旅立ちの時
夜も更け静寂が世界を包む中、 私の呼吸音だけが部屋の中でする唯一の音だった。蝋燭の暖かな光が机の上を照らしている。私は長い間何も書かれていない羊皮紙を見つめていたがやがて覚悟を決めて羽ペンを手に取り、そこに文字をつづり始めた。
銀河の彼方、貴方はここにいました。
そこまで書いて思わずため息をつく。立ち上がりカーテンを開け、夜空を見上げた。空には満天の星。ここから貴方が見えているのか私にはわからない。それでもこの空のどこかにあなたがいることを私は…私たちは知っている。
「…!」「…て!……起きて!」紺を基調とした部屋で一人の少女がもう一人の少女を起こそうとしている。歳の頃はどちらも二十歳手前であろう。寝ている少女は真っ白な髪でボブカット。肌も髪と同じで雪のように白く、華奢な体も相まってたいそう儚げな雰囲気である。顎はつんっととんがっており、薄いピンク色の唇はうっすら笑みを浮かべている。まだ夢を見ているのだろうか。一方彼女を起こそうとしている少女は烏のように美しい漆黒の長い髪を高く結い上げており、背も高く、つり上がった瞳と一文字の口は彼女のきつい性格を象徴しているようだった。
私はふわぁっと欠伸をして目を覚ます。すると元々つり上がっている目をますますつり上げて怒っている親友、ルイナと目が合った。「レクターが呼んでくるようにと仰ったから慌てて宮殿のそこら中で貴方を探してまわったのにまさか未だに部屋で寝ているだなんて思わなかったわ。」レクターとはこの星の宮の最高地位である指導者を指す名称である。(ここ星の宮では他の星々よりも魔力が高く、意識や知恵をもつ星たちが集められ人型をとり、他の魔力量の少ない星々を管理している。)そして現指導者、つまりレクターは私の祖父にあたる人だ。「ごめんね。昨日の夜は仕事が上手くいかなくって夜更かししたものだから…。」へらへらと謝り、のそのそと着替えながら疑問を口に出す。「それにしてもおじい様が私にいったいなんの用なの?」「さあね。…この前呼び出されたのは500年前だったかしら?」「うん。おじい様の本を盗み出したのがバレた時だから500年前だね。」星の寿命は一億年ほどであるが、私たちは膨大な魔力で人型を保つため1万年程しか寿命がない。(それでもこれは他の星族以外の生命からすると驚くべき長寿さなのだが。)私たちは今年で1900歳となり、人族で言うところの19歳にあたる。「何か心当たりはないの?」「うーん。…仕事が全然捌けてないからかな。」「充分呼び出しで怒られる可能性があるわね。」ルイナの言葉に私は苦笑した。
私たち星の管理人の仕事というのはあくまで管理であり、星の寿命を延ばしたりすることはしない。あくまですべての星の現状況の把握を大事にする管理人なのだ。星の把握には『生きている木』が使われる。『生きている木』というのはこの星の宮の中央に生えている『母なる木』、プリムスの種子から生まれた木々でありプリムスに自らが植えられた星のありとあらゆる情報を伝える。その情報はプリムスの葉、一枚一枚に詰め込まれ、私たちはその葉の脈の状態から星の一つ一つの状態を知ることができる。
それからどこどこの星の寿命がとかあそことあそこの星が近々衝突するとかいう話をルイナに聞かされながら星の間へとむかった。星の間とは言わば王座の間である。レクター、最高指導者とは言うもののそれは始祖神とされるイニティウムの子孫たちが受け継ぐことになっており、実際のところ王家のようなものである。星の間は白を基調としており、質素だが美しく飽きのこない装飾品で飾られ、落ち着きのある空間となっている。その一番奥の玉座にこの星の宮の最高指導者、レクターであり、私の祖父でもあるフィニスが座っていた。
「お呼びですか?おじい様。」祖父であるフィニスは青い髪とオパールのような光の加減で七色に光る瞳を持っており、これは始祖神イニティウムの直系とされる我が一族が受け継いできた容貌であった。祖父は私をじっと見つめる。私は仕事が溜まっていることを怒られるかと冷や汗をかく。しかし祖父が言ったのは想像もしていない事だった。
「お前にレクターの座を譲る時がきた。」私は内心唖然としていた。自分の予定ではあと二千年ほどは呑気に暮らす予定でいたのだ。早すぎるのでは、と言いたい気持ちを飲み込みながらおじい様を見つめる。その眼差しをおじい様は同意とみなしたらしく(例えここで不満をたれようがおじい様の意思は変わらないが)ゆっくりと頷くと言葉を続けた。「レクターの座を継ぐ時、プリムスの前で行われる戴冠式において何が必要かはわかっているな?」「使徒の生まれ変わりと六大陸それぞれの宝…ですよね。」おじい様は満足気に頷く。「レクターの座を継ぐとき、その者は旅立たねばならぬ。はるか昔、この宇宙をお作りになられたイニティウム様は七人の使徒を引き連れていらっしゃった。イニティウム様は宇宙をお作りになられたあとこの星を作り、星の管理局をお作りになられた。それがこの星の宮だ。そしてその周りの六つの大陸にそれぞれ七人の使徒が降りたたれた。七人の使徒はそれぞれが自分の降りたった大地に贈り物をしたと言われている。その神話に基づいてレクターは七人の使徒の生まれ変わりとされる者と六大陸に隠された宝を見つけだし戴冠式をむかえるのだ。」それは幼い頃から何度も何度も聞かされた話だ。七人の使徒の生まれ変わりとされる存在にはその印として体に紋様としてあらわれるため明らかな者を見つけることが可能だが、七人の使徒が大地に与えた贈り物に関してはなんの情報も残されていない。そのため歴代のレクターたちは各々が各々、自分の足でそれぞれの大陸を旅し、その大陸の使徒と共に自分たちが最もその大陸で価値があると思うもの、大きなダイヤモンドや聖剣などを持ち帰ってきた。
「明日、出発しなさい。」「はい?明日?」私は思わず聞き返した。「そうだ。旅立ちはすぐにした方が良い。お供の者は私が二人、既に選んでおいた。」なぜそんなに急かすのかと違和感を感じるものの、お供という言葉の方に興味が移り、それ以上は気にとめなかった。私は期待をこめてばっとふりかえり、ルイナを見る。ルイナはそっと首を振った。「ルイナには星の宮に残ってもらう。ルイナがいなくなると大きく支障が出るからな。」おじい様は冷たく言い放つ。私はショックで眉を顰める。ルイナが付いてきてくれないことなのか、それとも私ではなくルイナの存在こそが星の宮で需要があるという事を言われてしまったから傷ついたのか私自身にもわからなかった。おじい様の隣に立つ宰相が苦笑しながら口を開く。「いつもそばにいる分娘がいないことは不安でしょうが、ルイナにはやって貰いたいことがあるのです。安心してください。レクターが同行人にはきちんとしている二人を選ばれてましたから。」そう、何を隠そう宰相であるドロールはルイナの父親だった。ドロールは青白い髪をしている。星族は多くの者が魔力を持っており、魔力の強さは髪色に反映する。強い順から青、白、黄、赤へと髪色がなっている。そしてイニティウムの直系とされる我が一族は強い魔力の明石、青い髪色を誇っていた。私はそっと自分の白い髪を耳にかける。「薬師と騎士を職業とする二人だ。どちらもお前の旅の助けとなるだろう。明日、出発は朝の八時。星の宮の門に来るようにその二人には言ってある。くれぐれも遅刻などをしないようにな。」おじい様はぎろりとそう言って私を睨むと支度をするようにと星の間から追い出した。また会うとはいえ、もう少し優しい見送り方をしてもらいたいものだとブツブツ文句を言いながら部屋に戻る。
星の間を出ていく彼女の姿をフィニスはただ黙ってじっと見つめていた。その瞳は何かを悟っているかのように不気味な静寂を宿していた。肘掛に置かれた彼の握りこぶしが動脈が浮き出るほど強く握りこまれた。
部屋に戻ると鞄を用意する。この鞄は魔道具で中が見た目よりも広くなっているがそれでも多くの物を持っていくことはできない。水筒、食料、ランプ、お金、着替え、と物を厳選しながら詰めていく。準備の途中も準備が終わった後もルイナが会いに来てくれないものかと待って、結局あまり寝られないまま朝が来た。私は彼女が来てくれなかったことに少し傷つきながらゆっくりと起き上がりカーテンを開ける。朝の光が眩しい。それから服を着替えた。黒のズボンに茶色の上着、その上から深い緑色のローブを羽織る。とにかく動きやすさを重視した。帯刀ベルトを締めて短刀をしまう。準備は万全だ。
私は寝不足で重い体を引きずりながら星の宮の天門へとむかった。涼しい秋の風が私の頬を撫でていく。朝の光が私を優しく照らしていた。
この星の宮殿はイニティウスがつくったこの中央大陸、さらにその中央大陸の中の中央部に位置する街の中心にあり、街を出るとその先はしばらく農村や森が広がっている。星族も皆が皆、星の管理人として働いている訳ではなく、農家や商人、騎士など多くの職業についているのだ。
整備された石畳を歩いていくと天門付近に四つの人影が見えてきた。どうやらそのうちの二人はルイナと宰相ドロールのようである。残りの影が多分同行人の二人なのであろう。既に人影が四人もあることに違和感を覚え、自分のローブから懐中時計を取り出し時刻を確認する。時刻はきっかり八時を指していた。どうやら旅立ちというものは予定の時間より早くに行かなくてはいけないものらしい。
「おはよう。遅刻せずに来るなんて意外だったわ。」「必ず五分は遅刻すると今しがたルイナと話していたところなんですよ。」ルイナとドロールが笑う。まったく失礼な親子だ。しかし、私はそんな二人に突っ込みを入れられないほど残りの二人に釘付けになっていた。(正しくは二人と言うよりもそのうちの一人に釘付けだったのだが)そんな私の様子を見てルイナが二人を紹介し始める。「こちらはカリタス。薬師で多種多様な植物に精通し、多くの傷や病を直せると名高い方よ。」その少女は14歳程の見た目で(星族であるから正しくは1400歳)赤毛のセミロングに茶色の瞳、一重の目は垂れ気味で頬のそばかすが目立つ。お世辞にも美人とは言い難い顔立ちではあるものの愛嬌のある少女だった。「よろしくお願いします。」そう言って照れくさそうに笑うとえくぼができてそれがまたたいそう可愛らしかった。それからルイナは問題の人物の紹介へとはいる。「こちらはスピーヌス。弱冠1900歳にして(人族で言うならば19歳)星雲騎士団の副団長補佐官を務めるたいへん優秀な方よ。」優秀とか優秀じゃないとかの前に突っ込む所があるだろう。スピーヌスと言われるその人物は真っ黒なローブに顔全体が隠れる茶色の革の仮面を身につけ、さらに前髪さえ見えないほどローブのフードを深くかぶっていた。星雲騎士団は街の治安を維持するのを主な仕事としているが、その星雲騎士団に捕まりそうな姿の人物である。ルイナの紹介をうけてスピーヌスはぺこりと頭を下げた。
ルイナによる紹介が終わるとドロールが懐から地図を取り出し私たち三人の前に広げた。「この星の宮のある大陸の他に大陸は六つあり、他の六大陸に行くにはここから先にある港町ポートにむかい、そこから船で海を越える必要があります。一番最初にむかう大陸はダレ大陸が良いでしょう。ダレ島は古くからオプレンタス国が治めており、その北の大陸パトローナスのヴィス国とは長年交戦状態であるものの他の国々とは非常に友好的な状態です。さらにオプレンタス国は七人の使徒であるダレの血を引き継いぐ王族の国なので簡単に血族者の中で使徒の生まれ変わりを見つけだすことが出来るでしょう。」それだけ言うとドロールは地図を丸めて私に持たせる。ドロールが何かを懐かしむように私を見つめた。「お気をつけて。…ルイナ、渡す物があるのだろう?」ルイナは少し躊躇ってから自分のポケットよりブローチを取り出した。月桂樹の花の形をあしらったものだった。ルイナは私のローブにそれをつける。「月桂樹の花言葉は勝利、栄光って意味があるのよ。…貴方ならきっと上手くいくわ。」「素敵なブローチね。…有事の時はこれを売ってたしにすれば良いわけだ。」私はおどけてみせる。ルイナはじっとブローチを見つめる。「…そうね。それがいいかも。」「本気にしないでよ。さすがの私でも売らないわ。」私は苦笑した。「二人に迷惑をかけないようにね。」「うん、でもどうしても迷惑かけちゃいそう。」「料理も運動も音痴だからね。」クスクスを笑うルイナの肩を軽くたたく。それから私はこれからの旅を共にする二人を見た。「…そろそろ行かなくちゃ。」ルイナは珍しく寂しそうな顔をした。「お別れのハグでもする?」私は再びおどけて両手を広げながら彼女を見つめるが虚しく断られる。ドロールがその様子をほほえまし気に見つめながら口を開く。「お気をつけて。貴方のお帰りをお待ちしておりますよ。」私はその言葉にこくりと頷く。「行ってきます。どうかおじい様をよろしくお願いします。」私はドロールに頭を下げると二人の仲間と共に星の宮の天門をくぐって出発した。
三人の姿が人混みに紛れて消えてもルイナはずっと彼女達の去っていった方角を見つめていた。その瞳の中で何かが揺れ動いている。やがてゆっくりと踵を返し星の宮の中へと姿を消した。天門がギギギっと閉まる音が街の喧騒の中やたら大きく響いた。