座りっぱなしのこの作業はかなり楽ちんに感じる。
勤労奉仕は余程の理由がないと病欠は認められないシステムらしい。
戦場でもないのに怪我をした女や子どもまでが終日働かなければいけないような時代。
戦時中は内地も戦場もいつ、どんな時も安息日はない。
*
「晶子さん、元気出しん」
「うん。ありがとうね。お父様も英霊様になれて本懐やったと思うわ……」
(また、亡くなったんだ……。晶子さん、かわいそう。この前は愛犬が戦地に徴兵されたって泣いてたばかりなのに)
あの時の私は学校の女生徒のすすり泣きを聞くたびに戦争の足音が徐々に近づいてきているのを感じていた。
*
夏菜子ちゃんに英会話を教えて2ヶ月半程が過ぎた、ある真新しい綿入れを着込んだ少し寒い夜。
今日も夏菜子ちゃんは頬を紅らめて夏菜子ちゃんのおばあちゃん特製の湯たんぽを抱えながら興奮気味にリアムの話をしていた。
今の季節は暦の上では秋。
湯たんぽの時期にはまだ早いが夏菜子ちゃんのおばあちゃんは冷えには少し敏感みたいだ。
湯たんぽから夏菜子ちゃんのおばあちゃんの優しさが伝わってくる。
*
夏菜子ちゃんが初めてリアムに1人で会いに行った日の夜。
私は何か進展があるのではなかろうかと内心ワクワクしていた。
私は人の恋バナを聞く事が好きだ。
夏菜子ちゃんの話では今日、私がいなくてもリアムと覚えたてのつたない英語。
それに簡単なジェスチャー。
時には地面に絵を描いたりして、どうにか意思疎通ができたらしい。
言葉の意味が分からなくてもどかしい時も多々あったようだが帰って来た時、すぐに私に英単語の意味を訊ねて彼女はすぐに英単語の意味を覚えていった。
この様子なら安心だ。
夏菜子ちゃんは英語習得にかなりの熱の入れよう。
上達もすこぶる早い。
まぁ、分からない単語を聞く事で私に会話の内容は筒抜けな訳なのだが……。
リアムは以前、私と話す時は妹に接するように話していた。
だが夏菜子ちゃんと話す時は髪を掻きあげたり、さり気なく夏菜子ちゃんの隣に座ると手を握ったりなんかもしていた。
初めはリアムの積極的なアプローチに戸惑っていた夏菜子ちゃんも数日が過ぎればリアムと同じようにスキンシップをとるようになっていた。
私は2人が両想いだと思っている。
通訳の私は、かえってお邪魔虫。
自分でもそう思っていた時折。
ジャストタイミングで私は捻挫をした。
夏菜子ちゃんが幸せそうに話しているのを見ていると“この怪我は神様の思し召し”。
“怪我の功名”とさえも思えるようになってきた。
私は自分の怪我を体のいい言い訳にして2人っきりの甘い時間を作ってあげることに成功したのだ。
*
今日、夏菜子ちゃんがリアムと話した事。
それは昨日、私が捻挫した事が主だった話になってしまったらしい。
リアムはその話を聞いた時、眉を下げとても悲しい顔をしたそうだ。
「そうなんだ。何かごめんね。せっかく2人っきりになれたのに……」
「な〜に言うとるの。そうそう。これリーンから「Get well soon」だって……。Get well soon……お見舞いの事かね?」
感の良い夏菜子ちゃんはそう言うとリアムから託されたたという真鍮製の星型のバッチを私に手渡してきた。
私は差し出されたバッチを見つめると夏菜子ちゃんの手に再び握らせ、こう話を切り出した。
「「Thank you」ってリアムに伝えて。そして、この飾りは夏菜子ちゃんがもらって。その方がリアムも喜ぶ、と思う……」
私は自分の心の奥底から出てきた素直な気持ちを声として外に出すと何だかスッキリとした気分になった。
「えっ!?でも……。こんな素敵なもの受け取れん!!だってリーンはミラちゃんにって……」
夏菜子ちゃんはそう言うと再び私の前にバッチを突き出してきた。
「いいの。いいの。リアムも妹分の私なんかより夏菜子ちゃんがバッジを持っていてくれた方が喜ぶと思う」
「いや、でも、リーンが……」
「これは夏菜子ちゃんが……」
「でも、リーンは……」
夏菜子ちゃんはその後も何度も私に強引にバッチを手渡そうとしてきた。
だが、私の心は初めから決まっていた。
あのバッチはこの時代に生きる夏菜子ちゃんの所にあるべきものだ。
何となくそんな気がしていた。
夏菜子ちゃんは長い問答の末。
私が絶対に受け取らない事を悟ると優しい「ありがとう」を言い桐のタンスの中に仕舞い込まれた制服の間にバッチを挟みこんだ。
そして、そんな今日の夏菜子ちゃんの後ろ姿はいつもより少し大人びた印象を私に与えた。
そして私は夏菜子ちゃんのある変化に気がついた。
「ねぇ?夏菜子ちゃん髪型変えたの?可愛いね♡」
私は夏菜子ちゃんがいつも1つにまとめ上げているだけの黒髪が今日は細いみつ編みがいくつも編み込まれていることに気がついた。
パタンッ
夏菜子ちゃんはタンスを締めると左手で髪を触り振り向きざまに照れくさそうに、こう返事をした。
「リーンが結んでくれたんよ」と。
そして私は夏菜子ちゃんの手に見覚えのある写真が握られているのを見て思わず口に手を当てた。
「ミラちゃん?……。あぁ、これ?この写真……な。リーンが今日私にってくれたんよ。いつものお礼だって。何かなリアム最近、熱っぽくてな。ほら、日中はずっとコケの生えた井戸の中やろ。最近寒くなって来たから家に来るように言うたんだけど、私やミラちゃんに迷惑かかるから言うて動いてくれんとっ……」
夏菜子ちゃんはそう言うと私の視線が一点に集まる中。
一筋の青い涙を流し突然、畳の上に膝から倒れ込んだ。
貧血だろうか。
顔が蒼白い。
「夏菜子ちゃん……大丈夫?」
私は右足を引きずりながら夏菜子ちゃんに近づくと気を失っている彼女の背中をさすり深呼吸をして自分の気持ちを落ち着かせた。
(リアムは自分の遺品を整理する事で自分の死と向き合う覚悟を決め始めている!?……)
私は夏菜子ちゃんの細い二の腕を見て心が締め付けられるように傷んだ。
その後、私が再び心を落ち着かせる為に目を瞑ると私の脳裏にリアムが目を見開き死んだように倒れている姿が朧げに映って、消えた。
それと同時にリアムの隣で夏菜子ちゃんが泣き崩れる姿も……。
嫌な幻像だ。
その時、私は心から願った。
(キツネの神様。お願いです。もう私が元の世界に帰れなくても構いません。だから……だから、史実よりも早く。1日でも早く戦争が終わりますように……)
そうしたら2人は結ばれる、幸せになれる……。
あの時の私は確信のない未来に2人が幸せになる夢を託したい、そう思っていた。
*
あの日から夏菜子ちゃんは毎日のように髪型を変えて女学校へ通うようになった。
夏菜子ちゃんは家で内湯はせずに冷たい川でリアムの為に水行をしているらしく、いつも少し風邪気味だ。
夏菜子ちゃんは私にリアムの病状の悪化を隠すように努めて明るく振る舞うようになっていった。
そんな彼女の後ろ姿は私の瞳に痛々しく映った。
*
「夏菜子さん。今日もかわいい髪型ね」
「ふふ。ありがとう。また、お昼休みに結い方、聞いとくれん」
梅柄のモンペを履いた中学生くらいのおさげの女の子は、夏菜子ちゃんが教室に入ってくると私を押し退けて一目散に夏菜子ちゃんの所へと走り寄って来た。
倒れた次の次の日。
一晩ぐっすりと寝た夏菜子ちゃんは起き上がれるまでに元気を取り戻していた。
「夏菜子さん。ありがとね。でも……私ね、昨日教わった髪型が好きなんよ。朝起きたら解けてしまって……」
そう言うと女の子はアメピンとゴムを手に夏菜子ちゃんの前で項垂れてみせた。
「そうね。昨日の髪型わね。緩い2つの3つ編みを後ろで1つに縛ってなクルクルと上に巻き上げて……。そんでな、コレで留めとくんよ。こんな風に、と。できた。うん。可愛い!」
「「いいなぁ~」」
女の子の髪型が西洋風に結上がると教室からは感嘆の黄色い声があがった。
「なぁ、夏菜子さん。お昼にちょこっと私も今日の夏菜子さんと同じ髪型に結ってくれん。なぁ~」
「夏菜子さん。また新しい髪型考えたら教えてくれんね」
「夏菜子さん。あんな……」
夏菜子ちゃんの右隣にいた丸眼鏡の女の子がそう言って甘えた声を出すと夏菜子ちゃんの周りには人がゾロゾロと人が集まってきた。
そして女の子達は一斉に夏菜子ちゃんに話しかける。
夏菜子ちゃんは人気者だ。
コンニャクの臭いの充満した気だるい空気の教室は“勤労奉仕の場”から“華やかな女の園”へと時間を巻き戻していくように教室の中に一筋の太陽の光が差し込んだ。
この日。
憲兵のおじさんも、このくらいはと言うように寛大な顔で少女達を見守っていた。
だが幸せは束の間。
すぐに聞き慣れたあの高い音が教室に続く廊下に鋭く響き渡った。
カツッ カツッ カツッ
廊下にブーツの踵が木の板を穿つ音が響き渡る。
そして、
「はい、はい。おしゃべりはそこまで!!」
その甲高い声の主である千代さんは教室に入ると女の子達の騒ぐ声を鶴の一声で静止した。
そしていつもと変わらない鋭い声で点呼を取り始める。
点呼をとる時に一点を見つめたままのその目は夏菜子ちゃんの結われた髪を睨みつけているように私には見えた。
「千代さんは、夏菜子さんが人気者になるのが面白くないんじゃろ……」
ハナちゃんは後ろの席の私の方を振り返りそう言うと鼻息を荒くして「はじめ」を合図に今日も、いの一番に和紙を張り合わせていった。
*
夏菜子ちゃんは次の日もその次の日も毎日違う西洋風のオシャレな髪型で学校にやって来た。
そして今日もみんなはお昼休みの時。
夏菜子ちゃんから新しい髪型の結い方を教わっていた。
夏菜子ちゃんの周りはまるで小さな美容室のようだった。
この時間、みんなは夏菜子ちゃんに新しい髪型を教わる事が楽しみになってきているようだ。
次の日もまた次の日も……。
夏菜子ちゃんの周りには女学校の女の子達でいつも、いっぱいだった。
ギリッ
そんな夏菜子ちゃんを尻目に千代さんはいつも不機嫌な様子だった。
“触らぬ千代に祟りなし” なんて暴言も出たくらい彼女は以前よりも国民学校出の人達との溝を深めていった。
そして、 その日の終業後。
「ミラちゃん、今日も先に帰っといて。私、お社にお参りしてから帰るから」
「うん。分かった」
松葉杖をついた私は勤労奉仕が終わった夏菜子ちゃんに、そう言うと私達は学校の門の前で昨日と同じように別れた。
夏菜子ちゃんの胸の風呂敷には女学生が髪を結んでくれたお礼だと言ってくれた食べ物や薬が大事そうに抱えられている。
「⋯…ミラさん。ごきげんよう」
後ろからそんな声が聞こえたかと思うと私の横を急ぎ足で千代さんが走り抜けいった。
「ごきげんよう……?」
私は千代さんの家とは反対側に走っていく小さくなる千代さんの背中を夕焼け色の空下、 静かに見守っていた。
「千代さん、何を急いでるんだろ?」
私はあの日、そんな事を考えながら正門で待ち合わせをしていたハナちゃんと共にいつもの通りに松葉杖をつきながら家路を急ぐのだった。




