盲点
書棚が音もなくスライドした。
「では、行ってきます。」
サラが、近くに買い物にでも行くような雰囲気で乗り込む。
「うむ、頼む——。私はここにいないと怪しまれるだろうからな。これだけ時間的に余裕があれば、『イツミ』なら爆弾そのものを解体してしまうこともできるだろう。」
「あとで、どう言い訳します?」
「起爆装置そのものが不良品だった。」
デイヴィは、面白そうに肩をすくめて見せた。
「なるほど。そう見えるようにやればいいんですね。」
サラが笑いながら、生体認証パネルに手をかざした。
が、転送ポッドが動かない。
「?」
もう一度やってみる。画面は反応するが、ポッドは動かない。
「私がやってみよう。」
デイヴィが代わりに乗り込んで手をかざしてみるが、同じだった。やはり、画面は反応するがポッドには変化がない。書棚も開いたまま反応しなくなった。
デイヴィは生体認証パネルを諦め、ポッドの操作パネルにパスワードを打ち込んで「基地」のコンピュータを呼び出した。
「転送ポッドが動かない。」
<ただいまシステムをチェックいたします。>
システムのチェックに5分ほどを要した。その5分を2人は1時間にも感じながら待った。
<システムには問題はありません。転送ポッド本体の問題か、長官室内の機械的な問題のようです。こちらからは修理できませんので、メンテナンスロボットを使ってください。MR2です。>
どういう状況下でも淡々と話すだけの百年前のコンピュータの声は、まろやかな音声に調律されているだけに、かえって神経を逆なでする。
「なんてこった、こんな時に・・・。 サラ! 備品部だ。MR2と書かれたケースがどこかにあるはずだ。大至急探させてくれ!」
サラは副長官室に飛んで帰ると、備品部を呼び出した。あの状態の長官室に余人を入れるわけにはいかない。
「緊急要請だ。MR2を大至急、私の部屋に持ってきてくれ!」
通話端末の画面に映った担当官が、のんびりした表情で聞き返す。
「M、というとメンテナンス系ですか? ずいぶんとシンプルなナンバーですね。相当古いものですか?」
サラはイラついた。
「貴様、軍というものが分かっているのか! 緊急要請だと言っている! 急げ! 10分で私の部屋まで持ってこい!」
副長官の剣幕に担当官は縮みあがり、慌てて敬礼すると通話端末を切るのも忘れて倉庫へと飛んで行く後ろ姿が映った。
サラは爪を噛みながら、こちら側から通話を切った。
副長官室の扉が開いて、デイヴィが外から室内を覗き込んだ。
「見つかりそうか?」
「かなりキツく言いましたから・・・。急いで見つけてくると思います。」
サラは立ち上がって、中央司令室へと出てきた。落ち着きを装ってはいるが、わずかなしぐさがイラつきを隠せていない。
中央司令室は、大きな作戦を行うときなどに戦略司令本部として使う部屋だが、普段ここに人はいない。秘書官や参謀などは、この外のスペースに詰めている。
自然、コトがなければ、ここは長官と副長官だけが使用するスペースになっていた。
受け取るなら、ここがいいだろう。
「10分で持ってこいとは言いましたが、どのくらいかかるか・・・。かなり古いもののようなので・・・。」
明るく言おうとしながらも、サラの表情には無理やり感が拭えない。
「仕方がない。100年前のシステムだ。」
デイヴィも冷静を装いきれていない。
無理もない。予期しなかった2つの大きな問題が、突然2人の前にその巨体を横たえてしまったのだ。
連邦を崩壊させかねない「超機密」の露出と、子どもたちの命の危機——。いずれも、誰にも知られることなく、2人だけで解決しなければならない危機だった。
「くそ! 迂闊だった・・・。向こう側のシステムは自動的にメンテナンスされているとはいえ、こちら側の起点については誰もやっていなかった可能性があるわけだ。」
「完全な盲点でしたね・・・。」
「使う頻度が極端に少ないわけだから、歴代の長官も副長官も、起点のメンテナンスにまでは頭が回ってなかったのかもしれん。」
ややあってデイヴィは
「ああ、そうだ。」
とサラに小さな指示を1つ出した。
「秘書室に、備品部がMR2を持ってきたら無条件に君のところに通すように指示しておけよ。つまらない手続きで余計な時間を使いたくない。」
結局、MR2がサラの元に届いたのは、30分以上も経過したあとだった。犯人が予告した爆発時刻まで、銀河標準時間で既に2時間を切っている。
「こんな昔の機械を使う緊急事態って、何なんです?」
まだ少し呑気そうな顔で純粋に疑問だけを口にした備品部の将校に、サラは思いっきり機嫌の悪い表情を見せた。
「君が知る必要はない。下がりたまえ。」
サラの機嫌の悪さに備品部の将校は慌てて敬礼だけを済ませると、ほうほうの体で中央司令室から出ていった。
他の言い方もあるのだろうが、サラはやや気持ちの余裕を失っているようだった。
責めるのは酷というものだろう。なにしろ、長官室では漏れれば連邦の崩壊を招きかねない「超機密」への入口が、バカみたいに口を開けたままになっているのだ。
連邦にとって、これ以上の危機はないと言ってもいい。
しかも・・・・
ただ起点のメンテナンスが不備だった——というだけの理由で命を落とす子どもがいるとしたら・・・、その子は何のために生まれてきたのだろう。
連邦軍副長官という要職にありながら、そんなふうに強く思い入れて考えるのは、サラが若いせいだろうか。それとも、彼女が本質的に持っている人としての美質なのだろうか。
備品部の将校が出てゆくと、サラは大急ぎでケースを長官室に運び込んだ。
「古い型のメンテナンスロボだな——。確か同じものを向こうでも見かけたぞ。」
デイヴィは言いながらケースのカバーの一部を開け、起動スイッチを押した。生体認証すらしないというのは、当時は一般的なマシンだったからだろう。
ピッという起動音とともにケース自体が変形を始め、不格好ながら人型ロボットになった。
こういうトランスフォーム機能も、時代を偲ばせる。
<メンテナンスする機械を指示してください。>
ロボットが抑揚のない声で言う。
「この転送ポッドだ。動かなくなった。」
デイヴィが開いたままの書棚の後ろのポッドを指差した。
<承知しました。検査を開始します。>
ロボットから無数の触手型端末が伸び、ポッドの各所の検査が始まった。
「どのくらいかかりそうだ?」
デイヴィが、せかすように聞く。
無駄であろう。この種のタイプには———。
<状況次第です。検査の結果によります。>
案の定、ロボットの返事は素っ気ない。
デイヴィもサラも、ロボットが順次検査を進めてゆくのを、ただ眺めているしかなかった。