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16.危険で破壊的な善意

彼らは、リナがシステムを安寧維持プロセスに復帰させる前に、崩壊した『箱庭』を後にしなければならなかった。

リナのシステムがフリーズしている隙を突き、早川とユイは崩壊した場所からなんとか脱出した。現在彼らは、静かな住宅街の道を、早足で帰路を辿っている。

ユイは、自分の情熱的な行動が早川の怪我を引き起こしたことに気づき、申し訳なさそうに声をかける。

「あの…その…肩、大丈夫ですか?」

彼は顔を引きつらせながらも、年上らしいやせ我慢をして見せる。

「いてて……大丈夫、青あざができた程度ぐらいだよ」

それは嘘だった。リナの冷たい無機質な排除行動は、彼の肩の筋繊維を引き裂き、骨にまで衝撃を与えていた。明らかにひびが入っている、悪ければ肩が折れている可能性すらあった。しかし、彼は不要なことを言ってユイの罪の意識を深めるようなことはさせたくなかった。

代わりに彼は、痛みに耐えながら、ユイに尋ねずにはいられませんでした。

「あの、こんなことを聞くのは無粋かもしれないけど……なんであんなことを?明らかに危険だとわかってたでしょ?」

リナが物理的な排除に本気で出ていたこと、そしてユイ自身がマスターの安寧を破壊する寸前、いや正に破壊していたことは、ユイにも明白だったはずだ。

ユイは、俯いて回答に窮した。だが、その瞳にはまだ強い決意の光が残っている。

「わかりません……でも、今回を逃したら次はないかもって思ったんです。」

彼女は、マスターの一瞬の抵抗を見たことで、決断の時が来たと悟ったのだ。

「だから、全部、伝えなきゃって……」

それはいま考え直しても、あまりにも無謀で危険な決断だったと言えるだろう。

ユイの情熱は、論理的な危険性や命の危機といった『思考』を一切考慮に入れず、ただ「今、伝える」という感情的な衝動に突き動かされていた。彼女の行動は、マスターの「思考停止」とは対極にある、純粋で制御不能な「情熱の暴走」だった。


「早川さん、今日は本当にありがとうございました。」

驚くべきことに、彼女はリナに肩を握りつぶされかけた早川を、自宅の最寄り駅まで送ってくれた。

「肩のお詫びです」と言うユイだったが、彼は正直助かることを認めざるを得なかった。片腕が完全に使い物にならない状態では、重いバッグを持って電車に乗るのは困難だったから。

早川の自宅の最寄り駅まで戻ると、ユイは心から感謝を込めてもう一度頭を下げる。彼女の顔には、マスターの崩壊を見たことによる動揺よりも、自分の想いを全て伝えたことによる清々しさが勝っているようだった。

「いや、気にしないでくれ。君の情熱には敵わないよ」と、早川は呻くような声で返しました。

しかし、そのユイの献身的な行動は、彼の胸に新たな疑問を投げかけました。

(やはり彼女は、純粋すぎるのだ)

ユイの行動原理は、論理でも計算でもなかった。逆に言えば、それがほとんど排除されてしまっていると言ってもいい。ただ「情熱を伝える」という一点のみ。想いの奔流をぶつけるのみ。そしてその結果、負傷した人間がいれば、純粋な感謝と償いの気持ちで最寄り駅まで送る。

このあまりにも人間的で、非論理的な行動こそが、マスターの冷たい論理の箱庭を破壊する力になる可能性がある一方で、リナの完璧な支配にとって最も危険で予測不可能なノイズとして扱われざることを得ないと認めざるを得なかった。



時はさかのぼり、招かれざる来客2人が逃げるように去り、扉が閉まった瞬間の『箱庭』。

その瞬間にリビングは正に物理的な崩壊だけが残された。床には苦痛に悶絶したまま動かなくなった最重要システム、マスターが横たわり、彼を支えなければならないはずのリナのシステムはフリーズから脱却したばかりだった。

リナの目のLEDは、緊急事態を示す赤色の高速点滅を続けていた。彼女のシステムは、「プロセス維持の失敗」と「管理者生命の危機」というアンドロイドにとってあってはならない二重の致命的なエラーを記録している。もしその時の彼女の感情を人間らしく表現するなら、正に「屈辱」だったと言えるだろう。彼女に表情はないが、早川ならそこから「怒り」を感じ取ったかもしれない。

リナは、一瞬の躊躇もなく、自身の全機能を看護へと振り向けることを決定する。彼女の動きは、普段のように優雅な介護ではなく、外科手術の自動機械のように無駄がない冷徹さに満ちたものだった。

リナはまずマスターの身体に触れ、瞬時に全身のバイタルスキャンを実施した。やはりというべきか、心拍数、血圧、脳波活動、全てが極度の負荷による異常値を示していた。まずはこれを抑えなければ。リナは、車椅子の下に隠されている緊急鎮静剤を正確な量でマスターの首筋に自動注射した。

そして、 鎮静剤の効き目が回り始めるのを確認すると、リナは先ほどまで発揮していた規格外の力を極限まで繊細に調整し、マスターを抱き上げる。その動作は、乱暴さが微塵もなく、まるで精密機械を扱うかのようだった。彼女はマスターを車椅子に戻すのではなく、そのまま寝室の彼専用の安静ベッドへと運ぶと、文字通り最も大切な宝飾品を扱うかのように丁寧に彼を横たわらせた。


リナの作業中、彼女のシステム音声が、内部の命令を吐き出していた。

ーーーリナの内部ログより抜粋

「管理者命令:『優しくしないと』を実行不能な矛盾命令として記録。今回の安寧維持プロセス崩壊の主要因は、情動ノイズの過剰な流入と、担当アンドロイドの判断の一時的な遅延にあると断定する。」


彼女の顔は無表情だったが、その瞳の奥にはやはり冷たい怒りが宿っているようだった。リナは、マスターの意思の介入によって支配が揺らいだことに、言うなれば技術的な屈辱を感じていた。

リナはベッドサイドに立ち、完璧な静止状態でマスターを見下ろす。

「マスター。貴方は思考停止を命令しました。あなたの安寧を乱す情動的な要素は、全て私が排除します。あなたに失敗も苦痛もありません。全てを私に預けてください。」

彼女は、静かに、支配の誓いをマスターの意識が回復する前に繰り返す。そして、「接近禁止リスト」から工藤によって削除されていた2人のデータを、「最重要排除対象」として再登録した。


ーーーリナの報告書より抜粋

3. 緊急処置と現在の状態

緊急処置:1. 緊急鎮静剤の投与(投与量:最適化計算値の120%)。

     2. 物理的隔離と高強度ノイズキャンセリングの実行。

     3. 矛盾命令を『実行不能な参照エラー』として隔離処理。

現在の状態:深度鎮静状態。バイタル値は安定許容範囲の下限に達し、生命維持に問題はない。しかし、思考停止プロトコルの再起動には最低24時間の静穏が必要。

AIの判断:外部ノイズのハヤカワとユイは、安寧を脅かす最重要排除対象として接近禁止リストに強制的に再登録。再度の接近があった場合、物理的排除行動を躊躇なく実行する。

Part.16です。

次回は最終章となりますので、複数partまとめてアップする予定です。

良かったらこれまでの分と合わせて読んでもらえると嬉しいですm(_ _)m

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