果ての果てで逢いましょう
タキオン粒子が発見された。それまで仮想上の存在だった光速を超える速度を出せるタキオン粒子が発見された事で、地球人の行動範囲は大幅に広がった。
地球から宇宙へ。太陽系から銀河系へ。そして地球人は到達した。138億光年以上先で発見された新銀河、その形から、パン粉塗れのオリーブオイル銀河と称される銀河の先にある、宇宙の果てに。
果てまでやって来た宇宙船から確認出来るのは、恒星の光も存在しない真っ暗な闇であった。が、様々な機器から、この先に宇宙の果てがある事は分かっていた。
「とうとうここまで来ましたね」
クルーの1人がブリッジで振り返ると、この宇宙外縁部探査船ボブアップ号のキャプテンである壮年の男は深く頷いた。
地球人初の宇宙の果てに到達すると言う栄誉に、キャプテンを初め、他の10人のクルーたちも感慨深いものがあるらしく、そのうちの何人かの瞳には涙が潤んでいた。
「では諸君。気を引き締め直して、この先にある宇宙の果てに到達しよう!」
キャプテンの命に応えるように、クルーたちが慌ただしくボブアップ号の操作を始め、ボブアップ号は、宇宙の果てへと突入した。
「くっ、やはり一筋縄ではいかないか」
宇宙の果てへの進路を阻むのは、タキオンウォールと呼ばれる100億光年を超える分厚いタキオン粒子の壁であった。これがあるから宇宙は未だに膨張を続け、光さえも届かない宇宙の果てが存在するのだ。
「タキオンエンジンのブースターを全開にしろ!」
キャプテンの言葉に、クルーは「本気か!?」と振り返るも、見られたのは重く頷くキャプテンの姿だ。これにキャプテンの本気を感じ取ったクルーが、タキオンエンジンのブースターを全開にする。
光速を超えるタキオン粒子の壁であっても、ただそこに存在しているだけでは、活用しているこのボブアップ号でも何とか抜けられる。そうキャプテンは判断し、実際にそれは正鵠を射るものであり、宇宙外縁部探査船ボブアップ号は、どうにかこうにか、100億光年を超えるタキオンウォールを超えて、宇宙の果てに到達したのだった。
「ここが、宇宙の果て……?」
そう呟いたのは誰だったか分からないが、ボブアップ号に乗っている者たち全員の総意であった。タキオンウォールの先にあったのは、どこまでもある壁であった。この場合の壁はタキオンウォールのようなタキオン粒子が密集していると言う意味ではない。本当に物理的な壁であった。
宇宙の果てがどうなっているのかは、人類が生まれた頃からの疑問であったが、まさか本当に壁があるとは、キャプテンもクルーたちも予想はしていなかった。
長方形が互い違いに配置されたような壁は、明らかに人工物を想起させるが、地球の自然物の中にも、これは本当に自然が生み出したのか? と首を傾げたくなる物が存在するので、これが自然に出来た物なのか、それとも人工的に造られた壁なのか、今は誰にも証明出来なかった。
「キャプテン! あれを見てください!」
キャプテンはじめクルー全員がその異様な光景に呆気に取られている中、1人のクルーがモニターの1点を指差す。ハッと我に返ったクルーたちの視線が、自然とその1点に集中すると、そこにあったのは、…………家であった。しかも和風建築だ。
宇宙に浮かぶ輝く泡の中に、雲が浮いており、その和風建築はその雲の上に乗っていた。
「何だあれは?」
「家ですね」
「そんな事は分かっている!」
キャプテンの口から転び出た疑問に、クルーの1人も反射的に答えるが、キャプテンも誰も、そんな当たり前の答えを求めてはいない。疑問は何故こんな宇宙の果てに、和風建築が存在しているのか? と言う事へのアンサーなのだ。
「どうします?」
クルーの1人がキャプテンに次の行動の指示を仰ぐ。悩むキャプテン。自分たちの目の前には、やっと地球人類が到達した宇宙の果てがある。その調査こそがこのボブアップ号の本来の役目だ。しかし、そんな事は百も承知で、あの和風建築が気になり過ぎる。役目に忠実に宇宙の果てを調査するか、それともあの和風建築を…………、調査か、和風建築か、調査か和風建築か、和風建築か、和風建築か和風建築か和風建築……、
「うん。あの和風建築から調査しよう」
このキャプテンの判断に否を唱える者はいなかった。だってあんなものがあって、気にならない者などいなかったからだ。
ボブアップ号はゆっくりと和風建築と、それを包む泡に近付いていく。近くで見ると本当に和風建築そのものだった。それが益々クルーたちの頭を混乱させた。
「私に調査に行かせてください」
立候補したのは日本人のクルーだった。日本人だからこそ、その和風建築が気になり過ぎた日本人クルーであったが、他の者から立候補が出る事もなかった。和風建築だし、日本人が良いんじゃない? と言った雰囲気がブリッジには流れていたからだ。
満場一致で和風建築の調査に向かう事になった日本人クルーは宇宙服に着替えると、テザーと呼ばれる命綱でボブアップ号と繋がったまま、宇宙の果てへ地球人として初めて飛び出すと、和風建築を包む泡まで泳いでいく。
「どうだ?」
『輝いてはいますが、それ以外は泡そのものですね』
キャプテンの問いに、宇宙服に仕込まれたマイク越しの日本人クルーの声が届く。皆が見守る中、日本人クルーは大胆にもその手を泡へと伸ばした。泡は割れる事なく、日本人クルーの手が泡を通過した。そのまま手を左右に振ってみるも、泡が割れる様子はない。どうやら簡単に割れるようなものでは出来ていないようだ。
『突入します』
それを理解した日本人クルーは、またも大胆に身体ごと泡の中へ突入していく。そうさせるのも仕方なかった。何せ泡の中には和風建築があったのだから。
「どうだ?」
『この雲、乗れます!』
泡の中にある雲の上に降り立った日本人クルーが、そんな言葉を返してくる。ざわつくブリッジ。泡にしても、雲にしても、地球の常識が通用するような物質でない事が予想されたからだ。だが今はそんな事よりも気になる事がある。和風建築だ。
日本人クルーは雲の上を歩きながら、和風建築へと近付いていく。それは見れば見る程和風建築そのもので、生け垣で囲われた和風建築の周りをぐるりと一周してみても、その感想は変わらなかった。
日本人クルーは意を決して、生け垣にある門扉の前に立つと、その門扉を開けようとするも開かない。
『門扉は閉まっていますね。どうしますか?』
日本人クルーがボブアップ号の指示を仰ぐ。これにはボブアップ号に残ったキャプテンもクルーも困ってしまった。その気になれば、門扉はスルーして、生け垣を越えてその内部に入り込む事は出来る。しかし、人として、そのような無礼を働いて良いものかどうか、クルーたちのモラルが問われていた。
まさかクルーたちも、宇宙の果てまで来て、モラルの問題にぶち当たるとは思っていなかったが、ここに来るまでに、様々な試験を越えて地球人代表として選ばれ、宇宙の果てまで来たボブアップ号のクルーである。地球人代表として恥ずかしい行いをする事は出来ない。と言うのが共通認識だった。
『……あ、呼び鈴があります』
「そ、そうか? ……なら押してみてくれるか?」
どうやら門扉の横には呼び鈴が取り付けられていたらしく、それならば、と皆の顔色を窺ったキャプテンが、クルーの総意として呼び鈴を鳴らすように日本人クルーに命令した。
ピンポーン。と普通の、良くある一般家庭の呼び鈴そのままの音が鳴り、
『はい? どちら様でしょう?』
と呼び鈴越しに声が聞こえてきた。日本語である。年重の女性の声であった。
『あ、えっと、この度近くに越して来ました者です。引っ越しの挨拶をと思いまして』
日本人クルーが咄嗟に機転を利かせてそのように応えると、
『まあまあ。わざわざご丁寧にどうも。今、そちらへ向かいますね』
女性がそう応えると呼び鈴は切れ、少し気不味い雰囲気が流れる中、ガラガラと限界の引き戸が開く音が日本人クルーの方へ聞こえてきた。それに気付いた日本人クルーが生け垣越しに玄関の方へ目をやると、地味な服装の上から前掛けを着て、つっかけを履いた、声に違わぬ白髪の女性が立っていた。宇宙服ではない。私服だ。そしてクルーには日本人に見えた。
女性は生け垣越しにこちらを見ている全身を宇宙服で覆った男の姿に、困惑そうな顔を一瞬浮かべたが、それはすぐに解かれ、つっかけのまま、カランカランと門扉の方へと歩いてくる。
女性によって門扉が開かれると、相見えた女性と日本人クルーの間に何とも言えない空気が流れた。どちらからしても、何で相手がそんな格好をしているのか理解出来なかったからだ。
「あ、えっと、お名前をお聞きしても?」
このままお見合いしていても埒が明かないと判断した日本人クルーが、意を決して日本語で尋ねる。
「あ、鈴木です」
「…………」
「…………」
「鈴木さんのご職業は?」
「うちは最近夫と2人して退職しましてね。でもこんなご時世でしょう? 蓄えは多い方が良いからって、行政に相談に行ったら、ここの門番の仕事を勧められまして、2人して引っ越してきたんですよ〜」
「門番、ですか?」
「はい。何でも宇宙の内と外? の境界にある壁を見守っているだけの仕事でして、辺鄙なところだから、人が来る事もないって聞いていたんですけど〜」
言いながら女性は日本人クルーを上から下までマジマジと見遣る。
「あ、すみません、申し遅れました、私は宇宙外縁部探査船ボブアップ号で、宇宙飛行士をしておりま……」
「やっぱり! 見るからに宇宙飛行士っぽいから、そうじゃないかな? って思っていたんですよ〜」
眼を輝かせる女性に、「はあ……」と相槌を打つ事しか出来ない日本人クルー。そんな日本人クルーの戸惑いなど我関せずに、女性は1人でぺちゃくちゃと話し始める。
「……あ、あの! 鈴木さんはここで門番をしているとか?」
このままでは有用な情報が聞き出せない。と判断した日本人クルーが、女性の話を中断させて尋ねる。
「ええ」
「と言う事は、あの壁、開くんですか?」
日本人クルーが和風建築の後ろで、正しく1枚の壁の如く聳えるものへ目を向けると、
「あら〜。宇宙飛行士さんでもこんなものに興味持つのねえ。開くところ見ます?」
女性はまるで家のぬか床でも見せるかのように応えた。
「え!? 見せて貰えるんですか!?」
「はいはい、構いませんよ。元々、誰か来たら私たちの判断で開けて構わないと言われていますから」
そんな風に口にした女性は、こうしちゃおれないと、玄関に戻っていく。
「お父さん! お父さ〜ん! あの壁開けてくれない!? 宇宙飛行士さんが見せて欲しいって!」
玄関から大声で、家の中にいるらしい夫らしき人物へ声を掛ける女性。
「あ!? 宇宙飛行士!? 何言ってんだ!? それに壁を開けろって言われてもなあ? あの壁、今、機械が油切れでギチギチだから、宅配業者さんにオリーブオイル頼んでいただろ? それが届くまで開かんぞ!?」
そんな男性の声が、玄関を通り越して日本人クルーの下まで届いた。
『どうなった?』
これまで事態を静観していたキャプテンから、日本人クルーへ声が届いた。キャプテンたちクルーは、日本語を解さないので、日本人クルーと女性の会話が理解出来ていなかったのだ。
「いえ、何でもここのお宅には、鈴木さんと言うご夫婦が住まわれているようなのですが、何でもこの壁の門番をしているそうで、今、開けるとか何とか……」
『開ける!? その壁開くのか!?』
驚くキャプテンの声で耳がキーンとなる日本人クルー。
「いやあ、それがどうも、開ける機械が油切れを起こしているそうで、オリーブオイルが届くまで壁は開けられないそうです」
『…………』
「…………」
『…………何を言っているんだ?』
「何を言っているんでしょうねえ」
自分でも何を言っているのか、今起きている事がまるで奇妙な夢のようで、日本人クルーも、ボブアップ号に残ったキャプテンも他のクルーたちも、科学的アプローチが通用しない場面に、頭を抱える事しか出来なかった。
「すみませんねえ。何か夫が今は開けられないの一点張りで」
ボブアップ号のクルーたちがそんな事になっているとは露知らず、女性は門まで戻ってくると、日本人クルーへ申し訳なさそうに事情を説明する。
「……い、いえ。お気になさらないでください。あの、そのオリーブオイルが届くまでの間、周辺の調査をしていても良いでしょうか?」
「良いですよ。ここら辺は私らの土地? らしいですから。でも、宇宙飛行士さんみたいな偉い人が、こんな辺鄙な場所調べて、意味あるんですか?」
「……ははは」
片手を頬に当てながら応える女性に対して、日本人クルーは乾いた笑いで返答するしかなかった。