港町ポート
さてこうして新たな仲間を伴って私たちは再び港町ポートにむけて出発した。リキは一番前に後ろを歩いたり、カリタスの横を歩いたりととても自由だ。カリタスいわくリキは今までアニマスの森の外へと出たことがなかったからはしゃいでいるのだという。彼は警戒心が強く、私たちには決して触れさせようとしなかった。頭や背中を撫でようと私たちがリキに向かって手を伸ばすと唸り声をあげて怒った。それでもスヌーピスは諦めきれないらしくちょくちょく手を伸ばして撫でようとし、リキに噛まれそうになっていた。(彼の大きな顎で噛みつかれたひとたまりもない)狼は星族にも人族にも恐れられているため、整備された人通りの多い街道を歩くわけにもいかず街道からだいぶ離れた草原を歩んでいる。非常に穏やかな日で運が良いことに魔物に会うことも無く歩むことができた。魔物とは我々星族が魔物を使う時にできた魔力のカスが集まることによって生まれてしまう生命体である。意思は持たず、ただ本能的に魔力を求め星族に襲いかかる。魔法での退治は魔物に力を与えるため不可能。そのため魔法を伴わない攻撃に長けた星族の集団が魔物を退治するために結成され、それが今の星雲騎士団となった。最も現在の星雲騎士団の仕事はそれだけでは無いので星雲騎士団の中でのぼりつめようとすれば魔法にもたけてないといけない。つまりスピーヌスというこの少女は魔法にも、また剣にも長けているという事である。見た目は呪術者という言葉がピッタリであるが。
陽が傾き夜が近づく。狼を連れて宿へ行く訳にもいかないのでそのまま野宿である。明日はいよいよ港町ポートだ。場所を決めると皆で円になって座る。カリタスは石で囲みを作ると鞄の中から木材と麻を取り出し、それから火打石で火を起こし始める。石と石が擦れ合う音がちょんちょんと野原に響くのを聞きながら私は夕飯として食べようと林檎を取り出す。その林檎の皮をナイフでむこうとして手を滑らせ林檎を野原に落とすというのを何回か繰り返していたら隣にいたスピーヌスの限界が来たらしくナイフごと取り上げられた。スピーヌスはするすると器用に林檎の皮を剥くと林檎を三人分にわけ、木の小皿に入れる。やがて火打石から火花が散って石で囲んだ中に置いた麻に火がついた。カリタスはその火に魔力を注いで強くするとその上に木材を投げ入れる。カリタスはリキに何かを指示すると、リキが草原の奥へと走り去った。「リキはどうしたの?」「食べ物の調達をお願いしたんです。」カリタスが朗らかな笑みを浮かべる。リキはそれからしばらくすると血だらけの大型のうさぎを一匹口にくわえて帰ってきた。私は思わずその痛ましい光景に目を逸らしたがカリタスもスピーヌスもどうともないようだ。カリタスはそのうさぎをリキから受け取るとリキの頭を撫でる。「お前はもう食べたの?」カリタスは穏やかな笑みを浮かべながらリキに聞く。リキは血だらけの口からまるでカリタスの言葉に頷くような低い唸り声をあげた。「そう。」カリタスは満足気に頷く。スピーヌスがリキをじっと見つめる。「狩りも上手いのだな。…リキ以外の狼もアニマスの森にはいるのか?」「残念ながら、この子以外の狼に会ったことはありませんね。」星の宮があるこの大陸は昔狼狩りがあり、今では童話の中でしか狼の話はきかない。いわばこの大陸から出ない星族にとっては狼は未知の存在なのだ。それもあり、狼が出るというアニマスの森は恐れられていた。リキはカリタスの隣で彼女がうさぎを捌くのをじっと見つめている。カリタスは六人前はありそうな大きなうさぎの肉を手際よく捌くとその半分をリキに与え、他のを鍋で丁寧に煮込み香草や塩コショウを入れてゆっくり味を染み込ませる。じっくり火が通ったのを確認するとスピーヌスが切り分けた先程の林檎が入れてあるそれぞれの木の小皿にウサギ肉のスープを分け入れていく。スピーヌスはその皿を受け取ると私たち二人から離れて顔が見えない距離まで遠ざかってから食べ始める。「星雲騎士団の人ですから顔に深い傷を負っているのかもしれませんね。」カリタスがそんな彼女の様子を見ながらぼそりと呟いた。
夜もさらに深まり炎のパチパチと火花を散らす音が昼間より大きくきこえる。カリタスは既に持参した寝袋に入り、静かな寝息をたてている。リキはそんなカリタスを守るように寄り添って眠っていた。私は寝袋に入って寝ようとしているものの中々寝付けず先ほどから寝返りばかりうっている。スピーヌスはまだ寝袋にも入らず野原に胡坐をかいたまま自分の剣を研石で研いでいた。「…まだ寝ないの?」私は少しためらった後、小声でスピーヌスに話しかける。「この後オリーブオイルを塗って羊毛で拭きあげたら寝る。」相変わらず人間に対しては愛想の欠片もない。それだけ言うと再び黙ってしまった。焚き火の光が彼女の気味の悪い茶色の革の仮面を照らしている。革の仮面の中に彼女の瞳が見えた。優しい、深い青色の瞳。私はその瞳をどこかで見た事がある。そんな事を思いながらその青い瞳に吸い込まれるように深い、深い眠りについた。
薄ら寒さに体を丸めて目を覚ます。もうだいぶ陽が登っていた。ゆっくりと体を起こすとスピーヌスは既に出発の準備を始めている。やがてカリタスもゆっくりと起き上がり、皆でごそごそと荷物をまとめ出発をする。カリタスは私と同じで朝に弱いらしい。先程から何度も躓いている。一方、リキは昨日と同じようにご機嫌で野原を歩いている。リキ?そうだ。私は顔を青ざめさせる。「狼のリキをどうやって街に入れるの?」私のその言葉にカリタスが自慢げに笑う。鞄の中から銀色のネックレスを取り出すとリキの首にかけた。すると驚くことにリキの姿が狼から灰色の犬へと変化した。「魔道具か?変化の術を可能にする魔道具なんてそんな貴重なものを…」そう、変化の術は非常に高難易度なものである。基本的に変化の術は髪色が青白い高い魔力を誇る星族の中でもさらに鍛錬を詰んだものにしかかけられない魔法。それをさらに魔道具にしてあるのだ。かなり貴重で高価なものなのは誰にでもわかる事だ。「…たまたま家にひとつあったんです。」カリタスはそう言って話を濁す。これ以上深入りするなという明らかな拒絶がそこにあった。
リキは犬の見た目が気に入らないらしく不機嫌そうに後ろ足で耳をかく。「魔道具なので変化の術は長続きしないし、頻繁に魔力を補充する必要はありますが。今の補充されてる魔力量だったら四日程は持ちます。これで街に入るのは問題ないかと。」「後は犬ありの船を探すだけだね。」犬ならねずみ捕りなどのために乗せる船もあるから大丈夫かと笑う。
港町ポートは他の六大陸にある港でも三本指に入る大きな港だ。色んな種族がこの港に集まり、また色んな物が売り買いされる。客引きの声や大道芸人達が奏でる音楽が町を彩る。魔道具のネックレスで灰色の犬へと姿を変えられているリキは海の塩や香辛料、人の匂いに鼻をぴくぴくと忙しなく動かしそこら中から聞こえてくる音に耳をすましながら歩いている。私たちも慣れない潮の香りを吸いながら路上に売られている色んな物に目移りしながら船着場へとむかった。港で店を開いている人族はダレ大陸出身の商人がほとんどである。ダレ大陸の人々は根っからの商人気質の人物が多く、彼らの殆どが損得勘定で動くことが多い。商人として大変優秀で多くの大陸を商売目的で放浪する。
船着場につくと多くの船から人々が荷降ろしや荷揚げをおこなっていた。近くにいた筋骨隆々のいかにも海の男といった感じの人に声をかける。その二の腕には舵の刺青が彫られていた。「すみません、ダレ大陸行きの船を探しているのですが。」「悪いがこれは暫く出港しねーんだよ。」男は忙しいのが分からないのかといわんばかりに冷たくそう答えると自分の船へと戻っていった。他の船もあたるがどこに行ってもそんな感じで断られてしまった。
「こう…運が無いですよね。」「本当に。」どよんとした心持ちで再び町中をぶらぶらと歩く。「今日はこの町で宿をとることになりそうですね。」「…向こうに宿屋があったな。」宿屋にむかう途中、路地に絨毯を広げてその上で雑貨や薬草、布や食べ物などを売っている青年の前を通りかかった。少しきついお香を炊いている。ダレ大陸の青年だろう。茶色の美しい肌、漆黒の髪と黒い目。長いまつ毛と濃ゆい眉。全体的に堀の深い顔で露出の多い服装(これは彼らの伝統的な服装で彼らの大陸が暑いためこのような伝統服が生まれたと考えられる。)がダレ大陸の人たちが多くもつ特徴だ。彼もまたダレ大陸の人々の特徴を兼ね備えた顔立ちで髪の毛の緩いカールが美しい。服装は上半身には薄い絹の羽織以外には何も来ていない。ズボンは原色の緑色だ。「こっこれは…」カリタスが青年の店の前で目を見開いてぴたりと立ち止まった。「これは、さざら花!?」「おっとお目が高いね。」青年がにやりと笑う。「さざら花?」「そうです。千年に一度だけ花が咲くと有名な水辺に咲く花の事です。頭痛、腹痛、腰痛多くの者に効能があり、さらに蘇りの調合薬の材料の一つであるとまことしやかに噂される植物です。」カリタスは緑色の瞳をきらきらと輝かせる。「それによく見ると他にも貴重な薬草が…。品揃えがとても良いですね。」カリタスはそのままその店の前から動かなくなってしまった。何かをぶつぶつと呟きながら薬草たちを見ている。「カリタス、先に宿屋に行ってるよ?船が見つからなかったからこれからどうするのかを話し合わなくちゃ。」「あんたら船を探してるのか?」青年が興味深そうに私たちを見る。「…ええ。ダレ大陸に用があるの。」「へー。ダレ大陸に?そりゃ難しい話だな。この時期の海は荒れやすく、船乗りも暫くは行き来を控える。ダレ大陸付近は特に天候が荒れやすいからさらに見つけるのは難しいだろうね。他の大陸なら船も出るだろうが。」「他の島なら出る可能性があるの?」「ああ、急ぎの船もあるからな。どうだ、俺が口利きしてやろうか?いい船を知ってるんだ。」「…。」私は疑わしげに目を細める。青年はへらっと笑う。「どうやらそこの嬢ちゃんがご贔屓してくれそうだからお礼にってわけよ。」青年はカリタスを指さす。ぶつぶつと呟きながら薬草一つ一つをじっくり観察している。「…いいんじゃないか。ここで留まっても何も始まらない。」スピーヌスがぼそっと呟く。「そうこなくっちゃ。」青年が指をピシッと鳴らす。「すみません。じゃあさざら花とこれと、それからこの薬草を包んでください。それからそこの鹿の干し肉も四枚ください。」今の話を聞いていたのかも謎なほど薬草に夢中になっていたカリタスもタイミング良く買うものが決まったらしい。
「…で、俺は言ってやったわけ。うさぎと鹿で合わせて500ガルだってね。」再び船着場にむかいながら青年はひたすら話し続けている。どうやら人が聞いてようが聞いてまいが関係ないらしい。カリタスは薬草の話以外はあまり興味が無いらしく適当な合図地を打っている。船を借りるだけでこんな大変ならこの先が思いやられるなとため息をつく。この星はイニティウム神話が広く信仰されており、そのため紺の髪にオパールの瞳はレクターの証であると他の六大陸にも広く伝わっている。だから瞳の色をそのままで旅ができたらずいぶん楽なのだが外で瞳の権限を使うのはよっぽど困難な時以外は禁止されており、瞳の色は変えておかなくてはいけない。
船着場につくとかなり奥まで歩く。そして少し汚れているもののそこそこ立派な船の前で青年は私たちにここで待っているようにと合図した。それから船の近くにいた刺青の入った妙齢の顎髭のいかつい強面に声をかける。ひそひそと彼の耳元で囁くとその男が青年に深々と頭を下げた。それから青年がこっちに手を振って来るようにと合図した。「乗せてくれるってよ。でも行先はパトローナス大陸だ。」「パトローナス大陸?」パトローナス大陸のヴィス国は過去、パトローナス大陸の半分を占めていたオプレンタス国を武力で追い出した。非常に好戦的な国として恐れられている。しかし同時に信仰心の厚い国としても有名だ。「この際仕方が無いのでは?旅立ちは早い方が良い。」私はスピーヌスの言葉に片眉をあげる。やけに急かしてくるな。しかしその疑問はすぐに胸の奥深くへと沈んでいった。「乗船代金は?」「一人200ガル。」「100ガル」カリタスが青年を睨む。「馬鹿言うな、嬢ちゃん。口利きしてやった代金100ガル上乗せだ。」「さっきはカリタスがたくさん薬草を買ってくれてるからそのお礼だって言ってたけど?」私も腕を組んで彼を睨む。「…わかった。150ガル。」青年は手を出す。「110ガル。」カリタスが粘る。結局130ガルで手をうつと彼に30、船の船長に100ガル1人頭払った。船長は先程青年が声をかけていた強面らしい。右腕の刺青はたいそうお気に入りらしくこれがどれだけ腕のたつ彫り師のものかを自慢げに語ってくれた。そして出航は明日だから今日はゆっくり休むようにとおすすめの宿屋を私たちに紹介してくれた。強面だが人柄は信頼できそうな人物でいい船を紹介してもらったと満足だ。お礼の気持ちで青年に100ガル渡すと船長おすすめの宿まで荷物を持ってくれた。
宿屋は年季が入っており何だか少し汗臭かったがリキも一緒に部屋に入って良いと許可が貰えた。夕飯として出されたのは焼きすぎたパンと魚。それからよく分からない生臭ソース。パンに塗って食べるんだと宿の奥さんが説明してくれたが塗って食べると焼きすぎて美味しくないパンがますます不味くなった。カリタスは自分の懐から出した謎の薬草を奥さんの見てないうちに私のソースと自分のソースに混ぜてくれた。すると生臭さが少し緩和されて食べやすくなった。スピーヌスは昨日と同じように食べ物だけ持っていなくなってしまったので彼女の反応は見えなかった。しかし皿を返しに来た時はソースも綺麗に食べてあった。好き嫌いはあまり無いのかもしれない。食べ物に関しては素敵とは言い難い場所だ。しかし奥さんは気のいい人で私たちが安心して寝れるようにと自分の寝室に近い部屋を使わせてくれた。万が一何かあったら呼べとの事だ。奥さんの旦那さんは船長らしく数年前旅立ってから帰ってこないそうだ。帰ってきたらぶっ飛ばしてやると私たちとご飯を一緒にとりながら豪快に笑った。私はその晩、清潔な匂いはするものの長年多くの海の男たちに使われているせいで黄ばんでいる布団に包まれながら次また港町ポートに来たらここに来ようと思い眠りにつくのだった。
「ほら起きな!」宿の奥さんにゆり起こされてうっすらと目を覚ます。陽はもう随分高くなっていた。「寝すぎた!?」私は慌てて飛び起きる。「いいや。間に合う時間だよ。あいつはいっつも出発が昼だからね。」あいつとはどうやら船長のことらしい。古くからの仲なのかもしれない。奥さんは朝食として私たち全員に例の焼きすぎのパンを持たせてくれた。嬉しいような嬉しくないような複雑な気分でそれを受け取り鞄に入れるとまた必ず会いに来ると奥さんと約束を交わして出発した。
船置き場へとむかうと船長と例の青年が話をしていた。青年が私たちに気がついて笑顔を見せながら手を振る。「おはようさん!」焦げ茶色の肌のせいか白い歯がますます輝いているように見えた。「おはよう。貴方も一緒に乗るの?」「まさか!俺はもう少しここで商いをやってくよ。」青年がけらけらと笑う。「船長に少し話があったんだ。どうだった、船長おすすめの宿は。なかなかいいところだろう。」「とても気さくな女将さんですごく素敵なところだった。」私の言葉に船長が嬉しそうに口元を緩める。「喜んでる、喜んでる。」そんな船長を青年が揶揄うと照れ隠しのように自分の髭を触りながら目を逸らす。「船長の初恋の人なんだよ、あそこの女将さん。」青年が私たちにそういうと船長が彼をぎろりと睨みつける。なんというかさすが船長、彼を睨みつけるその圧と言ったら関係のない私たちが委縮してしまうほどのものだったが青年は気に留める様子もなくにやにやと笑っている。「そろそろ出航だ、中へ。」「逃げちゃった!」船長の様子に爆笑している青年に船に上がる前にと思い私は頭を下げる。「いろいろ助かりました。ありがとう。」そんな私に青年が笑う。「良いってことよ。また会おうな。」
青年は船が出港しても私たちの姿が見えなくなるまで手を振ってくれていた。
船旅というのはどうも慣れなかったが大分落ち着いてきた。初めこそ吐き気に襲われたが船員のすすめで甲鈑にでて風にあたっていたらだいぶ楽になった。スピーヌスとリキは船酔いが酷いらしく部屋にこもって出てこない。カリタスは船酔いで頭痛と吐き気を催しながら作った調合薬が失敗したみたいでさらに気持ち悪くなったと海にむかって吐いていた。しかし吐いたらだいぶ楽になったらしくなかなか部屋から出てこないスピーヌスとリキのために再び薬草を調合して(今回は成功したと喜んでいた)二人に飲ませるために部屋へと持って行った。戻ってくるとそれからはご機嫌な様子で甲鈑にたって海を見ている。海は初めてなんだと目輝かせて私に話してくれた。帆が風を受けてはためいている。その音に耳を澄ましながら海の塩の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。船旅も悪くない。
夜になり水兵の一人に食事が整ったと艦尾の大キャビンに呼ばれる。豪華な食堂で大きなテーブルをみんなで囲んで食事をとるそうだ。水兵も同じ場所で食事をとれるなんてこの船ぐらいだと案内してくれた水兵が自慢げに話してくれた。テーブルの上には酢漬けのキャベツ、干し肉、ポトフのようなもの、そしてラム酒が並んでいた。干し肉は驚くほど硬かった。それこそ服のボタンを噛んでいる気分になる。酢漬けのキャベツは酸っぱすぎるし、ポトフのようなものは酸っぱくってさらにしょっぱかった。
水兵にお願いしてスピーヌス分とリキの干し肉を貰い部屋にむかう。「スピーヌス、入るよ?」部屋の扉を叩く。返事は帰ってこなかったからそっと扉を開く。薄暗い部屋のベットにスピーヌスが横たわっており、驚くことにその横に寄り添ってリキが寝ていた。「スピーヌス、ご飯持ってきたよ。食べれそう?」スピーヌスがゆっくり起き上がる。顔色は見えないもののまだしんどそうだ。「…カリタスの調合した薬のおかげで随分楽になってる。ありがとう、頂くよ。」私の手からご飯を受け取る。「ゆっくり食べて。」彼女が顔を隠す理由は分からないが見られたくないものは誰にだってある。そっと部屋を出て食堂に戻る。まだそこでは飲めや歌えやの大騒ぎだった。カリタスはお酒に強いらしい。船員と同じ量をジョッキで飲んでいるが頬も赤くなってないし全く酔っていない。「スピーヌスどうでした?」「だいぶ楽になったとは言ってたけどまだしんどいみたい。」「早く良くなると良いですが…。」
それからはまた飲んだり食ったりしながら船乗りたちのがなり声に近い歌声をきいた。帰りはべろべろに酔っ払ってカリタスに支えられながら部屋へと戻った。
二日目の夜は船長も一緒に食堂で食事をとった。昨日はたまたまいなかっただけでいつもは一緒に食事をとるんだと水兵のひとりが耳打ちしてくれた。ビスケットに塩漬けの魚、豆、乾燥にんにく、チーズが卓上に並ぶ。それから酢漬けのキャベツとラム酒。この酢漬けのキャベツも慣れるとだいぶ美味しく感じるようになった。その日の夜にはスピーヌスもだいぶ調子が良くなってたので食事だけ顔が見られないようによそで食べると後は食堂でみんなと一緒に船長の話を聞いていた。船長はいつもは寡黙だがお酒を飲むと饒舌になるらしい。どこそこのケンカで勝ったとか力比べでは負けたことがないとか若い頃の武勇伝を自慢げに話し始める。「酔うといっつもあれなんですよ。」隣に座ってた水兵が耳打ちしてくれた。「なんか言ったか?」船長は地獄耳らしい。耳打ちしてくれた水兵を船長がぎろっと睨むと周りから笑い声があがる。それから私たちに船に乗ってた時に出会った怪奇現象や海賊とやりあった話などをしてくれた。乗組員は総勢170人になるらしい。全員が直接やり取りをしてから雇われたそうだ。自分達ほど仲のいい船乗りはいないと皆が自慢げに話してくれた。それから船員みんなで昨日のようにがなり声で海の歌を歌い始めた。
朝が来て目を覚ましたが二日酔いのせいか頭が痛い。最悪の体調で新大陸へと降り立つことになりそうだ。港の船着場が見えてくると船員たちの声が響く。「錨を下ろせ!」船長の声とともに錨が下ろされ、岸につくと岸壁に係船索が巻き付けられた。船長たちはしばらくここで滞在して海が荒れる時期を越してから出発するらしい。船を出て船員や船長達と別れようとした際、船長が私達を呼んだ。「このパトローナス大陸だがどうやら最近都でクーデターが起きたらしい。」「…クーデター?」私は船長の顔をじっと見る。「ああ。元々後を継ぐ予定だった姉を妹が追い出したときいた。」「その割には随分落ち着いていますが…。」カリタスが周りを見回す。ここは港町ポートと同じように活気に溢れており、とてもクーデターがあるようには見えない。「妹君の方が国民に人気があったらしい。…ここはともかく都はさすがに混乱しているだろう。もし都に行くなら気をつけるように。それと毛布などを買うのをおすすめするよ。それだけだ。道中の無事を祈る。」「色々ありがとうございました。またご縁があったらお願いします。」船長は少しだけ頬を緩めて笑う。「またお会いすることになるだろう。」そんな意味深なセリフを残して船長は去っていった。その広い背中が人混みに紛れて消えるのを見守ると私たちは顔を見合わせた。「…無事使徒の血族が見つかるといいけど。」先行き不安な旅の始まりだった。