気が付いたら猫
ものすごく寒くて、体が動かない。
「みゅう」
助けを呼ぼうとするが、出てくるのは猫みたいな声。
目の前が真っ暗で何も見えない。
(このまま死んじゃうのかな)
そう思ったとき、温かいものに包まれた感じがした。
どこからか人の声が聞こえる。
目を開けるとすぐ前には壁。
(壁?だけどなんか変)
顔を上げてぐるっと見渡すと、見たことのない部屋だ。
しかし、問題はそんなことより
(すべてが大きいんですけど⁈)
脳内に、子供の頃に読んだ「不思議の国のアリス」が思い浮かぶ。
「ああ、目が覚めたんだね」
気の弱そうなアラサーくらいの男性が覗き込んできて、ひょいと持ち上げられる。
何故、わたしは人の両手の中にすっぽり入る程縮んでいるのかと考え、そこで気が付いた。
もっと早く気づけ?わたしもそう思います。
手がもふもふで、肉球がありました。
もっと詳しく言うと、自分で見ることのできる両手両足は立派な黒いもふもふで覆われており、ピンクの肉球が付いていました。
猫又奈津美、26歳。
就職活動がうまくいかず、何とか内定をもぎ取った会社がヤバかった。
いわゆるブラック。
残業、休日出勤当たり前。有休なにそれおいしいの?の世界である。
転職したくても、転職活動する時間さえ取れない有様。
ドン詰まりの日々を送っていたある日、めまいを起こして階段から転落。
意識は闇に包まれた。
異世界転生というのは聞いたことはあったが、まさか自分が当事者になるとは思っても見なかった。
確かに猫は好きで、猫動画は唯一の癒しだ。
疲れ果てたときなんかは飼い猫になりたいと言ったこともある。
しかし、子猫の段階で母猫と逸れ(育児放棄されたのかもしれない)、猫生初っ端から死にかけるなんてハードモードは求めてない。
しかも、たぶんここは現代日本じゃない。ファンタジーの世界だ。
どう見ても家の造りが、現代家屋じゃない。
という事は、当然ちゅーるも鰹節もない。暖かい居心地の良い家の中で、のんびり日向ぼっこをしながら暮らすことは絶望的。
ネズミ捕りの労働義務のある猫転生は嫌だ。だって、意識は人間なんだもの。ネズミ齧るとか絶対無理。
人生(猫生)とはままならないものである。
命の恩人はわたしをそっと床に下ろすと、温めたミルクの皿を目の前に置いてくれる。
何のミルクかわからないけど急に食欲が湧いてきて、皿に顔を突っ込んだ。
そしてお腹がいっぱいになると酷い眠気に襲われる。子猫なんだから仕方がない。
また温かい手が運んでくれる揺れを感じながら、眠りについた。
翌朝、空腹で目が覚める。昨日死にかけたとは思えないくらい、とっても元気。
時計が無いので時間はわからないが、たぶん朝の5~6時くらいだろう。
この家の住人はまだ起きてくる様子がないし、暇なのでちょっと探検してみることにする。
入れられていた籠から脱出すると、室内を歩き回るが狭いのであっという間に終わってしまった。
多分ここはリビング。テーブルと椅子が2脚。暖炉もあるな。これで調理もするのだろう、猫の嗅覚が食欲をそそる残り香を嗅ぎ分ける。
出窓があるので登ってみたいが、残念なことに今の身体と運動能力ではちょっと足りない。今後に期待だ。
わたしが部屋をうろうろしているのに気が付いたのか、隣の部屋から命の恩人の彼が出てきた。
「おはよう」
身を屈めて背中をそっと撫でてくれる。改めて見ると――いや、改めて見ても気が弱そう。そう見えるのは決して眼鏡のせいではない筈だ。
というか、この世界でも眼鏡はあるのね。窓ガラスがあるのだから、不思議ではないのか?――話が逸れた。
わたしを撫でながらポツポツ話してくれたところによると、彼の名前はニール。両親と共にこの家で暮らしていたが、昨年相次いで亡くなってしまい現在は一人で暮らしているそうだ。
仕事は歩いて行ける店で働いていのだが、あまりうまくいってないらしい。
店主には無理難題を押し付けられ、同僚には仕事を押し付けられる。
過去ブラック企業に勤めていたわたしの血が騒ぐ。君、それ店と同僚の双方から搾取されまくってますやん。
よく見れば、目の下には薄っすらと隈がある。まずい。せっかく飼ってくれそうな人間に巡り合ったのに、このままではすぐに路頭に迷うことになってしまう。
何とかしてニールをブラックな環境から逃れさせ、まともな職場を探さないと!
しかし、わたしはこの世界のことを全く知らない上に今は猫。どうしたものか。
(でも、どんな世界であろうが人間の本質って変わらないものよね)
彼を取り巻く人間関係を把握すると同時に、この世界についての情報収集に努める。何をするにも情報って大事。
行動を起こすのはそれからだ。
わたしが考え込んでいる間に着替えて朝食の準備を終えたニールが、トレイを持ってやって来た。
ボウルの中にはミルクでふやかしたパンが入っている。
ここではこれが猫の定番食なのか?それすらもわからない。
今日は絶対外に出ないと、知らなければならないことがたくさん有りすぎる。
「じゃあ、行ってくるからいい子にしているんだよ」
わたしの頭をひと撫でして、ニールは出勤していった。
よし、さっそく行動開始。まずは椅子をよじ登り、そこからテーブルへ。そして出窓へ飛び移る。猫の身体能力ってすごいのね。しかも子猫だから伸び代はまだまだある。
出窓の上の方のガラスがほんの少し空いている。空気の入れ替えの為だろうか。人間は当然無理だけれど、子猫のわたしは余裕。
そこから下に飛び降りるか迷ったけど、外の様子を見てやめた。小さい身体なので、踏み潰されそう。ということで屋根に登る。
周囲が良く見渡せて偵察にはもってこいだ。
「おい、おまえ。誰の許しを得てここにいる」
いきなり声が聞こえて辺りを見回す。
「後ろだ、後ろ」
振り返るともふもふの壁。視線を上げていくと大きな雄猫が睨んでいた。
「猫の言葉がわかる!」
「いや、お前も猫だろ」
わたしが余りにも間抜けな顔をしていたせいか、毒気を抜かれた表情で警戒を解いた。
「それで、ここで何してんだ?」
「お母さんと逸れちゃって、死に掛けていたところを人間が拾ってくれたの」
雄猫は何か言いたげな顔をしていたが、ただ黙ってわたしの毛繕いをしてくれた。
「この家に住んでるニールがあったかい寝床とおいしい食べ物くれたのよ」
「ああ、あの弱そうな人間か」
ニールって有名人?
「あいつ、俺たちに結構食いもんくれるんだよ。この辺の奴らは皆知ってる」
おお、さすがわたしの命の恩人。
「ねえ、おじさん強い?えらい?」
「おい、おじさんって……まあこの辺りは俺の縄張りだが……」
使えるものは何でも使う。猫でもだ。
「じゃあ手伝って!ニール、お仕事とっても大変なの!このままじゃ病気になっちゃう。そしたら皆食べ物もらえなくなっちゃうよ!」
「餌場が減るのは困るが、どうするんだよ」
「おじさんニールの働いている所知ってる?」
「もちろん知ってるぞ。縄張りの中だからな。あと、おじさんはやめろ」
「じゃあボス!そこに連れてって」
ボスは呆れたように首を振ったが、わたしの首の後ろを咥えると身軽に屋根から屋根へと飛び移った。
今の状況を確認しないと手の打ちようがない。
「ほら、ここだ」
下ろされた屋根の向かい側に、そこそこの大きさの店がある。
「何のお店なの?」
「人間が使う色んなものを売ってるんだよ」
日用雑貨の店ってことか。店の様子を観察しながら、街の状態もチェックする。
移動手段は馬で、馬車も走っている。ボスに連れて来てもらって良かった。こんな小さな猫なんてうっかり踏み潰されそうだ。
ニールの働きぶりを見ているうちに、だんだん眠くなってくる。日差しはぽかぽかだしわたしは子猫。
「無理するな。寝てろ」
ちゃんと見なきゃいけないのにと思いながらも意識が途切れた。
「そろそろ起きろ」
目が覚めるとすっかり夕方になっており、元の場所に戻っていた。
やってしまった。落ち込んでしょんぼりしていると
「あいつはお人好しだな。いいように使われて、あれじゃ潰れるのも時間の問題だぞ」
「……もう潰れかけてる」
「仕事は真面目にこなすし、客からの評判も良い。ただ絶望的に世渡りが下手だ」
「わかってるもん」
社畜時代の自分と重なって涙目になってしまう。
「自分で店をやるか、まともな雇い主の所へ移るかだな」
「店始めたら、身ぐるみ剥がされそう」
「だな」
「しっかりした人が傍にいてくれればいいんだけど」
「それをお前が見つけてやったらどうだ?」
「わたしが⁈子猫だよ⁈」
「少なくともアレよりはマシだ」
「ニールをアレ呼ばわりしないで!」
でもボスが言っていることもわかる。悲しいけれどわかってしまう。
「そろそろ中に入らないと戻ってくるぞ」
「うん。今日はありがとう」
窓の隙間に首を突っ込みかけて振り返った。
「明日も会える?」
「多分な」
「じゃあまた明日」
夕日の差し込む室内へ飛び下りると丁度ドアが開いた。
「ただいま」
「にゃあ」
通じないだろうけど返事をしてニールの足にまとわりつき体をこすりつける。理由はわからないがスリスリしたい。これが本能か。
「家に帰って誰かいるっていいね」
わたしを撫でながら嬉しいことを言ってくれる。やっぱりわたしが一肌脱いで、このお人好しの命の恩人の招き猫にならねばと決意を新たにした。
翌朝も昨日と同じように脱走する。屋根に上がるとボスが待っていてくれた。
「ニールの新しい職場を探したいの。良い雇い主の心当たりない?」
「傍にいてくれるしっかりした人間を探すんじゃなかったのか?」
「それも考えたんだけど職場の環境が良くなるわけじゃないし、その人がどこかにコネ持ってるかどうかなんてわからないから」
「それなら自分で店を一軒ずつチェックしていくしかないだろうな」
「やっぱりそうか」
ボスなら色々知ってそうだと思ったけどそううまくはいかないか。
「でも店なら連れて行ってやれるぞ」
「本当?それだけでも助かる。ありがとう」
またもや首根っこを咥えられて移動する。自力でついていこうとしたのだが、余りの遅さに
「まだるっこしい!」
とボスが切れた。
そして到着した一軒目。店内は小綺麗なんだけどシーンとしていて何というか活気がない。よくある入り辛い雰囲気のお店。ここは却下。
この後、数軒程回ったが見つからないまま日が暮れてしまった。
「今日はここまでだ。全部見たわけじゃないんだから、落ち込むな」
ぺしょんとなってしまったわたしをボスが慰めてくれる。
家まで送ってくれたついでに気になっていたことを聞いてみた。
「ねえ、ボス。どうしてそんなに気にかけて手伝ってくれるの?昨日がはじめましてだよね?」
ボスはそっぽを向いていたが、わたしがじっと見つめると
「俺も子供の時に母親と逸れたんだ。多分俺の場合は育児放棄だろうけどな」
と教えてくれた。
「ほっておけなかったんだよ」
何と言っていいのかわからなくて、でも何かしたくて感謝の気持ちを込めて毛繕いをする。
「あれ?ごねんねボス」
毛繕いをしたのになぜかボサボサになってしまった。
「もういいから飼い主のところに戻ってやれ」
それから数日後。
「どうしよう!ニールが首になった!」
「はぁ⁈」
毎日、商店、食堂、宿屋と色々下見をしているが合格点に至る店はまだ出てこない。
この地域は景気が良いらしくとても活気がある。最近、金鉱脈が出たらしい。
焦りはじめる中、昨日帰ってきたニールは顔色が悪くわたしの食事の用意をすると自分は何も食べずにベッドへ潜り込んでしまった。
そして今朝、いつもより遅く起きてきたニールは
「首になっちゃったよ」
そう言って泣き笑いの表情でわたしをずっと撫で続けていたが、一人と一匹の朝食を終えると
「次の仕事探さないとね」
と出て行った。
いつもの時間より遅く文句を言おうとしていたボスだったがわたしの言葉に出鼻をくじかれ
「随分急だな」
とだけ言った。
「普通よっぽどデカいヘマでもしなけりゃいきなり首ってことはないと思うぞ」
「何にも言ってくれなかった」
「そりゃ猫相手にいちいち報告しないだろ」
「むう、納得できない。調べよう」
「新しい仕事探すんじゃなかったのか」
「それは探すけど!なんかモヤっとするの!」
仕方ないという表情をしたボスが前の店に連れて行ってくれる。
以前は店の向かい側から観察していたが今回は会話を聞き取りたいので店の屋根で偵察だ。
睡魔と闘いながら休憩時間になるのを待つ。
うとうとしかけた時、
「ニールの奴首だって?」
一気に目が覚めた。
「悪い奴だな。あれ間違えたのお前だろ」
「本当にあいつが居てくれて良かったぜ。押し付けられそうな奴、他にいないからな」
やっぱり!ニールは悪くない!このままにしておくものか!
飛び出そうとしたわたしをボスが抑え込む。
「なんで止めるの⁉放して!」
「行ってどうする。お前が怪我をしてアレが悲しむだけだぞ」
「だって」
ボスに咥えられて家に戻る。
「悔しいよ」
「やり返したけりゃ頭を使え。ただ仕返ししたいだけなのかアレの濡れ衣を晴らしたいのか、お前はどっちだ?」
「両方!」
「どっちかにしろ。一番大事なもんを見失うな」
「……濡れ衣を晴らす方にする」
「決まりだ。明日からそっち中心でいいな?」
わたしが頷くと
「明日はほかの連中も連れてくる」
そう言って夕暮れの中に消えていった。
翌朝。様々な柄の群れが勢ぞろいしていた。
「猫がいっぱいいる」
「だからお前も猫だろ」
「ボスって凄かったんだねぇ」
「俺の力だけじゃなくて、アレから色々食わせて貰って恩義を感じている奴らなんだよ」
すごい。
一晩考えたけど、こちらはどう頑張っても力では叶わない。やはり精神的に追い詰めて自分から白状するように仕向けるのが一番だろう。
しかし、どうやって追い詰めるかが問題だ。
「アタシのこと使いなさいな」
すらりとしたグレーの雌猫がわたしの前に立っていた。
とても綺麗でほわあと見つめていたら、かわいいねえと言って毛繕いをしてくれる。
なんだかお母さんみたい。喉が勝手にゴロゴロ鳴ってしまう。
「この姐さんの子供たちがな、あいつらに攫われてんだ」
人間が猫を誘拐⁈
「なんで?」
「ここからずっと遠くにある何とかいう国でな、姐さんみたいな毛色の猫をカミサマとやらの使いとか言って珍重してるんだと」
「アタシが狩りに行っている間にうちの子たちを攫って行ったんだよ。子供たちはアタシと同じ色だったからねえ」
「向こうに連れてけば高値で売れる。ただ……」
そこでボスは言いづらそうに言葉を切った。
「気を使ってくれなくてもいいんだよ。無事辿り着ければ大事にしてもらえるだろう。でもあまりにも遠すぎる。子供の身体で持つかどうか」
「そんな……」
酷い。酷すぎる。
何とかしたいけど人間を陥れても平気な奴らだ。子猫を売り飛ばしたことなんて覚えているかも怪しいだろう。
「ねえ、ボス。あいつらの行動、詳しく調べられないかな。どんな小さなことでもいいの」
「3日待て」
「うん。お願い」
ああいうタイプは大なり小なり色々なことをやらかしているものだ。そして悪ぶってはいるけど根は小心者。弱い者には強く出るけど本物の悪党には滅法弱い。
「何をする気だい?」
「あのね……ええと……」
なんて呼び掛けていいかわからなくてもじもじしているわたしに
「アタシはルエラ。そのまま呼んでくれていいよ」
とグレーの雌猫が自己紹介をしてくれた。
「元々は飼い猫でねぇ。食堂やってた老夫婦に飼われてたんだけど、流行り病であっという間に二人ともいなくなっちまった」
「ルエラ、綺麗な名前ね。とっても似合ってる」
「アタシも気に入ってんのサ」
ルエラと話しているとボスがぬっと顔を出した。
「それで、何をするんだ?」
ルエラが笑いをこらえてる。
「?ええとね、あいつらは自分のしたことちっとも悪いと思ってないと思うの。何なら忘れてる可能性だってある」
「だろうな」
「だからね、それを思い出させるの。悪い形で」
「悪い形?」
「うん。何かツイてないなっていう程度のことが起きる。その時に過去の出来事を結びつけるわけ。最初は偶然だと思うけど、それが毎日続いたら段々気味悪くなってくるよね」
「追い詰められて墓穴を掘るように仕向けるわけか」
「そう!どうかな?甘いかもしれないけどこちら側に被害を出したくないんだ」
「考え方としては悪くないが、決定打に欠けるな」
「決定打……」
「確かに色々やらかしちゃいるが、どれも小悪党未満のやらかしだ。人間の掟で捕まる程じゃねえ」
追い詰める材料が弱すぎる。
ボスがおでこをコツンと合わせて
「取り敢えず3日待て。情報を集めて来てやる」
と言ってくれた。
そして事態が動いたのは約束の3日後だった。
「あいつら小悪党どころじゃなかったぞ」
いつもの時間に現れたボスはニヤリとして言った。
首を傾げていると、
「姐さんの子供達の件がな、ちょっと気になったんで調べたんだが、そこから繋がって出てきたんだ」
ルシアの子供達が運ばれた国はずっと遠い。その国からは複数の商人たちが隊列を組んでやって来るけど、取り扱う商品は猫達曰くキラキラした石、つまり宝石だ。
あの店で売るようなものじゃないし、商人たちは取引のある店へと足を運ぶことがほとんどだ。
そこで、見知らぬ相手から野良猫とはいえ商品を買い付けるかという疑問が湧いた。
でも、もし見知らぬ相手じゃなかったら?近所の猫達に聞いて回ると商人たちが来ると決まって店主やあいつらが宿へ足を運ぶ事がわかった。
「石の商人とニールの働いていた店の繋がりがよくわからないんだけど」
「だから隠れ蓑なんだよ。店も真面目で正直者なアレも」
話のスケールが大きくなってきてついて行けなりつつある。
「争いの種を蒔く。何気なく噂をばら撒くのに店ってのはうってつけだろ」
確かに客層は幅広い。でもやっぱりわからない。
「争いの種を蒔いてどうするの?」
「この国を内側から崩していくんだ」
「もしかして、ニール以外の店の人間はその国の人なの?」
「どこの国かまではわからなかった。でもここを荒らしたいってことだけは確かだ」
「たった3日間でよくそこまで調べたね」
「人間にとっちゃ、俺たち猫はどうせ何を言ってもわからねえ置物みたいなもんなんだよ。しゃべり放題だ」
「なるほど」
どうしよう。誰かに知らせないと。でも地位の高い人じゃないとだめだし、こちらは猫だ、言葉が通じない。
証拠があればいいのだけど。
「そうだ!証拠だ!」
ボスに何言ってんだという顔をされたけど気にしない。
「証拠になる手紙か紙切れみたいなのが絶対あるよ。だって伝言だと間違って伝わっちゃうかもだし、怪我や病気で役目を請け負った人が辿り着かない可能性もあるよね?自分が動けなくなったら渡してほしいってすればいいだけだもん」
「だったら、マリアンヌに頼もうかねェ」
ルシアが立ち上がった。
「あの宿で飼われてる娘サ。アタシの子供たちの仇だって言えば必ず協力してくれる」
「気を付けてね。無理しちゃだめだよ」
スルリと優美な身のこなしで去っていく後姿を眺める。
「大丈夫だ。心配ない」
わたしよりずっと古くから知り合いのボスが言うのだからきっとそうなのだろう。
ちょいワルぐらいの相手だと思っていたのに本物の悪党だった。もう泣きたい。頭がいっぱいでボスのお腹に顔を埋めた。
「明日はお祭りだよ」
ニールがわたしをだっこして言った。あれから10日程経っているが進展はない。
彼の話によると、明日の祭りは豊穣を司る女神の誕生を祝うものでこの地を治める伯爵様が来るのだそうだ。なんでも王妃様の従兄弟に当たるらしい。
これはチャンスだ。
ニールは無事新しい職場を見つけ――今度は食器専門の店だそうだ――毎日楽しそうに通ってる。一緒に働く人たちも良い人たちで一安心だ。
今日も元気に出勤していくニールを見送った後、いつも通り屋根に登る。
「ボス、大変!明日、ここに偉い人が来るんだって!」
交代で見張っているけど、今のところ動きが全くないらしい。でも明日を逃すと次のチャンスがいつになるかわからない。
「勝負は明日だな。全員に集合をかける」
「今日は?」
「今日盗ったら、今夜一晩中あいつらを撒かなきゃならねえからな」
「あ、そっか」
「ルエラの所に行くけど、来るか?」
「うん!会いたい!」
ボスのあとを危なっかしいながらも追いかけ――毎日登っているので成長したのだ――目的の宿に到着する。
宿の窓辺にいる白い猫と話していたルエラが気が付いて寄ってきた。
「久しぶりだねェ。ちょっと見ないうちに大きくなった」
毛繕いしてくれるのが嬉しくて懐いていると
「明日だ」
とボスが伝えた。
「随分急だねぇ。何だか奴らもピリピリして落ち着かないのサ」
「ここに偉い人が来るんだって」
「なるほどねぇ。じゃあ、アタシはマリアンヌを手伝うよ」
「頼んだ」
「もう行っちゃうの?」
「明日が本番なんだろう?今日は早く帰ってゆっくり休みな」
そう言うとルエラは宿の中へ潜り込んでいった。
「あいつの言う通りだ。たくさん動くことになるんだから帰って寝とけ」
とボスに連行されてしまった。
翌日集まったのはボスを含めて5匹だけ。数の少なさに戸惑っていると、
「他の奴らは配置についている」
どうやら大半は街中に散らばっているらしい。
「人間の世界が荒れるとこっちへもとばっちりがくるからな」
という理由でこの街に住むほとんどの猫が協力してくれているのだが、猫の気配の消し方すごい。どこにいるのかさっぱりわからない。
それとマリアンヌがこれじゃないかと思うものを見つけてくれたそうだ。大きなブローチで彼女曰く匂いが違うらしい。ルエラが宿から持ち出し、その後は猫のリレー大会開催だ。
伯爵様のいる場所は豊穣の女神の神殿。そこがゴールだ。
祭の始まりを知らせる花火と共にこちらも作戦開始。
猫リレーは順調そう。猫が走り大慌ての男たちがその後を追う。祭の混雑もあって通行人たちから非難の声が上がっている。
わたしが原因です。ごめんなさい。
人混みを避けるため路地から屋根へコースを変え猫リレーは続く。
色や柄を覚えられるのを避けるため、こまめに運搬役を変えるのだ。
その他にもサポート役、地上でひっかきまわす役とみんないきいきと動いている。
神殿が近くなってきたところで小石が飛んできた。下を見ると男が石を投げてくる。
「下に降りろ!」
ボスが運搬役のサバトラに声をかけ、自分も下に飛び降りる。
追っ手の包囲網が狭くなっているのだ。
全力疾走の二匹についていけないわたしは完全に足手まとい。このまま屋根沿いに神殿に向かうことにする。
神殿に到着し屋根の上に隠れていると、ブローチを咥えたボスがやってきた。
下ではセレモニーが始まっている。
「ここからはお前が行け」
伯爵様が女神役の娘に花冠を被せようとするところにえいっと飛び下りた。
「…………」
「…………」
花冠のど真ん中、伯爵の手にすっぽりと乗っかるわたし。
見つめ合っていると男たちがやって来た。
ブローチは自分のもので、猫にいたずらされてしまって困っていたとか何とか言いながら近づいてこようとする。
どうしよう。はやくこれを開けなくちゃ。
その時、物凄い威嚇の声を上げてボスが男たちの前に立ちはだかった。それだけじゃない。あちこちから唸り声を上げながら猫達が数え切れないほどどんどん出てくる。
その隙に伯爵に一生懸命話しかける。お願い通じて。
「ニャウニャウ」
わたしが咥えたブローチを懸命にちょいちょいしているのを見て、手に取った伯爵は仕掛けに気が付いた。
「何だこれは」
そこからは怒涛の展開だった。
まずわたし達を追いかけてきた男たちが捕らえられ、そこから芋づる式に判明した国内に潜伏するスパイが全員つかまった。
隣国と例の国は手を結び、ここの金鉱脈を狙って攻める機会を窺っていたらしい。
飼い主の就職活動をするつもりが随分おかしなことになってしまった。
そして、国の危機を救ったということでここは猫を手厚く保護する街になった。
褒賞金というのが出たので、それが財源になっている。
最近ちょと気が付いたことがある。人間であった時の記憶がぼんやりとしてきたのだ。
でも、それでいいのかもしれない。
わたしはここでニールやボスやみんなと一緒に生きていく。