死にもう一度
「………海馬?……大丈夫?………なんか最近変だよ?…」
母に初めてちゃんと心配された気がする。
俺はホワイトの集会に度々出席し、あの赦しの空間に、快楽に、浸っていた。
髪は根本から、少しずつ白くなっていった。
学校は休みがちになっていた。光の中にいる方が楽しいから。
白くなっていく髪を心配されたのか、学校のことなどの日々の言動、を心配されたのかは分からないが確かに心配された。
父(斉藤海斗)にも、
「……なんか最近、おかしいと思っていたんだよな。……大丈夫なのか?」
心配しないだろうと思っていた、父さんにも、心配された。
こんなに心配されると思っていなかった。
「……大丈夫。」って言った。
つい、そっけない返答をしてしまう。
「……一度、本気で話し合った方がいいかしらね。」
母が言った。
「そうかもな。」
父が、まるでしたくなかったかのような口振りで言った。
そこから、親と真剣に話す時がやってきた。
「まず、なんで髪が白くなっていっているの?」
母が聞いてきた。
「俺も気になってた。」
父が、同調した。
「なんでもいいだろ。」
話そうか迷ったが、否定されそうな気がして、やめた。
母が言った。
「……じゃあ何で、学校を休みがちになったの?」
「……つまんないからだよ。」
俺はぶっきらぼうに答えた。
「……………なんで、つまんなくなったんだ?」
父が、 ゆっくりと口を開いた。
その答えが出てこない。
アネンのことは言ってはいけないしどうしようか考えていたとき、昔の記憶が、昔の自分が、顔を出した。
「……………………昔、二分の一成人式で、発表する、予定だった夢を、笑われたんだ。」
そのあとは、途切れ途切れになりながら、自分の心にしたがって言葉を繋いだ。
話し始めたときに少し、チョークの匂いや、あの時の笑い声がした気がした。
「宇宙飛行士の、夢。本当はそう発表したかったんだ。」
「友達に、宇宙飛行士の、夢を、打ち明けた。そしたら、何て返されたと思う?」
母は、自分の息子の初めての告白を、真剣に慰めようとしていることが伝わってきた。
父は、何を考えているかわからない。あまり話して来なかったから。
俺はゆっくりと話し始めた。
「幼稚園児みたいな夢みてんじゃねーよ。」
「そう、言われたんだ。」
「そこから、怖くなった。自分の心を信じて生きることが。」
父が息を飲んだのがわかった。
それから一瞬の沈黙のあと。
母が、言葉を紡ぎ終わったのか、話し始めた。
その言葉は、期待していた言葉とは違っていた。
「……でも、海馬。」
母は何かを探すように目を泳がせている。
声が震えてる。言葉を選びかねている。
「……貴方みたいに悩んでいる子供は、きっと……いっぱい……いるの。……貴方だけじゃないの。だから……」
母は、大丈夫だよ、そう言いたかったのかもしれない。
少し目を伏せながら母は、言葉を伝えようとしていた。
その言葉は優しさの仮面を被った、逃げに聞こえた。
俺はそんな言葉に、一気に冷めてしまった。
今さら一般論なんて聞きたくなかった。
「それ、皆言うよね。"一人じゃない"って。」
母と父が、ビックリした顔でこちらを見ている。
母の口が少し震えているのがわかった。
「でも、俺の痛みは俺しかわからないんだよ。他の人が同じような痛みを知っているからって、それは俺の痛みじゃない。そうでしょ?」
「……結局、俺の本当の気持ちなんて、誰も見てないんだよ。」
まるで壁に話しているようだった。
誰も、俺の心の奥には踏み込んでこなかった。
母は、ただ表情を固めたままこちらをみていた。
父は、目を見開いていたが、焦点は合っていなかった。
少し言いすぎたかも知れない。
でも、そんな気持ちもすぐに途切れてしまった。
この言葉は、俺の本心だ。
俺も、両親も、何も言わなかった。いや、言えなかった。
母は、目を泳がせ、なにかを探すように俯いた。
父は、言葉が見つからないように、視線を落とした。
言葉の代わりに壁の時計の針の音だけがこの部屋に響いていた。
その音が、妙に大きく感じた。
空気が重く、呼吸が浅くなる。
この沈黙が、なぜか一番、苦しかった。
このままここにいたら、俺が壊れてしまう気がした。
俺は家を飛び出して、ホワイトの集会場へ向かう。
この苦しさを紛らわすためには、白に身を委ねるしかない、そう思った。
でも、どうしてだろう。
白に染まったはずの心が小さな声で、この選択は本当に正しいのか?
そう言った気がした。
それでも俺は走り続けた。白に溺れることでしか、あの沈黙の苦しさからは逃げられない。
そう思ったから。
集会場所に着いた。
そこはいつもより、少し暗い光が反射している。
ドアを開けてすぐに中に入る。
そこには、真白と沙雪が対談をしていた。
「あの子に干渉してしまったら記憶は戻りませんよ。本当にいいのですか?……」
「もちろんそのつもりだ。………」
……記憶?……なんのことだ?
……俺の記憶に、何かあったのか?
もしかして、俺に何かしようとしているのか?
何やら小声で話していたようだが、少し疑念が残っただけだった。
そしてチラッとこっちを見た。
「おぉ、海馬君じゃないか」
沙雪が俺に気づいた。
「こんにちは。」
そう言うと二人は頷いてこう尋ねてきた。
「実験に参加してみるかい?」
俺は、二人に脇にある小部屋に案内された。
そこは、心臓の鼓動さえ響くほど、深い静寂に包まれていた。
そこには、カプセルのような機械がずらっと並んでいた。
中には恍惚な表情を浮かべている白い髪をした人がいた。
中の人たちは皆、まるで現実を忘れているような顔をしていた。
笑っているのか、泣いているのか、判別できない表情をしていた。
その表情が俺の中の恐れを少し増大させた。
これがあの装置か。
「さぁ、この装置に入って。」
そう指示されて、俺はゆっくりと装置の中へ入って行く。
少しの恐れと、大きな期待を胸に。
その時、母の顔が浮かんだ。
その目は、何も言えないような沈黙の奥で、なにかを必死に探しているようだった。
躊躇いが喉の奥に引っかかった。でも、もう戻れない。そう思うことでしか、息が出来なかった。
だから、もう遅い。俺は…………この装置に入ると決めたのだから。
沙雪が、装置について説明をしてくれた。
「この装置は、最新式でね。」
「今までで一番白に近づくことができる。」
「そして、今までで一番安全なんだ。」
「どうだい?少しは安心したかい?」
ここまで来たら、もう引き返せない。
やっぱり止めて欲しかったのかも知れない。
"それでも"………
カプセルの蓋が、ゆっくりとしまる音がした。
内側からみる世界は、全てが柔らかい白に染まっていた。
まるで胎内のような、温度と、穏やかな空間。
心臓の鼓動がゆっくりと遅くなっていく。
代わりに、脳の奧から甘い浮遊感が漂っている。
―――"これだ"
あのときの白にまた触れている。
痛みも苦しみも、忘れ始めていた。
名前さえ、遠くなっていく。………
少しの恐怖さえ心地よかった。
まるで誰かに手を握られているような感覚。
動こうと思っても動けなかった。
動きたくない、そう思っている自分がいた。
このまま全てを忘れられたら、どれだけ楽なんだろうか。
「お帰りなさい。」
母の声がふと、俺の頭のなかで静かに響いた。
その声は唯一色を持っていた。
淡い桜のような暖かく、懐かしい、そんな気がした。
俺が学校から帰ってきたときに、母が言った言葉。
不器用さに暖かさと愛を、確かに感じる言葉。
心が揺れはじめた。
白のなかには愛や、暖かさはない。
そんな気がした。
………でも。
どうしてだろうこの完璧なはずの白が、ほんのわずかに、"怖い"。
まわりには、誰かの笑い声のような音が、混じっている。
装置が、与えてくれているはずの心地よさ。
それが、どこか強制的なものに感じられてきた。
これが人工的なように感じて仕方がない。
この白が俺の感情を奪っていく。
そんな感覚がした。
(…………俺が、望んでいたのは、本当にこれだったのか?)
さっきの母の顔が、うっすら浮かんだ。
あの沈黙の後に、どうしても消えなかった感覚。
――理解されなかった苦しみと、悔しさ。
でも、それと同時に。
"誰かに分かって欲しかった"という叫び。
(…………俺は、………逃げただけ、じゃないのか…?)
白い空間の中に、一瞬黒いノイズのようなものが走った。
頭の奧が、少し軋む音がした。
その瞬間、脳の奧の白が、わずかに薄れた気がした。
温度が下がっていく。
世界が静かに、冷たくなっていく。
(…………これが、本当に赦しなんだろうか。)
甘美の感覚を感じるなかで、自分の声だけが冷たく響いた。