カリタスの家は魔女の家
「ここから港町ポートまでは整備された道が続いているから馬車を借りていくのもありだよね。」私は街の外まで出ると野原に地図を広げて話し始める。「なるべく無駄なお金は使わない方が良い。」スピーヌスがぼそりと呟く。あっ、女性だったんだ。私は呑気にそんなことを思った。確かに弱冠1900歳、しかも女性が星雲騎士団副団長補佐官にまで登りつめるなんて異例中の異例。相当優秀であることが伺える。最もそのファッションセンスは如何なものかと思うが。「それはそうだね。」私もスピーヌスの言葉に同意する。「…あの。」申し訳なさそうにカリタスが口を開いた。「どうしたの?」「実は、私一度家に行きたいのですが、良いですか?」「家?もちろんいいけど…どこにあるの?」カリタスは地図を指さす。「ここから少し外れたところに森があるじゃないですか。その森の奥に家があります。」私は衝撃を受ける。「森ってあの森?アニマスの森の事だよね?」私は目を見開いて彼女を見つめる。心なしか私の隣に立つスピーヌスも驚いている様子だった。アニマスの森は化け物や凶暴な狼がいるとして星族に恐れられている森なのだ。「はい、アニマスの森です。私の家はその森の中にあるんです。」カリタスは事も無げに微笑む。「どうしてもやっとかないといけないことがありまして…。」私は迷う。正直怖いがカリタスのような真面目な少女がやっておかないといけないことと言うのであれば本当に大事なことなのであろう。「良いんじゃないか?実際そこまで離れているわけでもないし。」スピーヌスがぼそりと呟く。「そうだね、行こっか。」私もスピーヌスの言葉に頷く。カリタスは私たちの言葉にパッと顔を輝かせ、満面の笑みを浮かべる。「ありがとうございます!」
それから港町ポートに続く街道を外れてアニマスの森へとむかった。街道を外れると秋の花として名高い、そよ風草の薄黄色の花が野原一面に広がっている。その花々も私たちと同じように朝の風をうけ、そよそよと揺られていた。まるで意思のない野花。風が右に吹けば右に揺れ、左に吹けば左に揺れる。その姿は私のようだった。
やがて森が見えてきた。アニマスの森は星族の童話によく出てくる。化け物が村の子供を食ってしまったとか狼が子供を攫ったとか、魔女が住んでいるとか子供にとっては恐ろしい話がその八割だ。気分が下がる私に対してカリタスは少しずつ元気になっていってる様子だった。そして何故かスピーヌスの足取りも弾んでいる。(本当になぜ)森の入り口へとたどり着くと私は思わず立ち止まり、森を観察する。薄暗く、そしてどことなく森の周りだけ青白く光っているようにも見えた。やはり足を踏み入れるのは怖いなと躊躇う私を置いてずんずんと先に行ってしまう二人を追いかけ森の中へと足を踏み入れる。中に入るとそこは私の想像していたおどろおどろしい森ではなく、普通の森と何ら変わりはなかった。時々鳥の声や木の軋む音が聞こえてくる。空気は澄んでいて外よりも涼しかった。木々はカリタスが進むとまるで意思があるかのように自身の枝をしならせて彼女とその後に続く私たちのために道を開けているように見えた。気のせいだろうか…。
しばらく歩いたあと、ようやく家が現れた。木材でできたその家は苔むしており、壁や屋根に蔦がはっている。カリタスは振り返って私たち二人に微笑みかけた。「ここが私の家です。」その家はホビットの家によく似ていた。可愛らしいお家だと思ったのもつかの間、カリタスが家の扉を開けるとその印象は一瞬で崩れ去る。中はよく分からない薬草や虫の死骸、イモリなどが沢山吊り下げられており、異様な匂いもしてくる。「あっ、それは触らないでくださいね。あっ、それも危ないので」カリタスは机に置かれた草などを指しながら注意してくれるがどうやら置かれているほとんど全てが危険物らしい。まともな同行人はいなかったらしいと私はため息をつく。床からは驚くべきことに茸や雑草が生えてきている。床は踏むとキシキシと嫌な音をたてた 。ホビットと言うよりも魔女の家である。しかも悪い魔女の方。おっと、部屋の奥にはご丁寧に大きな鍋まであった。人骨らしきものはないのが救いかな。
「それでカリタス、やっておきたい事って?」カリタスがパッと微笑む。「傷薬やちょっとした頭痛薬、風邪薬になる薬草を家の前に置いておきたかったんです。」「こんな森の中にわざわざ取りに来る人がいるの?」私は眉を顰める。星族の大半がこの森を恐れているというのに。「ええ。」カリタスは手元の古びたメモ帳を見ながら頷く。「ここにしか薬を取りに来れない方たちがいるのです。…それともうひとつの用事は母のメモ帳を取りに来たかったんです。」手にしているメモ帳を軽く持ち上げて笑った。随分古びて、傷んでいるものの1ページ、1ページが革出てきており大変良いものであるのがわかった。「お母様の?」「はい、多くの草花についてまとめてあるんです。旅の役にもたつと思って。」カリタスは鞄にメモをしまうと家の外に机を運び出す。私もスピーヌスも手伝いながら、多くの薬草を外に並べた。カリタスは丁寧な字でそれぞれの薬草の説明を書く。薬草を並べ終えると家の扉に「しばらく留守にします。」と書かれた紙を釘で貼り付けた。
「それから…」家の裏手にある森にむかって口笛を吹いた。しばらくすると森の奥から何かがやってくる音がした。「大丈夫です。危険な存在じゃありません。」カリタスはびびる私にそう声をかける。気配は確実にぐんぐんと近づいてきて森の中から私たちの前へと飛び出した。
「おっ狼!?」私は驚きのあまり尻もちをついた。私たちの目の前に現れたのは灰色狼であった。しかし普通の狼よりも数倍大きく、三人ぐらいその背中に乗せられるだろう。そして額に白い一本線が入っていた。狼はカリタスの横にお座りすると撫でろとでもいうようにカリタスの頭に鼻をこすりつける。「この子はリキ。昔、リキが赤ん坊の頃この森で怪我をしていたのを母と私でお世話をしたのがきっかけでこのように仲良くしてくれてるんです。ねっ、リキ」カリタスが少し背伸びしながら彼の頭を撫でながら笑う。「リキは私の弟の様な存在なんです。」リキが私たちをちらりと見たが、どうやら惹き付けられなかったらしい。すぐぷいっと顔をそらされてしまった。「可愛い…」スピーヌスが隣で口をおさえて悶えている。彼女にも意外と可愛らしいところがあるみたいだ。「それで、この子を連れていきたいの。」「ええ!?」私はカリタスの発言に再び驚き声をあげる。そしてリキに唸られた。「以前一週間留守にして帰ってきたらやつれながら家の扉の前にお座りして待ってて…」忠犬かよ。私は内心突っ込む。キリッとした顔でリキは私たちを見つめている。「連れてこう。」スピーヌスが頷く。非常に素早い判断である。まあしかし可愛いのは事実だし、一週間でそこまでやつれるなら今から出発する長旅でここに残しておくのは危険だろう。「…食料はどうするつもり?」私は不安げに眉を顰める。「リキは自分で狩ってきますよ。」自慢げにカリタスが微笑んだ。「人を傷つける可能性は?」「相手に敵意がない限りゼロです。」自信に満ち溢れた瞳でカリタスは言った。「わかった。連れていこう。」私も頷いた。
今思い返すと彼を連れて行って良かったと本当にそう思う。