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『あと◯秒で寝ます!』シリーズ

イビキ聖女は昼寝がお好き?〜私、教祖になって"安眠"を布教するのです。

イビキで悩む聖女が出会ったのは、謎の睡眠オタク少女!?

健康と癒しと爆睡で世界を救う、安眠ファンタジーコメディ!



「ちょっと! アナタの“イビキ”のせいよっ!」


澄んだ瞳を猫のように細めながら、ルームメイトのサラが私を睨みつけてきました。


「ご、ごめんなさい……?」


「分かってないでしょ!? 毎晩どれだけうるさいか! 『ごぉ! ごぉ!』って、こっちは毎晩、雷を真横に落とされてる気分なのよ!」


とりあえず謝ってみましたが、サラの怒りは収まりません。ぷんすかと膨れる空色の髪が、さらに彼女の気迫を強めていました。


「どうしましょう……『魔』がこんなに下がっちゃって……次の測定で戻らなかったら、私……」


さっきまで怒っていたかと思えば、今度はしょんぼり落ち込むサラ。慰めようと手を伸ばしたら、パシリと払いのけられてしまいました。


「とにかく! 部屋替え希望が通らなかったんだから、そのイビキ、さっさとなんとかしなさいよっ!」


そう言い捨て、サラはくるりと背を向けると、ピシャリと扉を閉めて去っていきました。


取り残された私は、小さく呟きました。


「……私、一体どうしちゃったのかしら」


***


私は聖女。 教会が誇る、“もっとも魔を多く有する女性”ですの。


『魔』とは、心身ともに健やかな者に宿る神の祝福。

闇の魔物を祓う聖なる力であり、これを多く宿す者だけが、教会のシスターになれるのです。


貴族の娘が多い中、孤児出身の私が聖女になれたのは、まさしく奇跡。

教義『すべての者に、健全なる心身を』を広めるため、現教皇様が私を見出し、育ててくださいました。


その恩に報いるためにも、聖女としての務めを果たさねばならないのですが――

異変は、ある夜に突然訪れました。


「すー、すー……ふが、ふががごっ……!?」


真夜中、突如響く爆音に私は跳ね起きました。


(え……なんですの、この音……?)


信じがたいことに、その音源は……私自身。


その日から、私は夜中に何度も目が覚めるようになり、修道院内にこんな不名誉な噂が広まってしまったのです。


――『"イビキ"聖女アンジェ』、と。


***


「ねぇアンジェ、この前の“魔”測定、随分お粗末だったらしいじゃなあい?」


くすくす笑う取り巻きを引き連れて現れたのは、貴族令嬢のロベリア。

紫のツインテールが特徴の彼女は、“魔”の保有量で私とサラに次ぐ第三位。


孤児上がりの私を快く思っていない彼女は、ことあるごとに私をからかってきます。


「イビキがすごいんですって? 聖女の品位が疑われますわ」

「サラ様もお気の毒。潔く聖女の称号を返上すべきですわね」


次々に浴びせられる冷笑の矢。その時――


「あなた達、何をしているの?」


廊下に響いた、凛とした声。


姿勢よく歩いてきたのは、修道院の院長・マイヤーさん。

笑顔ながら、目元の冷たさがまるで氷の刃のようです。


「い、いえっ! なんでもありませんわ!」

「私たち、仲良しですのよ〜」


ロベリアたちは急に猫なで声になり、私にしなだれかかってきました。

満面の笑みで親愛を演じるその姿に、私は思わず顔が引きつりそうになります。


「え、ええ……私、ロビィたちが大好きで、つい話が盛り上がってしまいましたわ」


私がなんとか笑顔をつくると、マイヤーさんは満足げに頷きました。


「ええ、結構。教えをよく守り、皆さん笑顔で幸せに、今日一日を過ごしましょう」


教義の一節を口にし、ヒールの音を響かせて去っていきます。


修道院には多くの規律があり、それはすべて、“健全な心身”を育むためのもの。

マイヤーさん曰く、「いつも笑顔で過ごすこと」が何よりも大切だそうです。


「はぁ、面倒なおばさま」


院長が去るや否や、ロベリアたちは私から離れ、興を失ったように散っていきました。


『どんな時も、人と笑顔で接しましょう』


教義に従って笑顔を振りまいたはずなのに……

この院内に漂う、作られた空気に私は違和感を拭えないのでした。


***


修道院での日々には、健やかな心身を育てるための習慣がたくさん組み込まれていますの。


●祈りの時間

毎朝、自分の恵まれた点を列挙し、神に感謝を捧げる時間。


●奉仕活動

恵まれない人々のために炊き出しなどを行い、自分たちの立場を再確認します。


●ティータイム

「女の子たるもの、優雅な時間を楽しむべき」との教えのもと、お茶とお菓子を楽しむひととき。


今日も私はケーキを頬張りながら、周囲をそっと見渡しました。


小鳥の羽根を模した髪飾り、レースのクロス、白磁のティーカップ。

咲き誇る花々の庭園に、笑い声が優しく溶け込んでいきます。


「皆、とても楽しそう……」


けれど私の胸には、ふと影が差すのです。


(これで……いいのかしら?)


この疑問は、孤児である自分の出自ゆえでしょうか。

周囲のご令嬢たちのように、この幸福を素直に享受できないのです。


(いえ、きっと“イビキ”に悩んでいるせいですわね)


修道医師によれば、“魔”の低下は寝不足によるもの。


イビキのせいで夜中に何度も目覚め、眠ることさえ怖くなっていた私は、

聖女としての責務を果たせていない自分を、情けなく感じておりました。


(このままではいけませんわ。なんとかしないと)


教皇様の期待に応えるためにも、ルームメイトのサラに対しても――


こうして私は、「イビキの治療」を決意したのです。


***


だめ、全然治りませんわ――!


枢機卿の部屋からこっそり拝借したワインを寝る前にひと口。

料理長の奥様に分けてもらった、眠り薬。


最初は効いた気がしましたの。ぐっすり眠れた、と。


けれど効果はすぐに薄れ、酒も薬も、量が増えてしまいました。


(最近は、朝から頭痛が……体が重い……)


サラは口を利いてくれなくなり、耳栓と布団にくるまって眠る彼女の姿を見るたび、

私は申し訳なさと情けなさで、そっと枕を濡らす日々を送っていたのです――



***


そんなある日、下働きの女の子たちが、こんな噂話をしているのを耳にしました。


「ねえ、街の商店街に、すっごい安眠グッズが揃ってるんだよ!」


どうやら彼女たちは、修道院裏手の抜け道を使って、時折こっそり街へ出かけているようです。


もちろん、シスターである私たちにも外出は許可されております。

けれどその際には、神殿騎士がぴったりと付き添い、自由な買い物など到底叶いません。


そんなある夕方、祈祷の時間。


私は意を決して、そっと修道院を抜け出しました――


そして、運命の出会いを果たしたのです。


***


あれは、まさしく神の導きでした。


「スイ」と名乗る黒髪の少女。

初対面の私が、緊張と疲労のあまり彼女の服に吐いてしまったというのに――

彼女は眉ひとつ動かさず、優しく介抱してくれたのです。


その微笑みの、なんと慈愛に満ちていたこと!


私は思わず、悩みを打ち明けてしまいました。

さすがに「聖女」であるとは明かせませんでしたが、修道院のシスターであり、イビキに悩んでいることは、すべて話してしまったのです。


スイは静かに頷きながら耳を傾けてくれました。

まるで、以前から私のことを知っていたかのような、包み込むような眼差しで。


――そして彼女は、こう言ったのです。


「アンジェさんのイビキ、治せるかもしれません」


私は確信しました。

これは神の啓示。スイこそが、私を導く“眠りの使者”なのだと!


***


スイは言いました。

「スイミンジムコキュウシヨウコウグン」――何やら難しい名前の症状かもしれないと。


医師の知識でもあるのでしょうか?

彼女は、治療のために必要なことをいくつも挙げてくれました。


ダイエット、禁酒、減薬、ストレスの軽減……どれも耳の痛い話ばかりです。


まず始めたのは、早朝ランニング。


修道院では三食きっちり、お菓子もたっぷり。

どうやら私の体型は、少々ふくよかすぎたようなのです。


そんな私のために、スイは夜明け前に外へ出てきてくれました。

祈祷に集中する者が多いこの時間帯は、こっそり抜け出しても見つかりにくいのです。


(ありがたいけれど、走るのは本当に……つらい……)


体力のない私は、すぐに息が上がり、立ち止まってしまいます。


けれどスイは、いつも優しく声をかけてくれるのです。


「ちょっと、水分補給しましょう」


差し出された木のボトルには、レモンの輪切り。

飲めばすっぱくて、ほんのり甘くて、喉に心地よく沁みわたります。


「今度は、少し歩きましょうか」


私のペースに合わせてくれる、その思いやりが心に染みました。


「ごめんなさい……私、体力がなくて……」


そう謝る私に、スイは穏やかに首を横に振りました。


「最初から無理する必要はありません。走って、苦しくなったら歩く。それを繰り返せば、少しずつ長く走れるようになりますよ」


それから彼女は、歩きながらたくさんのアドバイスをしてくれました。


寝る前の飲み物、簡単な体操、足湯、食事の工夫、寝具やパジャマ、アロマの話――


(寝具の話が妙に多いような……)


「スイは睡眠について本当に詳しいのですね」

感心する私に、スイは照れくさそうに答えました。


「俺の故郷、"ニホン"は睡眠文化が進んでるんだ」

故郷"ニホン"は遠いところだそうで。

いつか帰りたいとおっしゃる姿は、どこか寂しそうでしたの。


けれどスイはすぐに明るい顔になりました。

今はこの街に、沢山の睡眠グッズを開発して皆に良く寝てもらうことが目標なのだとか。


(この人の話なら、いつまでも聞いていられますわ……)


私は心からそう思いました。


***


◯月7日

修道院の外で出会った「スイ」。

彼女のすすめで、今日から『睡眠日記』をつけ始めますわ。

今朝はたくさん走って、すっかりくたくた……おやすみなさい!


◯月9日

寝姿勢が大切なのだとか。

試しに、毛布を丸めて抱き枕にし、横向きで寝てみたら――

なんだかイビキが減ったような……?

あら、サラに目を逸らされましたわ。


◯月12日

酒と薬はきっぱりやめました。

お菓子は2日に1回、一口だけ。

最初の3日は辛かったけれど、今日のティータイムのお菓子は妙に甘すぎて……

今は朝のハチミツレモンの方が恋しいですわ。


◯月16日

今夜はアロマランプを焚きながらストレッチ。

スイが私にプレゼントしてくれたものです。

ラベンダーにほんのり柑橘の香り……素敵ですわ。

サラが、こちらをチラチラ見ていますの。


◯月18日

随分と長く走れるようになりました。

その代わり、昼食後の祈祷が眠くてたまりませんの……

スイは昼寝を勧めてきますが、シスターが昼寝なんて、怠惰ではありませんか?


「眠気で仕事ができない方が不誠実じゃないですか? 少しの昼寝で効率が上がるなら、寝るべきです」


スイはそう言いますが……


◯月21日

昼寝、良いかもしれませんわ。

20分ほど目を閉じただけで、すっきりいたしましたの。


◯月24日

今夜は寝る前に足湯をしました。

すると、サラも「やってみたい」と言い出して――

2人でアロマバスを楽しみましたの!

今度スイに、サラに合う香りを聞いてみようかしら。


***


生活習慣を整え、イビキも少しずつ改善。

サラにも、「あら、アンジェ。少し綺麗になったんじゃない?」なんて言われましたの!


確かに、ぽっちゃりしていた体型がすっきりし、顎まわりが引き締まって肌の調子も良好ですわ。


『魔』測定も無事に通過。

イビキは減り、眠りも深くなりました。


すべては、スイのおかげですわ!



***


「あーら、聖女さま。こんなところで居眠りなんて」


……うーん。どなたかしら。

まぶたが重くて、目が開けられません。


「品位を疑いますわ。いっそ、落としてしまいましょう?」


――え?

今、少し物騒な言葉が聞こえたような……。


意識を取り戻そうとするのですが、ふわふわと甘い眠気が私の身体を支配していて、頭がまったく働きません。


「ふ、ふん……ふがぁっ!!」

『ぽんっ!!』


――イビキとともに、私の口から何かが飛び出しました。


「え、なに!?」

「きゃーーーっ!!」


周囲が騒がしくなり、私は慌ててハンモックから身体を起こしました。

逃げていくのは、紫のツインテールを揺らすロベリアと、その取り巻きたち。


……彼女たちの頭上を、白い何かが突いています。


やがてそれは、くるりと向きを変え、私の方へと飛んできました。


差し出した腕に、ちょこん――ととまる白い小鳥。


「あら、あなたは……どちら様?」


つぶらな黒い瞳が、じっとこちらを見つめてきます。


「ここは、鳥さんにはあまりよくありませんの。ほら、帰ってちょうだい」


そう促しても、小鳥は首をかしげるだけで飛び立とうとしません。


その様子が不思議で、しばらく見つめていたその時――

「ポフン」と、白い煙のようにその姿がかき消えました。


「え……?」


今のは……幻?


一連の出来事に、私はただ呆然と立ち尽くしておりました。


***


作り笑い、上辺だけの親切。

その裏で繰り広げられる、「聖女」の地位を巡る陰湿な争い。


……もちろん、そればかりではありません。

教会には良いところも、たくさんあったはずなのです。


けれど、スイと過ごすうちに、私は考えるようになりました。


――この修道院の暮らしは、本当に『健全なる心身』を育んでいるのかしら?


答えを求めて、私は決意しました。

教皇様に、直接相談してみよう、と。


(皆でランニングを取り入れればどうかしら。

ティータイムのお菓子を減らせば予算も浮いて一石二鳥……

そう、献金額が減って困ってらっしゃると嘆かれていたものね)


そんな期待を胸に、意気揚々と教皇様の執務室へと向かったのです。


けれど――


開かれた扉の奥から聞こえてきた、男たちの声に、私は思わず足を止めました。


「……つまり、“魔”の多い女を量産して、インクの出る地域に優位な立場で貸し出すって話だ」

「ふふ、貴族の娘は“魔”を持ちやすいって証明されてるだろ。育ちの良さと幸福度が相関してるんだよ」

「だから、甘やかして育てる。ティータイムもお洒落も、全部その一環さ」

「教皇様はさらに上を見てる。孤児を拾って“幸せにしてやる”ことで、もっと強い“魔”を得ようってわけ」


――それは、枢機卿たちの声でした。


私の胸の奥で、何かがガラガラと音を立てて崩れていくのがわかりました。


「……アンジェ? 成功例は少なすぎる。孤児三十人育てて、使い物になるのはせいぜい一人。効率が悪すぎるな」

「まあ、失敗した子は教会の雑務係にでもすればいい」


乾いた笑い声が、廊下にこだまします。


(……私、実験だったの?)


信じてきた神の教え。

育ててくれた教会という存在。

その中枢に、こんなにも打算的で商業的な計画が渦巻いていたなんて。


(教皇様……まさか、あなたもご存知で……?)


その夜、私は祈りませんでした。

ただ、夜空を見上げ、静かに問い続けたのです。


(『健全なる心身を、すべての者に』――

私はこの教義を、心から信じています。

この素晴らしい理念を守りたい。けれど、一体どうすれば……)


神は、答えてくれませんでした。

星々は、ただ黙って瞬いているだけ。


***


ある朝のこと。

私は、衝撃的な光景を目にしました。


珍しく、スイが待ち合わせに遅れていたのです。


玄関前で彼女を待っていると、慌ただしく走る足音がして――

扉がばーんと開きました。


寝癖の残る髪をかき上げながら、何か話しているスイ。

けれど、その言葉は私の耳に届きませんでした。


なぜなら、彼女から、眩い光が――まるで後光のような輝きが、放たれていたから。


「スイ……いえ、スイ様……!」


私は確信しました。

聖女である私にはわかるのです。


彼女は、神に選ばれた存在――!


思わずスイ様の手を握りしめ、懇願しました。


「どうか、私と一緒に教会へいらしてくださいませんか!?」


光はすぐに収まりましたが、私の心は高鳴ったままでした。


(スイ様となら、この世界に“真の安眠”と“健全な心身”を広められる――!)


けれどその時、私たちの間に、影が差しました。


「スイは、教会には用はない」


冷たい声。


金髪の狩人――スイ様と同居しているというフミンという男です。


挨拶しても返さない、いつも無愛想なこの男。

今朝に限っては、明確な拒絶を口にしました。


食い下がろうとしたその瞬間、彼はスイ様の腕を引き、あっさりとどこかへ連れ去ってしまいました。


(……そう簡単に諦めませんことよ?)


私は決意を新たにしました。


――必ず、スイ様を教会にお連れして、

この世界を、眠りの力で変えてみせます!


***


まったく、あの狩人はなんて無粋な男なのでしょう!


私の勧誘活動は、ことごとく彼に邪魔されてしまいます。


最近では、ランニングにまでついて来る始末。

せっかくのスイ様との貴重な時間を台無しにして……!


とはいえ、スイ様ご自身は、教会に興味がなさそうです。


彼女は、今の生活を心から楽しんでおられるようでした。


お仕事で開発されている新作の寝具について、熱心に語るその横顔――

それを見ているうちに、私の中に生まれたのは諦めに似た想いでした。


(このまま、時々アドバイスをいただきながら……ランニング仲間として付き合っていけたら、それで……)


……でも、そんな平穏な日々は、あまりにも突然に――

終わりを告げたのです。


***


「アンジェ。そろそろ、お終いにしなさい」


ある朝のこと。

いつものランニング中に、こっそり修道院を抜け出していた私を――ついに教皇様に見つかってしまったのです。


「"魔"が回復するからと、目を瞑ってきたが……息抜きはもう十分だろう?」


なんと、神殿騎士を引き連れ、教皇様自らがお迎えに来られたのです。


(ああ……スイ様との時間も、これでおしまいなのですね)


寂しさを抱えながらも、私は大人しく教皇様のもとへと進み出ました。

――ところが。


「なんと……あなた様は、一体……!?」


突然、教皇様がスイ様を見て叫ばれたのです。


驚く私をよそに、事態は急展開を迎えました。


「こんな場所にいてはなりません! お前たち、彼女をすぐに教会へお連れしなさい!」


神殿騎士たちは、嫌がるスイ様の意思を無視して、私たちを半ば強引に教会へと連れ去りました。


「聖女が外を出歩いていたなど、外聞が悪い。しばらく反省していなさい」


私は祈祷室に閉じ込められてしまったのです。


(スイ様は……教皇様は一体、何を……?)


何もわからぬまま、ひとりきりで、ただ時間だけが過ぎていきました。


***


「アン様?」


どれほどの時が経ったでしょうか。

外から施錠された扉が静かに開き、顔を覗かせたのは――下女のイル。


幸いにも、私が懇意にしている娘でした。


「ああ、イル……! 外の様子を、教えてくださる?」


私がそう頼むと、イルは周囲を警戒するように見回してから、声をひそめて語り出しました。


「……観測史上最大の魔物が現れたんです。いまは城壁がなんとか防いでいますが、もう持ちません」


なんということでしょう――!


ちょうど居合わせた勇者様が応戦してくださっているそうですが、戦うための力――“魔”が足りないのだそうです。


本来“魔”を生み出すはずのシスターたちも……枢機卿と一部の貴族出身の者たちは、すでに街から逃げ出したとか。


「アン様……私と一緒に逃げましょう?」


イルは、恐怖を押し殺しながらも、私を案じてそう言ってくれました。

きっと、とても勇気のいる提案だったのでしょう。


その気持ちに胸を打たれながらも、私にはやるべきことがありました。


「イル。スイ様がどこにいらっしゃるか、ご存知?」


***


ステンドグラスから差し込む光が、荘厳に輝く――教会のメインホール。


そこには、教皇様、スイ様、そして街の有力者たちが集まっておられました。


「アンジェ。ちょうどよいところに来たね。こちらへ来なさい」


私に気づいた教皇様は、祈祷室から出てきたことを咎めるどころか、手招きされました。


「今から、勇者殿に“魔”を送る儀式を行う。君と、こちらのスイ様にお願いしよう」


スイ様は“眠りの神の御子”――

眠ることで、膨大な“魔”を生み出すことができるのだといいます。


(なるほど……特別なお力を感じていましたけれど、まさか御子様だったなんて)


「スイは一般人だ。教会の都合に巻き込まないでくれ」


遮ったのは、あの無愛想な狩人――スイ様と同居しているフミンという男でした。


不眠で悩むフミンは、スイ様に睡眠のことで随分と助けられたそうですの。

そんな彼は、街の危機に際してもスイ様を第一に案じている様子。


けれど私の胸にも、苦い想いがこみ上げていました。


――思い出すのは、あの小鳥。


修道院の中庭に毎日遊びに来ていた、青い小鳥。

ロベリアさんたちが神殿騎士に命じて捕らえさせ、籠で大事に飼われていました。


けれど……日を追うごとに衰えてゆき、美しかった羽の色も褪せていったのです。


(そう……教会は、スイ様を決して手放さないでしょう。神の御子として、“魔”の生産機として、閉じ込めてしまう)


私は、そっとスイ様のもとへ歩み寄り、深く頭を下げました。


「スイ様……無理やりお連れしてしまい、申し訳ございません。教会を代表して、お詫び申し上げます」


そして顔を上げ、まっすぐにスイ様を見つめながら続けます。


「私、聖女としての自信を失っておりました。けれど、スイ様と出会って……イビキに悩み、寝不足による“魔”の減少に苦しんでいた日々から、生活を見直すきっかけをいただきました。おかげさまで今は、真の『健全なる心身』を取り戻せたと自負しております」


「ですからどうか――この街を救うために、お力をお貸しくださいますか?」


スイ様は、少し困ったような表情で私を見つめておられました。

そのまなざしに、私は小さな声でそっと付け加えます。


「事が終わりましたら、私が必ず……あなたを教会から逃がして差し上げます」


教皇様には聞こえないように片目を瞑ると、スイ様は息を飲まれ、そして――


「はい。……もとより、この街には大切な人がたくさんいますから。俺で良ければ、力になります」


そう、微笑んでくださいました。


***


それから始まった、前代未聞の戦準備。


どうやらスイ様が大量の“魔”を生み出すには、“良質な睡眠”が必要なのだとか。


魔物が城壁にぶつかる轟音、怒号と銃声の響きわたる最前線で、私とスイ様は――「昼寝」をします。


敵前に設置された「寝室」は、街の総力を結集して整えられました。


最上級のベッド、職人仕立ての防音壁、ナイトアロマに足湯、安眠ハーブティー。


スイ様の指導のもと、私も就寝前のヨガポーズ。

けれど緊張で、なかなか寝つけません。


スイ様も落ち着いて見えるけれど、どこか緊張されている様子で……

なにか話題を探していると、そこへ、あの無愛想な狩人が現れました。


ほんの一言二言のやり取り。


けれど、スイ様の表情は目に見えて柔らかくなりました。


狩人フミンは私に視線をよこしながらも、どこか誇らしげに去っていきました。


(……くっ。慰めたかったのは私なのに。単なる同居人に負けた気分ですわ……)


そんなことを考えているうちに、スイ様はすやすやと寝息を立て始めました。


(いけない、私も眠らなくては……!)


けれど、戦場でそう簡単に――


「すー、すー……ふんがごぉっ!!」


――爆音のようなイビキで目が覚めました。


いけません、まだ時々イビキが……。


まるで口から何か大きなものが飛び出したような――


慌てて起きると、向かいでスイ様が目を丸くしていました。


「アンさん、今、口からすごく大きなクマが……」


何かを指さして慌てておられましたが、私にはその声がもう届きません。


だって、スイ様が――まぶしく輝いていたのですから。


***


寝室から立ち上った光が、戦場を包む。

私はこの目で、はっきりと見たのです。


スイ様から放たれた光が、勇者様に力を与え――

聖剣の一振りと、巨大な白いクマが、城壁に迫る魔物の群れを一掃する様を。


そして――空飛ぶ布団に乗った御仁が、再び眠りについたスイ様を優しく抱え、空へと昇っていきました。


(お待ちください! あなたは? スイ様を、どこへ……!?)


動けぬ人々の中で、私は懸命に手を伸ばしました。


すると――その御仁、眠りの神は私を見て、優しく微笑んだのです。


(ああ……真の神は、眠りの神様だったのですね)


その瞬間、私は悟りました。


スイ様は使命を終え、元の世界へ戻られたのです。


寂しさを抱えながらも、私にはわかっていました。


お任せくださいませ。

眠りの神様――あなたがお示しくださったこの道。

この聖女アンジェが、必ず果たしてみせますわ!



***


「残念だよ。孤児出身の君なら、理解してくれると思っていたのに」


教会を後にしようとした私に、教皇様が声をかけてこられました。


「人は、幸せになってしまえば、その有難さをすぐに忘れてしまう。

実際、“魔物”が減ってからというもの、教会への寄付は激減した。

結局、寄付がなければ、貧しい者たちを救うこともできない。

“すべての人に健全なる心身を”――そんな理想は、所詮、夢物語なのだよ」


疲れたような口調で、教皇様はそうおっしゃいました。


それでも、私はしっかりと頭を下げて別れを告げます。


「それでも私は、皆に“機会”を与えたいのです。……今まで、孤児だった私を大切に育ててくださって、本当にありがとうございました」


教皇様は、しばし沈黙したのち、ぽつりと呟かれました。


「それは茨の道だよ、アンジェ。かつての私も、歩こうとしたことがあった。

……だが、それでも行くというのなら――やってみなさい」


そのときの教皇様の表情は、かつて私を引き取ってくださったあの優しい眼差しと、どこか重なって見えたのです。


私は、もう一度静かに頭を下げ、教会を後にしました。



***


ここは、白亜の壁に囲まれた、小さな中庭。

まるで世界から切り離されたような、静かな空間で――


柔らかな芝生の上で、ひとりの少女が目を覚ましました。


空色の乱れた髪を直し、ベンチからそっと体を起こすと、若木のそばをゆっくりと歩き出します。


木々の間に吊られたハンモック。

その中で、白髪の少女がすやすやと眠っていました。


「すー、すー……ふごっ、ふんがっ!」


とつぜん響いた盛大なイビキ。

その勢いで、白くふわふわの塊が口から飛び出し、芝生をぴょこぴょこ駆け回ります。


「あら……ええと。お早い目覚めですわね、サラ」


起き上がった白髪の少女の口元を、空色の髪の少女がそっと拭ってやります。


「けっこう長く寝てましたよ、"教祖さま"」


“教祖さま”と呼ばれた少女――アンジェは、ぼうっとしたままヨダレを拭かれ、しばし固まっていましたが……

はっと我に返ると、サラを見つめて叫びました。


「わ、私……今、イビキなんて……っ!?」


「はい、とても盛大に。本日は“白テン”ですわね」


庭を元気に駆け回る胴長のテンを見て、アンジェは肩を落としました。


「……恥ずかしいですわ」


およよと顔を覆うアンジェに、サラはくすっと笑いながら微笑みます。


「恥ずかしいだなんて。アンの生み出す精霊たちは、どの子も素晴らしいですわ」


そう言って、手を胸の前で合わせ、そっと祈りを捧げるサラ。

その周囲に、ひらひらと光を帯びたモンシロチョウたちが舞い始めます。


「もう、“眠りの神様”ったら……どうして私だけ、イビキなのかしら。

サラのほうがよっぽど聖女らしいですわ」


風に乗って中庭の空へと飛び立っていくチョウたちを見送りながら、サラはくすくすと笑っていました。


「教祖さまの精霊は別格ですもの。……生み出し方なんて、大したことありませんわ」


そう言ったサラの隣に、白テンがぴょんっと跳び乗ります。

くりくりした黒い瞳を見つめて、アンジェはひとつ深く息をつきました。


「ほら。かわいい“眠りの使者”さん。今日もお願いね」


白テンは「きゅっ」と鳴いて、芝生を駆けていきました。


きっとこれからも、多くの魔物を祓ってくれるでしょう。

空を見上げ、私は静かに祈ります。


ここまで、たどり着くのは大変でした。

でも、本当の始まりはここからです。


“健全なる心身”を、すべての人に。


その目標を胸に、今日も教祖アンジェは動き出します。


「さあ、シスターの皆様方。良く眠れましたか?」


数ある小説の中から本作をお読みいただき、ありがとうございました!


この物語は、連載(完結済)

『あと◯秒で寝ます!〜寝落ち体質の俺が異世界で安眠改革、気づけば眠りでラスボス倒してました』

のスピンオフ外伝として執筆しました。


本編では、異世界に転移した「寝落ち体質」の主人公スイが、

ブラック労働と劣悪な睡眠環境を“眠りの力”で改革していくストーリーです。

主人公と真逆の悩み――「不眠」を抱える狩人フミンとの出会いが、物語を大きく動かしていきます。


本作でちらりと登場したフミン、そしてスイの本来の物語が気になった方は、

ぜひ本編にも遊びに来ていただけたら嬉しいです。


※本編とは一部パラレル設定となっておりますので、気軽に読んでいただけます!


最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!

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