中(白)
「あんた、今度は間違えてないだろうね?」
紅月は、数日前と同じように壁に凭れかかって煙管をふかし、人を喰ったような笑みを浮かべて文太を見ている。
「間違えていませんよ。二度も確認しました」
数日前。
『頼んだ酒をまた間違えている』とトキに怒鳴られ、酒屋に戻ったら同じ事を店主にも怒鳴られた。
「酒を間違えている事、気づいていたんでしょう?だったら言ってくれれば良かったじゃないですか」
文太が頬を膨らませて文句をつけると、紅月は「さぁ、どうだろうね?」と喉の奥で笑った。
「……それから、『赤いかすみ草』の話、嘘だったんですか?」
「やっぱり本気にしてたのかい?」
そうだろうとは思っていたけどさ、と紅月は鼻で笑う。
「……やっぱりあんたは『白』だねぇ」
「前もそう言われましたけど、『白』って何なんですか?それに紅月花魁、自分の事は『赤』って言いましたよね?」
「白は白さ。……さて、私は退散するとするかね」
「?」
余裕のある笑みでそそくさと退散する紅月に、文太はかしげる。
(白……しろ……?音読みだと『はく』……)
『まったく!このはく──』
この間、トキは何と言おうとしたのだろうか。
文太は振り返ると、呆れた表情をしている番頭に疑問を投げかけた。
「……番頭さん。そういえば、この間女将さんが俺に『はく』って言いかけましたけど、何だったんですか?」
番頭は、言いづらそうに顔をしかめる。
「…………『白痴』って言葉、知ってるか?」
たっぷりと間を置いて慎重に口を開いた番頭に、文太は首をかしげる。
「はくち?」
「『たわけ者』って意味だ。あと……精神に重い障害があって、知能がかなり低い奴の事も言うな。差別用語なんだよ」
番頭は気まずそうに視線を逸らす。
トキは、怒る事はあるが罵倒する事はまずない。
文太自身も分かっていたが、トキが思わず口を滑らせてしまうほど文太は失敗が多すぎるのだ。
文太が、落ち込みながらも酒を運び終わって帰ろうとした時、女将に「文太」と呼び止められた。
「今日の酒、これだけかい?」
「え?」
文太の表情がサッと青くなり、急いで伝票を確認する。
(今日はちゃんと確認した。間違えるはずがない……!)
ひらりと、文太の足元に落ちた紙を女将が拾い上げる。
「ん?文太、これって……」
「はい?」
泣きそうな文太が顔を上げて、女将の持っている紙を見る。
紙には、二軒先の『しみず屋』の屋号が書いてあった。
千歳屋の伝票を確認した直後に店主に呼ばれ、うっかり『しみず屋』の伝票の上に投げ置いてしまったのだ。
『白は白さ。……さて、私は退散するかね』
紅月の言葉の微妙な間。
「あれ、まさか……」
「文太、またかい?」
女将の顔は、怒りを通り越したのかいやに真顔だ。
感情を顕にしない分、尚更恐ろしい。
「はっはい……またです……」
「とりあえず、店に戻って事情を説明してきな」
「はい……」
真顔のまま、女将はしみず屋の伝票を文太に渡す。
文太が酒屋に着くと、首をかしげた店主に声をかけられた。
「文太、しみず屋の伝票知らないか?」
「……すみません……俺が持ってます……」
「何でだ?」
「しみず屋の酒を、間違えて千歳屋に持っていってしまって……」
「はぁ?」
「本当すみません!」
しみず屋の伝票を握りしめたまま、文太は深く頭を下げる。
店主は何も言わず、ふーっと長く息を吐いた。
「もういい。お前はクビだ」
「え……」
思わず文太は頭を上げる。
歩み寄ってくる店主の顔は、女将同様いやに真顔だ。
「頑張っているのは十分に分かる。だが、失敗が多すぎる」
店主は、文太の手から静かに伝票を抜き取り、くしゃくしゃになった伝票を広げる。
「戻ってきたら、今月分の給料は払う。今日はもう帰っていい」
しみず屋の伝票を見ながら、店主は千歳屋の酒と照らし合わせる。
呆然と立ち尽くす文太に一瞥もくれず、店主はもう一度静かに「帰れ」と言った。