死の向こう側
「やっぱり。」
「あなたも、そうなんですね。」
白い男は、ゆっくりと話し始めた。
「私の名前は、小林真白。あなたと同じ、あの光に魅せられたものです。」
「実は、私達のような人々はこう呼ばれています。」
「"ホワイト"と。」
真白は俺に聞いてきた。
「あなたは、もう一度あの光の中に行きたい。」
「そう思いますか?」
俺は、疑念を抱きながらも素直に答えた。
「…………行きたいです。」
真白は、にっこりと、でも目の奧は冷たいまま、こう答えた。
「では、まずホワイトが集まる集会に参加しましょうか。」
その言葉を聞いた瞬間、なぜか視界が白んだ。
光の残像が残っているのかと思ったが、すぐに戻った。
真白は、集会場所へ歩きながらゆっくりと話し始めた。
「あのアネンに触れれば触れるほど、人の体は髪から順番に白へ還るのです。肌も、血も、声でさえも。」
「私はまだ、髪の毛しか白くありませんが、目まで白くなっている人もいるのですよ。」
「私達ホワイトは、少しずつですが、完全な白に近付いているのです。」
俺は疑問に思ったので聞いてみた。
「どうやってあの……アネン、というものを再現するのですか?」
「そもそもアネン?とは何なんですか?」
真白は親切に答えてくれた。
「まず、アネンの再現について、から話しますね。」
「方法は三つあります。」
「まず、実際に死に近づくこと。」
「次に、集会で行われる神聖な儀式に参加すること。」
「最後に、我々が開発した特別な装置に入ること。まだ実験途中ですが、すでに強力な白い光を体験したという報告があがっています。」
「今分かっているこれらの方法は、光に選ばれた者しか体験できません。」
「そして、アネンについてですが……」
「それについては、説明できた人は誰もいないのです。」
「他に質問はありますか?」
「………いえ。………大丈夫です。」
そう答えた自分の声がどこか遠くから聞こえてくるようだった。
本当は違う、そう言いたかったのに、口は素直に従っていた。
このまま付いていって大丈夫かどうか。
そんなことは分からない。
でも、今は、あの光の中に行きたい。その思いだけが、俺の体を突き動かしていた。
理性が囁いている危険よりも、光へ踏みいってしまうと言う恐怖よりも、あの光の中にもう一度入れるという期待が勝っていた。
男が立ち止まった。
「ここが集会場所です。」
その集会の場所は、歩行者分離式の交差点を抜けた先にある、薄暗い路地裏だった。
じめじめしていて人の気配がしなかった。
まるで、現実とは違う世界にあるような雰囲気を醸し出していた。
「さぁ、どうぞ。」
「ようこそ。光の差し込む場所へ。」
そう言われ、恐る恐るドアを開ける。
ドアノブを触った瞬間、手のひらの感覚が薄れた気がした。冷たい金属が手のひらの温度を奪う。その感覚は、まるで
そこには、白いコートに身を包んだ人々が、円を囲むように立っていた。
一人はただ集中して上を見上げている。
もう一人は、紙のように真っ白な肌をしていた。
この人達が、"ホワイト"か。
そう思ったとき、そのホワイトの人たちが光を見つけたかのように一斉にこちらを視た。
「こちらは、最近アネンを体験した中学一年生の斉藤海馬君です。」
真白がホワイト達に説明した。
なぜ俺の名前と年齢を知っているんだ?
そう疑問に思ったが、目まで白い、チラッと見えた腕の血管すら白い、代表のような女が放っていた厳かな雰囲気に遮られてしまった。
「そうか。君があの斉藤海馬君か。」
「ようこそ。」
「ホワイトの集会へ。」
俺は、震えた声で言った。
「はじめまして。斉藤海馬です。よろしくお願いします。」
女が微笑みながら言った。
「そう緊張しなくてもいい。」
「私の名前は、白伊沙雪。」
「海馬君は、ただ目を瞑って手を合わせて、光に身を委ねるだけでいい。」
沙雪はコホンと、咳をした音が部屋に広がる。
空気の粒子が白く濁っているような気がした。
その白さが沙雪の肺の奧から滲みでたような気がした。
それはまるで、肺に光を飼っているようだった。
誰もが静かに口を閉ざした。
空気が一気に冷たくそして白くなった気がした。
俺の心臓の鼓動だけがやけに大きく聞こえた。
沙雪は空間を支配するかのように、ゆっくりと話し始めた。
「それでは、"儀式"を、始めようか。」
その沙雪の一言で、部屋は静寂と、どこからかやってきた白い光に包まれた。
ホワイト達が一斉に白い布と白い仮面をつけ始めた。
一人のホワイトが近付いて来て、俺にも白い布と白い仮面、そして白いコートを着けてきた。
しかし、不思議と抵抗する気になれなかった。
そして、そのホワイトが俺に聞いてきた。
「"アネンを身に宿すその準備はできているか"。」と。
「はい。」
俺はただ、光にもう一度入れるという期待だけを込めてそう言った。
理性が、引き返せと叫んでいる。
脳が、ここにいてはダメだと言う。
でも、心がもう一度あの光の中に入れる。そう囁いていた。
儀式の準備をしている間、沙雪が、この集会の意味を教えてくれた。
「光に近づけば近づくほど、人は白くなる。」
「この集会は、ホワイトのメンバーがどれだけ白に近づけたかを知るために。」
「そして、儀式をして光に近づくために開催している。」
そして、俺に問を投げ掛けてきた。
「儀式とは、何をすると思う?」
俺は、こう答えた。
「なにをするんですか?」
沙雪は、フフッと笑いこう答えた。
「この儀式では、白い服と仮面を身に付けて、手を合わせて正座し瞑想をする。」
「そして、我々は呪文を唱続ける。」
「海馬君は、中心に立ってくれればいい。」
「どうやら、準備が終わったようだ。」
そう沙雪が言ってホワイト達は、俺を囲み始めた。
そして沙雪はゆっくりと右手を掲げた。
その瞬間、部屋の明かりがゆっくりと落ちた。
窓にカーテンがかかっているのに、何処からともなく光がすうっと広がってゆく。
まるで薄い霧が天井から降りてくるようだった。
沙雪が一歩前に出た。
「この子が、アネンを視た少年。斉藤海馬。」
誰も、何も言わない。ただ、視線だけが鋭く、俺を貫いていた。
「光は、全てを白に還す。悲しみも、痛みも、記憶さえも。」
「今、我らホワイトは、光の世界に度立とうとする、斉藤海馬の魂を、見届けましょう。」
沙雪の声が、空気を震わせるように響いた。
誰かが鈴のような音を鳴らした。
頭の奧で直接鳴ったような感覚がした。
そのあと、しばらく何の音もしない無音の時間が流れた。
その時、俺の視界のなかで、白い光のような物が揺らめいた。
それは、炎でも、霧でもなく、もっと異質な、―――――概念のような光だった。
「目を瞑って、手を合わせて。」
沙雪の言葉に従うと、空間が歪んだような感覚が襲ってきた。
耳鳴り。
心臓の鼓動も、やけに大きく響いている。
でも、不思議と、怖くなかった。
白い、あの光が、――俺を呼んでいる。
呪文が聞こえる。
「アネン―ゴイント―ワイト―ラット」………
他のホワイト達も続々と呪文を唱え始める。
声が重なり、渦を巻き、音の粒が光となっていくようだった。
その瞬間、俺の脳の奧が、ギュッと、縮んだ気がした。
体が前に倒れる。
まぶたの裏に光が差し込んできた。
白い――
あの、甘美な白が、俺を包んでいった。
目を瞑ったまま、俺はゆっくりと光の中へ入っていく。
そんな感覚に身を委ねていた。
体がふわりと軽くなる。心臓の鼓動が自分の物ではないみたいだ。
音が消え、世界が透き通っていく。
自分の境界線が、わからなくなっていく。
「ああ………これが………」
声にならない言葉が、脳のなかで揺れる。
これはきっと快楽なんかじゃない。
もっと………深い。
"赦し"だ。
自分はここに居ていい、という絶対的な肯定。
友達も、親も、先生でさえも、誰もくれなかったもの。
それが、確かに、白の中にはあった。