片思いのはじめまして
「二人とも行ってらっしゃい。俺たちももう少ししたら出かけるけど」
「皆さんも物取りには気を付けるのですよ」
そんな「自動車には気を付けるのよ」みたいな雰囲気で言われても……やはり貧民街の治安は悪いんだよなぁ。俺たちはシスターに守られているからある程度安心できるけど、普通に貧民街で暮らしている子供たちは常に危険と隣り合わせだ。
物取り、人さらい、強姦、空き巣、貧民街にはそんな犯罪がありふれすぎている。この辺りも改善できればいいが、それはもっと将来的な話だろうな。そもそも一孤児で対処するようなものじゃないし。
でだ、ビーレストが先方と会う約束をしている場所は、大通りにある一軒の喫茶店だ。さすがに朝っぱらから風俗街の店で対面なんてのも変な話だし、孤児院に来てもらうとなると少々治安の問題が発生する。仮にも相手は貴族だ。さすがに貧民街のボロい孤児院には呼べないよな。
そんな感じに妥協案を探し、結果として個室が使える喫茶店で面会という運びになったわけだ。
参加者は先方の貴族の当主様とそのお付き数名、ビーレストを貴族様に紹介した娼婦のお姉ちゃんにその娼館の主人、こっちはビーレストとシスターが参加することになっている。
お互いに様子見という感じだし、こっちにはシスターもいる。変な契約なんかを結ばされる心配もないだろう。
さて、出かけた二人を見送り、俺たちも自分たちの仕事の準備を始める。
女子二人は畑の面倒と家事、シーク、ディアス、俺はどこかの店の手伝い、エフクルスはいつも通りに小物づくりである。
「んじゃ俺も芋を売ってくるわ」
「じゃあ俺たちも行くか」
「そうだね」
「「いってらっしゃい」」
俺は今朝収穫したばかりの芋を背負って家を出る。
向かう先はいつもうちの野菜を買ってくれる商店――いや露店だ。ディアスも飲食品を扱う商店でアルバイトしているのだが、そこはどちらかというと高級志向の店であり俺たちのような孤児の作る芋を買い取ってくれるような店ではない。というか本来なら孤児であるディアスが仕事をさせてもらえるような場所でもないのだが、俺が四則演算を徹底的に教え込んだおかげでピンチヒッターとして手伝いをさせてもらったことをきっかけに何とか繋ぎを作っている状態である。イーレンの新芋ならば一度持ち込んでもいいかもしれないが、それをするのは次の収穫である程度量を確保してからだな。
予想していた通りこの世界、四則演算が平民にまではいきわたっていない。加減程度の計算ならば経験から使える者もいるが、乗除の計算となるととたんにできる者は限られてくる。
こういった計算を学ぶものは、親が商人であるか貴族として家庭教師を付けられている場合に限られてくる。だからしっかりとあいさつができて好印象の計算ができる子供であれば、中規模の商店であっても制限付きで仕事を与えてくれるのだ。
まあシークの場合は肉を解体してみたいといって精肉店に飛び込んだので、ちょっと経路は違うが雇われた理由は似たようなものだ。
で、あいつらが雇われるのなら当然俺も雇われることは可能だと思う。黒髪が珍しいので多少目立つかもしれないが、あいつらよりも頭は回る――というか大人の思考をしているので会話は成り立ちやすいし押さえるべきポイントも知っている。そんな俺がなんで露店に芋を売りに行っているのかといえば、将来的には俺は学園に編入する予定だからだ。
悪役令嬢の通う学園は初等部から高等部までの一括式だが、中等部と高等部への入学の際には編入も受け入れている。俺は中等部の編入試験で入学し、悪役令嬢に近づくつもりなのである。
なのでそこまでの間に下手に目立つわけにはいかない。あまりに目立って悪役令嬢にこいつも転生者なのではと思われては、蜜を吸えなくなるからだ。
俺は転生チートで世の中をかき回したいわけではない。楽をして余生を過ごしたいのだ。不労所得万歳、安楽椅子に座って紅茶を飲むだけで金が入ってくる未来設計は誰もが夢に描いたはず。だよね?
そんなわけで、今の俺は地道に芋売りである。
「おばちゃん、芋買ってくれ!」
露店のおばちゃんに対しては、大人っぽい態度よりも子供の元気さが好印象に取られる場合が多い。多少言葉を崩しつつ、笑顔で露店へと顔を出す。
「おや、ノクトじゃないかい。いっぱい採れたみたいだね」
「朝採れの産地直送だ。味もいつも通り保証するよ」
「ハハハ、じゃあいつも通り買わせてもらうよ。あんたんところの芋は売れがいいからね」
籠を露店の隅へと置き、おばちゃんが一応品質と量を確認する。
おばちゃんは芋を確認して満足そうにうなずいた。
「ほんとなんで町の中でこんないい芋が作れるのかねぇ」
「それはうちの秘密さ」
「まあしょうがないね。じゃあいつも通り籠一つで六千ゴールドね」
「まいど」
籠一つが大体二十キロ。キロ単価三百ゴールドか。これでもほかの芋と同程度の値段で買ってくれているから良心的な方だ。ちなみにこの世界、一ゴールドが大体一円ぐらいの価値で取引されている。そう考えると微々たるものだよなぁ畑の収入。まあ、メインの炭水化物を自前で用意していると思えばいいだけだが。
芋の売却が終われば、俺はそのままの足で市場の片隅へと向かう。そこの空きスペースに布を広げ、籠とは別に持ってきていた包みを広げた。
中に入っているのはエフクルスが作った食器や小物たち。これを夕方までに数個売るのが俺の主な仕事である。
微々たるものではあるが、これも大切な孤児院の収入源だ。
さて、店じまいまでのんびり過ごすとしましょうか。ビーレストたち大丈夫かな?
◇
昼過ぎ。心地のいい日差しに店番をしながら思わずうとうととしていると、声をかけられた。
「いらっしゃ……」
慌てて顔を上げ、俺の思考は一瞬停止する。
目の前にいたのは、例のお嬢様だったからだ。
なぜこんなところにいるのかと一瞬声を上げそうになりグッとこらえる。そして回り出した頭ですぐに思い出す。お嬢様は定期的に市場の散策もしているのだった。
いろいろなアイディアを見つけるためだと言っているらしいが、本当は普通に市場の空気が楽しいだけだと俺は知っている。
護衛がしっかりと周囲をガードしているが、それでも侯爵令嬢が来るには少々不釣り合いな場所だ。さらにこんな市場の隅っこともなれば尚更である。
けど同時に、この転生者という設定の侯爵令嬢ならばあり得る話だ。
「ああ、いらっしゃい。よかったら見てってよ」
「木の食器や小物を取り扱ってるのね。これはあなたが作ったの?」
「いや、孤児院にこういうのが得意な奴がいるんだ。そいつが作って俺が売ってる。そいつ人見知りだからさ」
「へー、けっこういい腕しているのね。手に取ってもいいかしら?」
「もちろんだ。たっぷり見てってくれよ。よかったら買ってってくれ」
お嬢様は大皿を一枚手に取ると、その表面を指でなでる。
昔は石で削っていただけだったからザラザラしていた木皿だが、彫刻刀ややすりを買ってからはその表面は滑らかそのもの。さらに種を絞って得た油を使って表面処理を施してある。普通に商店などで販売できるレベルとなんらそん色ない一品だ。むしろ子供たちの使用感を聞いてフィードバックをかけてるからな。むしろ使いやすいぐらいだ。
「凄いわね。孤児院でここまでできるものなの?」
「道具を買うのは苦労したけど、表面の油とかは森で拾ってきた果実の種を使ってるし、元手はほぼゼロだ。手間はかかるけどやれないわけじゃない」
「けど費用対効果が釣り合わないわね」
「それは――どんな意味?」
思わず普通に答えそうになったが、とっさに別の言葉を付け加えることでごまかした。
十歳にならない子供が費用対効果なんて意味を知っているわけない。このお嬢様、俺を怪しんだか?
珍しい黒髪だ。自分と同じ存在だと考える可能性もある。ましてや知識のないはずの孤児が種油を使って表面処理までしていれば――か。ここでお嬢様と会う予定ではなかったから、少し油断した。
お嬢様は俺をじっと見つめ――そしてニコリと笑みを浮かべた。
「まあ苦労に値段が釣り合ってないってことかしらね。よし、ここにあるお皿とそっちの鳥の置物をいただくわ」
「豪胆だね、まいど。また数がそろったら売りに来るから、見かけたら買ってってよ」
「機会があればね」
皿十枚と鳥の置物二つ。締めて二千四百ゴールドの売り上げである。
いい収入にはなったが、気を付けないといけないな。中等部で出会うときに一般生徒として紛れ込むつもりだ。印象が残らないようにしなければ。
「じゃあ皿がなくなっちゃったし、俺も帰るよ。買ってくれてありがとな!」
俺は商品の欠品を理由に、そそくさと帰り支度を行いその場から退散するのだった。




